hello solitary hand・番外編
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数時間前迄穏やかな空気が流れていた事務所内は今、慌ただしい報告と指示の声が行き交っていた。
『こちら鏡花、指定のポイントで爆弾を発見した』
「判った。其処は軍警に任せて次のポイントに向かえ」
『了解』
爆弾魔からの脅迫を受けた探偵社は、社長の指示で直ぐに動き出した。海外諜報機関から情報を得た乱歩さんは、即座に爆弾の個数と場所を割り出し、警察機関と協力してヨコハマ中に仕掛けられた爆弾の大捜索が始まった。一つ目の爆弾を発見した際軍警の爆弾処理班が一通り調べたが、振動感知装置が取り付けられていて下手に触ると爆発する仕様らしい。それどころか爆弾同士のリンクが途切れても起爆する様で、妨害電波による遠隔操作の無効化も叶わない。試しに花袋を引き摺ってきて、ハッキングによるプログラムの書き換えも試したが、逆にハッキングを仕掛けた瞬間起爆プログラムが作動しかかって危うく大惨事になる所だった。その上爆弾の設置場所は、駅や病院と云った人口密集区や、発電所と云った生活に欠かせない重要施設迄含まれている。そこで爆発なんて起きたら、このヨコハマが滅茶苦茶に成るのは確実だ。
「これで三十一個か…、残るは…」
その時事務所の扉が開け放たれた。其処から現れた砂色の外套を見て、自分の眉根に皺が寄るのが判った。その理由を、俺より先に乱歩さんが口にする。
「……空振りか」
「ええ、隠れ家は既に蛻の殻。痕跡を辿ってみましたが、どうやら離陸済みの航空機に搭乗されてしまった様です。一応軍警に顔写真を渡して、機内にそれらしい人物が居ないか捜索して貰っていますが。これだけ用意周到な犯人だ。変装するか、既に顔そのものを変えている可能性が高い。孰れにせよ犯人を捉えるには、航空機に引き返すよう交渉するしかありません」
「クソ…っ!今の俺達にそんな暇など無いぞ」
「相手は其処迄計算済みと云う事だよ。まぁ、全て自分で考えたかは疑問が残るけどね」
「…どう云う事だ」
「犯人は爆破を待たずに国外へ逃亡した。“爆弾魔らしくない”。そうだろ太宰?」
先に結論を提示した乱歩さんに太宰は頷き、言葉を引き継ぐ様に続けた。
「通常爆弾魔と云う人種は、自分の成した成果を見たがる。逃亡するにしても、自分の爆弾で破壊されたその惨状を見に戻れる範囲に留まる筈なのだよ。況して、爆弾を“芸術”と迄呼び崇拝している奴なら尚更だ。なのに犯人はさっさと海を越えて国外へと逃亡してしまった。幾ら捕まる事を恐れたとしても、街中に爆弾を仕掛ける様な犯罪者の思考にしては、この行動は余りに冷静で合理的過ぎる」
「この事件には黒幕が居る。其奴が犯人に知恵を与えたんだ。監視カメラの乗っ取り、連鎖起爆する爆弾、探偵社への脅迫。そして
―――社員の一人を人質に取ると云う策を」
ピリリリリ!
その時、俺の耳に嵌め込んでいた通信機が着信音を発した。通話釦を押すと、息を切らした後輩の声が鼓膜に直接響く。
『こちら敦!橋脚に仕掛けられて居た爆弾を発見しました』
「判った。お前が見つけた其れで爆弾は全部だ。早く軍警に現場の保護を―――っ」
「敦。僕だ。菫は如何した?」
俺の耳から通信機を引っ手繰って、乱歩さんは自分の耳に当てる。今敦が居るのは此の街の流通に大きく貢献している建造物の一つ、ヨコハマで最も大きな橋の上だ。そして其処は、乱歩さんが菫の監禁場所だと推理した場所でもある。乱歩さんが敦に問い掛けた瞬間、太宰が通信機の設定を変えた。スピーカーモードになった受信機から漏れ出した敦の声は、聞いている此方の息が詰まりそうになる程に苦し気だった。
『……それが…居ないんです。あちこち探したんですけど…、菫さんが何処にも居ないんです…っ』
「なっ!?おい待て、本当にちゃんと探したのか!?」
『探しましたよ!橋の上も裏側も、橋脚迄調べてやっと爆弾を見つけて…。でも、それから幾ら探しても見つからなくて…。もうこれ以上この橋に、菫さんを隠しておける場所があるとは思えません…』
俺は絶句した。乱歩さんの超推理は確かに異能力ではない。だが探偵社創立以来ただの一度も、乱歩さんは推理を外した事が無いのだ。その推理すら通用しないとなれば、この事件の犯人は乱歩さんですら及ばない怪物と云う事になる。
