hello solitary hand・番外編
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──クリスマス。
だが、特定の宗教を持たず『八百万の神々』なんて大枠で異国のメジャー神からマイナー神迄、祭りの口実にその場限り崇めた祀るカオス極めた我が国では、由緒正しい元ネタなど知っている方が少数派だろう。まぁ、ちゃんと由来を知った上で救世主のお誕生日を心から祝う敬虔なガチ信者も一定数居るには居るだろうが。大半は世界規模のメジャーイベントに心躍らせるリア充と、お祝いムードにあやかって、財布の紐が緩む瞬間を虎視眈々と狙っている商人達の二大勢力が、我が国のクリスマスを盛り上げていると云っても過言ではない。
──まぁそんな“皆んな楽しいワクワクキラキライベント”、拗らせコミュ障陰キャには関係ないけどな。
「はぁ…。遂に…、遂に、クリスマス迄遂に一週間を切ったよ菫!私達が恋人同士になってから初めて迎える“聖なる夜”…っ。嗚呼、もう待ちきれないよぅ!」
……あ〜。はい。そう云やぁそうでしたね……。
「太宰よ。クリスマスの本命は、あくまでイエス・キリスト氏のお誕生日パーティーだ。恋人であろうとなかろうと、やる事は特に変わらんだろ?」
「え?嘘…。菫本気で云ってる?クリスマスだよ?世の恋人達にとっての一大イベントだよ?寧ろクリスマスにイチャイチャしなかったらいつする訳?」
「逆に君が普段の行動をカウントしてない事が驚きなんだが……」
「普段は普段。日常的に必要な分だよ〜。だ・か・ら、特別な日には特別イチャイチャしたい!ね〜?いいでしょう菫〜?」
「取り敢えず左右に揺れるのやめてくれ。手元が狂う」
何時ものように私を後ろから抱き締めた太宰のダル絡みによって、目の前のパソコン画面に文字のなり損ない達が量産されていく。まぁ、別に急ぎの書類じゃないから良いんだけどさ。国木田君に見つかって、また私迄道連れでお説教されるのは勘弁だ。そんな事を考えながら、包帯の巻かれた両腕を首元から外しに掛かった時、不意にパソコン画面の向こうから陽光のような明るい声がした。
「太宰さんと菫さんも“クリスマス”するんですか?」
その声に顔を上げると、正面の席から身を乗り出して向日葵の様な笑顔が私達を照らした。うん。真冬の十二月でも賢治君のバックには夏空と入道雲が見えるわ。もしかしてこの子、夏の妖精さんなのかな。
相変わらず眩い賢治君に思わず心の旅に出ていると、私に外され掛けていた両腕を更に巻きつけた太宰が得意げに声を上げた。
「勿論だとも!私達の様な相思相愛の恋人達にとって、クリスマスはとっても大切な日だからね。それはもうロマンチックな夜を過ごす心算さ。まずはイルミネーションだろう?冬の夜はきっと寒さが身に染みるだろうけど、だからこそ二人寄り添って互いの温もりを感じる事ができる。その後は温かい室内で食事とプレゼント交換。あ、勿論プレゼントは当日迄のお楽しみだよ?そしてそして!最後は聖なる夜が明ける迄、二人生まれた儘の──ぐむっ!?」
「だ〜ざ〜い〜く〜ん?純朴でピュアっピュアな聖天使に何聞かせる心算だ君は、あ゛ぁ゛ん?」
「いいなぁ!僕、クリスマスやった事ないので羨ましいです」
「「え…?」」
未成年の後輩の前で白昼堂々猥談を吐き掛けた口にアイアンクローをかましていると、賢治君が珍しく眉をハの字にして残念そうに笑った。
「賢治君…クリスマスやった事ない?マジで?」
「はい。僕の村にはありませんでしたから。でもクリスマスって凄いですね!何時も以上に街中キラキラしてて、美味しそうな食べ物もいっぱいで。何より皆凄く楽しそうです!」
「………」
「……ちょっと菫」
「ぐえっ⁉︎何だよ太宰⁉︎」
「賢治君ばっかり見過ぎ」
見ているだけで心洗われる様な微笑みを浮かべ、クリスマスに思いを馳せる賢治君。そんな微笑みに思わず合掌し掛けた私の首を、太宰が自分の方へ九十度にひん曲げた。それはもう、あからさまに『面白くない』と云う様な不満顔で。
「君って…ホントさぁ…」
「あ!所でお二人は“サンタクロースさんに会った事ありますか?”」
「「え……?」」
相変わらず呆れる程に嫉妬深い恋人に素直に呆れていると、賢治君の意図せぬ問掛けにまたしても太宰との疑問符が重なった。そんな私達に、賢治君はハイライト三割増しの期待に満ちた目で尚も問う。
「クリスマスになるとプレゼントを配り歩く、“サンタクロース”さんってお爺さんが居ると聞きました!お二人は会った事ありますか?」
「ん?あ〜、ええっと……」
「一年間良い子にしてれば欲しい物を贈ってくれるんですよね?商店街の皆さんが、今年はきっと僕の所にも来てくれる筈だって!」
「おお、そうか…。うん、確かに賢治君はこの上なく良い子だからな……」
「お二人も子供の頃はプレゼントを貰ってたんでしょう?サンタクロースさんの姿を見た事はありますか?本当に赤い服に白い髭で、トナカイが引くソリに乗ってるんですか?」
「「っ〜〜〜!」」
キラキラと輝く純真無垢な瞳を前に、頭に浮かんだ云い訳が喉の奥で玉突き事故を起こす。助けを求めて横目に見た太宰は、気まずそうに事務所の扉の方を見ていた。さては此奴逃げる心算だなと咄嗟に包帯の巻かれた腕を掴んだその時、事務所の扉が開いて鼻先を赤くした敦君と鏡花ちゃんが白い息を吐きながら入ってきた。
「ただいま戻りました!」
「あ!お二人共おかえりなさい!」
「何してるの?」
「サンタクロースさんについて太宰さん達に聞いてました!」
「「サンタクロース?」」
「はい!お二人はサンタクロースさんに会った事ありますか?」
例の質問が敦君と鏡花ちゃんに向いたのを見て、私は内心ガッツポーズした。恐らく太宰も同じだろう。まぁ二人共サンタの正体を知っていてもおかしくない年齢だが、少なくともサンタさんのプレゼントなんて遥か過去に忘れ去った大人達よりはましな回答をしてくれる筈だ。そんな期待と共に二人を見守っていると、鏡花ちゃんが即座に首を横に振った。
「ない。家が
そーだったー!そう云えばこの子ん家、石灯籠とかある様なお庭付きの純日本家屋で、しかもお母さん共々着物を普段着にしてた生粋の大和女子だったーーー!!
