短編
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「おい、お前」
「はい?」
「お前その、『もんじろちゃん』って呼ぶの、いい加減やめないか」
学園長からの頼まれごとで予算案の確認をしに、活動中の会計委員会の元へと訪れていた時のことである。
花が部屋を覗いた時、委員長である潮江文次郎は青筋を立てながら巨大な算盤を弾いていた。いつもの様子ではあるが、あまりに忙しそうな姿に声を掛けるのを躊躇い、代わりに四年の田村三木ヱ門に要件を伝えていたところであった。
資料の確認と持ち出しについて改めて文次郎の許可を取ろうとする三木ヱ門を「もんじろちゃんは今忙しそうだから、いいよ」と引き留めたところに、視線をあげた文次郎が鋭い声をあげた。
花は眉を上げて、ええ!?とやや大袈裟に驚いて見せる。
「な、なあんでよ!どうしたの急に!」
「俺は生憎もう『もんじろちゃん』って歳じゃないんでな!」
「もんじろちゃんはもんじろちゃんでしょうよ!」
軽口を叩かれ、ぐぬぬ、と文次郎は歯を食いしばる。
そうよねぇ、と花から共感を求められ、二人の間に挟まれて座る三木ヱ門は狼狽えた。
「もんじろちゃんこそ何よ、いつの間にそんな偉そうに私を呼び捨てにするようになったの?」
「何ぃ?」
「昔は花ちゃん花ちゃんってあんなに可愛かったのに…」
三木ヱ門が勢いよく文次郎を振り返る。その視線を感じ、文次郎が怒りと羞恥から顔を赤く染めて爆発した。
「呼んどらんわ!勝手に過去を捏造するな!!」
「そう?でも、少なくとも花さんって呼んでたわよね」
二年、いや三年生までだっけ?
文次郎の怒声などどこ吹く風といった様子で、記憶を手繰るように指を折りながらうーんうーんと唸る花を、文次郎はええい!と大声を出して牽制した。
「とにかくもう、お前にそう呼ばれても俺は今後一切返事をせんぞ!潮江文次郎と、正しく呼べ!」
「なぁによ、強情っぱりね…」
花は口を尖らせながら会計室を後にした。
「大丈夫ですか、花さん」
廊下に出たところで、ばたりと行き合ったのは文次郎と同級生の善法寺伊作だ。あら、と花は会釈をした。伊作は保健室に向かうところなのか、薬草を乗せた笊を抱えている。
「文次郎の奴、今日は随分つっかかりますね」
「伊作くんも聞いた?ほんと何なのかしらねぇ、あの子は」
「こだわってましたねぇ」
「まあ、子供扱いされたくないんでしょうねぇ」
それにしたってなんで今更になって、あんなに煩く言うのかしら。むくれる花に対して伊作は、何も答えられずに眉を下げて笑うばかりだった。
風に舞う桜が一瞬、視界を覆う。
竹箒の手を止めて、花は空を見上げた。高く澄んだ薄い色の青空。吸い込む空気はまだ冷たさを残している。門出に良い日だ、と花は思う。
「本当はあなたがいつから私を花さんって呼ばなくなったのか、ちゃんと覚えてるの」
校門近くの大きな木に向かい、花は話しかけた。側から見れば独り言のように見えるだろう。忍術は使えないが、花にはその気配を感じることはいつも容易いのだった。それだけの時間を、この学園で共に過ごしたのだ。
「…ほんとは、ちっとも嫌じゃなかったわ。嬉しかった。背伸びしたがる生意気なところも、可愛くてね…」
暫しの時を置いて観念したように、文次郎がその木の幹から姿を現した。花は竹箒を握りしめ、文次郎の姿を眩しそうに見上げた。
「今日、行くんでしょう」
「…ああ」
いつも通りの険しい表情。すっかり染み付いてしまった目の下の隈。体ばっかり大きくなって…と憎まれ口を叩こうとするも、花の唇から溢れたのは「立派になったわね」という小さな一言だった。
「もうすっかり一人前ね、文次郎」
以前乞われたようにきちんと名前を呼ぶと、彼の瞳が淡く揺らいだ。
その瞳に幼い頃の面影が重なり、花は胸が詰まってしまう。咄嗟に唇を噛んだが、目頭に込み上げるものを抑えることができない。
「もう喧嘩できないのね」
「…どうせ、清々するっていうんだろ」
「やだなぁ。遠くへ行かないでよ」
「… 花」
「さみしいじゃない」
「今頃になって、勝手なことばかり言うな…」
文次郎はそっと背中に腕を回し、花を抱き寄せた。その昔、この背に負われたことを思い出す。褒めるときや慰めるときにぎゅっとされると、恥ずかしくて嬉しくて、本当は甘えたいのにいつも天邪鬼に突っぱねた。
いつの間にか背丈はとうに追い越し、その肩は、背中は随分と小さく感じるようになっていた。
「会いに来る」
抱きしめる手に力を込めながら、文次郎が囁いた。
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