「菫は其処に居る。間違いない」
「乱歩さん…」
『でも本当に隅々迄探したんです!僕だって、一刻も早く菫さんを助けたいのは同じで―――』
「落ち着け敦。お前はただ見落としているだけだ。その橋で、未だ探して居ない所があるだろう」
『え…?』
「お前は先刻、“爆弾は橋脚に取り付けられてた”と云ったな。なら、その下―――橋脚の根元である
『っ!!』
乱歩さんがそう告げるや否や、通信機から飛沫の音が上がった。沈黙に沈む事務所内に、暫くの間潮騒の音だけが繰り返される。其処へ再び荒々しい飛沫の音が飛び込み、立て続けに敦の声が響き渡った。
『ありました!!橋脚の根本、海の底に、棺桶の様な箱が沈んでいます!』
歓喜の声を上げる敦に思わず口を開きそうになった俺を、乱歩さんが手で制した。
「よし。先ずはその棺桶の写真を送れ。それと、脅迫状の通りならそれ自体にも爆弾が仕掛けられている筈だ。海の中にあるなら振動感知は其処迄厳しくないと思うが、間違っても触るなよ」
『はい!少し待っててください』
そう云うと敦は通信を切った。不覚にもその瞬間、自分の中で張り詰めていた緊張の糸が僅かに緩むのが判った。菫が見つかった。爆弾も全て発見し、一般人が近寄らないよう軍警に現場を保護してもらっている。取り敢えずこれで、爆破予定時刻迄の猶予は確保出来た。
「………」
「………太宰?」
“菫が見つかった”。その報告に誰よりも喜ぶ筈の男が、眉一つ動かさずに卓上の地図を見つめていた。光を失った鳶色の双眸は、軈て俺達には見えない何かを見据える様に、同じ色をした翡翠に向けられる。
「乱歩さん。菫は今の状況を
「自分の現在地は知らないだろうな。でも恐らく、脅迫状に書かれていた内容は全部知らされている筈だ」
「っ!」
「矢張りそう思いますか」
「当然だろ。彼奴がもし何も知らなかったとしたら、とっくに自力での脱出を試みてヨコハマごと吹き飛んでる。それにこの最後の一文は、どう見ても僕達じゃなく人質に向けた文章だ。“探偵社員なら、街の平和の為に死んで見せろ”ってさ」
「となると例の棺桶の中には、自決用の凶器も同封されていると見るべきでしょうね…」
二人の会話を咀嚼すればする程、焦燥感と絶望感が滲み出してくる。敦は海底に“棺桶の様な箱が沈んでいる”と云った。探偵社への復讐に駆られた犯人が、その中に照明や時計などと云う真面な設備を取り付けているとは考え辛い。海底と云う無音の世界で、何も見えず、行動の自由も、時間の感覚さえ奪われ、自分が呼吸を繰り返す一秒毎に自分の住まう街が火の海に飲まれるかもしれないと云う恐怖に晒される。そんな無慈悲な環境が、彼奴が今囚われている牢獄なのだ。常人なら先ず耐えられない。
もしもその地獄を、自分の手で終わらせる方法が目の前に転がっていたとしたら―――
「来た」
その時不意に、乱歩さんが携帯を開いた。それに次いで再び通信機が着信音を響かせる。通話に切り替えると、間髪入れずに敦が叫んだ。
『写真、今送りました!此れで、菫さんを助ける作戦が』
「先に爆弾を何とかする。菫はその後だ」
『………え?』
「乱歩さん…?」
敦の声を遮った乱歩さんは、携帯に目を落とした儘坦々と続けた。
「その棺桶は橋脚の爆弾に菫の生体信号を送っている。其処から地上の爆弾に信号を伝達してるんだ。今その棺桶を動かせば、脅迫状通りヨコハマ中の爆弾が一斉に爆発する。少なくとも、他の爆弾を何とかしない限り手は出せない」
『そんな…。でも、あの中には菫さんが…っ』
「敦君。乱歩さんの指示に従うんだ。脅迫状の内容は覚えて居るだろう?地上の爆弾が起爆すれば、どの道菫も助からない。今はそれが最善なんだ。判るね?」
『………はい』
「指示は追って出す。それまで少し休むんだ。今日の君は、誰よりも多く走り回ってくれて居るのだからね」
そう締め括ると、太宰は乱歩さんから借り受けた通信機を切って卓上に置いた。そして再びあの底なし穴の様な眼が、卓上に広がる地図を見下ろす。乱歩さんが推理した爆弾の設置場所にはバツ印が付いており、その数は締めて三十二箇所。菫の棺桶に仕掛けられて居るものも含めて、仕掛けられた爆弾は三十三個になる。改めて悪夢の様な状況だ。