「それじゃあ敦さんは?敦さんはサンタクロースさんに会った事ありますか?」
「ごめん。僕もない。孤児院の院長先生に『お前達のサンタは死んだ』って云われて育ったから」
そーーーだったーーー!!!敦君にこの手の話は地獄の釜案件だったわ!!てかオイ何だよ『サンタは死んだ』ってニーチェか⁉︎幼気なお子様の夢叩き壊した挙句トラウマ植え付けんじゃねぇよ深淵に叩き落とすぞあのイマジナリートラウマ生産機!!!
「あれ?皆集まってどうしたの?」
「何かお困り事ですか?」
色々万事休すかと思われたその時、まさしく救世主のごとく資料室から現れたのは一般家庭代表(仮)の谷崎兄妹だった。よし!この子達ならきっと模範回答を出してくれる筈!そんな私の祈りに続く様に、賢治君が三度例の質問を投げかけた。
「谷崎さん、ナオミさん、丁度良い所に!お二人は、サンタクロースさんに会った事がありますか?」
「「え?」」
「クリスマスはサンタクロースさんと云うお爺さんが、子供達にプレゼントをくれる日だと聞きました!お二人もサンタクロースさんにプレゼントを貰った事はありますよね?」
「あ〜…。うん。まぁ一応…」
「じゃあ、その時サンタクロースさんに会いましたか?」
「え゛⁉︎ええっ…と…、賢治君。サンタクロースって云うのはね?子供が寝てる間にプレゼントを置いていくンだよ。だから、プレゼントは貰えても直接会う事は出来ないンだ」
ブラボー!!!ナイスだ谷崎君!これぞ百点満点の回答!サンタさんの存在の是非に触れず、上手い事プレゼントを貰える事は肯定して凌ぎきったーーー!!
「そうなんですか…。残念です。会えたら是非お礼をしたかったんですが……」
「それならお手紙を書いて、枕元に置いておくのはどうでしょう?そうすれば、プレゼントを届けにいらしたサンタさんもきっと気づいてくれますわ」
「あぁ、昔よくやったね。お礼の手紙を書いて、冷蔵庫にケーキやチキンを取っておいたり」
「ありましたわね。朝、ご馳走が無くなってるのを見て『サンタさんが食べてくれた』って二人ではしゃぎましたっけ」
「わぁ!とても素敵なお礼ですね!僕も手紙を書いてご馳走を用意したら、サンタクロースさんも喜んでくれるでしょうか?」
「ええ、きっと」
「ふふふ。なんだかクリスマスがもっともっと楽しみになってきました!」
「「……はぁ…」」
何時の間にか和気藹々とした空気に満たされた少年少女達を眺めながら、情けない大人は一先ず問題の解決を見て安堵の溜息を漏らした。が、その溜息は二重になって空気に溶ける。思わずもう一つの溜息の出所に目をやると、珍しくまん丸に見開かれた鳶色とかち合った。
「「………ぷっ…」」
小さく吹き出したその笑いさえも同時で、呆れ半分照れ半分で私は包帯の巻かれた首元に頭を預けた。すると、空いている方の手で太宰が優しく私の頭を撫でてくれたので、一人だけ逃げようとした分はこれで許してやる事にした。折角だから、もう少し撫でて貰ってから仕事に戻ろう。そんな甘い事を考えて幸せに浸っていると、不意に明るい少年少女達の会話にポツンと寂しげな声が落ちた。
「でも矢っ張り、僕の所には来ないんじゃないかな…サンタさん……」
思わず顔を上げると、クリスマス談義に花を咲かせていた後輩ズの中で、敦君が困った様に笑っていた。
「えぇ?でも敦さん、探偵社のお仕事凄く頑張ってきたじゃないですか。今年僕の所にサンタクロースさんが来るなら、きっと敦さんの所にも来てくれますよ!」
「ありがとう賢治君。でもほら、プレゼントを貰えるのは子供だけだし…。賢治君や鏡花ちゃんは兎も角、僕はもう貰えないと思う……」
「そうなんですか谷崎さん?」
「え゛っ⁉︎〜〜〜え……っと…」
拙い!“良い子の年齢制限”と云う落とし穴に賢治君が気づいてしまった‼︎確かに十八歳は子供と云うカテゴリーのデッドライン。現に彼等の年齢でサンタさんにプレゼントを貰っている人口はほぼ皆無だろう。まぁ単にサンタさんの正体に気づいてサンタ制度が撤廃され、ストレートに親御さんに貰う方向にシフトしたと云った方が正しいが。兎に角、今のこの流れは拙い!救世主谷崎兄妹も、恐らくはサンタ制度撤廃済みなご家庭の筈。流石に『いいえ、今もサンタさん来てくれてますよ〜』は言い訳として厳し過ぎる。何か、何か子供達の夢を壊さず、それなりのリアリティを持ってこの場を丸く収める言い訳を───
「こら!仕事をサボって何くだらない話をしてるんだ?」
その一喝に事務所内の視線が一斉に扉の方へと向けられた。そこに立っていたのは、ホカホカと湯気を上げるあん饅片手に仁王立ちする乱歩さんで、後ろには紙袋を抱えた晶子ちゃんも居た。
