10話 飴色カラメル
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その翌日の正午近くに、樹は高等部の調理室に足を運んでいた。いちごと小城のプリン対決がここで行われるのだ。対決に至るまでの過程を知らない樹は参列してよいものか迷ったが、いちごが心の支えにしたいと頼んできたので来ることにしたのだ。
調理室には、Aグループと対戦相手の小城とその腰巾着の他に、理事長と天王寺が立って、開始時刻ぴったりまで待っていた。樹は隣の花房と小声で会話する。
「そもそもどうしてプリンなの。しかもカスタードプリンに限定してるし・・・。そう差はつかないはずでしょ」
「差はいくらでもつくんじゃないかな。材料は持ち込みだし、カラメルをどこまで焦がすかによっても味は変わるでしょ。もちろん鬆が入ってたら減点ポイントだし」
「ああ、そうだったわね」
「まあ樹ちゃんと樫野のプリン勝負なら差はあまりつかないかもしれないけどね」
「なるほど、双方の実力と特性の違いを考慮した結果がこのプリン対決なのね」
「いや、プリンになったのはいちごちゃんがオジョーに馬鹿にされたから、オジョーが僕たちに食べさせてたプリンを指差して『これより美味しいの作れる』って言ったからで」
樹はそれを聞いて少し脱力する。いちごはかなり短気なところがあるようだ。しかもプリンを作ったことが無かったのに。
「・・・よくやるわ」
「時間ですわ。これより、小城美夜と天野いちごの試合を始めます」
正午になり、チャイムが鳴った。それを合図に、天王寺が開始を宣言する。
「カスタードプディング五個を二時間以内で作ってください。審査員は理事長です」
「おいしいプリン、期待してますよ」
理事長というのは案外暇な役職なのだろうかと樹は思った。そもそも諍いが起きた一昨日もひとりお茶をしにサロン・ド・マリーに来ていたところを居合わせたというのだから。
はじめ、と天王寺がストップウォッチを押した。同時に動き出す両者を総勢八人が目で追う。小城は早くも余裕そうな佇まいを見せている。それは腰巾着の二人の男子も同様のようだ。
「なんかドキドキするな、まーちゃん!」
「お前が緊張してどうする!」
「・・・いちごちゃん顔色悪いね。夕べは練習してなかったのに」
「緊張じゃないかしら。あまり見られ慣れてもなさそうだし」
四人はしゃべりだしたが、理事長よりもプレッシャーを放つ天王寺の方はこれから二時間無言のまま直立不動を保つ様子だ。
「オジョー、手慣れてる・・・。カラメル完成だ!」
「遠目でも分かるね。程よい飴色・・・。粘りも理想的だね」
一年先輩で、金にものを言わせてプロに個人指導を仰いでいることはある。一方、いちごのカラメルは煮立ってしまっている。
「バカ!天野、煮詰め過ぎだ!」
「早く火を止めないと!」
こちらはあせっているが、反面いちごはカラメルの色に気づいていないふうでもなく、あえて待っているようだ。作戦があるのかもしれない。が、そんな作戦のことなど誰も知らないので、みんなは火を止めて完成したソースの色を見てあれじゃ苦すぎると嘆いた。構わずに、いちごは慎重な様子で生地を作り、オーブンで蒸し焼きにした。
「できました!」
「私も!」
「二人とも、完成ね」
「ほほう、これは両方とも美味しそうですね!」
理事長は目の前に並べられた生徒の作品に嬉しそうな声を上げる。
「では、まず小城さんから」
小城のプリンは学校の材料ではお目にかかれないようなきれいな黄金色をしていた。理事長は一口食べて烏骨鶏の卵とジャージー牛乳を使用していると言い当てる。その舌はさすがである。一方で、いちごは烏骨鶏が何を示しているのかも分からない。
「では、次は天野さんの」
理事長は続けてスプーンを入れた。一口食べて、目を見開く。
「むっ!?こ、これは!?うーん・・・」
