犬飼×旬


「貴方が好きです。…勿論、恋愛感情の意味で」

水篠はその日何の変哲もない1日を過ごす予定だった。いつも通りノルマをこなして、ゲートを攻略して。実際はそのゲートがまたしてもレッドゲートで辟易としていたが、レベルアップした水篠からしてみれば危険性も無く攻略は出来た。報告の為に協会に寄らなくてはいけない理由が出来てしまった事だけが誤算なだけで、他はいつも通り特筆すべきことの無い1日で終わる筈だった。
協会に報告した後、たまには会長の厚意に甘え送って貰うかと犬飼部長の運転で帰宅途中に車内で突然告白されるまでは。

「へ…?……犬飼部長、もしかして疲れてます?徹夜は身体に悪いですよ?」

水篠は口に出してから、きっとそうに違いないと納得したように頷いた。職務に忠実で真面目の一言に尽きるこの人が前触れもなくそんなことを言うなんて、余程疲れてる以外に理由が無いだろうと。

「いいえ、水篠ハンターが仰るような事はありません。一昨日までは二徹程していましたが今更その程度で疲れはしませんし、何よりも昨日は帰宅出来ていますので睡眠も取れています。思考回路は正常ですよ」

二徹をその程度と言っている辺りに仄かな協会の闇が見えた気がするが、レベルアップの為にレイド攻略を大量に行い、報告を上げている水篠も間違いなく原因になっているので下手に薮をつつく訳にもいかずぐっと眉間にしわを寄せて呑み込んだ後に口を開く。

「あの…では何故急に…?」

「今が好機かと思いまして」

考えが読めなさ過ぎて眉間にしわを寄せたまま首を傾げてしまう。その表情はまるでこんな突拍子も無い事を言う人だったか?と云う様な顔を浮かべていて。疑問は募るばかりのようだ。

「こ、好機ですか…?」

「はい。水篠ハンターは常にお忙しいですし、私用で呼び止める訳には参りません。協会にいらっしゃってもいつもは使役している召喚獣やスキルで帰られるでしょう?お送りするのは架南島や学校襲撃の時の様に大きな事件があった時ばかりでしたし、こうして穏やかにお送り出来る機会が次いつ来るかわかりませんからね」

今回のレッドゲートも本来であれば大事件ですが水篠ハンターにとってはいつもの攻略と変わりがないでしょう?ああ、当然レッドゲートを甘く見ているわけではありませんが。と穏やかな声音で続ける犬飼部長。

「水篠ハンターからしてみれば気味が悪く思うかもしれませんね。その場合は遠慮なく仰って下さい、なるべく接触しないよう部下を回しますから」

「嫌とかそういう感情は無いですけど、あまりに急すぎませんか?そもそも犬飼部長は何故自分を…?その、自分は男ですし…」

その言葉を聞いて拒絶されなかったことに安心したのか、ふぅ、と安堵の息をついた犬飼だったが、次の瞬間に聞こえた「見た目もたいしたことないし、魅力とかそういうのも一切ないし…」と呟く水篠に対し、一体何を言っているのだろうか。と今度は犬飼が不審に思う番だった。

***

水篠ハンターは世間一般的な感覚からしても美人だ。見た目で言えばE級の時は可愛さが勝っていたが、あの当時から変わらない綺麗な目鼻立ちにきめ細やかな肌、そしてE級からS級になろうがずっと変わらない、決して折れることの無い意志を秘めた強い瞳は通常時も魔力が込められた時の紫を纏った瞳も人を惹き付けてやまないというのに。そして何よりも僕は水篠ハンターの人柄に惹かれたというのに。
最初は二重ダンジョンから辛うじて逃れた幸運な青年、それだけだった。監視課として再覚醒を疑い、違った時には顔には出さなかったものの、もう二度と会うことは無いだろうとすら思っていた。しかしその後何度も遭遇し、その度に彼はまるで成長していくかのように変わっていった。最初は戸惑いが混じっていた瞳も静かな水面となり、同時に言動も大胆不敵へと。でも決して冷徹になり切れていないのが印象的で。
S級判定を受けた時に調べた来歴では後藤会長の様に内心感嘆したものだ。母の為、妹の為に這いつくばりながら、E級の中でも底辺と言って間違いの無い彼が良く生き残れたものだと。思えばその頃から一本芯の通った生き方に惹かれていたのかもしれない。

「僕は男性に恋愛感情を向けたことは無いし、元々そういった趣味もありません。水篠ハンターだから伝えているのです。男でも女でも関係ありません。そして見た目が大したことが無い、というのはご自身で鏡をご覧になられたことが無いのでしょうか?貴方にとっては不服かもしれませんが、水篠ハンターは美人ですよ」

ふ、と囁くように笑うとその姿を見てか水篠の顔に熱が拡がっていく。

「そして好きになった理由、でしたね」

簡潔に言うならば、と言葉を探すように暫く考え込む。

「貴方のこれからを誰よりも近くで見ていたい、支えになりたいと思ったんです」

そう。僕はいつの間にか水篠から目を離すことが出来なくなっていた。元々気にはなっていたものの、ほんの少し前まではまだ監視課の仕事の範囲内だ、と自分で納得していた筈だった。
それが変わった切っ掛けは再び現れた二重ダンジョンの時。自らを神の使徒のように話す石像、目覚めない水篠ハンターに誰もが終わりを覚悟した時、その石像を自らの意思で打ち砕いた姿から目が離せなくなった。あの脆くも美しい人の傍に居たい、と。