「乱歩さん。菫が囚われている棺桶は、爆破予定時刻迄酸素が保つと思いますか」
「ギリギリだな。最悪、時間が来る前に酸欠で意識を失う可能性もある。今の所一番現実的なのは、彼奴に異能で防御させた上で地上の爆弾を破壊する方法だけど。その場合三十二個ある爆弾を一秒の誤差なく同時に破壊しなきゃならない。それに前提条件として菫との意思疎通が必須だ」
「爆弾が全てリンクしているなら、停止させた上で菫を救出する方が安全なのでは?」
「それも考えてた。でも、この写真を見て無理だって判ったよ」
俺の問いにそう答えた乱歩さんは、硬い表情で携帯の画面を突き出した。其処には青黒い景色の中に金属製の箱が横たわっている。爆弾が仕掛けられた棺桶と云いうので、もう少しゴチャゴチャと部品が取り付けられているかと思っていたが、その形状は思いの外シンプルだった。外装に使われている鉄板も、写真越しにその薄さが見て取れる程だ。少なくとも表面の外装だけなら、簡単に打ち破る事が出来るだろう。
「成程。そう云う事か…」
「……太宰?」
「ふふ、如何やら犯人は余程陰湿な奴みたいだね。……否。寧ろこれは、犯人を裏で操っている黒幕の趣向かな…」
口の端を吊り上げ笑いを漏らす太宰。しかしその眼は一
「国木田。犯人の脅迫状が正しければ、この棺桶には爆弾が取り付けられている事になる。なら、その爆弾は一体
「っ―――!」
「本来の用途を考えれば、この棺桶に爆弾を詰め込む余裕なんて無い。外側でも内側でも無いとしたら、残るはその間。この棺桶は内壁と外壁の間に火薬が詰まっている。云わばこの棺桶そのものが、一個の爆弾なのだよ。そして、外壁の装甲が薄いのは意図的な細工だろう。喩えば、“外壁が破壊された瞬間に起爆スイッチが入る”とかね」
乱歩さんの言葉を引き継いだ太宰が悪夢の様な仮説を告げる。だがこの二人が導き出した以上、その悪夢は十中八九現実だ。
「恐らく犯人は私達が全ての爆弾を止め、街と彼女を同時に救う事も
握り締めた拳が震える。噛み締めた歯が頭蓋骨を軋ませる。冷静な判断力を失わないよう、ずっと押し殺していた怒りが遂に限界を迎えた。幾ら彼奴が拒絶の異能力者だとしも、爆発のタイミングを知らせる事が出来ない以上立場は一般人と変わらない。地上の爆弾が爆発すれば菫も死ぬ。仮に爆弾を停止させても、助け出す為に棺桶を壊せばどの道彼奴は吹き飛ぶ。そうでなくとも、爆破予定時刻を過ぎれば彼奴は海底で窒息死だ。
「兎に角今は時間が惜しい。先刻敦にも云ったけど、今最も優先すべきは爆弾の処理だ。武装探偵社への怨恨で、街に被害を出す訳にはいかない」
そう云い切った乱歩さんの声は何処までも真剣で、その言葉は何より“正しかった”。そう。武装探偵社の人間として、俺達はこの街を守らなければならない。その為なら、自らの命を懸ける覚悟だってとうに出来ている。
それはきっと、彼奴も同じ筈だ。
判っている。彼奴を助ける術の殆どが、潰し尽くされている事も。それを爆弾の除去と両立させる術は、限りなく零に等しい事も。
そして、そんな在るかどうかも判らない方法を探す事に固執し、時間を浪費し続ければ、救える筈のものすら救えなくなってしまう事も。
判っている。現実的に考えて、何が最善なのか。
それでも、
それでも、仲間の命を見捨てて得た平和など―――断じて、俺の理想ではない。
「判りました。爆弾の解析にあたっている花袋に状況を確認してみます。その間二人は、爆弾除去と菫救出の為の作戦立案を」
「否、その必要は無いよ」
動き出そうとした足が僅か半歩で止まった。俺に静止を掛けた男は無色の瞳を僅かに細め、
そして、はっきりと告げた。
*****
湯気の立つマグカップを二つ持って真っ白なカーテンを開けた。すると、その中で椅子に掛けていた制服姿の黒髪が此方を振り向く。
「ほら。序に淹れてきてやったよ」
「有難う、御座います…」
ココアが入った方のマグカップを渡して、自分用に淹れた珈琲に口を付ける。酸味が混じった苦みを舌の上で転がしながら、
「腹に空いてた銃創は綺麗さっぱり治してやった。今寝コケてんのは心労によるもんだろう」
「無理もありません…。あんな事があったんですもの…。きっと皆さんが助けに来る迄、ずっと気を張り詰めていらしたんですわ…」
