白川×旬

あの日の事を、ずっと覚えている。


父さんが行方不明になって、母さんの手伝いを一生懸命するようになって、葵の面倒を見て。そうして年月が過ぎ去る中で母さんまで入院してしまって。当時の俺はそんな生活に少しの疲れを感じていた。
どうすればいいのか全くわからない迷子のような気持ちのまま、公園の隠れられる遊具の中でぼーっとしていると、いつの間にか周りが騒がしくなっていたことに気が付いた。

「(何が、あったんだろう)」

気になって緩慢な動作で遊具から這い出ると、正面の雑木林の隙間から人間の物では無い目が覗いていた。

「ひっ」

思わず声を出してしまった瞬間、目が合ってしまった。逃げる間もなくモンスターが一目散に飛び掛かってくる。ここで死ぬんだとどこか他人事の様に考えながらも、救いを祈るようにギュっと目を瞑った。次の瞬間。

「そのまま屈んでいろ」

静かな声とほぼ同時に聞こえた大きな打撲音。音に驚いて身体が硬直してしまう。
中々顔を上げることが出来なくて蹲っていると、いきなり抱え上げられ、その浮遊感に驚く。

「えっ」

浮遊感の正体は抱えあげられたから。正面には眉間にしわを寄せたハンターであろう男の人。その人は俺と目を合わせると、一瞬驚いた顔を見せたものの直ぐに険しい顔に戻り俺に威圧的な目を向けた。

「一体何を考えている!避難指示が出ていただろう!!死にたいのか!?」

「っ!?」

いきなり怒鳴られて身体が硬直する。逃げたいけど獣のように変化している腕にしっかりと捕まえられていて身じろぎすら難しい。そもそもなんで俺が怒られているんだ?

「な、なんで」

「なんで、だと?そんなこともわからないのか!」

話を聞く気がないのか、更に眉間のしわを増やして怒鳴られる。俺は何も悪いことはしていないのに。どうしてこんなにも怒られなければならないんだという感情は段々と怒りに変わり、正面の男の人をにらみ返す。

「何にも悪いことはしてないだろ!?ただ遊具の下に居ただけじゃないか!」

「ふざけるな!!避難指示を冗談だとでも思っていたのか!?命知らずなら他所でやれ!!」

「避難指示なんか聞いてない!!」

「嘘をつくな!!」

「嘘じゃない!!」

「あ、居た居た。大虎さん大声出してるから直ぐにわかりましたよ。何をそんなに怒鳴っているんです?ってあれ?その子は?」

最初から俺の言葉を嘘だと決めつけている目の前の人に負けじと声を張り上げる。キリがないかと思っていた押し問答は遠くから近づいてきたもう一人の人によって止められた。

「えー?大虎さん子供相手に怒鳴ってたんですか?大人げないですよ、可哀想に」

ねー?と俺の顔を覗き込んだその人は人当たりのよさそうな笑顔を浮かべていて、先ほどまでの苛立ちが少し収まる。

「剛。俺だって怒鳴りたくて怒鳴っている訳じゃない。こいつが命知らずな馬鹿だからだ」

……収まった、と思っていたのだが、ため息交じりの説明に足をバタつかせて再度抗議する。くっそ身長高いな!

「だから!避難指示なんて知らないって言ってんだろ!?」

「この期に及んでまだ言うのか!大事故になるところだったんだぞ!?……はぁ、もういい。とりあえず連れていく」

「放せ!馬鹿!」

俵担ぎで連れていかれそうになったので何とか抜け出そうと抵抗を続けるが、余程強いハンターなのかビクともしない。

「……大虎さん待って。この子、嘘ついてないかも」

「……は?」

「いやぁ、あの……避難警告漏れがあったみたいで、向こうでも一人サラリーマンが保護されてて。だから俺大虎さんに民間人居るかもしれないので気を付けてください、って伝えに来たんですよねー。で、そのサラリーマンはずっと電話してたから警告が無かったって証拠も揃ってるらしいですよ。それで今黒須ハンターがブチ切れながら協会の職員と一緒に担当締め上げてるんです」

