犬飼×旬
人類の存続をかけた最終決戦が終結した。
被害は甚大で、各国の存続すら危うくなる事態の中、それでも人々は生きている喜びを噛み締めて、すこしずつ復興を計画していった。
けれど一か月が過ぎても人類の救世主となった水篠旬は未だ病院のベッドで療養を続けていた。
世界中のS級ヒーラーが診ても反応せず、流石におかしいと医者が全身を検査したのが先週。本日はその結果を聞くために、犬飼、最上、白川、黒須の四名が集まっていた。家族がいないのは万が一のことがあっては精神的負担をかけてしまうから自分達が聞いてからの方が良いだろう、と犬飼が判断した為だ。
真顔の四人に囲まれ、無言の圧力によってか真っ青な顔をした状態で担当医師は報告を始めた。
「不思議としか言いようがありません」
「…どういうことでしょうか」
代表して犬飼が尋ねる。すると医師が続けて資料を差し出した。
「水篠ハンターの身体は何も異常がないのです。本来寝たきりの人間であったとしても栄養の摂取や排泄など人間が生きるために必要な要素は外部から行わねばならないのですが…」
そこで医師は言葉に詰まり、一度息を吐いてから言葉を続けた。
「水篠ハンターの身体は栄養の欠落も、筋肉の衰えも…睡眠、排泄すら必要なく、ただ呼吸し続けているのです。———完璧な人形のように」
言い終わった医者の言葉に全員が息をのむ。
「そ、れは一体…」
最上の掠れた問いかけにも医師は首を振る。
「…わかりません。正直なところこのような症例は世界中探しても存在せず…このまま入院させることが良いのか、悪いのか、それすら不明です」
医師の言葉に全員が顔を見合わせ、ややあってから白川が口を開く。
「…それは、病院から連れ出しても良いということでしょうか」
「…わかりません。ですが、水篠ハンターは声をかけ、手を引けば指示に従ってくださいますし、家族の声掛けや外部からの刺激で良くなる可能性もゼロではありません。…水篠ハンターの心が少し疲れてしまっているだけかもしれませんから」
その言葉に全員が水篠を思い浮かべる。疲れている。確かにそうかもしれない。
「———じゃあ、連れて帰ろうぜ。迷ってても仕方ねえだろ。病院の風景よりは外の方が水篠ハンターも良いと思うしな」
すると黒須が殊更に明るい声で提案を口にした。その言葉に全員が頷く。
その後、いくつかの注意事項を医師から聞いて、そして…。
***
本来ならば家族の元に帰らせるべきなのだろう。けれどきっと旬も家族にそんな姿を見せたくない筈だ、なんて説得をして自分の家へと連れ帰った。
家族に反対されたら大人しく引こうと思っていたのに「よろしくお願いします」とだけ言って僕に全てを任せ、旬はその方がうれしいと思う、とも言っていた。その言葉に罪悪感が刺激される。
説得の言葉なんてすべて嘘。
本当は、自分が旬を手放したくなかっただけだ。
***
「旬、着きましたよ」
玄関先で声をかけながら繋いでいた手を離し、跪いて靴を脱がせる。その間も旬は僕に視線を向けないし、当然返事も返してはくれない。そのことにツキリと感じる胸の痛みを気のせいだと誤魔化し、微笑んで旬をソファへと座らせる。
「…ここで待っていてくださいね」
返事は無いが、微動だにしない姿に大丈夫だろうと判断しキッチンへ向かう。飲み物を取り出しながら医師の言葉を思い出していた。
