39話 自分の味で
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一際複雑な計量の末にやっと生地をオーブンに押し込んだところで、樹の携帯電話が振動しはじめた。集中を切らさないようにいつも終日マナーモードにしている樹の電話だが、振動することすらほとんど無いので、全員が思わず一瞬そちらに注目した。樹が首を傾げながら手に取るのを横目に元の場所に向き直る。
「リック?」
しかし、樹のその声を聞いて、三人の神経は再び電話に注目した。見ていないふりをしながらも、耳だけはしっかり聞き取ろうと意識を強く向けているせいで、全員の手が止まっていた。
そんなことには気付かない樹は、自然と口元を緩めて会話している。
「まあ、そうだと思っていたわ。いつ聞いたの?———変わらないわね。———勝負?そういうのはもうしないわ」
なんか仲が良さそうだ、とその声を聞く全員が感じていた。この雰囲気は、これまでにも何度か電話で会話したことがあるに違いないと花房は確信する。横目で花房の様子を伺っていた安堂は、その表情の険しさに若干引いた。
「ところで、その後どうだい?」
「は?何が?」
楽しげな声色で唐突に何か聞いてきたリカルドに、怪訝の色を隠さずに樹は聞き返す。
「彼との進展は?」
「しんて・・・」
おうむ返しに聞き返そうとした樹は途中で意味を解して慌てて口を押さえる。唐突に同じ調理室にいる花房の存在を強く意識した樹の頬に赤みが差した。
同時に、そういえば調理室がひどく静かで、自分の声だけが響いているということに樹は今更気付いた。そっと振り返ると、三人が思い出したように一斉に手を動かすのが見えた。
「練習中だから切るわ」
「つれないなあ。もう少し可愛げがあれば彼もすぐ———まあ、僕は樹のそんなところも」
つらつらと述べられるリカルドの台詞を断ち切る様に、樹は宣言どおり容赦なく通話終了のボタンを押した。込み上げてきた疲れを溜息で吐き出し、樹は携帯を台の上に置く。
一番近くにいた樫野が、どこか呆れ半分といった様子で口を開いた。
「お前、いつの間にあのチャラ男と仲良くなったんだよ」
「大して仲良くもないわ」
「電話かけてくるぐらいだぞ?」
「電話好きな人間なんじゃないかしら」
樫野の言うことを受け流しながら、樹は時間を確認する。オーブンから生地を取り出すまでに、まだ他のことができそうだった。冷蔵庫の方に向かうと、作業をしている花房と目が合う。
「彼も個人戦に出るのよ」
しゃがみ込んで冷蔵庫からチョコレートを取り出しながら、樹は何気ない調子で言った。
「へえ、彼も?」
「これまでの敗退チームから、アンリ先生が出場者を選出しているのよ。あのチームからリックが選ばれたの」
「1回戦か・・・。ギリギリで勝ったのは覚えているけど、そういえばあっちがどんな動きをしていたのか全然知らないな」
「そうね。だから、ちょっと楽しみなの」
冷蔵庫を閉め、立ち上がった樹の表情の明るさに、釣られて花房も眼差しを和らげた。練習に神経を注ぎ込むだけでなく、最近の樹はグランプリを楽しんでいるようで、その姿を見ていると花房の気分は軽くなる。
「花房くんも決勝が楽しみでしょう?」
「どうかな。どう転んでも強敵が来ると思うと、楽しみとは言ってられないね。まあ、チーム天王寺に日本での雪辱を果たすチャンスっていうのは燃えるけど」
「日本での負けは繰り返さない。何としてでも決勝は勝つ」
グランプリ決勝の話に食いついた樫野が低い声で口を挟む。もう何十回も頭の中で唱えている台詞に違いなかった。樹と花房は突然どうしたのかと彼の方を見た。その視線は二人の方ではなくオーブンに向かっている。
「そんな時に天野のやつは・・・!」
結局はこれらしい。
思い出してまた苛々しはじめる樫野を宥めようと、樹は行ったものはもう仕方が無いと言い張り、花房は決勝の話で気を逸らそうと努め、安堂は「キャラメルたちは大丈夫かな」と俄に心配し始めた。
「レシピなんて見つからなけりゃいいんだ」