沈んだ音を吐き出す口元は僅かに弧を描いていたが、それが無理に作った虚勢である事は一目で判った。渡したマグカップを膝の上に置いて握り締め乍ら、何も映らない水面を見つめるその横顔は、殺しきれずに漏れ出した苦しさが滲んでいた。
「そう気を揉む事も無いさ。確かに状況は最悪かも知れないが、そんな事ぁ今迄何度もあった。この騒動だって、最後には―――」
「私なんです」
不意に
「私なんです。…サプライズパーティーの準備の為に、外回りのお仕事を菫さんに変わって貰いましょうって…。提案したのは、私なんです…っ」
「…………」
「私があんな事云わなければ…、菫さんは……。それなのに私には、何も出来る事が無くて…。兄様と菫さんがこんな目に遭ってるのに、何も…っ」
言葉を吐く毎に俯いていった顔は、その下の膝元に小さな染みを増やしていく。普段男連中よりしっかりしている筈の此奴が、今回は自棄に気落ちしていると思っていたが。成程、理由はそれか。
「……はぁ、全く。こう云うのは専門外なんだがねェ」
「え…」
びくりと跳ねた肩にそっと手を置いて、背中の丸まった身体をゆっくりと起こしてやる。必然的に自分の目線迄戻って来た瞳は、涙に濡れて酷い有様だった。きっと
「よく聞きなナオミ。菫が捕まったのはアンタの所為じゃない。
「与謝野先生…」
「それともう一つ。アンタに“何も出来る事がない”なんて、
きっとその間、此奴の心はグチャグチャに掻き乱されていた事だろう。心配と不安と罪悪感できっと直ぐにでも泣き出してしまいたかっただろう。此奴くらいの年頃の子供には、それが当然の反応で、当然の権利だ。
それでも、此奴は自分の仕事を全うした。
ならもう、十分な筈だ。
少なくとも此処は、其れが許される場所なんだから。
「泣いて気が晴れるんなら幾らでも泣くといいさ。でもその代わり、もうそれ以上自分で自分の心に傷を作るのはやめな。
大きな二つの瞳から、また大粒の雫が流れ落ちた。
「何も出来る事がない……か…」
無意識に漏れた言葉に自嘲が漏れた。医者の出番は何時だって事が起きてから。怪我人が出てからだ。手の届かない所に居る彼奴に、医者の
―――だが、
手の届かない所に居る彼奴を助け出す方法を、見つけてくれる人なら居る。
どんな手を使ってでも、彼奴を死なせないであろう男なら居る。
だから
「与謝野先生!」
その時、廊下の向こうから
「何か動きがあったのかい」
「はい。乱歩さん達が今後の作戦を決定しました。至急全社員に通達せよとの事で」
「判った。それで菫の救出は、具体的にはどうなった?」
「………」
「春野?」
「あ…、いえ…それが……」
****
『―――そう云う訳で、ちょっと人手が足りなくてね。其方からも何人か人員を派遣してくれると助かるのだけど』
「…判りました。我々としても、ヨコハマが燃やされるのを防ぎたいのは同じです。ご希望通り、出来る限りの援助を約束しましょう」
『助かるよ。派遣する異能力者が決まったら連絡をくれ。待機場所は追って通達する』
「…………」
『…………安吾?』
口を噤んだ僕に、嘗ての旧友が呼び掛ける。たった今ヨコハマを救う計画の全貌を語ったその声は、矢張り凪いだ水面の様に何処までも平坦だった。
「太宰君、一つ確認しても?」
『何?』
「貴方は本当に、
『……それは、どう云う意味だい』
「確かに今貴方が云った方法なら、市内の爆弾は除去できるかも知れません…。しかし…、しかしそれでは、臼井さんが…っ」
『森さんに協力を申し出た時も、君と似た様な事を云われたよ』
「―――っ…!」
不意に色を変えたその声に、今度は反射的に口が閉じた。予想はしていた。何せ今回人質に取られたのは、彼がこれ以上無い程の執着と寵愛を一身に注ぐ女性なのだから。けれど、たった今受話器越しに鼓膜を振るさせた声は、そんな予想の範疇など優に超える様な極寒の音色だった。
『でもね安吾、もうこれ以外に方法が無いんだ。爆弾を除去しなければ菫を救出出来ず。さりとて、それを順番にクリアしていくには時間が足りなさ過ぎる』
