黒須×旬

「最後の境目、ですね」

召喚獣の背に乗せてもらい、境目までやってきた。確かに境目の向こう側には最初に居た遺跡が拡がっている。

「何かしらの変化が欲しいところだが、さてどうなるか」

「…早速行きましょう」

差し出された手を最早当たり前のように握り、互いに警戒と緊張を滲ませながら境目へと進む。
同じ魔力、感覚。そして…。

「え?」

「は?」

通り抜けた先は何故か遺跡ではなく、荒廃の限りが進んだビル群が並ぶ街並み。おかしい、先ほどまでは遺跡が目の前に見えていたはずなのに。水篠と目を合わせ、二人同時に背後の境目を振り向いた。

「…通り抜ける前は遺跡だったよな?」

「はい。間違いなく。影たちの探索とも合っていました」

「…もう一度通り抜けるか」

「そうですね、そうしましょう」

検証の為、もう一度樹海との境目を通り抜け、後ろを振り向く。すると今度は先ほどの遺跡が痕跡も無く見えなくなっていて、廃墟の風景が映し出されていた。

「どうなってんだこれ…」

「わかりません。人間にしか反応しない罠とかでしょうか…」

水篠の見解に同意をしたい所ではあるが、人間と召喚獣をしっかりと見分けて罠を仕掛ける事の出来る程の知性があると思いたくないというのも本音だ。

「仮にそうだとしたら厄介な気配しかしねえな」

「ですね。…いっそゲートブレイクまで待ってみますか?どの道ボス以外はモンスターがいないようですし、最悪モンスターが溢れ出たとしても架南島程居なければ俺が何とか出来ますから」

「あ。いや待て。…ゲートブレイク…?」

何か、忘れているような…こんな不可解な状況がそうあるとは思わないが…。

「…やっぱり無謀過ぎますか?」

「いや、違う。似た様なことが昔………ああ!思い出した!」

「えっ」

「数年前と、ハンター協会が設立された頃にゲートブレイクした筈なのに、モンスターが一体も出てこなかったって話を聞いたことがある。ハンター協会設立直後は噂程度だったが、数年前は調査資料も回ってきた筈だ」

数年前の事、ましてや被害が出たわけでもなかったからすっかり忘れていたが、この状況はかなり酷似しているのではないだろうか。…チッ、モンスターが居ないって時点で思い出せてりゃ良かったんだが…。

「その時も内部はこんな感じだったんですか?」

「違う。確か資料によると、ゲートブレイクして調査をという話になった時には勝手にゲートが閉じていたらしい」

「勝手に閉じるなんて事があるんですか?誰かがこっそりボスを倒したとか…」

「俺もその時の事は資料でしか知らねえんだよな…」

疑問を投げかける気持ちもわかるが、と苦笑してみれば存外素直な水篠は焦ったように頭を下げた。

「あっ、そうですよね…すみません。…そうすると同じゲートが現れているのか、同じようなモンスターが居るのか…」

「気にすんな。…そうだな、だがどちらにせよボスを倒さねえと俺たちが出る前にまたゲートが閉じる可能性もあるって事だな」

俺がそう言うと水篠の眉間の皺が深くなる。…ボス本体が居ねえんじゃどうすることも出来ねえし、ゲートブレイクを待っても解決しない可能性があるとなれば焦りも出るよな。

「そうですね…黒須ハンター。こうなったら境目に攻撃してみても良いですか?」

眉を寄せて考え込んだかと思えば直ぐに顔を上げて真剣そうに武力行使を訴える水篠。いつもならばそんな突発的な行動の前にもう少し調べてみるべきだと提案するのだが、俺自身もこの意味の分からないループ現象に少なくない苛立ちを感じていた為、弓を取り出し魔力を込めて矢を作り出す。

「そうだな。やってみようぜ」

「はい。じゃあ…いきます…!」

水篠がナイフを構え、足に力を籠めたのと同時に矢を放つ。すり抜けることを想定していたのだが、矢は境目に突き刺さり、ガラスが割れるようにヒビが入る。そのヒビの中心に水篠のナイフが刺さった瞬間———パリン、と何かが割れた音がした。
そしてその音と同時に、廃墟の景色が作り物だったかのように崩れ落ちていく。…そうして気が付いた瞬間には神殿のような場所へと水篠と二人で立っていた。