食事をするように伝え、口元に運べば飲み物も食べ物も普通に食べられる。眠るように伝えれば眠るらしい。…旬の身体を調べるためだと理解出来ている。医師もそんなつもりはないとは思うものの、まるで実験の成果のように語られた言葉に静かな苛立ちが過った。
けれどいくら反応がないとはいえ、こちらの声は届いているかもしれない。感情を押し込め、微笑みながらテーブルに自分の飲み物を置き、旬の分は口元へ運ぶ。
「旬。移動でのどが渇いたでしょう。飲めますか?」
ストローを口元に当てればぼんやりとしたままに小さく口を開けたので、そっとストローを押し込む。すると一口分だけ嚥下したようだ。
「……旬。もう一口、いえ二口分飲んでください」
僕が具体的に告げれば同じように喉が二回動く。聞こえてはいるのだろう。けれど反応がないのは…やはり、全てに疲れてしまったのだろうか。
「…きちんと飲んで下さりありがとうございます。病院から帰ってきたばかりで疲れているでしょうすぐに休んで…いえ、先に湯船にでも浸かりましょうか」
自身の飲み物を勢いよく飲み干し、手早く湯張りの準備をする。その間に飲み物を片づけた。…こうした洗い物も今までは旬がしてくれていて、僕は甘えてばかりだったな、とキッチンから視線を向けても旬は気が付くこともなくどこか遠くを見つめていた。合わない視線にどうしようもない寂しさを覚えながらも、疲れさせた原因はどう考えても僕らなのだからそんな権利は無いと自分を叱咤する。
「…お待たせしました。直ぐに湯船も浸かれるようになります。行きましょう」
手を引けば黙って立ち上がり、僕の少し後ろを歩く。
脱衣所で服を脱がせても無反応のままで。そのままバスルームに入って身体や髪を洗う間も旬は僕の指示した動き以外身じろぐことすらしていなかった。
「…旬、湯船浸かりましょうか」
男二人で浸かるには少し狭い浴槽に旬を抱えるようにして浸かる。今の旬は何も言えないのだから、のぼせないように自分が気を付けなければ。
「温かいですね」
「そろそろ上がりましょうか」
「拭きますね」
「髪の毛の水気を取るので座っていてください」
「さ、着替えが終わりましたからベッドに行きましょうか」
「…横になって、目を閉じてください」
「おやすみなさい、旬」
返事はなくとも聞こえている筈だと信じて、僕はひたすら話し掛け続けた。
***
そんな日々が何日か続いたある日。協会会長として相談がある、と政府に呼び出された。また面倒なことになりそうだと眉間のしわを揉む。…多忙でしわが増えた気がするな。
以前あそこまで脅した効果か、前は僕のほうが緊張していたのに今では案内人のほうが必死で僕の機嫌を損ねないようにしているのがわかる。…旬を守るのにやり過ぎということはないが、動きにくくなっても旬の不利になるだろう。今回は余程のことがない限りおとなしくしていよう。
……そう、思っていたのだが…。
「…と、いうわけで……万が一のことも考え、水篠ハンターには警護のしっかりとした島で療養をして頂くのが良いでのはないでしょうか」
———ふざけるな。
「……世界を救った英雄である彼を……意識のないうちに協会から引き剝がし、孤島に閉じ込めようと?」
黙って聞いていれば旬を酷使し、政治の道具に利用しようとしておいて…必要が無くなったらその力の暴走を恐れて閉じ込める?
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!!