その見解に異論は無かった。ヨコハマ中に仕掛けられた爆弾と、人質に取られた臼井さん。その両方を救う方法は無に等しいと云う事も理解している。そしてこの選択肢は明らかに、犯人がそうなるよう誘導したものだ。“探偵社に臼井さんを見捨てさせる事”。否、いっそ探偵社の手で彼女を始末させる事すら視野に入れていたのかもしれない。そんな悪辣な意図が透けて見える様な狡猾な手口。そのルールを変える時間が無い以上、僕達は与えられた選択肢の中で行動するしかない。
だとしても、彼の口から“あんな言葉”が紡がれた事が未だに信じられなかった。
しかし、僕の戸惑いを一蹴する様に彼は再び繰り返す。どちらか一方しか救えない…。否、最初から救うべき一方を指定された残酷な選択肢。その決定を冷たい声が再び告げた。
『現状、私達に救えるのはヨコハマの街だけだ。そして、ありもしない方法を模索している猶予も無い。だから武装探偵社は、
―――菫の救出を
****
「すまないねぇ、急に呼び出してしまって」
「構いません。それに、用件は例の爆弾騒ぎの事でしょう?」
向けられた微笑みが肯定を意味していた。執務室に設えられた大窓から、首領は宵闇に沈む街並みを眺めつつ口を開く。
「知っての通り、今この街は無粋な爆弾騒ぎで大混乱だ。探偵社が方々駆け回って対処している様だが、兎に角人手が足りず困っているそうでね」
「それで俺達に泣きついて来たって事ですか。情けねぇ」
「まぁとは云え、もし爆弾の対処が間に合わなければ我々も大損害を被る事になる。設置場所の中には、ポートマフィアの協力企業も多く含まれていてね。何よりこの街が業火に包まれる様は、私も見たくない」
その言葉が本心である事は明白だった。この人にとって、この街とポートマフィアの繁栄は絶対無二の最優先事項だ。その為であれば、外道も邪道も喜んで進む。俺達の首領は、そう云う人だ。
「判りました。では爆弾処理の指揮は俺が」
「否、指揮は既に紅葉君に任せてある。君には別の仕事を…、どうしたんだい中也君?顔が凄いよ?」
「別の仕事って、まさかあのポンツクとまた組めって話じゃないですよね…」
「嗚呼、安心しなさい。今回は違うから」
「はぁ…、ならいいですけど」
探偵社絡みで“別の仕事”と聞き、一瞬最悪の展開が脳裏を過った。だが幸いな事にその最悪の展開を否定され、安堵の溜息を吐く俺に首領は苦笑して仕切り直す様に続ける。
「実は、この件で探偵社は人質を取られてしまったらしくてね。君にはその監禁場所に向かって欲しいのだよ」
「人質?何でまた…」
「今回の騒動は探偵社への恩讐が引き金だそうだ。つまり嫌がらせと云うヤツだよ。だが幸いにも、例の爆弾はその人質の行動次第で停止可能な仕様になっているらしい。それこそ、今すぐにでもね」
「……つまり、その人質を助け出して爆弾を止めさせろと?」
「否、
俺の問いを否定した首領は微笑んだ。
それは間違いなく、この街の闇の体現たる組織の長の顔だった。
「君がその人質を助ける必要は無いのだよ。中也君」
****
「だぁあああーーー!!無理じゃ無理じゃ!もう、無理、じゃーーー!!」
「落ち着け花袋!無理でもなんでもやって貰わねばならんのだ!」
無数の電子画面だけが光源として存在する薄暗い部屋で、辺りに散乱していた塵と埃が宙を舞った。その中心地で頭を抱え奇声を上げる旧友は、俺の言葉に耳を塞ぐ様に被っていた布団の中に完全に潜り込んだ。
「何と云われようが無理なもんは無理じゃ!大体こんな依頼、本来であれば二、三日掛かって漸く成し果せる難題じゃぞ!?」
「それは此方も承知の上だ!だが、この難局を乗り切れるのはお前しか居らん!出来なければ、ヨコハマ諸共俺もお前も吹き飛ぶのだぞ!!」
「仕方ないじゃろう!拾えるデータは全て拾い尽くした!その上で尚、復元には及ばんと云っとるんじゃい!!」
「其処を何とかするのがお前の仕事だ!何か手は無いのか?足りない分は別のデータを参考にして補うとか」
「無茶云うでないわ!そんな簡単に出来るもんじゃないんじゃ、素人は黙っとれ!!」
「何だと貴様!そんな大口、やる事を成し果せてから叩けこの引き篭もり!!」
売り言葉に買い言葉がヒートアップし、堪忍袋の緒が切れた俺は草臥れた万年床を引っ剥がしに掛かった。だが相手は熟練の引き篭もりなだけあって、驚く程に布団を手離さない。刻限迄残り僅かとなったこの非常時に、こんな茶番を繰り広げている暇は無いと云うのに。
「おい花袋!貴様いい加減に―――」
ピピピッ!
