犬飼×旬

あの日の事を、ずっと覚えている。


父さんが行方不明になって、母さんの手伝いを一生懸命するようになって、葵の面倒を見て。当時の俺はそんな生活に少しの疲れを感じていた。
どうしていいのか、どうすればいいのか全くわからない迷子のような気持ちで公園の隠れられる遊具の中でぼーっとしていると、いつの間にか周りが騒がしくなっていたことに気が付いた。

「(何が、あったんだろう)」

気になって緩慢な動作で遊具から這い出ると、正面の雑木林の隙間から人間の物では無い目が覗いていた。

「ひっ」

思わず声を出してしまった瞬間、目が合ってしまった。逃げる間もなくモンスターが一目散に飛び掛かってくる。もう終わりだ、ここで死ぬんだとどこか他人事の様に考えながらも祈るようにギュっと目を瞑った瞬間。

「っ!下がってください!」

「えっ?い、った!」

俺は強い力で後ろに引き倒され、尻もちをつく。同時に強い風圧が真横を通り過ぎ、大きな打撲音が聞こえた。

「……もう、目を開けても構いませんよ」

しばらく頭を抱え蹲っていたのだが、聞こえた声に目を開ける。正面から少し離れた場所には絶命しているであろう魔獣が倒れていた。
そして恐る恐る声の方へと目を向ければ、男の人が振り返る。俺とそう変わらなさそうな、お兄さんと言って差し支えない年代の人。そのお兄さんが俺の方へと近づいてきた。

「あ……」

「引っ張ってしまい申し訳ございません。怖かったですよね。もう大丈夫です。……立てますか?」

「は、い」

差し伸べてくれた手に甘え、掴んで立ち上がる。俺よりも大きく、暖かい手に死ななかったんだという実感を得て、泣きそうになった。

「それにしても……ここ一帯は避難指示が出ていたはずですが何故避難しなかったのですか?」

手を離すと俺を立ち上がらせた時の優し気な表情から一転、追及するような厳しい眼差しを向けられた。その鋭さに少し怖気付き、身体が硬直してしまった。
だが、そもそも避難指示なんて俺は知らない。だから静かに首を振る。

「避難指示ってなんのこと、ですか……?」

「!……近くでゲートブレイクが発生した為、周辺の住人は避難するように職員が回っていたはずなのですが……本当に聞いてはいませんか?」

まるで俺が嘘をついていないかと確認するかのように、真剣な表情で顔を覗き込まれる。けれど俺は嘘なんてついていない。確かにぼーっとはしていたけれど、いくら何でもそんな騒ぎを聞き逃すことはないはずだ。

「ここはずっと静かでした。気が付いた時にはもう周りが騒がしくなっていて……」

「……そうですか。疑ってしまい申し訳御座いません」

嘘はないと判断したのか、深々と頭を下げるお兄さん。けれどこの人が悪いわけではないのだから気にしなくていいのに。

「いえ、俺も変なところにいてごめんなさい」

「どこにいるかは自由です。謝る必要なんてありません。それよりもあなたを命の危険に晒したのは間違いなくこちらの失態です。君はまだ未成年でしょう?親御様にも巻き込んでしまった謝罪をしたいので僕と一緒に来ていただいてもよろしいでしょうか」

こんな年下の俺に対しても丁寧に話すお兄さん。とても真摯で真面目な性格なのだろう。
でも、母さんに余計な心配をかけたくはない。迷った俺の反応を見て、何かに気が付いたように慌てて内ポケットを探り始めた。……黙ってその動作を見ていると先程の鋭さが嘘のようにしょんぼりとした顔をして口を開く。

「……申し訳ございません。いきなり知らない人間に着いて来てくれと言われても警戒するに決まっていますよね。僕は犬飼晃と申します。ハンター協会の監視課という部署に所属しているんですが……今名刺が手元に無く、怪しいと思うのはごもっともなのですが……向こうの大通りに上司がおりますのでそちらまで来て頂ければ証明が出来ます。……お願いできないでしょうか」