「まったく君達は、サンタさんがどうとか、プレゼントがどうとか。そんなの判りきった事じゃないか」
「あ、ちょっと、待ってください乱歩さん!それ以上は…っ!」
案の定、持ち前の推理力で状況を見通した乱歩さんは、心底呆れた顔であん饅を頬張り、それを見た谷崎君が慌てて声を上げる。まぁ、乱歩さんの性格を知る者なら当然の反応だろう。だがそんな谷崎君の訴えも虚しく、ほっぺたパンパンにして咀嚼していたあん饅を飲み込んだ乱歩さんは、大股で彼等の前まで歩み寄ると、腰に両手を当ててフンと鼻を鳴らした。
「いいか君達よく聞け!
サンタさんは居るしプレゼントは貰える!
何故なら僕達は武装探偵社だからだ‼︎」
「「「…………え?」」」
事件の謎を解く時の様に、踏ん反り返って声高に宣言した名探偵に、少年少女達はただただ呆然と疑問符を漏らした。──天然とピュアの化身、賢治君を除いて。
「じゃあ僕達皆、今年はサンタクロースさんにプレゼントを貰えるんですね!」
「当然だ!だから君達も無駄な事で悩んでないで、早く欲しいモノを決めるといい!因みに僕は、毎年靴下いっぱいにお菓子を詰めてもらってるよ」
「「えぇっ⁉︎」」
「何?何か文句ある?」
「あ…、いえ、文句は無いです…けど…。ね?敦君?」
「(コクコクコク…)」
「云っとくが
「与謝野先生まで⁉︎」
問答無用で真実を見抜く名探偵(御年二十六歳)のまさかの発言に目を丸くする敦君と谷崎君。そこに晶子ちゃんからのカミングアウトも重なって、遂にナオミちゃんまで驚きの声を上げた。そんな中、一人表情を崩さず静かに佇んでいた鏡花ちゃんが、コテリと首を傾げる。
「でも、サンタクロースは子供の所にしか来ないんじゃないの?」
「普通ならね。でも探偵社員は、年齢に関係なくサンタさんからプレゼントを貰える。何故なら、武装探偵社は街の平和を守っている組織だからだ!」
「そんな無茶苦茶な…」
「何が無茶苦茶なんだ敦?サンタさんは“良い子”の所にプレゼントを贈る。“悪い子”の所には来ない。つまり“子供かどうか”は二の次で、“良い事をしていたかどうか”が重要なんだ。だから、武装探偵社として日夜街の平和を守っている僕達は、大人も子供もプレゼントを貰えて当然だろう?」
「与謝野先生…」
「助け舟を期待してるとこ悪いが、実際
「因みに僕は生まれてから毎年貰ってる!」
「凄い!流石乱歩さんです!」
「はっはっは!そうだろうそうだろう!賢治君も大きな靴下を用意して楽しみにしていると良いよ!」
「はい!」
「まぁ何だかんだ云ったって、アンタ等もプレゼントが貰えないよりは貰えた方が有難いだろう?」
賢治君を除き、まだ納得出来ていなさそうな後輩ズに晶子ちゃんがそう問い掛けると、彼等は互いに顔を見合わせて、軈ておずおずと頷いた。
「なら、貰えるもんは貰っちまいな。折角の祝い事なんだ、取り敢えず楽しむ事だけ考えてりゃあ良いのさ」
そう云って鏡花ちゃんの頭を撫でた晶子ちゃんは、続け様に敦君の肩をバシッと叩いて事務所を後にする。その時擦れ違い様に目が合った私は、思わず苦笑いを返した。自分に向けられた彼女の視線が
──あからさまに意味ありげな色を浮かべて、笑っていたから。
****
「お待たせしました〜。無事ミッションコンプリートです!」
「はぁ〜。寒い寒い。菫早く奥詰めて」
「ご苦労だったな」
路肩に停まっていた社用車の後部座席に乗り込むと、助手席に座っていた社長が此方を振り向いた。続いて運転席の国木田君が、相変わらず眉間に皺を寄せて私達に尋ねる。
「与謝野先生には見つかってないだろうな?」
「勿論さ。と云っても、晶子ちゃんが靴下を寝室の前に掛けてくれてたお陰だけどね〜。と云う事で、はい。こちら返礼品になります」
そう云って私は、クリスマスカラーの靴下の中に入っていたシャンパンボトルを、助手席の社長へと手渡した。既に持っていた一升瓶とそれを無言で見つめる社長。そしてゲンナリと溜息を吐く国木田君。それを見て苦笑いを浮かべる私。三者三様の反応。その答えが、私の隣から何とも明るい声音で紡がれる。
「乱歩さんからは日本酒で与謝野先生はシャンパンですか〜。いやぁ〜。見事にバレてますねこれ!」
「云うな…。何の為にこんな格好をしているのか判らなくなるだろう……」
眉間の皺を三割り増しして、絞り出す様にボヤく国木田君。その首元には、見慣れない外套の隙間からフワフワの赤と白の生地が覗いている。国木田君だけじゃない。太宰も、社長も、勿論私も。各々羽織っている外套の下に、皆同じユニフォームを纏っているのだ。
そう。赤と白のフワフワ生地で仕立てられた、クリスマスの象徴的な装い。