「「!?」」
その時突然、短い電子音が鳴り響き枕元にあったパソコンに何かが表示された。これには流石の花袋も布団から顔を出し、そして丸眼鏡の奥の双眸をこれでもかと見開いた。
「こ、これは!!」
「何だ?どうした?」
「足りなかった部分が補われた完全版…!復元済みのデータじゃ!」
「何!?では、これでいけるのか!?」
「嗚呼!いける。後は此奴を使って本来の目的を果たすだけ…!……じゃが、一体どうして……」
突然現れた謎のファイル。その中には、俺達が喉から手が出る程欲しかった最後の鍵が納められていた。どう考えても不審点しかない。だが、刻一刻と終わりへのカウントダウンが近づく中、その真偽を確かめている時間も無い。どの道このファイルに頼らなければ、俺達は守るべきものを全て失う事になる。
ならば、迷っている場合ではない。
「兎に角今は時間が惜しい。其奴が使えると云うなら、直ぐに作業に取り掛かれ花袋。何かあった時は俺が責任を取る!」
「う、うむ…。任せろ!」
先刻迄目も当てられぬ程取り乱していたのが嘘の様に、花袋は再びパソコンに向かい始めた。その姿を横目に俺は自分の腕時計を確認する。現在時刻は二十三時十七分。俺はその文字盤を握り締め、眼を閉じると自分の額にキツく押し当てた。
―――どうか、間に合ってくれ。
****
慌ただしく開け放たれた扉の音に、アライグマが毛を逆立てて飛び上がった。が、その飼い主は微動だにせずソファーの上で泥の様に眠っている。
「煩いぞ谷崎。当分起きないだろうけど、一応静かに寝かせやってくれ」
「乱歩さん…」
谷崎はフラつく足を引き摺って、紙片の散乱した事務所内を進む。軈て僕の机の前に辿り着いたらしいが、その姿は砦の様に積み重なった資料で半分も見えなかった。
「与謝野先生から話は聞きました…。本気なンですか…」
「何がだ」
「菫さんの事ですよ!」
数秒前に「煩い」と叱られたばかりなのに、谷崎は声を荒らげて机を叩く。その眼は色んな感情がごちゃ混ぜになって、酷く不安定だった。
「ヨコハマを爆弾の脅威から確実に守るには、この方法しかない」
「だからってあンな作戦…っ!今ならまだ間に合うかもしれませン。何か無いンですか?今からでも、菫さんを救う方法が何か」
「“他に方法はない”と、
「っ!?」
その一言で、谷崎は呼吸を喉に詰まらせ口を噤んだ。当然だ。何も云える訳がない。此奴にも、僕にも、誰にも。他ならぬ彼奴が…。菫を誰よりも理解し、誰よりも重く深い執着心を抱いているあの男が、
―――“この方法しかない”と、断言したのだから。
「谷崎。僕達は何だ?」
「………武装探偵社です」
「そうだ。だから、爆弾魔にこの街を焼かせる訳にはいかない。判るな」
「………でも…それじゃあ菫さんが…」
ピリリリリ!
その時、卓上で携帯が鳴った。表示された名は国木田だ。
「僕だ。……判った。太宰には僕から伝えてやる」
「国木田さんですか…」
「嗚呼。ギリギリだがこっちは間に合ったらしい。これで少なくとも、ヨコハマの街は守れる…。後は、
爆破予定時刻迄、既に三十分を切った時計。その針に目を向けつつ、僕は待機している太宰に電話を掛ける。
「太宰。僕だ。…そうだ、今からそっちに送る。これで―――」
其処迄云い掛けて、僕は谷崎の視線に気づいた。縋る様なその眼の奥にあったのは不安と罪悪感だ。その心境は正常であり正当だ。菫と共に現場に居合わせた此奴にとって、この作戦は安堵に胸を撫で下ろせる様な代物じゃない。それでも、僕達にはもう迷っている時間すら無い。だから視界から谷崎を追い遣って、僕は改めてハッキリと言葉を吐いた。
「これで何時でも、―――“菫を消せる”」
****
一面の暗黒に塗り潰された窓硝子。其処に映る自分の顔が口角を吊り上げた。未だに新しい顔は他人のものの様に思えて仕方ない。たが不快感は無かった。この顔は、文字通り俺が生まれ変わった証。偉大なる芸術家の後を継ぎ、新たな芸術の父として世界に破壊と変革を齎す選ばれた救世主の顔なのだ。
チラと時計を確認すると、時刻は既に午前零時迄十五分も無かった。
もうすぐだ。もうすぐ祝福の大華が乱れ咲く。下劣な偽善者達を低俗な街ごと焼き尽くす。唯一残念なのは、その様を直にこの目で見られない事だ。だが、より確実に計画を進める為には致し方ない。狡猾で野蛮な探偵崩れを相手にする以上、これが最も安全な手段である事も理解している。
それに、何も落胆する事ばかりではい。
「申し訳ありません。もう一人は不慮の事故に巻き込まれてしまいまして。私は代理で参った者です」
きっとあれはあのお方からの天啓だったのだ。自らの栄誉と名声の為に、自作自演の狂言誘拐を企て。暴かれた悪事を揉み消す為に、あのお方を更なる巨悪に仕立て上げ殺した。何処までも独善的なあの奸婦に、最も惨たらしい役割を与えよと。二年前の事件に関わっていたとは云え、あの眼鏡の男は所詮奴の手の上で踊らされていた道化。天誅を下すべきは矢張り主犯たるあの女だ。その為に、二年間俺は準備を進めてきた。敵の情報を調べ上げ、秘密裏に爆弾を製造し、時間を掛けて街中に配置した。