どうやら俺が警戒していると勘違いをしているようだ。別に怪しい感じもないし、命も助けてもらったわけだし疑う余地は無いのに。

「あ、俺は水篠旬、って言います。……じゃなくて!そもそも犬飼さん?を疑っているわけではなく……その、家族に知られたくなくて」

「水篠旬さん……失礼ですが、家出などではありませんよね?」

言い方を間違えた。再び鋭くなった視線に慌てて首を振る。

「違います!……俺の家、父が居なくて。ただでさえ俺たちの面倒を見て大変なのに、モンスターに襲われたなんて知ったら母さんに凄く心配をかけちゃうから。俺が母さんと妹を守らなきゃいけないのに、余計な心配をさせたくないんです」

「……そういうことでしたか。わかりました。本来は駄目なのですが……今回は特別です。報告書には記載しないでおきますので、このまま帰宅されて構いません。……ご家族の為に偉いですね」

俺の我儘を聞いて帰っていいと許可をくれた。
優しく頭を撫でられて思わず涙腺が緩む。泣いては駄目だと俯いた視界の中で、犬飼さんの手から血が流れていることに気が付く。

「っ!?血が!お、俺を庇ったからですか!?ごめんなさい!」

「え?あ、ああ。気になさらないでください。少し表面が硬い魔獣でしたからね。殴り飛ばした時の衝撃で」

何て事の無いように言ってはいるが、痛いに決まってる。
血が流れている手に触れないよう腕を掴み、ポケットに入っていたハンカチを当てた。

「えっ、水篠さん!?本当に大丈夫です!ハンカチが汚れてしまいますので……!」

「使ってないやつだから大丈夫です!」

「いえ、そういう事ではなく……!」

慌てたように腕を引こうとする犬飼さんだが、俺も譲れない。半ばしがみつく様に腕に引っ付いて、手の平にハンカチを巻いた。

「……よし」

「……有難うございます。ハンカチをお返ししたいのですが、一緒に来て頂く訳には参りませんし……連絡先をお伺いしても?」

申し訳なさそうに俺を伺う犬飼さんに首を振る。

「大丈夫です!助けてもらったお礼には安いかもしれないけど、って……俺、お礼言ってなかったですね!?ごめんなさい!助けて頂き有難うございます!」

話しながらお礼を言っていない事に気が付いて急いで頭を下げた。命の恩人に何やってんだ俺……!

「頭を上げてください!僕は当然の事をしたまでです。僕の方こそ治療をして下さり有難う御座います」

俺の肩にそっと手を置き、頭を上げさせた犬飼さんが微笑む。そして何かを思いついたようにポケットの中を探り出した。

「それではこうしましょう。……これを代わりにお持ちください」

差し出されたのは、シンプルなハンカチ。

「え?俺のは大したことないやつなので……」

「これ以上は僕も譲れません。……泣いてしまった時に無いと困るでしょう?」

返そうとする俺の手にハンカチを握らせ、悪戯っぽく笑う。泣いた事に気付かれていたのか……!
けれど犬飼さんの目には、決して馬鹿にするような色は無い。寧ろ微笑ましいものを見るかのように優しく見つめられ心が落ち着いていく。

「……ありがとう、ございます」

「はい。僕の方こそ有難う御座います。……僕はそろそろ戻らなければ。お帰りの際は見つからないようにあちらにある裏道を通ってくださいね」

「はい。……本当にありがとうございました!」

なんとなく名残惜しいような、犬飼さんともっと話していたいような、そんな不思議な感覚を振り払うように勢いよく犬飼さんに礼を言って返事も聞かずに指し示された裏道へと駆け出した。

帰宅したら今日の事が母さんにバレるかもしれない、とびくびくしながら玄関を開けたのだが、どうやらまだ帰ってきていないようでほっと胸を撫でおろした。
自室に戻り、ポケットの中からハンカチを取り出して意味もなく広げてみる。