その妙な反応にいちごはダメだったのかとショックを受け、小城は高笑いする。安堂も頭を抱えた。
「やっぱり、苦すぎたんだー!」
「うるせえよ安堂!」
「どんだけ打たれ弱いのよ!」
「静かに。判定が出る・・・」
理事長は天王寺に結果を耳打ちする。天王寺はそれを几帳面にクリップボードに書き留めた。
「では結果を発表します」
調理室中の人間が次の言葉を待つ。
「プリン対決・・・勝者は、2年A組天野いちご」
「え・・・」
「あ・・・」
「やったー!」
リアクションの薄い当事者二人に代わり、安堂がまた大声を上げる。
「いちごちゃん!」
「お前の勝ちだ!」
「ちょっと、聞いてたの?いちご」
「あたしが本当に勝ったの・・・?」
スピリッツも上空で歓喜する中、いちごはひとりぼんやりとしている。
「ど・・・どうして・・・!?私のプリン、褒めてくれたのに!」
小城は信じられないと理事長を問いつめる。
「うん、コクがあっておいしいのですがね・・・」
理事長はプリンを割ってみせる。その断面を見せられて、無惨にも鬆が入っていることが分かり、小城は息をのむ。
「うそ・・・」
「こちらが、天野さんの」
「あ・・・あり得ないわ!」
一方でいちごのプリンは鬆も無くきれいに仕上がっているのを見て、小城は夢中で声を上げた。
「私、ここと同じ型のオーブンで練習したのよ!一度も失敗したこと無いのに!」
「いくら同じ型でも、同じものではありません。あなたが使ったオーブンは、焼き上がりが強い。調節しないと固く仕上がってしまう」
「し、知らないわよ!そんなこと!」
小城はその指摘に動揺して机にバンと手を叩き付けた。天王寺が口を開く。
「天野さんは知っていたわ」
「えっ?」
「彼女は夕べ、高等部の授業が終わった後にやってきて、ここのオーブンのくせを知りたいから練習させてくれと言ってきた。そして、明け方まで練習していたわ」
いちごが夕方からはやることがあると言っていたのと、寝不足気味で顔色が悪そうに見えた理由が分かった。樹はチョコレートケーキの練習で、夜な夜な高等部に不法侵入していたことを少々肩身が狭く思った。
「で・・・でも味は!?」
小城はだんだんと形勢が悪くなってきたがなお食い下がる。
「天野いちごのカラメル、これじゃ苦いはずよ!」
「それ、実はわざと苦くしたんです」
「なんですって!?」
今度はいちご自身がたねをばらしてみせる。
「理事長は先日、ガトーショコラをお食べになっていました。ここのはかなりビターですし、コーヒーもブラックでした。ビターなお味がお好みだと思って、ギリギリまで焦がしてみたんです!」
「いやあ、実に私好みの味でしたよ。そこまで見抜かれていたとはねえ・・・」
理事長は嬉しそうな顔で頷く。単純に生徒と接触するのが好きなのかもしれない。
「そんな、卑怯よ!理事長の好みを勝手に調べて!」
「いいえ、それは違いますよ。天野さんは、知ろうとした。オーブンのくせも、私の好みも。小さなことかもしれませんが、そこには食べる人に喜んでもらおうという気持ちが込められている。パティシエールを目指すものにとって、一番大切なことですよ」
「理事長先生・・・!」
理事長に諭されて、小城は黙ってしまう。いちごは理事長に褒められたことで感激していた。スイーツ王子も口々に賞賛を送った。
「すごいね、天野さん!見直したよ!」
「よくそんなことに気がついたよね!」
「ううん、みんなが色々教えてくれたからだよ!本当にありがとうね!」
「ま、少しは上達したんじゃねーのか?」
「うん!」
「いい気にならないでよ、天野いちご・・・今回はまぐれなんだから!」
小城はその様子に、震える声で言った。
「あんたなんか、絶対グランプリで勝って後悔させてやるんだから!」
相当悔しかったのか、涙がこぼれそうになっている。
手に持ったままだったいちごのプリンを机の上に放り出して、走り去っていった。腰巾着が慌てて追っていく。
