37話 一夜限りのプリンセス
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「ふああ・・・みんな、おやすみ」
「おやすみなさーい・・・あー、今日もすっごく疲れたよー・・・」
「ちゃんと起こしてあげるから、ゆっくり休むといいよ。いちごちゃん」
こんな夜を迎えるのも何度目になるだろうか。五人はすっかりアパルトマン生活に慣れてきていた。今日もグランプリ二回戦を控えてパリ本校の調理室を使い一日練習に打ち込んでいたため、各々しっかりと疲れを回復しておく必要があるのだった。疲れが溜まりやすいタイプの安堂と、健康的すぎる睡眠欲に促されたいちごは即座に寝室に消えて行った。いつものパターンだった。
「お前らはまだ寝ないのか?」
「私は今日もちょっと日本に電話をかけるから」
「僕はもう少ししたら寝るよ」
「明日は朝早くから出発なんだからちゃんと寝ろよ」
そう言い残して樫野もリビングを後にする。樫野はあまり疲れを見せていないが、堅実なので特にパリに来てからは意識的に体調を管理しているようだった。
「じゃあ、おやすみなさい。花房くん」
「おやすみ。ほどほどにね、樹ちゃん」
樹は携帯電話と鍵を持って玄関の外に消える。この鍵は、グランプリ一回戦の時に大家さんから譲り受けたガレージ横のジェラート屋の鍵だ。使うこともあるだろうと言って一回戦が終わった後も大家さんがそのまま樹達の元に残してくれたこの鍵を、樹は夜間に周囲を気にせず国際電話をかけたいからと言って掌握していた。
今日も、なるべく音を殺してジェラート屋のシャッターを半分開け、身体を中に滑り込ませる。
店に入って灯りを点けると、どこからともなく金色の髪の少女が踊るように近づいて来た。
電話などというものはもちろん方便である。
昼間に会う時間は無く、夜間に外で会うのは危ないということで、樹は都合良く手に入ったこの場所にアリスを潜伏させていたのだった。
「いやー、ほんとに快適な住まいだよ。樹って天才?」
よほど気に入っているのか、広い机の上で身体を伸ばしながらアリスは今日もそんな言葉をかける。これで五度目くらいだ。
「一応清潔にはしてあるつもりだけど、ほんとにそんなに快適かしら」
「快適だよ!雨風凌げるし、食べ物貯めれるし、横になれるし、一人の空間!この味をしめると元の生活には戻れないかも」
これまで校内とはいえほぼ野宿のような環境で隠れながら寝泊まりしてきたらしいアリスからすれば、今の環境は願ってもないという。もっとも、その人形のような見た目からして彼女が語るワイルドな生活ぶりというものを想像しようにも、樹の頭には限界があるのだが。
「それで、私たち明日はモン・サン・ミッシェルに行くのよ。何か仮面舞踏会なんですって」
「絶対それ世界大会の一環だよね。誰の趣向なんだか」
ただの小旅行にも思えるその予定を改めて聞いたアリスはそう吐き捨てる。
「やっぱりアンリ先生かしらね。幅広い経験が感性を豊かにする、とか言いそうだもの」
「でもタダであんな観光地行けるなんて、マジで役得だよ樹。来れて良かったよね、世界大会」
「正直、自分抜きでこんな経験されてたらたまったものじゃないわね」
「出た、本音だ!」
少し声を殺しながら二人は笑う。樹にはまだまだ大会を楽しむ余地がある。そして、その余地は日に日に広がりを見せるようであった。
「じゃあとにかく、あたしもどうにかそっちに移動するよ。パリに来た時みたいにスピリッツの姿でいれば大抵の乗り物には紛れ込めるから」
「なんだか便利そうね」
「便利かもだけど、やだよあんな姿。ちんちくりんで」
「バニラたちが聞いたら怒るわよ」
「それに、慣れればこっちの方が便利だし。あの子たちとはもう別種だよ、別種」
アリスの他のスピリッツに対する心の溝は依然深く、同じ屋根の下で生活を共にすることになった今でもその関係は進展していなかった。
「じゃあ、そろそろ寝に行こうかしら。朝も早いことだし」
「うん、そうだね・・・でも、そういえば花房って夜中に何してるのかな?毎日外に出てるよねあいつ」
「えっ?外に?」
アリスの言葉に、シャッターを開けようとしていた樹は振り返って目を丸くする。花房が寝室に行く瞬間をあまり見たことがないとは思っていたが、まさか外に出ていたとは思っていなかったのだ。
「夜のパリなんて色々と危ないのにさ。ほんと何してるんだか」
「何か事情があるのだろうけれど・・・」
「それに日中は日中で、暇さえあればパリ本校の女の子に話しかけてるみたいだしね。もうそろそろコンプリートするんじゃないかって、専らの噂だよ」
「なんだか相変わらずね・・・女の子への挨拶回りは常識だとでも思っているのかしら」
「夜中の用事っていうのも、案外女かもよ?」
アリスが悪戯っぽくそう言いながら横目で樹の表情を窺う。能面の如く表情を殺していた樹が一瞬ぴくりと眉間に力を入れたのをアリスは見逃さない。
「いまちょっとイラッとしたでしょ」
「してない。おやすみ」
言葉短にシャッターの隙間をくぐり抜けて出て行った樹の反応が気に入ったのか、アリスはしばらくニヤニヤと笑みを浮かべていた。