しばらくして樫野はそう言い捨てると、また元の練習に戻っていった。それほどまでにいちごのことは心乱される事項らしい。テンパリング済のチョコレートが入ったボウルが並んでいるが、珍しく失敗したものもあるようで、味見をしたスプーンがそのまま突き刺さっている。何杯でもショコラ・ショーが飲めそうだと樹は嫌な想像をしてしまった。
「リック?」
しかし、樹のその声を聞いて、三人の神経は再び電話に注目した。見ていないふりをしながらも、耳だけはしっかり聞き取ろうと意識を強く向けているせいで、全員の手が止まっていた。
そんなことには気付かない樹は、自然と口元を緩めて会話している。
「まあ、そうだと思っていたわ。いつ聞いたの?———変わらないわね。———勝負?そういうのはもうしないわ」
なんか仲が良さそうだ、とその声を聞く全員が感じていた。この雰囲気は、これまでにも何度か電話で会話したことがあるに違いないと花房は確信する。横目で花房の様子を伺っていた安堂は、その表情の険しさに若干引いた。
「ところで、その後どうだい?」
「は?何が?」
楽しげな声色で唐突に何か聞いてきたリカルドに、怪訝の色を隠さずに樹は聞き返す。
「彼との進展は?」
「しんて・・・」
おうむ返しに聞き返そうとした樹は途中で意味を解して慌てて口を押さえる。唐突に同じ調理室にいる花房の存在を強く意識した樹の頬に赤みが差した。
同時に、そういえば調理室がひどく静かで、自分の声だけが響いているということに樹は今更気付いた。そっと振り返ると、三人が思い出したように一斉に手を動かすのが見えた。
「練習中だから切るわ」
「つれないなあ。もう少し可愛げがあれば彼もすぐ———まあ、僕は樹のそんなところも」
つらつらと述べられるリカルドの台詞を断ち切る様に、樹は宣言どおり容赦なく通話終了のボタンを押した。込み上げてきた疲れを溜息で吐き出し、樹は携帯を台の上に置く。
一番近くにいた樫野が、どこか呆れ半分といった様子で口を開いた。
「お前、いつの間にあのチャラ男と仲良くなったんだよ」
「大して仲良くもないわ」
「電話かけてくるぐらいだぞ?」
「電話好きな人間なんじゃないかしら」
樫野の言うことを受け流しながら、樹は時間を確認する。オーブンから生地を取り出すまでに、まだ他のことができそうだった。冷蔵庫の方に向かうと、作業をしている花房と目が合う。
「彼も個人戦に出るのよ」
しゃがみ込んで冷蔵庫からチョコレートを取り出しながら、樹は何気ない調子で言った。
「へえ、彼も?」
「これまでの敗退チームから、アンリ先生が出場者を選出しているのよ。あのチームからリックが選ばれたの」
「1回戦か・・・。ギリギリで勝ったのは覚えているけど、そういえばあっちがどんな動きをしていたのか全然知らないな」
「そうね。だから、ちょっと楽しみなの」
冷蔵庫を閉め、立ち上がった樹の表情の明るさに、釣られて花房も眼差しを和らげた。練習に神経を注ぎ込むだけでなく、最近の樹はグランプリを楽しんでいるようで、その姿を見ていると花房の気分は軽くなる。
「花房くんも決勝が楽しみでしょう?」
「どうかな。どう転んでも強敵が来ると思うと、楽しみとは言ってられないね。まあ、チーム天王寺に日本での雪辱を果たすチャンスっていうのは燃えるけど」
「日本での負けは繰り返さない。何としてでも決勝は勝つ」
グランプリ決勝の話に食いついた樫野が低い声で口を挟む。もう何十回も頭の中で唱えている台詞に違いなかった。樹と花房は突然どうしたのかと彼の方を見た。その視線は二人の方ではなくオーブンに向かっている。
「そんな時に天野のやつは・・・!」
結局はこれらしい。
思い出してまた苛々しはじめる樫野を宥めようと、樹は行ったものはもう仕方が無いと言い張り、花房は決勝の話で気を逸らそうと努め、安堂は「キャラメルたちは大丈夫かな」と俄に心配し始めた。
「レシピなんて見つからなけりゃいいんだ」
しばらくして樫野はそう言い捨てると、また元の練習に戻っていった。それほどまでにいちごのことは心乱される事項らしい。テンパリング済のチョコレートが入ったボウルが並んでいるが、珍しく失敗したものもあるようで、味見をしたスプーンがそのまま突き刺さっている。何杯でもショコラ・ショーが飲めそうだと樹は嫌な想像をしてしまった。