「お疲れ、じゃあ私戻るから」
何となくいちごを褒める輪に加わりそびれた樹はそう言って実習室を出た。
もしかしたら自分は場違いなのかもしれない、と少し思ったからだった。
調理室には、Aグループと対戦相手の小城とその腰巾着の他に、理事長と天王寺が立って、開始時刻ぴったりまで待っていた。樹は隣の花房と小声で会話する。
「そもそもどうしてプリンなの。しかもカスタードプリンに限定してるし・・・。そう差はつかないはずでしょ」
「差はいくらでもつくんじゃないかな。材料は持ち込みだし、カラメルをどこまで焦がすかによっても味は変わるでしょ。もちろん鬆が入ってたら減点ポイントだし」
「ああ、そうだったわね」
「まあ樹ちゃんと樫野のプリン勝負なら差はあまりつかないかもしれないけどね」
「なるほど、双方の実力と特性の違いを考慮した結果がこのプリン対決なのね」
「いや、プリンになったのはいちごちゃんがオジョーに馬鹿にされたから、オジョーが僕たちに食べさせてたプリンを指差して『これより美味しいの作れる』って言ったからで」
樹はそれを聞いて少し脱力する。いちごはかなり短気なところがあるようだ。しかもプリンを作ったことが無かったのに。
「・・・よくやるわ」
「時間ですわ。これより、小城美夜と天野いちごの試合を始めます」
正午になり、チャイムが鳴った。それを合図に、天王寺が開始を宣言する。
「カスタードプディング五個を二時間以内で作ってください。審査員は理事長です」
「おいしいプリン、期待してますよ」
理事長というのは案外暇な役職なのだろうかと樹は思った。そもそも諍いが起きた一昨日もひとりお茶をしにサロン・ド・マリーに来ていたところを居合わせたというのだから。
はじめ、と天王寺がストップウォッチを押した。同時に動き出す両者を総勢八人が目で追う。小城は早くも余裕そうな佇まいを見せている。それは腰巾着の二人の男子も同様のようだ。
「なんかドキドキするな、まーちゃん!」
「お前が緊張してどうする!」
「・・・いちごちゃん顔色悪いね。夕べは練習してなかったのに」
「緊張じゃないかしら。あまり見られ慣れてもなさそうだし」
四人はしゃべりだしたが、理事長よりもプレッシャーを放つ天王寺の方はこれから二時間無言のまま直立不動を保つ様子だ。
「オジョー、手慣れてる・・・。カラメル完成だ!」
「遠目でも分かるね。程よい飴色・・・。粘りも理想的だね」
一年先輩で、金にものを言わせてプロに個人指導を仰いでいることはある。一方、いちごのカラメルは煮立ってしまっている。
「バカ!天野、煮詰め過ぎだ!」
「早く火を止めないと!」
こちらはあせっているが、反面いちごはカラメルの色に気づいていないふうでもなく、あえて待っているようだ。作戦があるのかもしれない。が、そんな作戦のことなど誰も知らないので、みんなは火を止めて完成したソースの色を見てあれじゃ苦すぎると嘆いた。構わずに、いちごは慎重な様子で生地を作り、オーブンで蒸し焼きにした。
「できました!」
「私も!」
「二人とも、完成ね」
「ほほう、これは両方とも美味しそうですね!」
理事長は目の前に並べられた生徒の作品に嬉しそうな声を上げる。
「では、まず小城さんから」
小城のプリンは学校の材料ではお目にかかれないようなきれいな黄金色をしていた。理事長は一口食べて烏骨鶏の卵とジャージー牛乳を使用していると言い当てる。その舌はさすがである。一方で、いちごは烏骨鶏が何を示しているのかも分からない。
「では、次は天野さんの」
理事長は続けてスプーンを入れた。一口食べて、目を見開く。
「むっ!?こ、これは!?うーん・・・」
その妙な反応にいちごはダメだったのかとショックを受け、小城は高笑いする。安堂も頭を抱えた。
「やっぱり、苦すぎたんだー!」
「うるせえよ安堂!」
「どんだけ打たれ弱いのよ!」
「静かに。判定が出る・・・」