「大正解だったか?」

「そう、みたいですね。それにしてもここは…最初の遺跡?」

警戒しながら辺りを見回す。確かに最初の遺跡と雰囲気は似ているが…あの場所は入れる神殿なんか無かった筈だ。また別のエリアの可能性が高いな。

「似た場所だろうな」

『———どうして』

「「!」」

同意した瞬間、どこからともなく声が聞こえてきて、互いに武器を構える。

「ようやくボスのお出ましか?」

『———どうして…お前たちは絶望しない』

「…何を言ってるんだ?」

問いかけの意味が分からず、警戒はしながらも脳内に疑問符が浮かぶ。絶望ってどういう意味だ?モンスターの問いかけだから意味のない可能性もあるが、ここまで知能を有しているのならば完全に無意味という事もないだろう。そう考えていると、目の前に魔力が集まり始め…そこからゆっくりと何かが形を成していく。

『———お前たちは…つまらない』

現れたのは半透明で顔のない、幽霊のような存在だった。…レイス、か?攻撃が通るかわからねえタイプなのが厄介だな…。

「つまらないってどういうことだ。このループはお前の仕業で間違いないのか?」

水篠の問いかけに、レイスはまるで嘲笑うかのように身体を揺らし、語り始める。

『———そうだ。始めは隠れた私を見つけられず力尽きる人間を見るのが好きだった。けれどある日他の人間に見つかりそうになり、隠れ蓑として雪原を生み出した。するとそこで人間は力尽き、死んだ。その時に私は気付いたのだ。人間は環境が変われば生きられないと。だからその雪山を越えるものが現れれば砂漠にした。その砂漠も越えれば樹海へ。力尽きるものもいれば食糧を争って仲間割れをする人間もいた。その人間たちは私を楽しませてくれた。…なのに、それなのに…』

とんでもなく悪趣味な話を語り出したレイスに俺と水篠の眉間に皺が寄る。モンスターに常識は通じねえと知ってはいたが…下手に知性があると非道な事を思いつくもんだな。

『———お前たちは衰弱も絶望する顔も見せない!挙句の果てに私を見つけ出した!!なんてつまらない人間共だ!』

自分の思い通りの行動をしない俺たちに怒りを感じたのか、空気を震わせるほどの大音量で叫ぶと同時に魔力が膨れ上がり殺気が満ちる。…うるせえな。すかさず一歩下がって水篠と立ち位置を交換した。

「ハッ、そりゃあ快適に過ごして悪かったなぁ?———来るぞ」

「はい。すぐ終わらせましょう」

『———死ね!!』

レイスが無数の人玉のようなものをこちらへ放つと同時に本体が素早いスピードで水篠へ突っ込んできた。

「撃ち落とす!!」

すかさず弓を構えて魔力を込め、全ての人玉を撃ち落とす。水篠は静かにナイフを構え…。

「———人間はお前が鑑賞する道具じゃないんだよ!!」

そう叫ぶと共にレイスを切り刻んだ。そして…断末魔すら上げる間もなく消滅するレイス。
…流石国家権力級。一瞬じゃねえか。

「俺の出番なかったな」

「いえ、黒須ハンターが撃ち落としてくれたので狙いが付きやすくて助かりました」

「っ、はは!やっぱ良い子だな」

「だから!撫でるなって!」

「へいへい。…さ、帰ろうぜ」

軽く頭を撫でてからふくれっ面を見せている水篠の背中を押し、ゲートの出口へと向かう。ゲートから出るとそこにはウチの副ギルドマスターと協会員らしき人間が数名、その中には犬飼部長も混じっていた。

「!マスター!ご無事でしたか」

「ああ、水篠ハンターのお陰でな。…心配かけたな、新人達はどうした?」

駆け寄ってきた副マスターに状況を尋ねると、安心させるように微笑んだ。

「全員死神ギルド内でのトレーニングに切り替えて、他のメンバーが面倒を見ています。幸いにも何が起きたのかまるで理解出来て居なかったようで、トラウマになるようなメンバーは出ませんでした」

その回答を聞いて安堵する。折角の新人がトラウマで引退だなんて勿体ないからな。…それにしても、これでまた一つ水篠への借りが出来たな。今回と架南島の事を合わせれば返しても返しきれないほどの借りが出来ちまった。少しずつでも返さねえと死神ギルドの名も廃るよな…。

「失礼いたします。お話し中申し訳ございません」

「お、犬飼部長。あんたも大変だな。水篠ハンターに聞いたが三回目だって言うじゃねえか。水篠ハンター専属みたいなもんだし全部確認してんだろ?」

副ギルドマスターとの会話の最中に割り込んできた犬飼部長。毎度毎度あの規格外な水篠に付き合ってるんじゃ並大抵の精神じゃ持たねえよな。

「お気遣い有難う御座います。ですがこれも監視課の仕事ですので。…お疲れの所恐縮ですが、水篠ハンターと黒須ハンターにはレッドゲートの報告の為一度協会へとご足労願います」