──
****
──今から十二年前。
当時十四歳の少年が放った一言から、全ては始まった。
「楽しみだなぁ!サンタさん、今年はどんなお菓子をくれるんだろう」
両親を事故で亡くし、天涯孤独の身となった乱歩さん。そんな乱歩さんを引き取り、育て、彼の為に武装探偵社の設立を決意し、動き出していた福沢社長は、その言葉に絶句したと云う。
元来、煌びやかな催し事には縁遠く、クリスマスについても“海外の催し”程度の認識しかなかった社長。だが子供達にプレゼントを配り歩くサンタクロースなる者の存在は、一般常識として知っていた。そしてそのサンタクロースの正体が、実は子供達の親等、近しい大人達である事も知っていた。
そして、社長はある事に気づく。
両親を亡くした乱歩さんにとって、その役目を果たすべきは大人は、今や“自分”であると云う現実に。
それからと云うもの、社長はクリスマスになるとサンタクロースを装って乱歩さんにプレゼントを贈った。尚、これは比喩表現ではない。万が一見つかった時の為に、マジでサンタ服に身を包み、なるべく証拠が残らないよう徹底して、社長はサンタクロースの役目を遂行していった。何なら、その後入社した晶子ちゃんの分まできっちりとサンタクロースの役目を果たしてみせた。
そうやって真面目に、実直に、一人の大人としてサンタクロースを全うし続けた結果
──社長は辞め時を完全に見失っていた。
「………すまんな」
「謝らないで下さい社長。仕方ないですよ。本来なら、子供が成長と共に気づいて自然消滅するものですし」
「まぁ、お二方共気づいた上で黙ってるだけみたいですけどねぇ」
「だが当人達から申告がない以上、此方からネタバラシする訳にもいかんだろう……。と云うか…仮に申告されたとしてだ。一体どんな顔で受け止めれば良いのだ、俺達は……」
「笑えばいいと思うよ」
「黙っていろ菫」
そんなこんなで、我が武装探偵社では“成人後もプレゼントをくれるサンタさん”と云う、摩訶不思議な存在が爆誕してしまったのである。と云っても、何も社員全員に社長がプレゼントを配り歩いている訳じゃない。サンタの正体を知っている者は除外されるので、事実上これは乱歩さんと晶子ちゃんの為の特別制度みたいなものだ。まぁ入社一年目の冬に突然社長に呼び出され、真顔で開口一番「お前はサンタを信じるか?」と聞かれた時は、マジで回答に困ったけど。
「それより国木ぃ〜田く〜ん?そろそろ次の配達場所に向かってくれる?こっちは貴重なクリスマスの夜を削って此処に居るんだからね?」
「知るか。抑々クリスマスとは、本来
こうして、いつの間にか始まった近年の若者の動向を嘆く二十二歳の愚痴をBGMに、私達を乗せた社用車はしんしんと雪が降り注ぐ冬の夜を走り出した。そう。この特殊なサンタ制度は基本的に乱歩さんと晶子ちゃんの為の特別措置であり、本来なら社長が二人にプレゼントを贈って終了するのが例年の流れだ。
──だが、今回は違う。
何せ今の武装探偵社には、真にクリスマスの恩恵を受けるべき子供達が五人も居るのだ。だからこそ私達は今宵集められた。赤と白のユニフォームを身に纏い、子供達に夢と贈り物を届ける──サンタクロースとして。
「皆、準備は良いか?」
「「「はい!」」」
「よし、では行くぞ!」
しゃんと背筋が伸びる様な号令を受けて、私達は眼前に佇むボロアパートへと歩き出す。云わずもがな、我らが武装探偵社が保有する社員寮である。ちょっと足を掛けるだけで軋み出す鉄階段を、細心の注意を払って静かに登り切り、私達はある部屋の前で立ち止まった。
最初のお届け先、武装探偵社の期待のニューフェイス敦くんと鏡花ちゃんの部屋だ。
「ええっと…。二人のプレゼンントは…っと。これか」
「自棄に大きいな」
「中身はぬいぐるみだって。鏡花ちゃんが兎で、敦くんは虎」
「鏡花は兎も角、敦は本当にそれで喜ぶのか…?」
「我らが頼れる社長秘書、春野綺羅子ちゃんがリサーチ&選抜した逸品だぜ?大丈夫だって。敦君、ああ見えて嬉々として虎さんの風船片手に街を闊歩しちゃう系十八歳だから。敦君は概念的に実質ショタ!」
「おい太宰。此奴は一体何を云っておるのだ?」
「ごめん。私にも判らない」
「却説!じゃあ早速二人の靴下にプレゼント入れて来よう。太宰、開錠ヨロ!」
「はいはい。じゃあちょっとこれ流しててくれる?」
「何これ?」
「車の走行音。鏡花ちゃんは元暗殺者だからね。睡眠中の物音には敏感な筈だ。だから、日常のありふれた音に紛れて鍵を開けるって作戦」
「お〜。なるほど…」
「では、このぬいぐるみは私が届けに行こう」