その成果は、もう間も無く実を結ぶ。
仮にあの女が自決を選んでも、設置した爆弾は一時的に止まるだけ。爆破予定時刻の午前零時を迎えた瞬間、どの道爆弾は火の手を上げるよう設定してある。最初から奴等に選択肢など無い。精々仲間の命と街の平和を天秤に掛けて苦悩し、そしてどちらも守れず無様に絶望すればいい。そして俺は、街一つを焼き滅ぼした功績を足掛かりに母国の同志達へ決起を促す。嘗てあの方がそうした様に解放と自由の起爆剤をばら撒き、この腐敗した世界を塗り替える。
「貴方の意思は俺が継ぎましょう、我が救世主よ」
その時、ポケットに入れていた携帯が着信を知らせた。相手の名前を確認し、俺は更に笑みを深めて携帯を耳元に当てた。
「やぁアンタか。……嗚呼、アンタの助言通り今は空の上さ。後数刻で欧州に到着する。改めて感謝するよ同胞。アンタのお陰で俺はあのお方の仇を討つことが出来た。母国で俺の地位が確立したら、高待遇で迎え入れてやろう。アンタのその手腕は、世界の変革の為にこそ振われるべきものだ。
嗚呼。所で、今そっちはどうなってる?アンタは未だヨコハマの様子が見える場所に残ってるんだろう?何なら予定時刻迄、此の儘通話を繋いでおいてくれよ。電話越しでも、せめて音くらいは聴きたい。この第二のアラムタの手で破壊し尽くされる街の悲鳴と、
ちっぽけな偽善者達が無力に打ちひしがれる断末魔をな」
****
「太宰ってさ、今も私と心中したいとか思ってたりするのか?」
自分の膝の上で寝転び寛ぐ恋人にそう問うと、彼は少し頬を赤らめて驚いた様に大きく眼を見開いた。
「え?してくれるの?」
「え?しないけど」
「酷い!また私の純情を弄んで!」
「否、それを純情と呼ぶには些かドロドロし過ぎじゃね?」
「もう。その気がないなら、どうしてそんな事聞くのさ」
「あ~…、うん、何つうかなぁ…」
「何?」
「怒らない?」
「場合による」
すっかりむくれた顔でそう返す彼に、私は軽はずみな好奇心で墓穴を掘ってしまった事を僅かに後悔しつつ、仕方ないと腹を括って白状した。
「私さ、君達に対してある程度の予備知識があるだろ?」
「あるね」
「その中の君は、今以上に心中って死に方にご執心でさ。美女を見つけたら必ずと云っていい程、“私と心中して下さい”って斬新な口説き文句を口にして回ってたんだけど……」
「その必ず云って回る口説き文句を自分には云って来ないから、菫は不満って事?」
「否、不満とは違うんだが…。あれが君なりの愛情表現なら私は如何なのかなって思ってさ。まぁ勿論、私って云うイレギュラーが迷い込んだ事で、君の考え方も多少変わってるって云うのは理解してるんだけど…」
此処に居る彼は、私の知る太宰治とは少しだけ違う。本来出逢う筈のない、私と出逢った太宰治。そして、そんな私を愛してくれた太宰治。それでも矢張り、彼が太宰治である以上“心中”に対する考え方に其処迄大きな差異は無いのではないか。ふと湧きあがったそんな考えがポロリと口から転げ落ち、問題の質問へと繋がった訳だ。
「でも菫は、私と一緒に死んではくれないんでしょう?」
何処か微笑み混じりに問われ、私は直ぐに返答を返す。
「うん」
「君は私より先に死なないものね」
「トーゼン。約束したからな。私は君より先に死なないし、君に寂しい想いもさせない」
「そして君は、私が死ぬ迄傍に居てくれる」
「嗚呼」
「……うん。なら矢っ張り、私はそっちがいいな」
そう云って太宰はへにゃりとあどけない笑みを浮かべた。その造形が余りに愛おしくてそっと頬を撫でやると、太宰も私の顔に手を伸ばして米神から頭を撫で付ける。だが不意に、柔らかく緩んでいた鳶色が何か思い出した様に開き、形のいい唇が「嗚呼、そう云えば」と声を漏らした。
「ねぇ。所で菫は、“心中”って言葉の本来の意味を知ってるかい?」
「誰かと一緒になって自殺する事じゃないのか?」
「ふふ。それがね、本来“心中”って云うのは、想い合う男女が永遠に変わらない愛の証を送り合う事を指した言葉だったらしいんだ」
「え、そうなん?」
「うん。昔、遊郭の女郎達の間に“心中箱”って風習があってね。本当に愛した男に変わらぬ愛の証として、切り落とした自分の髪や爪や指なんかを入れた箱を送っていたんだって。軈てそれが“愛する人に自分の命を捧げる”って所迄エスカレートして、今みたいに誰かと一緒に自殺する事を指すようになったとかなんとか」
「重っ!」
「ふふふ。でも、その重い情念が最終的に“互いに命を捧げ合って死ぬ相対死に”。ひいては“男女の情死”に行き着いたって云うのは、中々にロマンチックな話じゃない?」
「悪い、ちょっとそのロマンには乗っかれないわ」
「え~。もう、菫ったら情緒ないなぁ」
「だって死んだらもう誰とも話せないし、誰にも触れないし。好きな人とも、二度と逢えなくなるじゃん。……折角死ぬ程好きになったのに、勿体ない……」