「そして…最大の切っ掛けは国際ギルドカンファレンスです。国家権力級のトーマスハンターと衝突すると聞き、いくら水篠ハンターと言えど命の危険があるかもしれないといても立っても居られず無理を言ってハンター管理局に同行させて貰いました。その先で完全に我を忘れトーマスハンターを殴り飛ばして、止めの拳を振り上げている姿を見て咄嗟に叫んだあの時。こちらを見た水篠ハンターの目が揺れたのを見たんです」

そう、怒りに我を忘れても決して水篠ハンターは冷徹な人間では無い。進んで殺人をしたい筈がない。

「その頃には傍に居たいという欲は持っていましたが、あの時の瞳を見た瞬間傍に居るだけではなく寄り添いたいと、貴方の人生の支えとなりたいと強く思いました。…これが貴方に惚れた理由ですね」

***

ご理解頂けたでしょうか、と語り終わった部長の言葉に俺は瞠目していた。覚えている。確かにあの時、呼ばれたのだと。
本当は振り上げた拳を引くつもりは無かった。大事な弟分を傷付けた右京はもとより、謝罪もなく上から目線で右京を引き渡せとスカベンジャーギルドの人員を集めてまで脅しにかかってきた道理の無い男も許すつもりは無かったのだ。でも、あの時声が聞こえた。

《水篠さん!!!!止まってください!!!!》

犬飼部長の切羽詰まった声を初めて聞いて、もしかして自分はやり過ぎてしまったのだろうかとそこでようやく正気に返った。

「覚えていますよ。あの時犬飼部長が必死に叫ぶから、これ以上はやり過ぎなんだと気付く事が出来たんです」

囁くようなトーマスの降参の言葉を聞いて、あの人が止めるのならばそれが正解なんだとすんなりと納得して拳を下ろすことが出来た。

「…?あれ、今思うと俺は怒りに我を忘れていても貴方の声ならちゃんと聞こえるんですね」

気付いた事実に犬飼部長がアメリカに着いてきてくれて良かったです、とはにかみながら感謝を伝えた。すると犬飼部長が真っ赤に顔を染めて俺を恨めし気に見る。何か変な事を言ってしまったのだろうか。

「…告白した男に対してその言葉はいささか不用心過ぎはしませんか」

「え…!?あ、いやその……寄り添う、とかはわからないですけど、傍にって云うのならば確かにあの時犬飼部長が居てくれて良かった、っていう素直な気持ちなんですが…」

「水篠ハンター…希望を持たせるような言動はお控え下さい」

「その、違くて!!あ、いや、違く無いな…だから、その…嫌じゃ無いです」

恋愛感情があるかどうかはまだ自分自身にもわかっていないが、犬飼部長の傍には俺が落としてしまいそうな正解が溢れていて、とても息がしやすいのは間違いないのだ。

「恋愛感情はわからないですが、もう少し犬飼さんの事を知りたいと思いますし、咄嗟の時はいて欲しい、とは思います」

【部長】から【さん】付けへ、恋愛レベルの低い俺の精一杯のアピール。果して伝わっているのかはわからないけれど。

「…ありがとうございます。僕ももっと水篠さんの事を知りたいと思っています。…今度食事に誘っても良いでしょうか?」

「はい、楽しみにしています」

意を読み取って【さん】付けにしてくれた犬飼部長の気持ちがこそばゆくて、微笑みながら返事をする。
その後はいつもと違い少しだけプライベートを混じえた話をして、マンションの下へ辿り着いた。

「ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。本日はお疲れ様でした。…食事の件はまた、連絡します」

「はい、待っていますね」

お互い柔らかな微笑みを浮かべ家の前で約束と挨拶を交わす。
告白前から自分がマンションの中に入るまで必ず見送ってくれるのを知っていたので後ろ髪を引かれながらもマンションへと入る、つもりだったのだがふと思いついて振り返り不思議そうな顔をする犬飼部長に向けて悪戯っぽく笑って手を振ってみる。やってから随分子供じみた動作をしたと少し後悔したが、犬飼部長が口元を片手で覆って顔が赤くなっていたので楽しくなってまた笑った。

「ふふっ、犬飼さん、それでは食事楽しみにしています」

「っ、可愛らしい事を急になさらないで下さい。心臓に悪いです。…ええ、僕も楽しみにしています。そしてまた協会に寄られた際はお急ぎでない限り僕に水篠さんを送らせて下さいね」

赤みが残っている顔で優しく微笑まれ、今度はこちらが恥ずかしくなってきたのでそれじゃあ、と挨拶を残してマンションの中に逃げるように入る。俺の感情はこの短い移動時間で目まぐるしく動き回っていた。

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食事の約束を取り付けたあの日から俺の行動は少しずつ変化していった。

