犬飼×旬



「お疲れ様でした。お先に失礼します」

「犬飼課長、お疲れ様です。」

漸く協会の仕事が終わった。いつも通り定時に帰れることもなく、時刻は21時を過ぎた頃。
途中軽食は摘まんだものの、やはりこの時間になると空腹感が凄い。
そもそも思い返してみれば一昨日から協会に泊まり込んでいたから碌な食事を取っていない事に気付く。
冷蔵庫に何か直ぐ食べられる物が入っていただろうか、と中身を思い出しながら玄関のドアを開ける。

ガチャリ

「はぁ、」

「あ、お帰りなさい」

すっとリビングから出てきたのは居る筈のない恋人で。

「…え、旬さん!?今日は来る日じゃなかったですよね?もしかして僕が日付を勘違いしていましたか?」

犬飼としては合鍵を渡しているのだから勝手に来ても良いと言っているのだが、遠慮しがちな恋人はいつも律儀に来る日を連絡してきてくれる筈なので仕事が忙しすぎて自分が聞き逃していたかと焦ったのだが…旬は不思議そうにこちらを見てから少し眉を下げて問い掛ける

「違いますよ。勝手に上がりこんじゃいました。…迷惑でしたか?」

「いえ、そんなことはありません。自分の家だと思っていつでも来て下さいといつも言っているでしょう?居て下さって嬉しいです。」

急いで否定する。折角遠慮せずに合鍵を使ってくれるようになったのならばその感覚を持ったままでいて欲しい。

「良かった。…じゃあ改めて、晃さんお帰りなさい」

「はい、ただいま帰りました」

にこりと笑って再度お帰りを伝えてくれる旬に愛しさが溢れ、仕事の疲れも全て吹き飛ぶ心地だ。衝動のままに抱きしめると恥ずかしそうに身じろぎしながら頬にキスを送ってくれるので唇へ返す。

これはまるで、

「ん。…なんだか新婚みたいですね?」

今まさに犬飼が思っていた事と同じ事を照れ笑いする旬の口から聞き、大きな幸福感に満たされる

「僕も今同じことを思いました。…こうして可愛らしい奥さんが出迎えてくれるなんて幸せですね」

「ふふ、じゃあ格好良い旦那様、鞄預かるから手洗ってきてください。あの、もしかしたらお腹空いてるかなって思って一応ポトフ作ってあるんですけど…食べる?」

「旦那様、は流石に照れますね…。え、わざわざ作ってくださったんですか?お腹が空いていたので嬉しいです」

まさかの旦那様呼びにもうこの場で押し倒そうかと思ったが、折角旬が食事を作ってくれたのなら食後にしようと決め、もう一度軽く口付けをして言われた通り鞄を預けて洗面所へ向かう。

帰宅してすぐ愛しい人が出迎えてくれて夕飯まで用意されているなんて本当に自分は幸せ者だ、と改めて思いながら手を洗い、リビングへはいる。

「今温めなおしていますからもう少し待ってくださいね。どのくらい食べますか?」

「恥ずかしながらとてもお腹が空いているので多めでお願いします」

「じゃあバゲットも切りますね」

「ありがとうございます。…何か手伝えることはありますか?」

「んー、それなら食器お願いします」

「わかりました。カトラリーも用意します」

「ありがとうございます。そういえば作り置きも冷凍して入れておいたんですよ。晃さん忙しくって帰れなかったりごはん抜くことが多いって言っていたから」

一応ごはんと一緒に朝昼晩どこでも食べられそうな組み合わせで作ったけど余計なお世話だったら持って帰ります、と自身なさげに此方を伺う旬を後ろから抱き締める

「わっ!もう、危ないですよ!」

「旬さんが僕の為に作ってくれたのでしょう?嬉しいに決まっています。お弁当として協会にも持って行けますし、これならいくらでも徹夜出来そうです」

「そもそも徹夜しないで欲しいんですけど…それなら良かった。余計かなってちょっと思ったけど毎日一緒にいれる訳じゃないから晃さんが体調崩さないようにって考えながら作ったんだ」

「いっそのこと一緒に暮らしませんか」

照れたように笑う旬にありがとうございますだとか、早速明日にでも頂きますだとか、普通の言葉が全て抜けて脈絡もなにもかもすっ飛ばして言うつもりの無い言葉が零れ落ちてしまった。

「えっ」

キョトン、と目を丸くしてこちらを見つめる旬に我に返る

「えっ?…すみません!困らせる様な事を言うつもりでは無く、その、こうした作り置きも嬉しいのですが、出来る事ならば毎日貴方の姿を見ながら料理が食べたい、と思いまして…」

自分は何を言っているんだと顔が赤くなっていく。
こちらが赤くなるにつれて旬も耳まで赤く染めて、抱き締めている腕に手を重ねとても小さい声で返す

「それってプロポーズですか…?」

「っ!!」

完全無意識の発言だったが言われて気付いた。
一緒に暮らそうどころか毎日貴方のご飯が食べたいなんてそうとられるに決まっているじゃないか…!!
何が困らせるつもりは無い、だ。口元に手を当て自分の迂闊さと恥ずかしさに打ちのめされていると旬が火を止め真っ赤な顔のままこちらに向き直る。

「いいよ」

「っぇ?」

「っ、だから、そのっ」

一緒に暮らしてもいいって言ってるんです!と言う旬に自分は今都合の良い夢でも見ているのかと思った。旬が家族を大事にしているのは理解しているし、だからこそ家族と過ごす時間を削ってこうして家に来てくれたり先ほどのごっこ遊び程度のやり取りだけで充分満たされていると思っていたのだが…
口元に手を当てたまま固まって微動だにしなくなった犬飼に旬が笑って首元へ両腕を伸ばし、顔を引き寄せ軽く口付ける。