「なっ!社長…、良いのですか?」
「寧ろ、この中で私が最も適役だ。暗殺を生業にしていた者にとって、侵入者の気配は何よりも警戒すべきもの。生半可な小細工では突破出来ん」
そう云いながら、社長は徐に真っ白な付け髭を取り出すと、まるで覆面を被る怪盗の様に自分の口元を覆う。私は社長から羽織っていた外套を受け取り、代わりに可愛らしいリボンで飾られた大きな包みを二つ差し出した。それを片手に抱えた社長は、どこからどう見ても完全にサンタさ──
……イヤごめん。流石に無理あるわ。スタイリッシュが過ぎるわ。研ぎ澄まされた歴戦の気配がサンタ服から迸ってんのよ。あれだ。アクション映画でサンタのコスプレして潜入してる凄腕の刺客みたいになってる。完全にプレゼント袋から武器出して大立ち回り演じちゃう系のサンタさんだこれ。仮に見つかったら敦君とか悲鳴上げて失神しちゃうんじゃなかろうか。
心の中でそんな心配をしつつ、私は渡されたレコーダーから車の走行音を流した。ご丁寧に遠くから段々近づいてくる大型車の音だ。扉の鍵穴に針金を差し込んだ太宰が、タイミングを測るように目を閉じる。謎の緊張感が私達の間に広がり、重い車の音だけが徐々に大きくなっていく。そして、音が最大になった瞬間、太宰は針金を回し扉を開いた。
「っ……⁉︎」
扉が開いた事を認識した時、既に社長は居なかった。それどころか物音一つさえ私の耳は拾えず、ただただ眼前には明かりの無い玄関と開いた襖。その奥で、サンタ服の社長がプレゼントの袋を押し入れに入れていた。あ〜。そう云えば敦君、鏡花ちゃんに気を遣ってドラえもんスタイルで寝てるんだっけ。
そんな事を考えながらサンタの神業を眺めていると、不意に社長の背後に白い影が浮かび上がった。
「!社むぐっ…⁉︎」
思わず出かけた声は、背後から伸びた大きな手によって塞がれた。まぁ手の主は国木田君で、大声を出しそうになった私を制してくれただけなのだが、問題はそこじゃない。社長の背後に現れた影は、鏡花ちゃんの異能“夜叉白雪”だ。まさか鏡花ちゃんが起きてしまったのか?そう思い暗闇に目を凝らすも、鏡花ちゃんが動いている様子は無い。どうやら夜叉が勝手に動いている様だ。クソ、そう云えば夜叉さん切れかけた石鹸補充に来てくれたりとか、意外と自立的な異能さんだった!此の儘じゃ乱闘待ったナシ、二人が起きて折角のクリスマスが台無しに──っ
──スッ。
振り下ろされる夜叉の白刃。最早一巻の終わりかと思われたその時、僅かな空気の震えを残して夜叉の刃が止まった。否、止められたのだ。振り下ろされた刃の真下にいた社長によって。しかも
(マジかよ…)
社長が規格外に強い事は知っていた心算だったが、流石にこれは驚きを禁じ得なかった。だって今殆ど音しなかったぞ。文字通り目にも止まらぬハイスピードで振られた剣を、きっちり余波まで殺して完璧に受け切ったぞあの人。しかも片手で。え?てか待って?空いてる方の手でプレゼント靴下に詰めてね?おいおいマジかよ。これが十二年間乱歩さんと晶子ちゃんのサンタさんを全うした武人の業か。申し訳ありません社長。愚かな前言を撤回します。貴方こそ真のサンタクロースです。
そうして、私が嘗ての愚考を内心で悔い改めている間に、社長は完璧に任務を終えて帰還した。当然の様にドアが閉まる最後まで物音を立てないその徹底振りに、私は静かに拍手を贈る。国木田君も止めていた息を大きく吐き出し、熟練された神業を讃える様に笑顔を浮かべた。
「お疲れ様です社長。あの状況でよくぞ……」
「………」
「社長?どうかされましたか?」
「ああ、いや…。国木田」
「はい」
「一先ず、菫を離してやれ」
その言葉に、私と国木田君は顔を見合わせる。そして理解した。
そう。夜叉白雪の出現と云うイレギュラーに、思わず声を上げそうになった私と、それを止めた国木田君。その状態の儘、私達は事の一部始終を固唾を飲んで見守っていた訳だ。後ろから国木田君の手で口を塞がれ肩を掴まれた儘の状態で……
「「…………」」
私達は無言で横を見た。扉を開けた事で、必然的に扉の影に追いやられていたもう一人が、人間とは思えない程静かに佇んでいた。うん。そりゃもう。真冬の寒さが南国に思える程、極寒の笑顔で。
****
「と云う事で、此方が谷崎兄妹へのプレゼントになります…」
「よぅし!レッツゴー⭐︎国木ぃ〜田君!」
「俺に死ねと云うのか」
武術の達人、福沢社長のミラクルファインプレーで、無事敦君と鏡花ちゃんにプレゼントをお届けした私達。だが、その後の思わぬ二次災害で、チームの空気は完全に不発弾を前にした解体業者のそれだ。
「だ、太宰?あの、ごめん…。元はと云えば私の所為だし。今回は私が行」