「「……」」

ははは、と爽やかに笑って説明しているが、まったく笑える内容ではない。
そして嫌な沈黙が俺たちを包んでいる。だから知らないって言ってるだろ。

「……降ろせってば」

「……」

ストン、と漸く地面に降ろされた。目の前には先ほどの勢いが嘘のように戸惑い、目が泳ぎ始めている男の人。
……大虎さん、とか呼ばれてたっけ。もう一人の……剛、さん?はその様子をにやにやと眺めている。人当たり良さそうと思ったけどこの状況を楽しんでいるのが隠しきれていない。いい性格してるなこの人。

「はぁ……助けて頂き有難うございました」

「え、あ、ああ?いや、ハンターとして当然の事をしたまでで……」

礼儀を通すため頭を下げる。命が助かったのは間違いなくこの人のお陰だ。

ーーーでも。

「で!」

「?」

「だ・か・ら俺は警告聞いてない言っただろ!?頭ごなしに決めつけないでまずは人の話聞けよ!!命知らずとかよくもまあ好き放題言ってくれたな!」

「すまなかった!」

筋は通したので遠慮なく指を指して怒鳴りつける。知人が居ようが知ったことか!逆切れせずに頭を下げたので悪い人ではないのかもしれないと脳裏を過ったが、それはそれ。これはこれだ。

「あと!俺は子供じゃない!あんたがいくらデカいからって抱え上げるのもどうかと思う!」

「わ、悪かった」

「ぶっ!……ふふっ、あっははは!大虎さんが子供に怒られてる!あー!スマホ持ってくればよかった!」

「だから!子供じゃないって言ってるだろ!?」

この人まで俺を子ども扱いする!キッと睨んだがまるで効いていない。……いや、大虎さん、の方は反省しているようで大きな体躯が小さくなってはいるけれど。

「剛。俺で面白がるのはいいが巻き込んでやるな。そもそもこちらのミスだろう」

「あっはははは!っ、ふふっ、はいはい。ごめんね。やり取りが面白くてつい。それから、こちらの不手際で危険な目に合わせてしまって申し訳ない」

まだ口元に笑みを浮かべてはいるが、悪いとは思っているのだろう。不手際も謝罪しつつちゃんと頭を下げてくれた。

「え、ああ……いえ、大丈夫です。俺も怒鳴ってごめんなさい」

慌てて首を振る。その件に関してはこの人が悪いわけじゃないしな。

「謝ることはないよ。悪いのは大虎さんだし。ね?」

「……そうだが、お前が言うことじゃないだろう。……決めつけた上、こちらの不手際で危険にさらしてしまい申し訳ありませんでした」

「!……あの、俺もごめんなさい。助けて頂いたのに失礼な態度でした」

やっぱり悪い人ではないのだろう。子供だと思われているのは不服だが、きれいな角度で頭を下げるその姿に嘘はない。
よく考えずとも命を救われているのだからもっとちゃんとした態度をとるべきだったな、と反省して俺も頭を下げる。……ふと、下げた視界の中で手首から血がにじんでいるのが見えた。

「ってえ!?あ、あの血が!お、俺かばったせいですか!?ごめんなさい!」

「は?ああ、いやこれくらいなら」

庇ってもらった挙句にケガをさせてしまった!急いでポケットからハンカチを取り出して押し付ける。これはまだ使ったことない奴だから大丈夫なはず……!