まず協会に行く事が増えた。本来ならば俺はギルドマスターであるのだから余程の事がない限り協会に行く必要など無いのだが、犬飼さんとまた話がしたいという気持ちが芽生え、ちょっとした用事でもなるべく直接足を運び、その後送って貰うという事が多くなった。
そうなると必然的に後藤会長とも話す頻度も増え、ついでとばかりに会食をする事も多くなって、結果的に協会と我進の関係性が良好だと良い噂が立っているらしい。
次に、というかこれが一番大きな変化なのだけど、犬飼さんとの距離が近くなった。何度も送って貰ううちに段々打ち解けて、前はしっかりと一線を引かれていた会話も今ではお説教めいた小言も貰うようになったし、俺自身もそれに対してふてくされたり、言い返したりと以前とは大分関係性が変わったように思う。ただお互い忙しく、まだ2人での約束した食事には行けてはいないのだけど。
そんなある日、最早お決まりのように送ってもらっている最中、犬飼さんが打ち解けてからは余り見なくなった強張った表情で話しかけてきた。

「水篠さん、明後日の夜のご都合は如何ですか?」

「?特に用事は無いです」

そう返事を返すとほっとしたように息を吐いてた犬飼さんに、何かあっただろうかと首を傾げる。

「…その、以前話した食事の約束なんですが、その話がまだ生きているのなら明後日一緒に食事を如何でしょうか?随分時間が経過してしまいましたが…」

久々に丸々一日休みなんです、と。控えめに誘ってくるものだからつい笑ってしまう。

「なんでそんなに緊張しているんですか?楽しみにしてるって言ったじゃないですか。勿論行きますよ」

悩む素振りも必要が無かったので直ぐ返事を返すと犬飼さんも安心したように表情を緩めた。

「良かったです。やっぱり無かったことにしたいと言われたらどうしようかと思っていましたから」

「俺、そんな冷たく見えますか?」

「いいえ、違います。最近は大分打ち解けて下さっているとも思いますが、やはり告白をしてきた相手と二人きりでの食事は断られるかもしれないと心配していたんです」

さらっと言われた告白の二文字にあの日真剣に伝えられた事、また自分も満更でも無かった気持ちを思い出し顔が赤くなる。

「っ!…犬飼さんからの誘いを断るなんてしません」

「貴方はまたそうやって…」

何故か犬飼の顔まで赤くなり、車内に妙な沈黙が走る。何かを言わなくては、と思い考えるがろくに頭が回らない。

「…そうだ、水篠さん。何か食べたいものはありますか?今まで会長との会食時には別段無かったと記憶していますが、もし苦手なものを我慢していたり、万が一アレルギーなどあるようでしたら教えてください」

ぐるぐると考え、混乱している此方の気持ちを汲んでくれたのかいつも通りの穏やかな雰囲気で犬飼さんが尋ねてきた。

「え?あ、ええと、食べたいもの…すみません、今思いつかなくて…嫌いな食材やアレルギーは無いです。なんでも食べられます」

「承知しました。それでは店やメニューはこちらで選んでも宜しいでしょうか?」

「はい、お願いします」

俺のハッキリとしない返答に困る事もなくスムーズに返してくる。こういうところが大人なんだよなあとスマートな対応への憧れを込めて横顔を見つめる。

「アレルギーも無い様で安心しました。…それに、好き嫌いがないのは偉いですね」

「…犬飼さん、もしかして俺のこと子ども扱いしてます?」

少し言葉を溜めて、からからかうように告げられた言葉に憧憬の目から抗議の目へ変化させジトっと視線を向けた。

「ふふっ、すみません。本心ですよ。大人になっても好き嫌いのある人間はいるものですから」

「犬飼さんはあるんですか?」

「既にお気づきでしょうが、お酒だけは駄目ですね」

それ以外は好き嫌いもアレルギーもありませんよ、と話す犬飼さんにまた少しのいたずら心が湧き上がってくる。

「会長から勧められても断固として一滴も吞みませんからね。でも俺、酔った犬飼さん見てみたいな」

「勘弁してください。本当に弱いんですよ」

本当に困ったように眉を下げる犬飼を見て愉快な気持ちが湧き上がってくる。以前もそうだったが、なぜだか犬飼には時折いじわるやいたずらを仕掛けたくなってしまう。どうしてだろう?

「じゃあ、酔ったら俺が介抱しますから。俺が酔わないのは知っているでしょう?ね、少しだけ」

「好きな方の前で酔って醜態を晒すわけにはいきませんので呑みません」

もしやこれって好きな子はいじめたいってやつか…?などと告白の返事をしあぐねている癖に大概な事を考えていたらまた破壊力の強い言葉を投げつけられて、今度はこちらが動揺してしまう。

「…犬飼さんって狡いですね」

「大人は皆狡いものですが、水篠さんも大概ですよ。そんな風に可愛らしく強請られたら頼みを聞きたくなってしまうでしょう」

「可愛くないですけど。じゃあ呑んでくれるんですか?」

「いいえ、呑みません」

「ちぇ」

「残念でしたね。」

「いいです、今度後藤会長と協力して呑ませますから」

ツン、とそっぽを向く。我ながら子供じみた真似をしている自覚はあるが、そういった振る舞いも犬飼さんにならば許される気がして。

「それは勘弁願いたいものですね。…さて、水篠さん着きましたよ」

苦笑しながらゆっくりと車をマンションの下へ停め、ドアを開けてくれる。

「いつもありがとうございます」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

送りたいと言った僕のお願いを聞いて下さっているのでしょう?と言いながら優しく見つめられ、気恥ずかしくなる。

「それだけじゃなくって、俺も犬飼さんと話したいと思っているので!あの、ありがとうございました!ご飯楽しみにしてます!おやすみなさい!!」

だからただお願いを聞いただけじゃない、との意を込めて伝え、恥ずかしさのあまり全てを捲し立てて返事も聞かずに、バンッ!と音を立てて玄関を開き、勢いよく家に入る。

「うるさっ、ちょっとぉ!お兄ちゃんなんでそんなバタバタして入ってくるわけ!?」

「あらあら旬おかえり。ドアはゆっくり閉めないと危ないわよ」

「そうじゃないでしょお母さん!」

葵と母さんのやり取りを背にこの真っ赤な顔を何とかしようと部屋に閉じ篭もった。なんで俺今日こんな顔が赤くなってるんだ…!?

