38話 旅するボンボンショコラ
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いちごのスケッチを元にデザインを決めた後は、表面のチョコレートコーティングのほとんどを樫野に任せる代わりに、四人で一つずつのボンボンのセンターを手がけることになった。いちごが小城の姿からインスピレーションを受けたという、白鳥を模した形のボンボンは樹が担当する。ドイツでの道中に集めた素材を生かして出来上がったのはビターチョコにチェリーが香る深い紅色をしたガナッシュだ。
樹はその出来栄えに満足しながらも、ふとこの先のことを思う。特例の措置としてグランプリに参加している自分はどうなるのか。きっと、チームいちごが今大会唯一の中等部ということだから、ある種のハンデとして自分の参加は許されたのだろう。それでも、この対決を勝ち抜いた後の決勝ともなればこれまでのようにはいかないのではないか、という気がしていた。
(このまま優勝すれば、四人はパリ本校留学・・・でも、私は・・・?)
「樹ちゃん」
ひとり不安な感情に飲まれかけたときに名前を呼ばれ、樹は声の方向に顔を向ける。スプーンを持った花房がいつものように微笑を浮かべていた。
「これ、食べてみて」
差し出されたそれを受け取るために、左手で押さえるボウルと右手に握るゴムベラ、どちらを離すのが良いだろうかと樹は一瞬考え、左手を伸ばしかけたそのとき、既に口元にスプーンの先が迫っていた。
「・・・えっと」
「はい、口開けて」
困ったように左手の指をひらめかせ若干の主張をするも、眼中にないらしい花房の微笑みには輝き(らしきもの)が増して行くばかりだ。何となく辺りを見回して樫野たちも各々の作業に集中していることを確認した樹が観念して小さく口を開くと、唇を割るようにしてスプーンが押し込まれる。その何とも言えない感覚に、思わず樹は目を瞑った。
するりとスプーンが引き抜かれると、口内に残されたガナッシュが舌の上に絡むようにゆっくりと溶けていく。コクのある濃厚な甘みの中に、ほんのりと花の香りがした。
「オランダのショコラね。チューリップの花畑を思い出すわ」
「少しシロップで香り付けしたんだよ。向こうで買った食用の花びらを使って作ってみたんだ」
周遊中に花房が抜け目無く食用花を収集していたことを知っていた樹は僅かに笑みを浮かべたが、今はグランプリ前の大切な時間だ。全神経を尖らせてどんな微細な要素でも掬い上げる必要がある。樹の目の色が変化したのを感じた花房は、表情に緊張感を滲ませながらも笑みを深くした。
本気だ、たぶん誰よりも。
日本でのグランプリ準備を援助していた頃とは違う、ピリピリとした静かな気迫。パリに渡ってからというもの、時折圧倒されそうになるそんな姿を見る度、彼女は上に上がるべき人間だと思わざるを得なかった。
この試合を勝ち上がれば決勝、もしかするとここが本来補佐生徒である樹と自分たちとの分岐点かもしれない。薄々そんな予感を覚えていた花房は、一層試合前の樹の全てを目に焼き付けようとしていたのだった。
「もう少し蜂蜜が入ってもいいかもしれないわね」
「それじゃ甘過ぎないかな」
「4種類のショコラ全て方向性が違うでしょう。このショコラは蜂蜜自体にある花の香りも利用して、香りを強調していくべきだと思うの」
「俺も賛成だな」
前置きも無く花房のボウルからガナッシュを掬い取り味を見た樫野が樹に同意する。
「きっと審査員の先生方全員、俺たちが考えたどんなに細かな細工や企みも、一つ残らず拾い上げて評価してくれる。考えてみれば、それだけでもこの舞台に上がる価値があるんだよな」
「確かにそうだね」
「樹ちゃん、わたしのも味見して!」
「あっ、僕のも!」
いちごと安堂もそう言って各々のボウルを差し出し、結局全員で味見しながら意見交換を重ねていく。不思議なことに、センターの味を皆の理想に近づけて行けば行く程に、その風味は各地での思い出を濃厚に甦らせ、キッチンでは度々思い出話に花が咲いた。
オランダで見た色とりどりのチューリップ。大きな風車に近づいたキャラメルが飛ばされて迷子になりかけたこと。それが見つかったと思えば、今度は花房が美しい花の気配に釣られていつのまにか姿を消したのに、何故か誰も気づかなかったこと。
イタリア、トレビの泉で後ろ手にコインを投げ、いちごが投げたコインだけが何故か前方に飛んで行ったこと。ジェラート屋の写真を撮っていた安堂の財布が鞄から消えたかと思えば、掏ったばかりの財布を持った男の腕を樹が捩じり上げていたこと。
スイスで見た壮大なモンブラン山の佇まい。その日、当然のように食べたくなって探したけれど見つからなかったモンブランケーキ。結局しびれを切らした樫野が自分で作ると言って材料を買ってきたこと。そのくせ絞り口金が無いことに気づかず、結局ショコラのフォークでペットボトルの蓋に穴を開けさせて代用したこと。
「・・・これなら勝てる」
口に運んだ樹がそう言うと、全員が一様に自信に満ちた表情で頷いた。
運命の準決勝まであと少し。樹は、「皆とここまで来られて良かった」と言うのは止めにした。どんなことがあってもこの先まで行ってみせると固く決心していたから、余計な言葉は捨てた。
樹はその出来栄えに満足しながらも、ふとこの先のことを思う。特例の措置としてグランプリに参加している自分はどうなるのか。きっと、チームいちごが今大会唯一の中等部ということだから、ある種のハンデとして自分の参加は許されたのだろう。それでも、この対決を勝ち抜いた後の決勝ともなればこれまでのようにはいかないのではないか、という気がしていた。
(このまま優勝すれば、四人はパリ本校留学・・・でも、私は・・・?)