「嗚呼菫。君は本当にすぐそうやって自分を責める。駄目だよ?何でも自分が悪い事にして解決しようとするのは君の悪い癖だ」
「イヤ…そうは云っても…」
「それに、聖夜の谷崎家なんて…。そんな魔窟に君を送り出せる訳ないだろう?」
「俺は良いのか」
「ゴホン!あぁ…ならば次も私が…」
「いえいえ社長。流石にアレだけの激戦を制したばかりの社長を行かせては社員の名折れ。ここは我々にお任せ下さい。元々私達は、社長の負荷を減らす為に来たんですから。ね?国木田君?」
「っ〜〜〜‼︎クソ、判った!行けばいいのだろう行けば‼︎」
「そう来なくっちゃ!」
「すまんな国木田君…。今度一杯奢るわ」
「よせ…余計に拗れるだろうが…。それよりこの包。さっきの包より音が鳴りやすい様だが、一体何が入っているのだ?」
「触った感じ、中に小箱が幾つか入ってるみたいだね?」
「すまんが私も判らん。綺羅子ちゃんに聞いたんだけど『菫ちゃんは知らなくて良いものよ』で押し切られちゃって…」
「あ〜うん。察した…」
「え?マジ?何入ってるんだこれ?」
「菫は知らなくて良いものだよ」
「何でだよ⁉︎」
「あ゛ーーっ、まったく何奴も此奴も…。もういい、考えるだけ莫迦らしくなってきた。太宰さっさと鍵を開けろ」
「はぁ〜い。……よし開いた!じゃあ行ってらっしゃ〜い」
「気をつけてな。マジで。絶対見つからないようにな。特に谷崎君に」
「煩い、判っとるわ。この修羅場製造機め」
心底苦々しい顔でそう愚痴りながら、国木田君は谷崎家の玄関へと上がっていく。正直、先刻の敦君&鏡花ちゃんの部屋に比べれば、谷崎家はイージーモードと云って良いだろう。あくまで“物理的”に考えればだが。何せ前者と後者では難しさのジャンルそのものが違う。譬えるならば前者はバトルアクション、後者はサスペンスホラーと云った所か。
「あ〜楽しみだな〜♪国木ぃ〜田君どんな目に遭っちゃうんだろう?うふふ、襖を開けた瞬間包丁持った谷崎君とか出てこないかなぁ〜?」
「最悪なホラー予想やめろ太宰。マジで血のクリスマスになんだろうが…」
「案ずるな、もしもの時は私が止めに入る」
そう呟いた社長の足元は、何時でも走り出せそうな臨戦体制だった。う〜ん。我が社に於ける谷崎君の評価よ。イヤ、ホントいい子だからねあの子。ちょぉぉ…っと、全ての優先順位が妹さんに全振りしちゃってるだけで、普段は善良な気弱男子なんです信じて下さい。
そんな誰に向けてか判らない弁解を繰り広げていた私の脳内に、ふと小さな違和感が広がった。国木田君が襖の前で立ち止まっている。恐らくあの向こうで谷崎兄妹は寝ていると思うのだが、国木田君は棒立ちで立ち尽くした儘微動だにしない。太宰や社長も、国木田君の異変に気づいたらしく、訝しそうに顔を見合わせている。その時、不意に動き出した国木田君は、何故か部屋の前にプレゼントを置いて此方に引き返して来た。
「ちょっとちょっと、ズルは駄目だよ国木ぃ〜田君。ちゃんと二人にプレゼントを届けないと。…国木田君?」
だが、そんな太宰の方を見向きもぜず、国木田君は無言で谷崎家の玄関扉を閉める。流石におかしいと口を開きかけた時、私達に向き直った国木田君が一枚の紙片を差し出した。
「「「………」」」
それは可愛らしいイラストが描かれたハガキサイズの紙片。所謂“クリスマスカード”と云うヤツだ。だが残念な事に、私達の目は赤と緑で彩られた可愛らしいイラストではなく、その中心に綴られた一文に注がれていた。
『拝啓、サンタクロース様
この度はお忙しい所御足労頂き、誠に有難う御座います。
恐れ入りますが、プレゼントは部屋の前に置いておいて下さい。
決して、部屋には入らないよう、深く深くお願い申し上げます』
「部屋の前に立った時、襖の隙間からこれが出てきた……」
生気の抜けた国木田君の声に、言葉を続ける者は居なかった。取り敢えず、国木田君には後日何か美味しい物でも差し入れようと思う。
****
ヨコハマの平和の為、日夜戦う良い子達の夢と希望を守る大人達の奮闘もいよいよ大詰め。
最後のお届け先は、初めてのクリスマスを誰よりも楽しみにしていた賢治君だ。
「よしじゃあここは私が行ってきますてか私に行かせて下さいお願いしますどうか賢治君のファーストサンタは私に」
「判ったから抑揚も句読点も無いまま真顔で詰め寄ってくるな。夢に出たらどうしてくれる」
「夢の中でも菫に逢えるなんて最高じゃないか」
「お前と一緒にするな。この人格破綻者め」