「もしかして俺、犬飼さんの事が…好き…?」

声に出してみるとストン、と落ちた感覚がした。
最初はあくまで仕事というだけでなんの感情も見当たらなかったが、E級の自分を差別する素振りが無い時点で出来た人だと感じていた。
右京に関しても仕事に直接関係無いだろうに俺に出来るなら国外へ逃げた方が良いと忠告をくれて、その時にこの人は優しい人なのだと気付いた。
告白された時も嫌悪感は無かったし、傍に居てほしいと思ったのも嘘じゃない。
でも、恋人の一人も居たことがない恋愛初心者がそんな直ぐに好きかどうかなんてわかるわけがなくて。犬飼さんは大人だし、憧れに近い感情なのかもしれないだなんて、なんだかんだと気持ちを考えるのも先延ばしにしていたのだが…今日話して、あの目で優しく見つめられて、あんな事を自然と口走ってしまったら…流石にもう気付かない方が無理だ。
自分だけの特別な人が出来るのなら、ずっと傍に居てくれる人がいるのなら。それは犬飼さんが良いのだと自覚してしまった。惚れているとの自覚を持った瞬間、俺の脳内が限界を迎え布団に入り意味もなく転がる。

「明後日どんな顔して会えばいいんだ!?!?」

いっそ急にS級ゲートでも発生してくれないか、と犬飼さんにとっても世間にとっても傍迷惑な事を考えながら、しびれを切らした葵が呼びに来るまで布団の中で悶絶し続けた。

***

一方的に捲し立てられ、そのまま言い逃げのような形でいなくなった水篠さんを見届けた僕は深い溜息を吐いた。

「…はぁ、あの方は一体僕をどうされたいんだ」

告白を断られなかっただけでも自分からすれば奇跡の様なもので。しかも傍にいて欲しいと思う、とまで言われた事は内心今でも都合の良い幻聴を聞いたのではないかと自身の記憶を疑っている。
少々の期待と同時に、水篠は家庭環境からしても頼れる人間に飢えているからこそ年上である僕に心を許してくれているだけなのだから勘違いをするな、と何度も自分に言い聞かせていたのに。

「あんな気のある素振りを何度も見せられて黙っていられるほど此方も良い大人ではないんですが」

道中の照れた顔や、いたずらっぽい笑みに拗ねた顔、最後に見た真っ赤に染まった表情がぐるぐると頭の中を駆け巡り、もう少し自惚れて積極的にアプローチを仕掛けても今ならば許されるのではないか、と算段をつける。先ほどは混乱し始めたようだったのでわざと話題を変えて逃がしてあげたが…。

「次は逃がして差し上げることは出来ませんから、覚悟して下さい」

***

犬飼さんとどんな顔して会えばいいのかわからないまま日が過ぎ早くも約束した日になってしまった。
メールで当日18時に迎えに行く、との連絡を貰ったのだが店も全て任せてしまったのでどんな服装にしたら良いのか迷いに迷って揶揄われることを覚悟し、葵に相談することにした。

「え!デート⁉⁉しかもあのイケメンの協会の人と⁉⁉お兄ちゃんってばやるじゃん!!」

「バカ!デートじゃない!ただ食事に行くだけだ!」

「そんなこと言っちゃってさー、お兄ちゃん服装なんか気にした事なかったじゃん。いっつもくらーい黒の服ばっかりでさー?折角の素材を生かさないでどうすんの?って前から思ってたんだよね」

それなのにお兄ちゃんが服装を気にするなんてねー、とニマニマした顔で案の定揶揄ってくる葵に若干のイラつきが出るが言っていることが強ち間違っていないだけに反論もしにくい。
今まで服装なんか気にする余裕も無かったし、S級になった時も体格が変わったから楽で着回し出来そうなものを買いなおした程度で。別に俺なんか誰も見ないだろうし、お洒落な服を買おうとは思ってもみなかったんだ、と内心で言い訳を並び立てる。