「っ、い、いや!決してそんな意図は無く…!」
総理と秘書官が怯えているのはわかるが、今回ばかりは怒りを抑える事が出来ない。どこまで旬を都合のいいように使えば気が済むんだ…!魔力が迸り机や壁にひびが入る。
ああ、こんなことになるのならば僕の一存で旬を海外に…トーマスハンターのいるアメリカや劉ハンターのいる中国に預けてしまえばよかった。二人とも旬を尊敬してくれていたようだから決して無下にはしないだろう。僕がいなくなって、自国のハンターたちでもどうしようもないと判断したときは攫ってしまって欲しいと頼んだが…。あの時に、預けてしまえばよかった。
どうして旬ばかりが……世界の命運を背負っただけでなく、こんな理不尽に晒されなくてはならないのか。怒りを抑えられない僕を止めたのは、部下の一声だった。
「会長!落ち着いてください!…ッ!み、水篠ハンターにまた怒られますよ!」
「!」
驚いて部下の顔を見ると、泣きそうな顔をしてこちらを見ていた。
…ああ、そういえば課長の頃、残業続きの僕を心配して強制的に休ませる為に旬を呼んできたのも彼だったな。
「……失礼致しました。ですが、水篠ハンターに対しての不義理はハンター協会会長として、世界を救ってもらった一個人として到底赦す事が出来ないものだとご理解頂ける事を願っております」
これ以上この場にいてもまた同じことが繰り返されるだろうと、言いたい事だけを伝え、部下と共に官邸を出た。駐車場まで辿り着いた時、後ろにいた部下に向かって口を開く。
「……すまなかった」
「水篠ハンターの事が大切なのは我々も理解していますが、一般人に対してあそこまで魔力をぶつけるのはやりすぎです。……水篠ハンターに後で怒られてくださいね」
「……ああ」
さらりと旬が目覚めることを当たり前のように話す部下。ほんの少し目頭が熱くなって、それだけを返すと旬の待つ自宅へ帰るために車へ乗り込んだ。
***
スーツを脱いでラフな格好に着替え、リビングに向かうと朝に座ってもらった状態のままの旬が待って居た。
「旬、ただいま帰りました。一人にしてしまってすみません」
…今日も返事は無い。いつもならば続けて言葉をかけるのだが、今日は先ほどのことを思い出してしまってダメだった。
ふらふらと旬の足元に座り込み、旬の膝に手をのせて顔を埋める。
「っ……旬、貴方に全てを背負わせてしまった……貴方は全てを守ってくれたのに、旬一人守り切れない僕を、どうか許さないでください……」
情けないことに涙がぼろぼろと零れてきて…その日は旬に縋りついたまま夜を過ごした。
***
翌日。
協会で書類の山に囲まれていると部下が駆け込んできた。
「会長!ゲート測定ミスでDランクゲートがAランクだったとの連絡が…!」
協会は相変わらずの人手不足で、A級ゲートとなると対応できる人間がいないからここに直接来たのだろう。その判断は間違っていない。
「っ!大至急攻略予定のギルドへ連絡を!現場には僕が出ます!」
「はい!」
部下の声を背に、急ぎ現場へと車を飛ばす。到着した頃には協会員数名とゲートの落札者であるギルドの数人が所在なさげに佇んでいるだけだった。
「……監、いえ失礼致しました。ハンター協会会長の犬飼です。この度はランク測定の不備でご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「いいいいえ!!大丈夫です!むしろ入る前にわかってよかったくらいで…!な、なあ!?」
「そ、そうそう!再測定してもらえてよかったです!」
…未だに"監視課”として名乗ってしまいそうな自分に内心苦笑する。長年染みついた癖はまだ抜けそうにない。
ギルドメンバーは僕直々に来るとは思っていなかったのだろう。不満げだった顔を驚愕に変えて、首がもげそうなほど振りながら激しく否定の言葉を並び立てる。
「そう仰って頂けるとこちらとしても助かります。後日同等のゲートを用意させて頂きますので本日はお帰り頂けますでしょうか?」
「「「はっ、はい!」」」
僕の言葉に勢いよく返事をするとそそくさと車に乗り込み帰って行った。……さて、再度募集をかける前にもう一度測定しなくては。
「再測定を」
「……それが、何故か位置によって数値に若干のブレが…」
部下に声をかければ言いにくそうに測定器を指さす。そこには確かに報告の数値とも違う数値が映し出されていた。
「……ゲートの入り口で測定してきます」
そこでの数値が一番正解に近いだろうと部下から測定器を受け取り、ゲートの入口へ足を踏み入れ装置を置いた。
次の瞬間、足元が揺れたかと思えば視界が歪む。拙い…!