「あー、それなんだけどよ。俺一人でも良いか?」

「え?俺も行きますよ?」

俺の提案に水篠が驚いたような声を上げる。だがまあ借りは返せるときに返さねえとな。

「戦闘もゲート内の生活も頼りっきりだったからちょっとくらいは良い所見せねえとな。報告なんざちょっと書いて証言するだけだが、まあ俺に任せとけ。…水篠ハンターの方は働きっぱなしでな。休ませてやりてえんだが、良いよな?」

犬飼部長に確認を取れば静かに頷かれる。

「そう言う事でしたら問題御座いません。水篠ハンター、お疲れでしたら協会員に送らせますが如何致しますか?」

「えっ、あっ…大丈夫です。あの、黒須ハンター…」

「ちゃんと報告するから安心しろ。良い子だから帰れ。な?」

「…わかりました。黒須ハンター、有難う御座います」

言い聞かせるように目を合わせれば渋々ながら素直に頷く姿に満足する。

「こっちこそ色々助かった。礼はまた改めてさせてもらう」

「いや、そんなのは良いんですけど」

「何言ってんだ。死神ギルドの新人だけじゃなくてギルドマスターも救ってんだぞ?こういう時は素直に受け取ればいいんだよ。…よし、だらだらここで喋っていても仕方がねえな。じゃあまたな、水篠ハンター。お疲れ」

「あっ、はい。お疲れ様です」

頭を撫でつけ犬飼部長の用意した車に乗り込む。ギルドの方は副マスターが上手くやっておくだろうし問題はねえな。…しかしレッドゲートではかなりの時間が過ぎていたがこちらではたったの数時間。相変わらずゲートというものはよくわからねえな。

「(だが、トータル的に悪くなかったな)…水篠ハンターは結構素直だな」

運転席の犬飼部長へ話しかける。余り普段は話さないが、なんだかんだ水篠の事に詳しいのは犬飼部長だろう。本人から信頼もされているようだし。

「ええ、あの方は態度で誤解されがちですが、話してみればとても素直な物言いと感じ方をされますし、性質的には善人です」

「…ああ、そうだな。今回で良く分かった」

「自分が口を出す事では無いと理解はしていますが、水篠ハンターの事を理解して下さる方が増えるのは良い事だと思っています。…こう言っては失礼かもしれませんが、今回共にレッドゲートへ入ったのが黒須ハンターで水篠ハンターにとっても良かったでしょう。…僕も、安心しました」

俺から話を振ったのだが、犬飼部長が珍しく口角を上げながら水篠の事を話している事が気に食わない。そりゃ理解者として距離が近いのはわかるが…いや、大人げねえな。首を一つ振って気分を切り替え、水篠ハンターの話を少しだけ交えながらいつもよりも多く会話をしたのだった。

***

「ただいまー」

「おかえりなさい。夕飯食べる?」

「お兄ちゃんおかえりー。珍しく遅かったね」

「先にシャワー浴びてから食べるよ。…ああ、ちょっとトラブルでな」

母さんと葵にそれぞれ返事を返しながら、浴室へと向かう。流石にあのまま食事をするのもな…。
そしてシャワーから出る温かいお湯を浴びながら考える。黒須ハンターに促されるがままに帰ってきてしまったが、本当に良かったのだろうか?

「(一応俺もギルドマスターなんだからやっぱり一緒に行くべきだったんじゃ…)」

まあ今更考えても遅いのだが。…黒須ハンターは本気で気にしていないように見えたしな。また後日会った時にちゃんと礼を言えば良いだろう。

「後日…か」

先ほどの葵も母さんも俺がちょっと帰宅が遅くなったような感覚でいるが、俺からすれば丸々二日はレッドゲートに居たんだけどな。相変わらずゲート内での時間の流れは不思議だ。皆が知らない二日間でかなり黒須ハンターの事を知ったような気がする。けど、傍からみたら急に親しくなったように見えるのだろうか。

「(…親しく?)っ!」

自然にそんな言葉が浮かんだ瞬間、黒須ハンターに抱き締められて寝た事やキスした事をまざまざと思い出してしまった。意識を逸らすために再び頭から勢いよくシャワーを浴びる。あれは不眠症解決の為だし、キスは寝ぼけていたのと揶揄われていただけだろ!?何考えてるんだ俺!