「ま、自分で選ぼうとしなかっただけ英断ね。お兄ちゃんセンス無いもん!」

「うるさいな。…多少自覚はしてるよ」

「しょうがない!お兄ちゃんの為に一肌脱いであげますか!でも今持ってる服じゃ話にならないから買いに行くよ!約束は何時?」

「はぁ…頼む。18時に迎えに来てくれるって言ってたな」

「じゃあさっさと買いに行かなくちゃね!試着もあるし」

「葵」

「なに?」

「折角だからお前も好きな服買えよ。…もうお金には困ってないんだし」

「…んふふ、お兄ちゃん偉そうー!じゃあお兄ちゃんには私の服を選ぶ権利をあげるよ!」

きょとん、とした後に笑って腕にくっついてくる葵の頭を雑に撫でる。

「はいはい。じゃ行くぞ。」

「はーい。お母さーん!お兄ちゃんと買い物行って来るねー!」

「はーい、気を付けていってらっしゃい」

母に見送られ玄関から出ようとした矢先、お兄ちゃん今晩デートなんだって!と余計な一言まで付け足したので撫でていた手で思い切り頬を抓った。

「いひゃい!何すんのバカ兄貴!」

「母さんに余計なことを言うな!」

「ほんとの事じゃん!あ、痛い痛い!ごめんなさい!」

「こら喧嘩しないの。ほら旬、離してあげなさい。…でもそう、旬にもデートするようなお相手が出来たのね」

いつの間にか成長してしまった息子に寂しさを感じているのか眉を下げて笑う母に俺も葵も複雑そうな顔を浮かべるしか出来ない。

「あら、ごめんね、変な事を言ったわ。旬、そのうち母さんにも紹介してね。…二人ともいってらっしゃい」

「あー、まあ普段お世話になってるしな…そのうち機会があればね。いってきます」

「いってきまーす!」

微妙な空気を振り切るように手を振って見送る母に背を向けて外に出る。

「あー、じゃあお兄ちゃん買い物いこ」

「そうだな、どこが良いんだ?」

「うーん、この際色々見たいから大きい店の方が良いなー」

そう言った葵の指示に従い、市内で一番大きな商業施設に向かう事になった。


***


「じ、地獄だ…」

「ちょっとお兄ちゃん!何休んでるの!?次の店行くよ!」

「葵、もう良くないか?10着以上買っただろ」

「何言ってんの。まだ10着でしょ?これからその人とデートする度に買い足すなんて面倒な真似お兄ちゃんがするわけないんだからある程度纏めて買わないと!」

「だからデートって言うな!声が大きい!」

悲しくも良く俺の性格をわかっている葵に連れまわされ到着してからもう2時間以上着せ替え人形とさせられていた。悪魔城耐久の方が終わりが明確だった分まだマシだったと思う。
しかし、着せ替えている間に自分の服もさっさと買っているあたり我が妹ながら本当にちゃっかりとしている。

「それにしてもお兄ちゃんのスキル?ってやつ便利だよね。買ったもの全部収納出来るし」

「本来はこういう使い方しないんだけどな」

別に重くもなんともないので最初は荷物を全て持っていたが段々と増えてくる荷物が邪魔になってきたのでインベントリに購入したものを片っ端からぶち込んでいったらそれを見た葵が「それいい!」と目を輝かせ更に買うスピードが増した為、大人しく持っていれば良かったかと若干の後悔をしているところだ。

「もうごちゃごちゃうるさいなあ!はい、次これ着てきてね」

「はいはい」

「はい、は一回でしょ!」

「はい」

こちらから頼んだ手前強く出られないので素直に渡されたものを着る。

「うーん、やっぱりお兄ちゃん身長伸びたし色んな服似合うようになったから選び甲斐があるわー」

「はあ…」

「しょうがないなあ、じゃこれで最後、これ着てきて。似合ってたらそのまま着て帰るから」

「わかった」

ようやくこの着せ替え地獄から開放されるので急いで着替えた。紫がかった藍色に一本ラインの入ったスキニーと白シャツ。同系色のジャケットを羽織り試着室から出る。

「わ…うん、いいね!流石あたし!」

「そうかな?」

「うん!すっごく良い!すいませーん、これこのまま着ていきたいんですけど」

店員を呼び、その場でタグを切って貰い、店を出た。まだ約束までは時間があるので軽く軽食でも食べていくか、と思いカフェに入ったのだが…。

「お兄ちゃんって本当に有名人になっちゃったのね」

「そんなつもり無いんだけどな」

服を選んでいる時からチラチラと視線は感じていたものの遠巻きに見てくるだけだったので放置していたが、着替えてからは更に視線が増えたし何やら撮影されているような気配も感じる。流石に妹まで撮られると厄介なので影を写り込ませて撮影の邪魔はしているがやはり視線が鬱陶しい。

「持ち帰りに変えていいか?」

「うん。その方が良いと思う。お母さんにもケーキ買っていってあげようよ」

「そうだな」

持ち帰りに変更して貰い、速やかに帰宅する事にした。カフェの店員までもが握手を求めて来た事には辟易としたがここで不愛想にするのも問題だろうから大人しく応じる。こういった時いつもスマートに対応をしている最上ハンターや白川ハンターは凄いと思う。…そういえば再覚醒の時にも慣れていると言っていたな。今度あしらう為のコツでも聞いてみるか、とひとりごちながらテイクアウトしたケーキを持った。

「よし、帰ろう。葵、今日はありがとう。助かった」

「どういたしまして!私も沢山買って貰ったしね!お兄ちゃんありがとう!」

「ああ。これからも欲しいものがあったら遠慮なく言ってくれよ」

「うん」

和やかに会話をしながら帰宅し、母さんと買ってきたケーキを食べながら会話をして時間を潰していたら早くも約束の時間が近づいてきた。おかしなところがないか最終チェックを葵にしてもらい、太鼓判を押されたタイミングで電話が掛かってきたので緊張しながらもなるべく通常通りの声色を意識して出る。