「会長!!」
「っ!レッドゲートです!!5大ギルドに連絡をして備えてください!!」
言い終わった瞬間に、景色が森林へと変わる。…雪山や海など装備が必要な場所じゃなくて助かった。
だが……近づいてくる複数の魔力。話が早いのは助かるが、一人でどこまで戦えるだろうか。
「……まさか僕が巻き込まれるとは」
同じように何度もレッドゲートへ巻き込まれた旬を思い出して苦笑する。旬もこんな気持ちだったのだろうか。
「旬を待たせるわけには行きませんからね」
帰らなくてはならない、と自分自身に活を入れて少しでも戦いに適した場所を探す為に駆け出した。
***
「─────っ!は、ぁ…っはぁ…っく…!」
最後のオーガを倒し、地面に座り込む。スーツは破れ、至る所から血が流れ落ちていて傍から見れば見るも無残な有様だろう。そして体力はもう限界を迎えている。
「はぁ…ッ(こんな事になるのならもっと早く旬を国外に出してしまうべきだった)」
昨日と同じ後悔が頭を過ぎる。霞む視界の中でも考えるのは旬の事。
「(最上ハンターや白川ハンター、黒須ハンターが上手くやって下されば良いが…)」
その時。
再び強い魔力が近づいてくるのを感じた。
「(これは、先程の比では無い…ボス、でしょうか)」
最早立つ事も、ボスの姿を視認する事も出来ずに地べたに倒れ込む。流石に諦めざるを得ない時が来たようだ。
「…………しゅ、ん…」
愛しています。
最後の言葉は声に出せなかったけれど、暗くなる視界の中で愛しい人の言葉が聞こえた気がして。
「────晃さんは、無茶し過ぎなんですよ」
仕方ないな、といつものように優しく微笑む旬の顔が思い浮かんで、微笑んで目を閉じた。
***
「………………ぅ……っ、え!?」
パチリと目を開けると無機質な天井が見えた。
驚いて身体を無理やり起こし、身体に触れる。……どこも、痛くない……?
「……これは、一体…」
たまたま気絶したタイミングでレッドゲートのゲートブレイクが起きたということだろうか?
いや、だがあの時にはブレイクの気配は無く、仮にそうだとしても助けが間に合う距離では無かったと思う。
では何故助かったのか、と色々な仮説を立てながら困惑していると静かに扉がノックされた。
「……はい」
医者か協会の部下か。いずれにせよ助かった理由がわかるだろうと思って返事をしたのだが…答えは思わぬ形で訪れる。
「……この光景、初めて会った時と逆ですね」
「…………しゅ、ん……?」
「はい」
─────開いた扉の向こうには、微笑む旬の姿があった
被害は甚大で、各国の存続すら危うくなる事態の中、それでも人々は生きている喜びを噛み締めて、すこしずつ復興を計画していった。
けれど一か月が過ぎても人類の救世主となった水篠旬は未だ病院のベッドで療養を続けていた。
世界中のS級ヒーラーが診ても反応せず、流石におかしいと医者が全身を検査したのが先週。本日はその結果を聞くために、犬飼、最上、白川、黒須の四名が集まっていた。家族がいないのは万が一のことがあっては精神的負担をかけてしまうから自分達が聞いてからの方が良いだろう、と犬飼が判断した為だ。
真顔の四人に囲まれ、無言の圧力によってか真っ青な顔をした状態で担当医師は報告を始めた。
「不思議としか言いようがありません」
「…どういうことでしょうか」
代表して犬飼が尋ねる。すると医師が続けて資料を差し出した。
「水篠ハンターの身体は何も異常がないのです。本来寝たきりの人間であったとしても栄養の摂取や排泄など人間が生きるために必要な要素は外部から行わねばならないのですが…」
そこで医師は言葉に詰まり、一度息を吐いてから言葉を続けた。
「水篠ハンターの身体は栄養の欠落も、筋肉の衰えも…睡眠、排泄すら必要なく、ただ呼吸し続けているのです。———完璧な人形のように」
言い終わった医者の言葉に全員が息をのむ。
「そ、れは一体…」
最上の掠れた問いかけにも医師は首を振る。
「…わかりません。正直なところこのような症例は世界中探しても存在せず…このまま入院させることが良いのか、悪いのか、それすら不明です」
医師の言葉に全員が顔を見合わせ、ややあってから白川が口を開く。
「…それは、病院から連れ出しても良いということでしょうか」
「…わかりません。ですが、水篠ハンターは声をかけ、手を引けば指示に従ってくださいますし、家族の声掛けや外部からの刺激で良くなる可能性もゼロではありません。…水篠ハンターの心が少し疲れてしまっているだけかもしれませんから」
その言葉に全員が水篠を思い浮かべる。疲れている。確かにそうかもしれない。