先刻の谷崎家の怪で大分メンタルを削られたのだろう。手で目元を覆った国木田君はしっしと手を振る。それでもツッコミは忘れない辺り流石と云うべきか。同僚の真面目さに改めて感心しつつ、私は湧き上がる喜びに某赤帽子の配管工並みのジャンプを決めた。そんな私達を他所に、すっかりぺたんこになったプレゼント袋から、社長が最後のプレゼントを取り出す。それは今までで一番小さな包みで、社長の手にすっぽり収まる大きさだ。
「賢治への贈り物はこれか」
「はい!中身はスノードームです」
「スノー…ドーム…?」
「ほら、こう云うのですよ。賢治君、初めてのクリスマスを凄く楽しみにしてましたから、クリスマスらしいものをプレゼントしようって綺羅子ちゃんと私で選んだんです。しかもオルゴールが付いててジングルベルが流れるんですよ。ね?めっちゃクリスマスっぽくないですか?」
「うむ…、確かに風情があるな…」
スマホでスノーボールの画像を見せると、社長は興味深そうにしげしげと覗き込んだ。どうしよう。スノーボールに関心を示す社長ちょっと可愛いな。普段から威厳が服を着て歩いている様な上司の貴重なギャップに内心で合掌しつつ、私は羽織っていた外套を脱ぎ捨て、赤い帽子と付け髭を纏った。
「よし!そいじゃちょっこら行ってきます!太宰、鍵頼む」
「………」
「?…太宰?」
「いや…。どうせなら矢っ張りミニスカサンタさんが良かったなぁって…」
「………」
「………」
「………どうでもいいから早く開けてくんない?」
「はぁ〜い。…それはそれとして、ちょっとくらい興味ない?折角のクリスマスな訳だし。実は既に用意しててね?あとは君が着てくれるだけなのだよ」
「黙って鍵開けに集中してどーぞ」
「ねぇ本当にちょっとだけ。一瞬、ちらっと着るだけで良いから。ね?絶対似合うから、絶対可愛いから、お願い菫〜」
「……」
「!申し訳ありません社長、お見苦しいものを…っ。おいいい加減にしろお前達。社長の前で迄くだらん痴話喧嘩をするな」
「よい国木田。ただ、“氏より育ち”とはこう云う事かと思っていただけだ。嘗て森先生もよく同じ様な事を──」
「すみません社長それ以上云わないで下さいお願いですから」
珍しくお巫山戯一切なしのガチトーンで太宰が拒否った瞬間、賢治君の部屋の鍵が開いた。九割九分自業自得とは云え、流石に太宰を哀れに思いながら私はそぉっと賢治君の部屋の玄関に上がる。年季の入った床を鳴らさないように慎重に歩を進め、辿り着いた襖を更に慎重に開けた。これ迄のサンタ活動ですっかり暗闇に慣れた目が、すやすやと寝息を立てる金糸に止まる。近づいて見ると、何か良い夢でも見ているのか「ふふ…」と笑って賢治君が寝返りを打った。そのあどけなさに思わずこっちまで笑顔になる。少し捲れていた布団を掛け直して枕元に目をやると、赤と緑の毛糸で編まれた靴下を見つけた。
ここにプレゼントを入れて帰還すれば、私達の仕事も終わる。そう思うと何となく名残惜しさが滲んだが、だからと云っていつ迄もこうして賢治君の寝顔を眺めている訳にもいかない。社長や国木田君の様に自分の仕事を果たすべく、私は賢治君の枕元から靴下を拾い上げた。
「?」
だが、靴下の中には既に何か入っていて、不思議に思った私はそれを取り出してみた。出てきたのは先刻谷崎家で出現したのと同じクリスマスカードで、思わず身構えつつも、そこに綴られた文面に私は目を走らせる。
「……ふふ…」
そして賢治君からのメッセージを受け取った私は、クリスマスカードの代わりにプレゼントを靴下に詰め直して、彼の枕元から立ち上がる。来た時と同様出来るだけ静かに襖を閉めて、私は玄関からこちらの様子を見守ってくれていた男性陣に手招きをする。それを見て不思議そうに顔を見合わせつつも、彼等は私のお願い通り中に上がって来てくれた。私は口の前で指を一本立て、もう一度皆に手招きをする。私達が集まったのは玄関に隣接した台所。そこに鎮座する一人暮らし用にはやや大きな冷蔵庫の扉を開けると、濃紺に沈んだ室内に黄色がかった光が差した。
「「「!」」」
そこにあったものに、彼等は僅かに目を見張る。冷蔵庫の中段を丸々占領するその白い円は、等間隔に並べられた瑞々しい赤で縁を飾られ。その内側にはチョコレートでできたログハウスと落雁でできたサンタクロースが並び。そして一番真ん中に、メリークリスマスと書かれたチョコプレートが添えられていた。
──『サンタクロースさんへ。
お仕事お疲れ様です。探偵社の皆で、サンタクロースさんにケーキを作りました。冷蔵庫にあるので是非食べて下さい。
来年も待ってます。
賢治』
クリスマスカードから顔を上げると、サンタとして一夜の激戦を戦い抜いた大人達は、満更でもない顔で報酬のクリスマスケーキを見つめていた。