「はい、水篠です」

「こんばんは。犬飼です。申し訳ありません、少し約束の時間よりも早いのですが今着いてしまいまして…」

「こんばんは。大丈夫ですよ、俺も下に行こうと思っていたところなので」

少し笑いながら、下に降りて行きます。というと電話口から申し訳なさそうな声と安堵したような吐息が聞こえてくる。

「それならば良かったです。それではお待ちしています」

「はい、それじゃあ」

通話を切るとまたしてもニマニマした顔の葵と目が合う。

「お兄ちゃんめっちゃ嬉しそうな顔してる」

「なっ、」

「ほら、早く行きなよ。彼氏さん待たせたら可哀想だよ」

「彼氏じゃないって言ってるだろ!」

「そういうのいいから。ほら、早く」

ぐいぐいと葵に背を押され玄関まで移動させられる途中に母がリビングから顔を出して柔らかく微笑んだ。

「旬、いってらっしゃい」

彼氏さんによろしくね。と続ける母に二の句が継げなくなる。

「今日のお兄ちゃんは私コーディネートなんだから彼氏さんもイチコロだよ!いってらっしゃい!」

頑張れ!と言う葵にそもそも彼氏じゃないし一体何を頑張れというんだ、とげんなりしながらも葵に押し出されるように外に出た。そのまま階段を降りて行くと、車の横で立っている犬飼さんが目に入った。

「犬飼さん、お待たせしました」

「いえ、僕が早く―—っ」

目が合った瞬間何故か驚いたような顔で固まった犬飼さんを見て、葵に太鼓判を押されたものの、もしかして変だっただろうか、と不安になる。

「あ、あの…犬飼さん?」

「っ!すみません。水篠さんの服装がその、いつもと違っていたので…」

「似合いませんか…?」

「違います!…とてもお似合いだったので驚いてしまったんです」

少し顔を赤くして口元に手をやり目線を逸らす犬飼を見ておかしかったわけじゃないんだとホッとした。

「良かった。おかしかったのかと思いました。これ、葵に選んでもらったんです」

「断じてそんなことはありません。妹さんは水篠さんの事を良く理解されているんですね。…改めて、とても良くお似合いです」

微笑みながら目を見て伝えてくる犬飼さんに今度は旬の方が照れてしまう。

「ありがとうございます。…その、犬飼さんもいつもと雰囲気が違っていて…格好良い、ですね」

こちらへの反応にばかり気を取られていたが改めて見てみると犬飼さん自身もいつもの見慣れたスーツ姿とは違い大分ラフな格好をしており、髪型も少し崩していて印象がかなり違う。
急に自分に話が向いたことに虚を突かれたように目を見開いてまた顔を赤くした。

「あ、ありがとうございます。…水篠さんと並ぶので恥ずかしながら気合を入れてしまいまして」

「その、俺も犬飼さんと出掛けるから、いつもと同じ服じゃ駄目だなって、思って…」

「僕の為に用意して下さったんですか?」

改めて言葉にされると恥ずかしさが凄い。だが犬飼さんも自分の為に選んでくれたと言ってくれているし、その気持ちは俺としても嬉しいので素直に頷く事で肯定を返す。お互い真っ赤な顔で黙り込んでしまったが、空気を変えるように犬飼が車の方へ誘う。

「そろそろ予約の時間が近づいていますので、行きましょうか。水篠さん、どうぞ」

いつもは後ろの座席を開けてくれるのだが今日は助手席に誘われ、こういった些細な違いにも葵の言っていたデートという言葉を思い出して恥ずかしくなってしまう。

「ありがとうございます」

「いえ、それでは出発しますね」

「お願いします」

行先もまだ知らないが、まあ聞かずとも犬飼さんの事だろうからきっと良いところに連れて行ってくれるのだろう。そのまま慣れ親しんだ運転に身を任せる。

「もしかして、今日その服を買われたんですか?」

「えっ、そうですがなんでわかったんですか?まさかタグとか付いてます⁉」

焦って自身の服を見回すがタグは切ったし問題の無い筈だが何故わかったのかと慌てながらも不思議そうに見つめる俺に犬飼さんがクスリと笑った。

「違います。本日ショッピングモールにいらっしゃったでしょう?その時盗撮されたであろう写真を何件かSNSに上げた人間がいましたので対処したとの報告が監視課から入りまして。僕は水篠さんの担当の様なものですから」

ご不快に思われたならば申し訳ございません。と言葉を続ける犬飼さんに休日にも関わらず仕事の報告を受けさせてしまった事が寧ろ申し訳なくなってくる。

「仕事をさせてしまってすみません、全部影で遮ったと思っていたんですが…」

「水篠さんの事でしたら苦では無いので問題ありません。ですが納得しました。貴方がショッピングモールにいるというのにあまりにもSNSに上げる人間が少なかったものですから、部下も不思議そうにしていたんです。そういったことも出来るのですね」

