32話 開かれる扉
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
それからの樹の時間も奔流の如く流れて行った。クラスメイト達はこの知らせに騒然としたが、荷物をまとめてバスに乗り込む時には皆で見送ってくれた。
樹の実家には既に飴屋先生が連絡しており、両親はいくらか樹のために準備を整えてくれていた。部屋の真ん中に置かれていた真新しいスーツケースは今まで持ったことがないほど大きかったが、不安がって色々詰めようとするとそこに入るものは意外と少ない。
いちごに何を持って行くのか聞いてみたくもなったが、やはりアリスが言ったとおり秘密にしておいた方が面白そうだ。それに、どうせ聞くなら天王寺に聞いた方が参考になりそうだ。まあそちらは連絡先を知らないのだが。
樹の留学の噂は1週間の間にご近所中に知れ渡り、その間河澄が家に突撃してきて飛行機を見送りにいくと約束して帰って行ったりもしたが、どうにか出発前日には全ての荷物をまとめ終わり、樹はベッドの中でポケットフランス語会話事典をめくっていた。
早寝するべきだと分かっていても、どうも興奮して眠れない。
(寝坊したら洒落にならないわよね・・・・)
樹はせめてもと電気を消したが、目は冴え渡ったままだ。遠足の前日に眠れない小学生のようで少々恥ずかしい。
布団の中で固まったまま、はや一時間。なんとなく時間を見ようと思って枕元の携帯電話を手にとると、次の瞬間明るい画面が電話着信を告げた。
表示された名前を見て、驚く間もなく樹は反射的に通話ボタンを押していた。
「・・・花房くん?今何時だと思ってるの?」
思わずそんなことを言ってから、あまりに可愛げがないので樹は少し後悔した。彼のことを好きかもしれないと分かって間もないのにいざ喋ってみるとこれである。
「・・・樹ちゃんこそ、こんな時間まで起きてたら肌に悪いよ?」
少しだけ驚いたように息を飲んだ音が聞こえたと思えば、花房は意地の悪いことを言った。久しぶりに聞いたその声に、樹の頬に僅かに赤みが差した。
「自分からかけてきたくせに」
樹は呆れたように言いながら、ベッドの上で膝を抱えた。花房はそれを聞いて小さく笑い声をあげたが、どうも力ない様子に聞こえる。
「で、どうしたの?眠れなくて人を道連れにしようとでも思ったのかしら」
「いや、そうじゃないけど・・・ただ樹ちゃんの声が聞きたくなって。・・・出ると思ってなかったから少しびっくりした。樹ちゃんのことだから、早く寝てるとばかり」
「・・・私も、眠れなかったから」
声が聞きたいと言われただけで、どうしてこんなにどぎまぎしてしまうのか。樹はぎこちなく言葉を返しながらも、どうも花房がそれだけで電話をかけてきたのではない気がしていた。
言っていることはいつも通り羽根のように軽々しいが、どうも元気が無さそうな声色が気になる。
「ごめんね、夜遅くに。声が聞けたからもういいよ。明日は樹ちゃんも寝坊したら駄目だよ?」
花房が電話を切り上げようとする。樹は「待って」とそれを止めた。
「花房君、他に話したいことがあるんじゃないのかしら。それとも、もしかして具合が悪いの?パリに行けるのに全然嬉しそうじゃないのね」
「・・・」
受話器の向こうが、一瞬沈黙に包まれた。かと思うと、大きく息を吐き出す音が聞こえた。その吐息がいかにも悩ましげで、樹は戸惑った。
「あの、花房君?」
「・・・樹ちゃんさ」
絞り出したようにか弱い声。
「どうにかして一緒に来れないの?パリに行ったらもうしばらく樹ちゃんには会えないのに、手放しで嬉しく思えるわけないだろ」
花房のこんなに弱々しい声を、初めて聞く。樹はそれに動揺してしまって、自分もパリに行くということが言えなかった。
「・・・」
「樹ちゃんならどうにかできるでしょ?・・・明後日からは四人だけだなんて、考えられない。この三週間だって、ずっと会いたかったのに」
「花房君、私・・・」
樹は面白がって隠している場合じゃない雰囲気に、真実を告げようとしたが、また息を吐いた花房の言葉に遮られた。
「・・・ごめん。こんなに情けない声聞かせるつもりじゃなかったんだ。でも、全部本当のことだから」
「・・・分かった」
樹はしおらしくそう言うことしかできない。
「とりあえず、明日空港で会いましょう。・・・それからのことは、それから考えたら良いのよ」
「うん。ありがとう、樹ちゃん。・・・おやすみ」
「おやすみなさい」
通話が切れると、樹も力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。
なんだか緊張してしまった。