「樹ちゃん」
ひとり不安な感情に飲まれかけたときに名前を呼ばれ、樹は声の方向に顔を向ける。スプーンを持った花房がいつものように微笑を浮かべていた。
「これ、食べてみて」
差し出されたそれを受け取るために、左手で押さえるボウルと右手に握るゴムベラ、どちらを離すのが良いだろうかと樹は一瞬考え、左手を伸ばしかけたそのとき、既に口元にスプーンの先が迫っていた。
「・・・えっと」
「はい、口開けて」
困ったように左手の指をひらめかせ若干の主張をするも、眼中にないらしい花房の微笑みには輝き(らしきもの)が増して行くばかりだ。何となく辺りを見回して樫野たちも各々の作業に集中していることを確認した樹が観念して小さく口を開くと、唇を割るようにしてスプーンが押し込まれる。その何とも言えない感覚に、思わず樹は目を瞑った。
するりとスプーンが引き抜かれると、口内に残されたガナッシュが舌の上に絡むようにゆっくりと溶けていく。コクのある濃厚な甘みの中に、ほんのりと花の香りがした。
「オランダのショコラね。チューリップの花畑を思い出すわ」
「少しシロップで香り付けしたんだよ。向こうで買った食用の花びらを使って作ってみたんだ」
周遊中に花房が抜け目無く食用花を収集していたことを知っていた樹は僅かに笑みを浮かべたが、今はグランプリ前の大切な時間だ。全神経を尖らせてどんな微細な要素でも掬い上げる必要がある。樹の目の色が変化したのを感じた花房は、表情に緊張感を滲ませながらも笑みを深くした。
本気だ、たぶん誰よりも。
日本でのグランプリ準備を援助していた頃とは違う、ピリピリとした静かな気迫。パリに渡ってからというもの、時折圧倒されそうになるそんな姿を見る度、彼女は上に上がるべき人間だと思わざるを得なかった。
この試合を勝ち上がれば決勝、もしかするとここが本来補佐生徒である樹と自分たちとの分岐点かもしれない。薄々そんな予感を覚えていた花房は、一層試合前の樹の全てを目に焼き付けようとしていたのだった。
「もう少し蜂蜜が入ってもいいかもしれないわね」
「それじゃ甘過ぎないかな」
「4種類のショコラ全て方向性が違うでしょう。このショコラは蜂蜜自体にある花の香りも利用して、香りを強調していくべきだと思うの」
「俺も賛成だな」
前置きも無く花房のボウルからガナッシュを掬い取り味を見た樫野が樹に同意する。
「きっと審査員の先生方全員、俺たちが考えたどんなに細かな細工や企みも、一つ残らず拾い上げて評価してくれる。考えてみれば、それだけでもこの舞台に上がる価値があるんだよな」
「確かにそうだね」
「樹ちゃん、わたしのも味見して!」
「あっ、僕のも!」
いちごと安堂もそう言って各々のボウルを差し出し、結局全員で味見しながら意見交換を重ねていく。不思議なことに、センターの味を皆の理想に近づけて行けば行く程に、その風味は各地での思い出を濃厚に甦らせ、キッチンでは度々思い出話に花が咲いた。
オランダで見た色とりどりのチューリップ。大きな風車に近づいたキャラメルが飛ばされて迷子になりかけたこと。それが見つかったと思えば、今度は花房が美しい花の気配に釣られていつのまにか姿を消したのに、何故か誰も気づかなかったこと。
イタリア、トレビの泉で後ろ手にコインを投げ、いちごが投げたコインだけが何故か前方に飛んで行ったこと。ジェラート屋の写真を撮っていた安堂の財布が鞄から消えたかと思えば、掏ったばかりの財布を持った男の腕を樹が捩じり上げていたこと。
スイスで見た壮大なモンブラン山の佇まい。その日、当然のように食べたくなって探したけれど見つからなかったモンブランケーキ。結局しびれを切らした樫野が自分で作ると言って材料を買ってきたこと。そのくせ絞り口金が無いことに気づかず、結局ショコラのフォークでペットボトルの蓋に穴を開けさせて代用したこと。
「・・・これなら勝てる」
口に運んだ樹がそう言うと、全員が一様に自信に満ちた表情で頷いた。
運命の準決勝まであと少し。樹は、「皆とここまで来られて良かった」と言うのは止めにした。どんなことがあってもこの先まで行ってみせると固く決心していたから、余計な言葉は捨てた。