「早く、忘れないと…」

不眠症を治す糸口ついでに遊んだだけなんだから。次に会った時に変に反応しては黒須ハンターにも迷惑が掛かる。そう自分に言い聞かせながら浴室を出る。
そして髪を適当に乾かし、リビングに入ると丁度母さんがシチューをよそってくれているところだった。

「今日はビーフシチュー?」

「ええ。良いお肉があったのよ。旬もハンターのお仕事してきて疲れているでしょう?お肉沢山食べて体力つけなさいね」

「ありがとう。そうする。…母さんと葵はもう食べたの?」

「ええ。本当は旬を待っているつもりだったみたいなんだけど、友達と通話するんですって。洗い物もあるから私も先に食べちゃったの。待っていられなくてごめんね、旬」

席に着きながら聞いてみると、どうやら勉強を教えてあげる約束をしたらしい。今日みたいに突発的に巻き込まれることもあるから後で待たなくていいって言っておくか。

「気にしないで。こうしてまた遅くなるかもしれないし、俺の事は待たなくても平気。いただきます」

静かに食事をしていると正面に座っていた母さんが首を傾げて話しかける。

「…旬、何かあったかしら?いつもよりも疲れているように見えるわ」

「…大したことは何もなかったよ」

母さんにレッドゲートの事を説明するわけにも、黒須ハンターとのことも話せるわけもない。申し訳ないと思いながらも笑って誤魔化す。納得はしていないようだが、母さんも直ぐに引いてくれて、その後は他愛ない話をして食事を終え、部屋に戻ってきた。

「はぁ~…言える訳ないよな。黒須ハンターに…とか」

ベッドに沈み込みながらそっと目を閉じる。たった二日の出来事だったのに一人で寝ていることに違和感を感じたが、これもきっとすぐに忘れるだろうと、考えるのを止めた。

***

協会で調書を終え、家に戻ってきてシャワーを浴び一息つく。レッドゲートでは水篠のお陰で快適だったとはいえやっぱり家の方が落ち着く。ソファに座り込みながらこの二日弱の事を、一緒に居た水篠の事を考える。レッドゲートというのは本来ならば人生で最上級の不運と称しても良いのかもしれないが、今回に限っては寧ろ逆だ。ろくに話す機会も無かった水篠と親しくなれたのは幸運としか言い様がない。

「(真面目で素直、気が利く、揶揄うと面白い。それから…)随分と、可愛い反応をする」

あんなにも初心な反応を見せる人間は中々居ない。見た目も中身も良いとくれば尚更数は少ないだろう。そうして意外と表情豊かだった事を思い出してはクスリと笑い、独りごちる。

「…あの照れた顔も、拗ねた顔も中々良かったな」

思い出すのはレッドゲートの事よりも俺に見せた表情や抱きしめた感覚、キスした時の反応ばかり。また見たいとは思うが、もう少し親しくなってからじゃねえと迂闊に手は出せねえ相手だからな…。
そうして寝転がりながら親しくなる為の算段を脳内で付け、気が付けば既に夜遅くなっていた。
そろそろ寝るかと立ち上がり寝室へ向かう。扉をピタリと閉めればシーンとした無音。いつもの寝室なのにあのレッドゲートでの焚火の音や風の音、水篠の寝息を聞きながら眠っていたことを思い出せばなんだか不気味にすら感じる。

「たった二日弱だってのにな」

自嘲気味に笑って、ベッドへ寝転び電気を消した。

***

「………最悪だ」

レッドゲート事件から三日。俺は再び睡眠不足に陥っていた。寝られないだけならば元通りなので「ああ、やっぱりな」程度で住んでいたのだが…。水篠と寝て、身体が一度快適な睡眠を取ってしまったものだから最初は好調だったのだが今では身体が怠くて仕方がない。

「こんなんハンターに覚醒した時以来じゃねえか?…あ゛ー…ねみい」

また暫くすれば慣れるんだろうが、これは地味に辛い。流石にもう一度水篠に頼むのは情けねえし、そういう商売の女呼ぶか…。遊ぶことも無くなって久しいが、これで寝られるのなら多少うるさくても我慢出来るし、一石二鳥だな。そう考え、呼んでみたのだが…。

―一日後―

「(駄目だ。寝られねえ)」

俺の隣には静かに寝ている美女。要望を伝えて呼び、遊んだまでは良いが…結局一睡も出来なかった。しかし改めてみると、どことなく水篠に似ているような気がするが…気のせいだろう。

「(女だから駄目なのか?)」

そういう目的があるから駄目なのだろうかと考え、次はギルドメンバーを誘って一晩中酒盛りをしてみる事にした。

―二日後―

「…頭がいてえ」

酒盛りも失敗した。普通に一睡も出来ず、飲み過ぎて二日酔い。これならば一人で寝ていた方が遥かにマシだ。

─三日後─

時刻は10時。俺はテーブルの上に乗せたスマホをじっと見つめていた。

「……腹を括るしかねえか…」

ため息と共にスマホを手に取り、連絡先から相手を探し出して通話をかける。
暫くのコール音、もしかしたら出ないかもしれないと考え始めたところで声が聞こえた。

『────はい、水篠です。黒須ハンター、ですよね?』

「ああ、今少し良いか?」

『はい、大丈夫です。…レッドゲートの件で何か?』

真剣そうな声色になる水篠。相変わらず真面目だなと笑いながら否定し、本題を告げる。

「いーや。あれは報告も済んで終わった話だから問題ねえ。まあ明日の会議で最上と白川辺りにはつつかれるかもしれねえが俺が対応するから良い。今日電話したのは別件だ。……あのな、急で悪いんだが、今日泊まりに来てくれないか?」