「プロポーズまでしたのに晃さんの方が照れるんですか?」

「ぁ、いや、その…まさか了承を貰えるとは思っていなくて…」

「晃さんからのプロポーズを断るわけないじゃないですか」

「…その、同棲の了承については今頂いたので決して破棄しないで欲しいんですが、」

「?はい。勿論」

「…プロポーズはやり直しをさせて頂いても宜しいでしょうか」

こんな勢いでプロポーズするつもりは無かったんです…!と片手で顔を覆い自身の失態に俯く犬飼に旬の笑いが押さえきれなくなる。

「ふっ、あはははっ!嫌ですよ!やり直しなんかさせてあげません!このまま俺を貰うか同棲の約束とプロポーズ両方とも無かったことにするか」

どっちがいい?と天使の顔で笑って選択の余地のない悪魔の2択を迫る旬に苦渋の決断で降伏宣言する。

「…降参します。旬さんを下さい」

「ふふ、はい。全部あげます。だから晃さんも全部俺に下さい」

「僕の全てはとっくに旬さんに差し上げたつもりでしたが」

「またそうやって…!!この晃さんの天然たらし…!」

「本当の事ですので」

「だからそれが…!…っ、もう!…あ、ねえ晃さん、プロポーズしたし、その、あれ、をお願いします…」

恥ずかしそうに告げてくる旬にあれとは何のことだろうかと考え、一つ思い浮かぶ。
もしかして、

「…指輪、ですか?それはその、直ぐ明日にでも買ってきますので」

少し待って頂けると、と続けようとすると顔を赤くした旬が遮った

「違うよ!あ、いやまあ、ある意味違くないし晃さんから貰えるなら欲しいけど…」

もじもじと控えめに言う旬にもっと早くただのプレゼントという口実としてでも用意しておけば良かったと後悔の念が湧き上がる。

「えっと、だからその、紹介した事もあるから改めていうのもあれなんですけど…その、家族に会ってくれる…?」

出来れば晃さんのご家族にも会いたい、んですけど…という旬の愛らしさに眩暈がして倒れそうになる。
隠す関係でもおかしくないのに紹介し、かつ僕の家族にも会いたいと言ってくれる。
僕との未来を真剣に考え受け止めている旬の誠実で真っ直ぐな愛情に、どう報いれば良いのかわからない。この溢れ出んばかりの気持ちをどうしたら伝え切れるのかと再び旬を強く抱き締める。

「勿論です。旬さんのご家族さえ宜しければ明日にでもご挨拶させて下さい」

「っ、ウチの家族は何時でも大丈夫だから晃さんさえ良ければ、明日でもいいですか…?」

「わかりました。きちんと息子さんを下さい、とご挨拶しなければなりませんね」

くすくすと笑って旬の頬、唇へと軽いキスを落としていく

「っ!そ、れを言うなら俺も晃さんのご家族に言いますから…っ!」

「そんな事を言われたら僕の両親が大喜びしそうですね」

お付き合いもせず仕事ばかりで最後は孤独死するつもりか、と煩かったのでと肩をすくめる

「…今まで彼女とか紹介した事、無いんですか…?」

「ありません。そもそも付き合った人数がそんなにいた訳でもありませんし、紹介する気も無かったので」

過去付き合っていた人間はいたのだと、恋愛事情が垣間見えた事により過去の人間への嫉妬心が旬の心に少しだけ影を落とす。

「…俺は誰かと付き合った事無いから晃さんが最初で最後なのに」

伝えられた嫉妬の言葉があまりにも嬉しくて。機嫌を損ねてしまうかもと思いつつも、ついつい笑みが零れて旬の形の良い頭に擦り寄る。案の定それを見た旬は更に不機嫌そうにむっと眉間に皺を寄せてしまった。

「なに笑ってるんですか」

「すみません、余りにも可愛いことを仰るものだから嬉しくなってしまって。…僕を最後の恋人にして下さるって」

犬飼に言われて自分の発言がかなり恥ずかしいものだった事に気付いたのか離れようとするがそんなに可愛いことを言われてすんなり離すつもりもない

「ぁ、その、それは…!」

「嬉しいです。ですが僕だって親に紹介したいと思うのは旬さんだけですし、この先もずっと貴方しかいません」

「…晃さんも俺が最後?」

「当然でしょう。旬さん以外はいりません」

だからどうか機嫌をなおしてください、とキスを落とす犬飼に旬自身も幸せな気持ちになり強く抱きつく。

「なら、許します」

「ふふ、ありがとうございます」

幸せな気持ちに浸っていたのだが、犬飼のお腹が空気を読まずに空腹を訴えグゥ、と大きな音を立てた。

「………ぁ、わ、忘れてた!晃さんお腹すいてるのに…!ごめんなさい!」

「いえ、あの、申し訳ございません…」

犬飼は穴があったら入りたい、と恥ずかしさのあまり旬の肩に埋まり顔を見られないようにしていたが食事の仕度をしなければ、と意気込む旬にベリっと引きはがされる。

「もう、晃さん邪魔!恥ずかしがってないで大人しく座って待ってて下さい!」

「…はい」

自分のせいではあるのだが余韻に浸る暇すら与えずテキパキと手際よく動き出した旬の後姿を残念な気持ちで見つめる。

この光景が今後日常に変わっていくのかもしれないという幸せな未来を想定しながら、両親に次の週末話があるから2人とも家にいて欲しいとメールを送る。




後日水篠家では葵に質問責めに合い焦る犬飼と真っ赤になって怒鳴る旬が、犬飼家では本当に息子で良いのか?と散々疑念を持たれながらも大歓迎され構い倒される旬をみて両親に嫉妬する犬飼が居た。
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