「これ!使ってください!」

「いや、だから……っ」

戸惑っている様子の大虎さんの手を取って無理やりハンカチを巻きつけた。

「よし、これでいいかな」

綺麗に巻けた満足感でちょっと笑ってしまう。

「……ありがとう、ございます」

戸惑っていた割に俺が手を握ったあたりから大人しくなり、巻き終わればハンカチにそっと触れて……嬉しそうな顔で微笑んだ。その笑顔がとても優しげで……自分でも単純だなと思ったがどくどくと心臓の鼓動が早くなってくる。気が付かれる前に、と目を伏せてもう一度頭を下げた。

「っ!……いえ、こちらこそ本当にありがとうございました」

「……へーぇ。……ねえ大虎さん。その子俺たちと一緒に来てもらった方がいいんじゃないですか?不手際の謝罪もあるし、それに……怖い思いしたんだから大虎さんが送ってあげた方が良いですよ」

「あ、ああ。そうだな」

頭上から聞こえてきた会話に、一瞬揺れた。抱いた印象が少し変わった大虎さんともう少し会話をしたい気持ちになっていたから。……けれど浮かぶのは葵の顔。兄がモンスターに襲われておくられてきたなんて事になれば心配するだろう。それどころか泣くかもしれない。

「あ、あー!俺、妹が心配なのでそろそろ帰りますね。失礼します!」

「えっ」

「ま、待て!」

だから、後ろ髪をひかれつつもう一度大きく頭を下げて、止められる前にと勢いよく公園から走り出す。
後ろから驚いたような声が聞こえてきたが足は止めず、そのまま逃げ切って無事家に帰る事が出来た。

帰宅後、テレビのニュースで大虎さんと剛さんもS級だと知った。

「俺とは、住む世界が違うんだな……」

あの時の笑顔を思い出しながらぽつりと呟いてテレビを消した。

***

「あーあ、逃げちゃった。……大虎さん、治しましょうか?」

突然逃げた少年に暫く呆然としていたが、剛の言葉で我に返る。
後ろを見ればにやにやと腕を指さしている剛。視線につられて腕に目を向ける……別にこのくらいならばいいだろう。わざわざ治療してもらうほどの事ではない。

「いや、いい。このぐらいなら放っておけば治る」

「へぇー?」

俺がそう言うとなんだかにやにやと笑い始めた。……こいつがこの顔をするときは碌でもないことをいう時だと経験則で知っている。

「……なんだ。言いたい事が有るのならばはっきり言え」

「未成年に手を出したら犯罪ですよ」

「!?な、何を言っているんだ!」

「あれ?違いました?だって大虎さん言われるまでずーっと抱き上げてたし、嬉しそうにハンカチ見てるし、治さなくていいって言うし」

だから、ねえ?と嫌な笑みを浮かべている剛に拳骨を落とす。

「いったあ!酷いですよ大虎さん!颯樹さんに言い付けますからね!」

「お前が変な事を言うからだろうが。行くぞ」

「あ!もう!待って下さいよー!」

背後でぶちぶちと文句を投げてくる剛を置いて公園の出口へと向かう。
俺を恐れずに怒鳴りつけてきたのも、怪我の心配をされたのも滅多にない事だった。だからこんなにも気になっているだけだと自分に言い聞かせながら。



……結局、帰ってからもあの少年の顔が脳裏に焼きついて、ハンカチも捨てられず大事に仕舞っていたところを剛と颯樹に見つかり盛大に揶揄われたのだった。

***

片づけの最中、テレビボードの裏に隠すように白い箱が置かれているのに気が付いた。拾い上げてソファの辺りを掃除している大虎さんを呼ぶ。

「大虎さん、この箱何?宝石みたいなのついてる白い箱。高そうだけど」

「っ!?ま、待て!開けるな!」

俺が箱を見せるように目線の高さまで上げると、目を見開いた大虎さんが手を伸ばしてきた。
その勢いに驚き、俺が力を込めた拍子に箱の金具が外れてしまう。中に入っていたのは……。