『………は?』

「寝られなくてな」

『あっ』

最初は気の抜けた声を出していたが、続けて言えば思い出したような声が聞こえる。
身体が慣れるまで耐えようと思ったのだが、明日はギルドマスター会議がある。弱みになるからと今までずっと隠し通して来たのにこの体調では勘のいい最上や白川に悟られる可能性がある。知られるくらいならば水篠に更に借りを作った方が遥かにマシだ。

『…また寝られてないんですか?休めてますか?』

「色々試したがダメだったわ。で、流石に明日の会議は持たせたくてな。悪いんだが頼まれちゃくれねえか?」

『……わかりました。何時くらいに行けばいいですか?』

どうしてもの理由が無ければ断らないだろうと踏んではいたが、本当に了承してくれるとは…。

「(助かるがマジで危機感ってもんがねえな)…助かる。そうだな…そうしたら18時くらいに待ち合わせて夕飯も一緒にどうだ?」

『すみません、今日は俺が夕飯作る当番の日で…』

申し訳なさそうなその言葉を聞いて、失礼だと思いながらも吹き出しそうになってしまった。天下のS級ハンターが夕飯当番って…!似合わねえな。

「そうか、わかった。そうしたら水篠ハンターの都合のいい時間に連絡くれ」

『すみません』

「いや?ちゃんと作ってて偉いと思うぜ?…しかし水篠ハンターの飯が頻繁に食えるなんて家族が羨ましいな」

これは本音だ。水篠の飯は美味かったし、俺自身は料理なんざやらねえからな。

『…あ、の。黒須ハンターが迷惑じゃなかったら、なんですけど』

「?」

『料理、黒須ハンターの分も作って持って行くので…俺と一緒に食べません、か?』

「!…俺は有難いが、良いのか?」

思わぬ提案に目を瞬かせる。正直、もう一度食べたいとは思っていたのだがこんなに早く叶うとは。

『はい。家族とはいつでも食べられますから。…そうしたら料理が出来たら連絡しますね。あっ、何か食べたいものありますか?』

「なんだ、リクエストまで聞いてくれるのか?贅沢だな」

『難しいものは駄目ですよ』

釘を刺されなくともそのくらいは弁えてる、と苦笑を浮かべて考える。何が良いか…折角作ってもらうのならば凝ったものより家庭料理だな。

「わかってるって。そう、だな…そうしたら手間じゃ無ければ煮物を久しく食ってねえからそれが良い」

『煮物ならなんでも良いんですか?』

「ああ。任せる」

『わかりました。他の副菜とかご飯も持っていきます。あ、食器だけお借りしますね』

「わかった。じゃあ家の場所は送っとくな。…宜しく」

『はい。また後で』

プツリ、と切れたスマホの画面を暫く見つめていたのだが、とある事に気が付いて急ぎ足で食器棚へ向かい棚を確認する。

「やべえ…」

昨日のようにギルドメンバーを誘って呑み会をすることがあるので食器は足りているのだが、カトラリーは使い捨ての物以外は一人分しか用意が無い。わざわざ飯を作って来てくれる水篠に使い捨ての物を使わせるわけにもいかないだろうと買い物に行くため玄関へと向かった。

***

そして買い物をしたりなんとなく掃除をしたりして時計を見れば既に夜になっていた。

「…ガキじゃあるまいし気にし過ぎだろ」

そわそわしている自分が滑稽で、ひとりツッコミを呟く。そしてスマホを確認しようと手に取った瞬間タイミング良く着信音が鳴った。

「っと…はい」

『黒須ハンター?こんばんは。夕飯出来たので今から行っても大丈夫ですか?』

「こんばんは。ああ、何時でも良いぜ」

『はい。それじゃあ向かいます。15分位で着くと思いますので』

「わかった」

そうして通話が切れたスマホをポケットに入れる。そしてエントランスまで迎えに行こうと玄関に向かいながら、見られて困るものはないかと部屋に視線を滑らせながら扉を出て、エレベーターへ。エントランスで暫く待っているとなんだかキョロキョロしている水篠の姿が遠くから見えた。