「(俺とは違う、センスのいい大人が選びそうな落ち着いた色のハンカチ)……犬飼、さん。また会えるかな」

ギュっと手の中にあるハンカチを胸に押し抱いて、そのままベッドに横になった。

***

「――—あ、あった」

「旬?どうかされましたか?」

段ボールの中を覗き込んで、目当ての物を探し出した。その声に晃さんが振り返る。

「俺の宝物。……これ、初恋の人から貰ったんだ」

透明な袋に入れていたハンカチを掲げて見せる。間違いなく晃さんは覚えていないだろうから、少し揶揄ってみようかな、とわざと”初恋の人”を強調した。

「っ!?」

「え?」

けれど、晃さんの反応は俺の予想とはまるで違っていて。目を見開いたかと思えば、じわりと顔が赤く染まっていく。

「晃さん?」

「……僕が初恋、なんですか?」

「!?」

今度は俺が目を見開く番だった。だってそんな……!

「お、覚えてるんですか!?」

「……はい。旬が学生の時、ですよね」

「だって二重ダンジョンの後病院で会った時に初めましてって言ったじゃないですか!」

「まさか覚えているとは思わず……」

「初恋の人を忘れるわけないでしょう!?」

俺の言葉に照れているようだが、こっちはそれどころでは無い。なんで言ってくれなかったんだと距離を詰める。
すると、笑って立ち上がり引き出しを開けて何かを取り出した。

「……それ」

晃さんの手には見覚えのあるハンカチ。

「僕のお守りです」

「お守り?」

「はい。……あの当時のハンター協会は今ほど地位が確立しておらず、批判も少なくありませんでした。旬が巻き込まれたのだって協会員が何をしても批判される事に嫌気が差して、わざと警告をサボったことが原因だったんです。人の命を危険に晒す事が許される訳はありませんが、それだけ全員が陰鬱とした気持ちを抱えていた頃でした」

「そう、だったんだ」

「そんな中、旬はこちらの怠慢で命の危機にあったにも関わらず、真っ直ぐにお礼を伝えてくれたでしょう?それに怪我の手当まで……僕はそれがとても嬉しくて、ずっと大事にしていたんです」

本当に大切な物のように優しくハンカチを撫でる晃さん。俺と気持ちは違っていたにしろ、長年大事にしてくれていたんだと解り、嬉しくなって抱き着いた。

「っ、旬?」

「覚えてないと思っていたから、嬉しい。……改めて教えてあげますけど、実は晃さんが初恋なんですよ」

秘密を打ち明けるかのように耳元で話すと、きつく抱きしめ返される。お返し、とでも言うかのように熱の籠った唇と声が俺の耳朶に触れた。

「光栄です。それに……旬の初恋だけでなく、これから先の気持ちも全て僕に下さるんでしょう?」

「~~~っ!合ってますけど……!」

「けど?」

「その言い方はずるいと思う!晃さんも俺に全部くれなきゃ割に合いません!」

やられた。もう一度赤面させようと思ったのに!余裕そうな反応に悔しくなって我儘を言えば、晃さんが思わずといったように噴き出した。

「っふ、ふふ、っ、ん゛ん゛っ!っ……ははっ!」

「何笑ってるんですか!」

「すみませっ、ふふ…っ!……旬が余りにも可愛らしいことを言うので我慢出来ませんでした」

「可愛い事…?」

言った覚えは無いが?と首を傾げれば微笑んだ晃さんの顔が近付いて……キスをされた。

「んっ……は、ぁ…」

「割に合わないと言っていましたが……僕はもう全て旬に差し出す覚悟を決めているんですよ」

ですから旬も覚悟を決めて下さいね。と俺に告げる晃さんの表情には隠し切れないほどの独占欲が見えていた。
あの時の庇護を感じる表情とはまるで違う、俺だけを見つめる瞳に充実感を覚えながら、自らもキスを仕掛ける。

「───ん、っ……はぁ……ね、晃さん。初恋は実らないって言いますけど嘘でしたね」

そう言って笑いかければ同じ様に晃さんも笑い返してくれた。

「そうですね。……旬、貴方だけを愛しています」









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