でも、少しだけ嬉しいような。
(花房君も、同じだったのね)
樹だって、花房と会えなくなるのは嫌なのだった。
もしかしたら、この気持ちが。
そう考えてしまうと、ますます眠れないではないか。
樹の実家には既に飴屋先生が連絡しており、両親はいくらか樹のために準備を整えてくれていた。部屋の真ん中に置かれていた真新しいスーツケースは今まで持ったことがないほど大きかったが、不安がって色々詰めようとするとそこに入るものは意外と少ない。
いちごに何を持って行くのか聞いてみたくもなったが、やはりアリスが言ったとおり秘密にしておいた方が面白そうだ。それに、どうせ聞くなら天王寺に聞いた方が参考になりそうだ。まあそちらは連絡先を知らないのだが。
樹の留学の噂は1週間の間にご近所中に知れ渡り、その間河澄が家に突撃してきて飛行機を見送りにいくと約束して帰って行ったりもしたが、どうにか出発前日には全ての荷物をまとめ終わり、樹はベッドの中でポケットフランス語会話事典をめくっていた。
早寝するべきだと分かっていても、どうも興奮して眠れない。
(寝坊したら洒落にならないわよね・・・・)
樹はせめてもと電気を消したが、目は冴え渡ったままだ。遠足の前日に眠れない小学生のようで少々恥ずかしい。
布団の中で固まったまま、はや一時間。なんとなく時間を見ようと思って枕元の携帯電話を手にとると、次の瞬間明るい画面が電話着信を告げた。
表示された名前を見て、驚く間もなく樹は反射的に通話ボタンを押していた。
「・・・花房くん?今何時だと思ってるの?」
思わずそんなことを言ってから、あまりに可愛げがないので樹は少し後悔した。彼のことを好きかもしれないと分かって間もないのにいざ喋ってみるとこれである。
「・・・樹ちゃんこそ、こんな時間まで起きてたら肌に悪いよ?」
少しだけ驚いたように息を飲んだ音が聞こえたと思えば、花房は意地の悪いことを言った。久しぶりに聞いたその声に、樹の頬に僅かに赤みが差した。
「自分からかけてきたくせに」
樹は呆れたように言いながら、ベッドの上で膝を抱えた。花房はそれを聞いて小さく笑い声をあげたが、どうも力ない様子に聞こえる。
「で、どうしたの?眠れなくて人を道連れにしようとでも思ったのかしら」
「いや、そうじゃないけど・・・ただ樹ちゃんの声が聞きたくなって。・・・出ると思ってなかったから少しびっくりした。樹ちゃんのことだから、早く寝てるとばかり」
「・・・私も、眠れなかったから」
声が聞きたいと言われただけで、どうしてこんなにどぎまぎしてしまうのか。樹はぎこちなく言葉を返しながらも、どうも花房がそれだけで電話をかけてきたのではない気がしていた。
言っていることはいつも通り羽根のように軽々しいが、どうも元気が無さそうな声色が気になる。
「ごめんね、夜遅くに。声が聞けたからもういいよ。明日は樹ちゃんも寝坊したら駄目だよ?」
花房が電話を切り上げようとする。樹は「待って」とそれを止めた。
「花房君、他に話したいことがあるんじゃないのかしら。それとも、もしかして具合が悪いの?パリに行けるのに全然嬉しそうじゃないのね」
「・・・」
受話器の向こうが、一瞬沈黙に包まれた。かと思うと、大きく息を吐き出す音が聞こえた。その吐息がいかにも悩ましげで、樹は戸惑った。
「あの、花房君?」
「・・・樹ちゃんさ」
絞り出したようにか弱い声。
「どうにかして一緒に来れないの?パリに行ったらもうしばらく樹ちゃんには会えないのに、手放しで嬉しく思えるわけないだろ」
花房のこんなに弱々しい声を、初めて聞く。樹はそれに動揺してしまって、自分もパリに行くということが言えなかった。
「・・・」
「樹ちゃんならどうにかできるでしょ?・・・明後日からは四人だけだなんて、考えられない。この三週間だって、ずっと会いたかったのに」
「花房君、私・・・」
樹は面白がって隠している場合じゃない雰囲気に、真実を告げようとしたが、また息を吐いた花房の言葉に遮られた。
「・・・ごめん。こんなに情けない声聞かせるつもりじゃなかったんだ。でも、全部本当のことだから」
「・・・分かった」
樹はしおらしくそう言うことしかできない。
「とりあえず、明日空港で会いましょう。・・・それからのことは、それから考えたら良いのよ」
「うん。ありがとう、樹ちゃん。・・・おやすみ」
「おやすみなさい」
通話が切れると、樹も力が抜けたようにベッドに倒れ込んだ。
なんだか緊張してしまった。
でも、少しだけ嬉しいような。
(花房君も、同じだったのね)
樹だって、花房と会えなくなるのは嫌なのだった。
もしかしたら、この気持ちが。
そう考えてしまうと、ますます眠れないではないか。