「———じゃあ、連れて帰ろうぜ。迷ってても仕方ねえだろ。病院の風景よりは外の方が水篠ハンターも良いと思うしな」
すると黒須が殊更に明るい声で提案を口にした。その言葉に全員が頷く。
その後、いくつかの注意事項を医師から聞いて、そして…。
***
本来ならば家族の元に帰らせるべきなのだろう。けれどきっと旬も家族にそんな姿を見せたくない筈だ、なんて説得をして自分の家へと連れ帰った。
家族に反対されたら大人しく引こうと思っていたのに「よろしくお願いします」とだけ言って僕に全てを任せ、旬はその方がうれしいと思う、とも言っていた。その言葉に罪悪感が刺激される。
説得の言葉なんてすべて嘘。
本当は、自分が旬を手放したくなかっただけだ。
***
「旬、着きましたよ」
玄関先で声をかけながら繋いでいた手を離し、跪いて靴を脱がせる。その間も旬は僕に視線を向けないし、当然返事も返してはくれない。そのことにツキリと感じる胸の痛みを気のせいだと誤魔化し、微笑んで旬をソファへと座らせる。
「…ここで待っていてくださいね」
返事は無いが、微動だにしない姿に大丈夫だろうと判断しキッチンへ向かう。飲み物を取り出しながら医師の言葉を思い出していた。
食事をするように伝え、口元に運べば飲み物も食べ物も普通に食べられる。眠るように伝えれば眠るらしい。…旬の身体を調べるためだと理解出来ている。医師もそんなつもりはないとは思うものの、まるで実験の成果のように語られた言葉に静かな苛立ちが過った。
けれどいくら反応がないとはいえ、こちらの声は届いているかもしれない。感情を押し込め、微笑みながらテーブルに自分の飲み物を置き、旬の分は口元へ運ぶ。
「旬。移動でのどが渇いたでしょう。飲めますか?」
ストローを口元に当てればぼんやりとしたままに小さく口を開けたので、そっとストローを押し込む。すると一口分だけ嚥下したようだ。
「……旬。もう一口、いえ二口分飲んでください」
僕が具体的に告げれば同じように喉が二回動く。聞こえてはいるのだろう。けれど反応がないのは…やはり、全てに疲れてしまったのだろうか。
「…きちんと飲んで下さりありがとうございます。病院から帰ってきたばかりで疲れているでしょうすぐに休んで…いえ、先に湯船にでも浸かりましょうか」
自身の飲み物を勢いよく飲み干し、手早く湯張りの準備をする。その間に飲み物を片づけた。…こうした洗い物も今までは旬がしてくれていて、僕は甘えてばかりだったな、とキッチンから視線を向けても旬は気が付くこともなくどこか遠くを見つめていた。合わない視線にどうしようもない寂しさを覚えながらも、疲れさせた原因はどう考えても僕らなのだからそんな権利は無いと自分を叱咤する。
「…お待たせしました。直ぐに湯船も浸かれるようになります。行きましょう」
手を引けば黙って立ち上がり、僕の少し後ろを歩く。
脱衣所で服を脱がせても無反応のままで。そのままバスルームに入って身体や髪を洗う間も旬は僕の指示した動き以外身じろぐことすらしていなかった。
「…旬、湯船浸かりましょうか」
男二人で浸かるには少し狭い浴槽に旬を抱えるようにして浸かる。今の旬は何も言えないのだから、のぼせないように自分が気を付けなければ。
「温かいですね」
「そろそろ上がりましょうか」
「拭きますね」
「髪の毛の水気を取るので座っていてください」
「さ、着替えが終わりましたからベッドに行きましょうか」
「…横になって、目を閉じてください」
「おやすみなさい、旬」
返事はなくとも聞こえている筈だと信じて、僕はひたすら話し掛け続けた。
***
そんな日々が何日か続いたある日。協会会長として相談がある、と政府に呼び出された。また面倒なことになりそうだと眉間のしわを揉む。…多忙でしわが増えた気がするな。
以前あそこまで脅した効果か、前は僕のほうが緊張していたのに今では案内人のほうが必死で僕の機嫌を損ねないようにしているのがわかる。…旬を守るのにやり過ぎということはないが、動きにくくなっても旬の不利になるだろう。今回は余程のことがない限りおとなしくしていよう。
……そう、思っていたのだが…。
「…と、いうわけで……万が一のことも考え、水篠ハンターには警護のしっかりとした島で療養をして頂くのが良いでのはないでしょうか」
———ふざけるな。
「……世界を救った英雄である彼を……意識のないうちに協会から引き剝がし、孤島に閉じ込めようと?」
黙って聞いていれば旬を酷使し、政治の道具に利用しようとしておいて…必要が無くなったらその力の暴走を恐れて閉じ込める?