そう零して私は、膝の上に在る太宰の顔を両手で包み込んだ。太宰はその上に自分の手を重ねて、真上に在る私の顔を見つめながら少しだけ眼を細めた。
「じゃあ、菫ならどうする?命を捧げても構わないと想える程の熱情を、不変を騙るに値する最上の愛を、―――君ならどうやって証明してみせる」
きっと彼は、この問いの答えを予想していない。単なる直感に過ぎないけれど、そう思えた。だから私は、万象を見通すその鳶色が紡いだ純粋な疑問に、はっきりと回答を示した。
「今と同じだよ」
そう答えて、私は眼下の美丈夫に口付けた。
「愛する相手が生きている限り、自分の全てを捧げ続ける。何時かその命が終わりを迎える瞬間迄、ずっと。ずっと。そうすれば、少なくともその人の中では
―――“不変の愛”って事になるじゃないか」
僅か数
「そっちの方が余程重くない?」
「本来人二人分の命に値する愛の証明だろ?寧ろ、重くない方がおかしい」
私の手に重なっていた包帯だらけの大きな手が、私の頭を捉えて数
「ねぇ菫」
「何だ太宰」
「それが君にとっての最愛の証明なら。
矢っ張り私は―――君と“心中”したい」
まるで魂さえも絡め取り、引き摺り込んでしまいそうな、熱く、重く、美しい鳶色。その光に魅入られながら、私は小さく苦笑した。
「安心しろ。それなら、もうとっくにしてる」
「…ぁ…ぃ…、……ざぃ…。ん、…んん?っ!?だっ!!」
それはそれは鈍い音が暗闇と頭蓋骨に反響する。片手で額を押さえ痛みに悶絶する時間はあったので、如何やら未だ爆弾は起爆していない様だ。危ない危ない、ヨコハマの危機が掛ったこの状況で意識失ったばかりか、飛び起きた拍子に爆弾起動なんてギャグマンガ的展開、マジで洒落にならんからな…。
「……あぁ…でもサンキュー神様…」
夢の中とは云え、幸せな記憶をリプレイ出来た僥倖。そんな一足早い誕プレを齎してくれた神へ感謝を紡いだ舌は、既に口内に貼り付く程カラカラに乾いていた。意識を取り落とす程に薄くなった酸素に身体の方が呼吸を諦め始めてきたらしく、息苦しさは最早微睡みにも似た感覚に変わっていた。てか酸素すらシャットダウンされてるとか、どんだけ密閉されてんだこの棺桶。それともどっかの山に埋められてたり、周囲をコンクリで固められてたりしてんのかな。だとしたら完全に詰みじゃんどうしよう。
(まぁそれでも…やる事は変わらんけどね……)
今度は内心で独り言ちて、私は暇潰しに拳銃から抜いたカートリッジを片手で弄ぶ。そうでもしていないと、また酸欠で意識を失ってしまいそうだったから。
ヨコハマの存亡が掛ったこの状況で、唯一その危機を回避出来る立場を得た私が選択したのは。
私が死ねば、ヨコハマは何の問題も無く窮地を脱する。そしてそれは誉高き自己犠牲であり、その行いを讃えられこそすれ非難される事はそう無いだろう。私の死は多くの人間を救い、私の命にはそれだけの価値が付加される。
これ以上ないと云うくらい完璧で理想的な、素晴らしい人生の幕引き。
もしこれが四年前以前の出来事だったなら、私は何の迷いもなく喜んで引き金を引いただろう。他人に許され、自分を消し去れるこの千載一遇のチャンスを神に感謝した事だろう。
―――でも、今は違う。
外の爆弾はきっと探偵社の皆が止めてくれる。私の事もきっと見つけ出して助けてくれる。だから、喩え“生き汚い”と罵られようと、喩えそれが正しく無い選択だとしても、私は自ら命を断つ事は絶対にしない。
この世界で出来た繋がりを、この手を握り返してくれるあの仲間達を、私は信じて待つ。
彼らなら、信じて待ち続けられる。
私の仲間達は決して私を見捨てないと、そう断言出来る。
なら、当の本人が早々に諦めて命を投げ出す訳にはいかない。
だって、私は知っているから。
助けようとした相手に自ら死を選択される事がどんなに辛いかを、その計り知れない無力感を、私は知っている。どんなに伸ばしても手の届かないあの痛みを、私は知っている。だから必ず生きて帰り、探偵社の皆に「助けてくれて有難う」と云う。
それが“助けられる側”が出来る、最大の返礼だ。
何より―――
「これは君のだもんな…、太宰」
硬いカートリッジを取り落として、自分の左胸の上に手を当てる。ドクドクと手の平に刻まれていく生の証明。
私が彼に捧げた、最愛の証。
だから、私は―――
その時、有限の暗闇を冷たい光が再び裂いた。
「―――……え…」
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ドオオォォン!!
凄まじい轟音と共に、夜空を映した凪が天を穿つような水柱に破られた。海面から数十
「独りにしてごめんね、菫。でも、もう大丈夫。
―――今、そっちにいくから」
重心を傾けた私の身体は橋の上から零れ落ち、真っ逆さまに海へと吸い込まれる。乱れた黒い海面に人一人分の水柱がもう一つ生まれ、
そして消えた。