「水篠ハンター」

「あ、黒須ハンター。こんばんは。…下に居てくれて良かった」

「迷ったか?こういうタワーマンションはここら辺じゃここしかねえ筈だが」

俺を見てホッとしたように息を吐く水篠に首を傾げる。方向音痴じゃねえ思ってたが。

「違いますよ。タワーマンションもそうですけど、こんなセキュリティがしっかりしているマンションに入ったことないから」

変に緊張しました。と少し口を尖らせる姿に意表を突かれ、次の瞬間吹き出してしまった。

「っく…!ははは!アメリカのカンファレンスに参加しといてそれか!?ここのセキュリティなんて比べるのも烏滸がましいレベルだぞ!」

「うるさい!もう!黒須ハンター笑い過ぎです!ご飯減らしますよ!?」

この程度で何を言っているのかと笑いが止まらない俺に、拗ねましたという表情を向けながら水篠が睨みつけてくる。

「悪い悪い…っ、ははっ!そうむくれるなって!」

「全く…次からかったら俺帰りますからね!」

「悪かったって。ほら、行こうぜ」

肩をポンポンと叩き、エレベータへと軽く押し出すようにして歩く。ため息を付きながらも大人しくついて来るのでやっぱり素直だなと思う。他の奴ならもう少し言葉の応酬をしているだろう。もう、等とぶつぶつ呟きながらもエレベータに乗り、俺の部屋へ。

「ここだ」

「広い…お邪魔します」

「はいよ。早速飯にするか?」

「あ、そうですね。黒須ハンターもお腹空きましたか?」

廊下を歩く俺の後ろから聞こえた声に、言おうと思っていたことを思い出して振り返る。

「なあ、そんな余所余所しい仲でもねえし流石にプライベートでハンター呼び止めねえか?」

「え?」

「嫌なら強制はしねえが」

「嫌ではないですけど……え、じゃあ…黒須、さん?」

戸惑ったようにさん付けで呼ぶ水篠の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわす。

「わっ!だ、だからなんで毎回撫でるんですか!」

「可愛いからだな。———旬、早く食べさせてくれよ」

わざと名前で呼んでみれば、ポカンと口を開けてからじわじわと赤くなる水篠。想定通りの反応に愉快な気持ちになって畳みかけるように名前を呼ぶ。

「旬?どうした?…くくっ、鏡でも見せてやろうか。顔、真っ赤だぜ?」

「~~~っ!!な、なんっ、っ!なんで下の名前なんですか!」

「さっきも言っただろ?可愛いからって。ああ、勿論旬も俺の名前で呼んでくれてもいいぜ」

「呼ばない!」

じわじわ染まっていた頬どころか耳まで真っ赤に染まり、羞恥心からか涙目を向けられてドキリとする。表情には出さない様感情を抑え込み、からかっているような口調は崩さない。……俺から仕掛けたが、早く終わらせないと拙いな、これ。

「さて、いつまでも廊下にいないで早く入ろうぜ」

「黒須さんのせいだろ!?」

噛みつく水篠に笑ってリビングへ入り、そのままキッチンへ誘導する。

「やっぱり広い…」

今さっきの拗ねも怒りもきれいさっぱり無くし、子供のような感想を告げる水篠に笑いながら食器棚を指さした。

「器具とかなんか必要なものがあれば好きに使って貰って構わない。食器類はそこの戸棚の中にある」

「あ、そうしたら食器だけ借りますね」

さらりと空間に腕を突っ込み、鍋を取り出す。事も無げにやっているが相変わらず規格外だな、と改めて思いながら必要そうな食器を取り出して並べる。

「ありがとうございます。よそっちゃうのでそのまま運んでもらえますか?」

「ああ。肉じゃがと…味噌汁か。家庭的だな」

話しながら渡した食器によそっているのを眺めていると良い匂いが漂ってきた。きっとこれらも間違いなく美味いのだろう。

「他にもあります。まあ俺が作ったものなのでそこまでの保証はないんですけど…」

「保証なんてレッドゲートの時に貰ってるさ。美味いに決まってる」

「そういわれると逆に出しにくいな…不味くても許してくださいね」

心配性な水篠に笑って返事をし、テーブルへと食事を並べていく。そうしてテーブルの上に全ての料理が揃ったところで席についた。

「いただきます」

「はい」

リクエストした肉じゃがを一口食べれば、久しく口にしていなかった家庭の味がして。味付けも俺好みだった。そして順番に味噌汁や他の料理に手を付けてみるが、どれも美味い。