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな!!
「っ、い、いや!決してそんな意図は無く…!」
総理と秘書官が怯えているのはわかるが、今回ばかりは怒りを抑える事が出来ない。どこまで旬を都合のいいように使えば気が済むんだ…!魔力が迸り机や壁にひびが入る。
ああ、こんなことになるのならば僕の一存で旬を海外に…トーマスハンターのいるアメリカや劉ハンターのいる中国に預けてしまえばよかった。二人とも旬を尊敬してくれていたようだから決して無下にはしないだろう。僕がいなくなって、自国のハンターたちでもどうしようもないと判断したときは攫ってしまって欲しいと頼んだが…。あの時に、預けてしまえばよかった。
どうして旬ばかりが……世界の命運を背負っただけでなく、こんな理不尽に晒されなくてはならないのか。怒りを抑えられない僕を止めたのは、部下の一声だった。
「会長!落ち着いてください!…ッ!み、水篠ハンターにまた怒られますよ!」
「!」
驚いて部下の顔を見ると、泣きそうな顔をしてこちらを見ていた。
…ああ、そういえば課長の頃、残業続きの僕を心配して強制的に休ませる為に旬を呼んできたのも彼だったな。
「……失礼致しました。ですが、水篠ハンターに対しての不義理はハンター協会会長として、世界を救ってもらった一個人として到底赦す事が出来ないものだとご理解頂ける事を願っております」
これ以上この場にいてもまた同じことが繰り返されるだろうと、言いたい事だけを伝え、部下と共に官邸を出た。駐車場まで辿り着いた時、後ろにいた部下に向かって口を開く。
「……すまなかった」
「水篠ハンターの事が大切なのは我々も理解していますが、一般人に対してあそこまで魔力をぶつけるのはやりすぎです。……水篠ハンターに後で怒られてくださいね」
「……ああ」
さらりと旬が目覚めることを当たり前のように話す部下。ほんの少し目頭が熱くなって、それだけを返すと旬の待つ自宅へ帰るために車へ乗り込んだ。
***
スーツを脱いでラフな格好に着替え、リビングに向かうと朝に座ってもらった状態のままの旬が待って居た。
「旬、ただいま帰りました。一人にしてしまってすみません」
…今日も返事は無い。いつもならば続けて言葉をかけるのだが、今日は先ほどのことを思い出してしまってダメだった。
ふらふらと旬の足元に座り込み、旬の膝に手をのせて顔を埋める。
「っ……旬、貴方に全てを背負わせてしまった……貴方は全てを守ってくれたのに、旬一人守り切れない僕を、どうか許さないでください……」
情けないことに涙がぼろぼろと零れてきて…その日は旬に縋りついたまま夜を過ごした。
***
翌日。
協会で書類の山に囲まれていると部下が駆け込んできた。
「会長!ゲート測定ミスでDランクゲートがAランクだったとの連絡が…!」
協会は相変わらずの人手不足で、A級ゲートとなると対応できる人間がいないからここに直接来たのだろう。その判断は間違っていない。
「っ!大至急攻略予定のギルドへ連絡を!現場には僕が出ます!」
「はい!」
部下の声を背に、急ぎ現場へと車を飛ばす。到着した頃には協会員数名とゲートの落札者であるギルドの数人が所在なさげに佇んでいるだけだった。
「……監、いえ失礼致しました。ハンター協会会長の犬飼です。この度はランク測定の不備でご迷惑をお掛けして申し訳ございません」
「いいいいえ!!大丈夫です!むしろ入る前にわかってよかったくらいで…!な、なあ!?」
「そ、そうそう!再測定してもらえてよかったです!」