理事長は天王寺に結果を耳打ちする。天王寺はそれを几帳面にクリップボードに書き留めた。
「では結果を発表します」
調理室中の人間が次の言葉を待つ。
「プリン対決・・・勝者は、2年A組天野いちご」
「え・・・」
「あ・・・」
「やったー!」
リアクションの薄い当事者二人に代わり、安堂がまた大声を上げる。
「いちごちゃん!」
「お前の勝ちだ!」
「ちょっと、聞いてたの?いちご」
「あたしが本当に勝ったの・・・?」
スピリッツも上空で歓喜する中、いちごはひとりぼんやりとしている。
「ど・・・どうして・・・!?私のプリン、褒めてくれたのに!」
小城は信じられないと理事長を問いつめる。
「うん、コクがあっておいしいのですがね・・・」
理事長はプリンを割ってみせる。その断面を見せられて、無惨にも鬆が入っていることが分かり、小城は息をのむ。
「うそ・・・」
「こちらが、天野さんの」
「あ・・・あり得ないわ!」
一方でいちごのプリンは鬆も無くきれいに仕上がっているのを見て、小城は夢中で声を上げた。
「私、ここと同じ型のオーブンで練習したのよ!一度も失敗したこと無いのに!」
「いくら同じ型でも、同じものではありません。あなたが使ったオーブンは、焼き上がりが強い。調節しないと固く仕上がってしまう」
「し、知らないわよ!そんなこと!」
小城はその指摘に動揺して机にバンと手を叩き付けた。天王寺が口を開く。
「天野さんは知っていたわ」
「えっ?」
「彼女は夕べ、高等部の授業が終わった後にやってきて、ここのオーブンのくせを知りたいから練習させてくれと言ってきた。そして、明け方まで練習していたわ」
いちごが夕方からはやることがあると言っていたのと、寝不足気味で顔色が悪そうに見えた理由が分かった。樹はチョコレートケーキの練習で、夜な夜な高等部に不法侵入していたことを少々肩身が狭く思った。
「で・・・でも味は!?」
小城はだんだんと形勢が悪くなってきたがなお食い下がる。
「天野いちごのカラメル、これじゃ苦いはずよ!」
「それ、実はわざと苦くしたんです」
「なんですって!?」
今度はいちご自身がたねをばらしてみせる。
「理事長は先日、ガトーショコラをお食べになっていました。ここのはかなりビターですし、コーヒーもブラックでした。ビターなお味がお好みだと思って、ギリギリまで焦がしてみたんです!」
「いやあ、実に私好みの味でしたよ。そこまで見抜かれていたとはねえ・・・」
理事長は嬉しそうな顔で頷く。単純に生徒と接触するのが好きなのかもしれない。
「そんな、卑怯よ!理事長の好みを勝手に調べて!」
「いいえ、それは違いますよ。天野さんは、知ろうとした。オーブンのくせも、私の好みも。小さなことかもしれませんが、そこには食べる人に喜んでもらおうという気持ちが込められている。パティシエールを目指すものにとって、一番大切なことですよ」
「理事長先生・・・!」
理事長に諭されて、小城は黙ってしまう。いちごは理事長に褒められたことで感激していた。スイーツ王子も口々に賞賛を送った。
「すごいね、天野さん!見直したよ!」
「よくそんなことに気がついたよね!」
「ううん、みんなが色々教えてくれたからだよ!本当にありがとうね!」
「ま、少しは上達したんじゃねーのか?」
「うん!」
「いい気にならないでよ、天野いちご・・・今回はまぐれなんだから!」
小城はその様子に、震える声で言った。
「あんたなんか、絶対グランプリで勝って後悔させてやるんだから!」
相当悔しかったのか、涙がこぼれそうになっている。
手に持ったままだったいちごのプリンを机の上に放り出して、走り去っていった。腰巾着が慌てて追っていく。
「お疲れ、じゃあ私戻るから」
何となくいちごを褒める輪に加わりそびれた樹はそう言って実習室を出た。
もしかしたら自分は場違いなのかもしれない、と少し思ったからだった。