「…どう、ですか?」

「ああ、悪い。食べるのに集中してたわ。どれも美味い」

不安げに様子を伺ってきた姿に、失敗したなと頬をかく。飯に夢中になるなんて子供みたいな真似したな。

「…ふふっ、黒須さんの口に合ったみたいで良かった」

俺の様子を見て笑う水篠に心臓がひとつ跳ねた気がした。それを誤魔化すかのようにまた食事を口に運び、今度はきちんと旬とも会話をしながらゆっくりと食べ進めていった。

***

「———ご馳走様でした。美味かった。有難う」

「お粗末様でした」

黒須さんとの夕飯は始終和やかな雰囲気で時間が流れていった。
元々レッドゲートの一件があって、普通に話せるようになっていたのも大きいとは思うのだが、黒須さんは話が上手い。俺はあんまり会話が得意では無いのだが、一緒に話していると饒舌になったような気さえしてくる。それに…俺自身も、きっとこの人が嫌いではないからこそこの心地良いとも言える空間が出来ているのだと思う。

「———ん?どうした?」

俺がじっと見ているとすぐにその視線に気づき、目を細めてまるで愛しいものを見るような目で見つめられた。和やかな空気がなんだか変わってしまいそうな気がして顔を背けた。…顔が熱い気がする。

「な、なんでもないです!…黒須さん寝不足なんですよね?直ぐに寝ますか?」

「あー、まあそうだな。早めには寝ておきたい所だが」

また揶揄われては堪らないと先手を打って話題を振る。早めに休んだ方が良いだろうというのも本音ではあるので突拍子もない話題転換ではあったものの、さほど不審がられずに済んだようだ。

「風呂も入らねえといけねえしな…。よし、家の中案内するからちょっと来てくれ。あとこの家の中で触ったり勝手に使われて困るものはねえから好きに使って良いからな」

「流石に勝手に使ったりはしませんよ」

「家主が良いって言ってんだから良いんだよ。じゃ先ずこっちな」

良いとは言われたものの、なるべく触らないようにしようと決めて家の中を改めて案内して貰った。

「で、あとは寝室だけだがどうせ後で寝るしな。みず、っと、違うな。旬、先に風呂入って来るか?」

「っ、わざわざ言い直さなくて良いです!…風呂は後でお借りします。そもそも黒須さんの家なんだから先入ってください」

旬、と言われる度に心臓が大きな音を立てている気がして。その都度必死に鎮めようとする。…黒須さんは元々こういう人なんだから、本気で取っちゃ駄目だ。きっと、揶揄われるだけだ。

「客人が先に決まってんだろ?そもそも今回は俺の我儘で呼んでるしな。…ああ、それとも一緒に入るか?」

にやりと笑って俺を引き寄せ、耳元で囁く黒須さんに「ほらな」というやけっぱちのような気持ちが過る。黒須さんは何も思って無いからこそ、こういうことが出来るのだろう。…俺と違って。

「はぁ。入るわけないでしょう?全く…」

「なんだ、つれねえな。まあともかく客人が先だ。ほら、早く入ってこい」

俺のあしらいなんて大したことの無い様に肩を竦め、グイグイと俺の背を押す黒須さんに根負けして浴室へと一歩進む。

「……じゃあ、先にお借りします」

「おう。タオルとかなんでも好きに使えよ」

「はい」

早く入って出ようと思いながら素早く体や髪を洗って、出ようとした瞬間ふんわりと香るそれに気が付いた。

「(今俺、黒須さんと同じ匂いするんじゃ…!)~~~っ!」

黒須さんは香水の匂いも含まれているが、今感じる香りも確かにしていたなとまざまざと感じてしまい体中が熱くなる。…恥ずかしい。
冷静にならなければ、と頭から冷水を浴びて浴室を出た。
適当に髪の水気を取り、着替えてリビングへと向かえばソファに座って静かにお酒を口にしている黒須さんが居た。