…未だに"監視課”として名乗ってしまいそうな自分に内心苦笑する。長年染みついた癖はまだ抜けそうにない。
ギルドメンバーは僕直々に来るとは思っていなかったのだろう。不満げだった顔を驚愕に変えて、首がもげそうなほど振りながら激しく否定の言葉を並び立てる。
「そう仰って頂けるとこちらとしても助かります。後日同等のゲートを用意させて頂きますので本日はお帰り頂けますでしょうか?」
「「「はっ、はい!」」」
僕の言葉に勢いよく返事をするとそそくさと車に乗り込み帰って行った。……さて、再度募集をかける前にもう一度測定しなくては。
「再測定を」
「……それが、何故か位置によって数値に若干のブレが…」
部下に声をかければ言いにくそうに測定器を指さす。そこには確かに報告の数値とも違う数値が映し出されていた。
「……ゲートの入り口で測定してきます」
そこでの数値が一番正解に近いだろうと部下から測定器を受け取り、ゲートの入口へ足を踏み入れ装置を置いた。
次の瞬間、足元が揺れたかと思えば視界が歪む。拙い…!
「会長!!」
「っ!レッドゲートです!!5大ギルドに連絡をして備えてください!!」
言い終わった瞬間に、景色が森林へと変わる。…雪山や海など装備が必要な場所じゃなくて助かった。
だが……近づいてくる複数の魔力。話が早いのは助かるが、一人でどこまで戦えるだろうか。
「……まさか僕が巻き込まれるとは」
同じように何度もレッドゲートへ巻き込まれた旬を思い出して苦笑する。旬もこんな気持ちだったのだろうか。
「旬を待たせるわけには行きませんからね」
帰らなくてはならない、と自分自身に活を入れて少しでも戦いに適した場所を探す為に駆け出した。
***
「─────っ!は、ぁ…っはぁ…っく…!」
最後のオーガを倒し、地面に座り込む。スーツは破れ、至る所から血が流れ落ちていて傍から見れば見るも無残な有様だろう。そして体力はもう限界を迎えている。
「はぁ…ッ(こんな事になるのならもっと早く旬を国外に出してしまうべきだった)」
昨日と同じ後悔が頭を過ぎる。霞む視界の中でも考えるのは旬の事。
「(最上ハンターや白川ハンター、黒須ハンターが上手くやって下されば良いが…)」
その時。
再び強い魔力が近づいてくるのを感じた。
「(これは、先程の比では無い…ボス、でしょうか)」
最早立つ事も、ボスの姿を視認する事も出来ずに地べたに倒れ込む。流石に諦めざるを得ない時が来たようだ。
「…………しゅ、ん…」
愛しています。
最後の言葉は声に出せなかったけれど、暗くなる視界の中で愛しい人の言葉が聞こえた気がして。
「────晃さんは、無茶し過ぎなんですよ」
仕方ないな、といつものように優しく微笑む旬の顔が思い浮かんで、微笑んで目を閉じた。
***
「………………ぅ……っ、え!?」
パチリと目を開けると無機質な天井が見えた。
驚いて身体を無理やり起こし、身体に触れる。……どこも、痛くない……?
「……これは、一体…」
たまたま気絶したタイミングでレッドゲートのゲートブレイクが起きたということだろうか?
いや、だがあの時にはブレイクの気配は無く、仮にそうだとしても助けが間に合う距離では無かったと思う。
では何故助かったのか、と色々な仮説を立てながら困惑していると静かに扉がノックされた。
「……はい」
医者か協会の部下か。いずれにせよ助かった理由がわかるだろうと思って返事をしたのだが…答えは思わぬ形で訪れる。
「……この光景、初めて会った時と逆ですね」
「…………しゅ、ん……?」
「はい」
─────開いた扉の向こうには、微笑む旬の姿があった