「そうですね。最近影が増えてきたのでやってみたら出来た、というような感じです。やっぱり見知らぬ人間から撮られるのはあまり良い気分がしませんから」

「そうでしょうね。ましてや妹さんと一緒でしたら水篠さんも気をかなり遣われたのでは?疲れてはいませんか?」

こうして当たり前のように俺自身を気遣ってくれる姿勢を嬉しく感じる。

「大丈夫です。…ただ妹のせいで着せ替え地獄にあったのでそれは疲れました。感謝はしているんですけど」

「ふふ、水篠さんの様な方を好きにコーディネートしても良いとなれば妹さんも楽しかったのでしょうね」

「楽しい、んですかね?」

「そうですね。もしも僕が水篠さんの服を好きに選んでも良いとなれば同様の事をしてしまいそうです」

静かに笑いながら言う犬飼さんに、またしても困らせたいという子供のような悪戯心が顔を出す。

「じゃあ、今度選んでください」

「えっ?」

「俺の服を、犬飼さんが、選んで?」

一言ずつゆっくりと伝え、虚を突かれた犬飼さんの顔を見てにこりと笑う。

「…っ、そう言った事を軽々しく男に言うものではありませんよ」

「犬飼さんだから言ってます」

「だからそれです!」

そもそも俺も男なんだけどなと思いつつ、ちょっと怒ったような言い方に堪え切れず吹き出してしまう。あんなに真っ赤な顔で怒られても何も怖くはない。

「ぷっ、く、すみません…ふふっ、でも本当ですよ。犬飼さんならセンスも良いと思いますし、今度選んでくださいよ」

「…はぁ。貴方の服を選べるのならば光栄ですが揶揄わないでください」

「本気なのに」

「お忘れかもしれませんが、僕は貴方に惚れているのでそんな風に言われると勘違いをします」

「勘違いじゃ無いですけど」

「は?」

からかいの気持ちもあったが選んで欲しいと思ったのは本当なのに、と口を尖らせると困ったように眉を下げて警告をしてきた犬飼さんに、ついそのまま言ってしまった。その言葉を聞いて犬飼さんが真顔になったのを見て、やってしまったと今度は俺が真っ赤になって焦ってしまう。

「や、ちがっ!え、いやちがくないけど、あの…!」

「…もう着きますのでその話は食事後にゆっくりと聞かせて頂きます」

真顔のまま、言外に逃げるなよと告げられて死刑宣告にも等しいその言葉につい先日自覚したばかりなのにもう腹をくくらなければいけないのかと自分の迂闊さを呪いたくなってくる。そこからは暫しの無言の時間に耐え、店に到着した。
連れてこられたのは流石というべきか、随分と敷居の高そうなお店で。これはいつも通りの服にしなくて良かった、と内心安堵する。

「水篠さん、こちらへ」

「…はい、ありがとうございます」

そして今、何故か凄く自然に腰を抱かれてエスコートされている。犬飼さんってこんなことする人だったか?もしかして慣れてる…?そんなことを考えるとなんだか胸の中がモヤモヤした気持ちになるので一度考えを振り払う。

「嫌でしたか?」

「へ、え?何が?」

急な問いかけに声が裏返ってしまった。横を見れば困った顔で俺を見つめている犬飼さんが居て。

「要望も聞かずにこの店にしてしまいましたが、イタリアンは苦手だったかと思いまして」

「い、いやそれは大丈夫です。言った通り俺苦手なものは無いので。その、さっきのとエスコートが…」

「え?…確かに男性にする様な動作ではありませんでしたね。僕もつい浮かれてしまって…ご不快に思われたのならば申し訳ございません」

行動を思い返し、今気付いたと焦って謝罪する犬飼さんを急いで止める。

「違います!その、慣れてるのかと思って」

口に出して気付いたがこの言い方ではまるで過去に嫉妬している様で。俺はなんでこう墓穴ばかり掘るのか…!謝罪を止められ一瞬きょとん、としていたが当然相手の方が良い大人であるからして言わんとしていることに気付かれてしまった。

「僕の自惚れで無ければ嫉妬してくださったんですか?」

「ぅ、違います」

否定はしたものの丸わかりだったのか嬉しそうに笑う犬飼さんにもういっそこの場から逃げ出してやろうかという思いが過る。折角の機会をふいにする事なんて実際は出来やしないのだけれど。

「エスコートなんて普段はする機会もありませんよ。水篠さんだからつい手を伸ばしてしまったんです」

「ま、またそうやって!」

隙あらば口説いてくる言動にこちらは振り回されっぱなしだ。ちょっと揶揄って優位に立てたと思ってもすぐにこうしてペースを持っていかれて。

「本心とわかって頂きたい所ですが、食事ももうじき運ばれてくるでしょうし、こうして言い続けるのも良くありませんね」

「…はい。」

「そんなに可愛らしくふてくされないでください」

さっきからずっと笑っている犬飼さんがちょっと憎らしい。軽く窘められたものの、納得はしていないのでもう少し口を開こうとしたタイミングで食事が運ばれてきたので我慢する。

「おいしそうですね」

「何度か会長も接待で利用されている店ですから味は間違いなく良いと思います」

「犬飼さんは食べた事無いんですか?」

「僕は基本付き人の立場ですからね」

ですので食べるのが楽しみです、と続く言葉に仕事とはいえ飲み食い出来ず常に気を張っているのは大変だろうな、と改めて思う。

「いつもお仕事お疲れ様です」

「ありがとうございます」

言いながらグラスを傾けて乾杯をする。その後は見た目を裏切ることなく美味しい食事を頂きながらレイドの話や協会の話に加え好みや趣味の話など、いつもよりも少し親しい会話を加えて食事を終えた。
そして並んで店を出て、ほんの少しだけ夜風に当たる。