「お、上がったか。…湯上りの少し濡れてる姿も美人で良いな」

そう言って微かに笑って上から下までじっくり見つめられ、鼓動がうるさく鳴り始めたので慌てて違う話題を探す。

「はい。先にお借りしました。…黒須さんもお酒飲むんですね」

「それなりにな。旬は酒飲めるのか?」

「飲めはしますけど…」

「なんだ、弱いのか」

クツクツと笑われ、ムッとして言い返す。

「違います。再覚醒してから全く酔わなくなったので飲んでもつまらなくて」

「へ~ぇ。それなら今度時間ある時にじっくり付き合ってくれよ」

「…望むところです。黒須さんが酔いつぶれたら送ってあげますから安心して下さいね」

まるで信じてないような口調で言われたので、挑発的に言い返す。すると笑ってソファから立ち上がり、俺の頭に手を伸ばす。そして…。

「いった!」

結構な力で額を指で弾かれた。

「生意気言ってくれるじゃねえか。旬が潰れたらここで寝かせてやるよ」

「ふーん。そう言って俺にここで寝て欲しいのは黒須さんなんじゃないですか?」

「!…ほんと、生意気になってきたな」

更に言い返せば黒須さんが言葉に詰まった。顔を見ればほんのり赤くなっていて、お酒のせいかと思ったがこれは…。

「…照れてます?図星ですか?」

「…うるさい。風呂入ってくるから待ってろ」

にやける口元を隠しながら表情を伺う俺の頭をぐしゃぐしゃと撫でまわしたかと思えば、足早に浴室へと行ってしまった。

「…黒須さん、俺に寝て欲しいんだ」

一人になった空間でぽつりと呟く。黒須さんの座っていたソファに座り込み、先ほどの表情を思い出しては口角が上がってにやけそうになってしまう頬をぎゅっと押さえる。…もしかしたら少しだけ、そういう意味で黒須さんも俺の事思っているのかな、なんて思いながら。

***

「…くそ、可愛いな」

シャワーを浴び、着替えながら先ほどの表情を思い出す。風呂上がりの姿は煽情的で、思わずからかうような口調が出てしまったが…さっきの小悪魔のような表情は正直狡いだろう。取り繕うのが間に合わなかった。してやられたような気もするが、存外悪くないと思っているあたり俺も結構きているな。
ため息を吐きながらリビングに戻れば、先ほどまで俺が座っていたソファで丸くなって寝ている水篠がいた。

「(相変わらず無防備だな)…旬?」

近づいて顔を覗き込めば静かに寝息を立てていて、この短時間でそんなに深く眠ったのかと少々呆れてしまう。

「このままじゃお姫様抱っこで運んじまうぞ?」

言いながら顔にかかっていた髪の毛を払う。その時に水篠から俺と同じ香りがすることに気が付いた。

「(そりゃ俺の家で風呂入ってんだからそうだよな)…」

その時にふと思い立ってリビングの棚に置いてある香水を手に取り、逡巡する。そして…起こさないように水篠の首元と手首に香水を付けた。

「…ん?ん…黒須、さん…?…あっ!ごめんなさい!俺寝ちゃってた…」

「くくっ、沢山寝られる体質で羨ましいくらいだな。もうすることはねえし、寝室行こうぜ」

「あ、はい。…?」

飛び起きた水篠に言及されなかった事に安心して、寝室へと促す。なんだか違和感は感じているみたいだが、まさか自分が同じ匂い纏ってるとは思ってねえだろうしな。首を傾げている水篠に内心笑いながら寝室に入り、ドアを閉めた。

「…うわ、ドア閉めると完璧に音が無くなりますね」

「金はかけてるからな。だがこれでも物音で起きるときは起きるから気休め程度ってわけだ」

「大変ですね」

「…今更だが、呼びつけて悪かったな」

眉間にしわを寄せ、俺に対し憐憫の情を浮かべる水篠に対し、改めて謝罪をすると慌てたように首を振って否定を示した。

「いやあの、俺の事は気にしないでください!その、睡眠不足って本当に体調に影響出ると思いますし、何なら解消するまで手伝いますから!」

その言葉に、欲が顔を出した。ベッドの近くにいた水篠を押し倒し、顔の横に手をついて覆いかぶさる。

「っ、え…?な、なに?」

「…仮に一生解消されなければ、一生付き合ってくれんのか?」

キスする手前の距離まで顔を近づけて、囁くように問いかければ水篠の顔は一瞬で真っ赤に染まる。

「な…に、言って…」

「可愛い顔だな。…折角だから貰っとくか」

「っん…!」

嫌がる素振りが無かったのでそのまま触れるだけのキスをした。そして隣に寝転び、水篠を抱え込む。

「な、何してんだ…!」

「何って…おやすみのキスは初めてじゃねえだろ?」

「そういう事じゃな、ッん…!ん、んぅ…は、ぁ…」

真っ赤な顔でまた怒り出しそうな水篠をキスで黙らせる。…抵抗しない事自体が俺を更に煽ってるっていつになったら気付くんだろうな。

「…さ、寝かせてくれよ」

「~~~っ!すけべ!俺反対向いて寝ますから!おやすみなさい!」

「こら。こっち向け。条件揃えねえと寝られねえかもしれないだろ?その真っ赤な顔見られたくねえなら顔埋めてていいから」

勢いよく背を向けようとした水篠の肩を掴み、強制的に此方に向き直させ、顔を見ないように抱きしめた。

「…真っ赤になんてなってないから」

「はいはい、そうだな。おやすみ」

拗ねたように呟く水篠の背を寝かしつけるようにポンポンと叩き、気付かれないように柔らかい髪にキスをして目を閉じた。





























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