「え?あ、ごめん!開けちゃっ……ハンカチ?」

「……いや、良い。大丈夫だ。旬、俺に渡せ」

「……このハンカチ、さあ」

記憶の底で見覚えのあるハンカチを見つめ、そこから大虎さんにゆっくり視線を移すと、あからさまに動揺した表情を浮かべていた。

「見なくていい」

……さてはこの人覚えてるな。

「……俺、何年か前に死にかけたことあってさ」

「そうか。死ななくて良かったな。早く渡せ」

まるで聞いていないかのように俺に手を伸ばし、渡せと要求をしてくるが……そう簡単に渡してやるつもりは無い。

「そこで運よく助けてもらったんだけど、なんか命知らずだと思われるわ子供だと思われて抱えあげられるわ散々な扱いをされた覚えがあって」

「旬」

「礼を言った後に腕を見たらケガしてて。俺を庇ったせいかと思ってハンカチ巻いたんだよな。……丁度、こんな柄」

「……」

苦虫を嚙み潰したような顔になって最早何も言えなくなっている大虎さん。揶揄うのはこのくらいにしてやるか。気分も良いし、正直に教えてあげる。

「最後に笑って礼言われて……格好良いなって思った。散々怒られたし喧嘩も売られたのに、単純だよな」

「!?」

「名前聞いておけば良かったなー、って思いながら帰ってテレビつけたらS級ハンターって知って」

「それで?」

一転して食い気味に続きを急かして来る姿に内心の笑いをかみ殺しながら、肩をすくめた。

「さあ?」

「旬。続きは」

「なんでこのハンカチを大事に仕舞っていたのかを教えてくれたら話す」

「……いい性格になってきたな」

「誰かさんのせいでな」

「はぁ…………あの後、剛に傷を治すかと聞かれたが断った」

「え、どうして?美濃部ハンターはヒーラーなんだから治してもらえば良かっただろ?」

そうだ、思い出したがあの場には美濃部ハンターも居た。そう考えるとあの時の俺って結構余計な事してたか。

「お前が巻いたハンカチが惜しかったからな。自然治癒にした」

「!」

思ってもみなかった告白に目を瞬かせる。……惜しい、って思ってくれてたんだ。

「直ぐには認められなかったが、返ってもお前の顔が焼きついていてハンカチも捨てるに捨てられなかった。……あの頃の俺を恐れないどころか怪我の心配をする人間は殆どいなかったからな」

「……そっか」

「年甲斐もなく一目惚れだ」

そういえば最初は獣化する度に怯えられていた、って言ってたよな。だなんて思ってしんみりしていたのに続けて言われた言葉に動揺を隠せなかった。

「そ、そう、なんだ。へ、へー」

「俺は話したぞ。旬、続きは」

「…………」

「旬?」

攻守逆転したかのように愉快気な声色を隠すことなく続きを促す大虎さん。くそ……さっきまで動揺してたくせに!

「あー!もううるさい!住む世界が違うなって思ったけど諦めきれずに今まで来てるんだよ!なんだかんだの初恋!文句あるか!」

「無い、が……お前もう少しそれらしい態度取れなかったのか」

苦笑交じりの言葉にちょっとカチンと来た。あの時の事、少しだけまだ根に持ってるんだぞ。

「初手から肩掴んできた人が言う?」

「ぐっ……悪かった」

いつもならこのまま大虎さんを困らせてやるところだけど……今日くらいは素直になっても良いかな。

「ん」

大虎さんの方へ向き直り、バツが悪そうな顔にキスをする。

「!」

「……嫌な言い方した、ごめん」

「いつもの事だから気にはしていないが、珍しいな」

そういう可愛げがいつもあると良いんだが、なんて笑って俺の身体を引き寄せる大虎さんに凭れかかるように体重を預け、首に腕を回す。

「……またハンカチあげようか?」

冗談めかして言えば、俺を抱きしめながら首を振る。

「いや。お前を貰ったから必要ない。……お前が、誰かのものになる前に捕まえられてよかった。———愛している、旬」










9/9ページ
スキ