「凄く美味しかったです、ご馳走様でした」

「満足頂けたなら良かったです」

「でも本当に奢って貰って良かったんですか?」

「僕が誘ったのだから当然でしょう」

年上としての矜持も守らせて下さい、とわざとこちらが気にしないように言ってくれる言葉に、今回は素直に甘える事にした。

「ありがとうございます。普段こういった店に行かないので新鮮でした。…妹と母さんにもそのうち食べさせてあげたいな」

「水篠さんは本当にご家族思いですね」

優しく微笑む犬飼さんに照れながら本心を話す。

「そう、ですかね?…母さんは起きたばかりだし、葵にも苦労をかけた分幸せに過ごして欲しいとは思います」

「水篠さんも、でしょう」

「え?」

「貴方も苦労をしてきた筈です。家族を思い遣るその姿勢は素晴らしいものですし、それが幸せというのも否定はしません。ただご家族に幸せに過ごして欲しい、というのならば自身の幸せも考えて良いと思いますよ」

なんだか難しい事を言われている気がする。
自身の幸せ、というのは家族に危険が迫らず幸せに過ごしてくれればきっとそれが俺にとっても幸せだと思っているし、今の旬はE級時代に比べたら遥かに幸せだと思うのだが…傍からみると足りていないという事だろうか?

「うーん…じゃあ犬飼さんにとっての幸せって何ですか?」

「僕ですか?…そう、ですね。今こうしているだけでも充分幸せではありますが」

「今?」

「貴方の隣に並ぶ権利を頂けるのならば間違いなく幸せでしょうね」

微笑みながら真っ直ぐにこちらを見つめる犬飼さんに息が止まりそうになる。

「ぁ、の」

「先ほどの続きを聞かせて下さい。勘違いじゃないと仰いましたよね?」

「あ、あれはその…」

「水篠さん。僕は貴方が好きです。勿論恋愛感情の意味で」

いつかの繰り返しのように、再び告白をしてきた犬飼さんを見てここで逃げるのは不誠実だと思い、腹を括ることにした。

「さっきの、勘違いじゃないです。犬飼さんだからそうして欲しいって思いました。カンファレンスの時から、いやそれ以前からもですけど、沢山助けてもらって。…その、俺色々考えて、恋愛とかよくわかって無いし、今でもわかってるのか自信無いんですけど、でも特別な人が出来るのなら犬飼さんが良い、と思って…だから…その、つまり……俺も犬飼さんがすき、です」

話している最中に目を見開いてじわじわと真っ赤な顔になっていく犬飼さんだが、今は俺も同じかそれ以上に真っ赤になっているのだろう。だってこんなにも顔が熱い。

「水篠さん…貴方に触れても?」

そっと近づいてきた犬飼さんに答える代わりに自らも寄っていくと壊れ物を扱うかのように抱きしめられた。

「正直受け入れて頂けるとは思っていませんでした。ありがとうございます」

「受け入れた、とかじゃなくて。俺がそう思ったんです」

「拒絶せずそう思って頂けたこと自体が奇跡のようなものなんですよ」

「そんなこと…」

無い、と言おうとして犬飼さんを見たらあまりにも嬉しそうに微笑んでいるものだから胸がぎゅっとなって。言葉が出なくなってしまったので代わりに少し強く抱きついてみた。やってから思ったがこれがまたとんでもなく恥ずかしい。

「っ、み、水篠さん?」

「ちょっと黙ってて下さい」

「…水篠さん」

だから黙っててくれと言っただろう!こっちは恥ずかしいんだ!と怒ろうとして顔を上げた瞬間熱を帯びた真剣な目で見つめられ、息をのみ込んだ。

「嫌でしたら突き飛ばして下さい」

段々と近づいてくる端正な顔に何をされるのか理解し、ぎゅっと目を瞑る。一瞬の後に柔らかい感覚が唇に触れてそっと離れていった。

「っ」

「すみません、どうしても我慢が出来ませんでした。…嫌では無かったですか?」

恐る恐る聞いてくる犬飼さんの両頬を包んで今度は自分から口付けた。そもそもキス自体もしたことがなかったので目を瞑ってしまうと位置がわからず若干唇を外したが、許容範囲だろう。

「嫌じゃないです。…伝わりました?」

「…ええ、充分過ぎる程に」

「それなら良かったです」

「水篠さん、改めて伝えさせて下さい。———僕は貴方を愛しています」

「俺も犬飼さんの事…あいして、ます」

微笑みあいどちらからともなく再び口付けを交わす。

「こんなにも幸せな時は生まれて初めてです」

「俺も幸せですよ」

甘さを限界まで煮詰めたような目で俺を見て幸せだという犬飼さんにこちらも正直な気持ちを告げた。

「また、お誘いしても良いでしょうか?」

「はい。…犬飼さんが忙しいのはわかっているんですが、俺からも連絡しても良いですか?」

「些細な事でも構いませんので、是非してください」

「ありがとうございます。犬飼さんからも、用事がなくても連絡欲しいです」

「っ、貴方はまたそう言うことを…!」

素直になってしまえば怖いものなど何もない。ここまで来たのならば存分に甘えてやろうという気すら湧いてくる。

「本音ですから。用事がなくとも連絡、くれるんですよね?」

「ええ、仕事上不規則な時間の連絡になってしまうかもしれませんが、必ずします」

「待ってますね」

笑って犬飼に再び抱きつく。甘えすらも受け止めてくれる犬飼の体温に心地よさを感じながら、これはいつ家族に紹介しようかな、なんてことを考え始めていた。













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