****
ポケットの中で小さな電子音がした。音の出所であるケータイを開くと、社用車を戻す道すがら、切り分けたケーキの一つを春野さんの自宅に届けに行った国木田君から、『任務完了。これから帰宅する』と云うメールが届いていた。今夜の奇妙な時間外労働も、どうやらこれで完了したらしい。
「はぁ〜、あったまったあったまった。やっぱ寒い日のお風呂は格別だなぁ。冷え切った体に沁み渡るわ〜」
「良かったね。じゃあ私も入ってこようかな」
「おう。ゆっくりあったまっておいで」
ほかほかと湯気を立てて茶の間に戻ってきた菫と入れ替わりに、私は浴室へと向かう。
社長主催で執り行われた、未成年社員へのプレゼント配り(一部成人含む)を終え、解散した頃には当然ながら日付が変わっていた。お陰様で、菫と付き合ってから迎えた初めてのクリスマスも、それに見合う特別感もない儘、いつもの探偵社の日常に収まってしまった。
とは云え、その事に就いて別に恨み言がある訳じゃない。確かに、いい歳した大の大人達が揃いも揃って何をしているのかと呆れ半分面白半分で参加を余儀なくされたが、いざやってみるとそれなりに愉快ではあったし。何より、一晩で菫の満足気な顔をあれだけ見られたのは、大きな収穫と云っていい。元々“人から受けた施しには同等以上の返礼を持って報いるべき”、なんて難儀な自分ルールを貫く彼女だ。サンタの名を借りてとは云え、大切な仲間達に贈り物をするのは、さぞ心が満たされた事だろう。その上、最後には思ってもみなかったサプライズプレゼントまで贈られたのだ。少なくとも今夜の出来事は彼女にとって、素晴らしいクリスマスの思い出として記憶に刻まれた筈だ。
そんな彼女の表情一つ一つを、一番近くで直に堪能できたのだから、文句など浮かぶ訳もない。寧ろ、貴重なクリスマスの夜にサンタの真似事をさせられたとしても、お釣りが来るくらいだ。
「……まぁ、だからと云って満足もしていないのだけど」
確かに私達の記念すべき初めてのクリスマス・イブは、ロマンもトキメキも無い儘に終わってしまった。だが、日の出迄にはまだ数時間の猶予が残されている。流石にイルミネーションを見たり、食事に出掛けるのは無理だが、それでも残された貴重な聖夜を特別な時間に変える事は可能だ。
取り敢えず風呂から上がったら、慰労を名目に晩酌へ持ち込んで、菫がいい感じに酔って許容範囲が広くなってきたら、その儘イチャイチャする方向に…。あ、その前に着るの拒否されたミニスカサンタの衣装に袖を通して貰うよう誘導するのが先だな…。
熱い湯船に浸かりながら、私は着々と今後の計画を組み立てていく。少しして、これ以上無い完璧なシナリオの完成と共に、このクリスマスの成功を確信して不覚にも笑みが漏れた。私は湯船から上がると身支度を済ませ、口の端が吊り上がった顔にいつもの穏やかな表情を貼り付けて浴室を出た。
「あれ?菫?」
我ながら作為の無い完璧な表情で意気揚々と茶の間に戻った私は、しかして眼前の光景に思わず首を傾げる事となった。
菫が居ない。
トイレだろうか?それとも寝支度の為に布団でも敷いているのか?そう思いながら自室の襖に手を掛けると、私が引く前に襖が勝手に滑った。
「だっざぁ〜い!」
聞き覚えのある声と共に自室から何かが飛び付いて来た。まぁ、正体なんて考える迄もなく菫なのだがちょっと待って欲しい。何これ?何が起きてる訳?
つい先刻迄、完璧な線をもって描かれていた計画が、一気に爆散する音が脳内に響いた。だが無理もない。誰だってそうなる。何せ──
「へへへ。びっくりしたか?メリークリスマス!サンタさんのお出ましだぜ!」
あれだけ綿密に組み上げたシナリオが、起承転結の“起承”すっ飛ばしていきなり“転”から始まったのだから。
「なぁなぁどうだ?似合うか?可愛いか?可愛いなら早く可愛いって云ってくれ流石にいたたまれないから反応はよ!」
「あ、ごめん。なんか、色々と追いつかなくて…」
菫の呼びかけに漸く我に返った私は、改めて彼女の姿に目を向ける。白いファーで縁取られた赤いフード付きのケープコート。その下はオフショルの赤いワンピースで、ミニ丈の裾から覗く脚は艶のある黒タイツに覆われている。
うん。どう見ても私が揃えたサンタコーデだ。
問題は、何故それを彼女が自ら纏った挙句、くるりと回って“可愛いか?”とか聞いてくるなんて奇跡が起こったのかと云う点だが。その理由は、いつも以上に緩く弧を描いた彼女の目を見て察した。
「もしかして酔ってる?」
「あたぼうよ!素面でこんなん着れるか!ウォッカ一気飲みの後ひたすらスクワットして速攻泥酔したわ」
「いや何やってるの。危ないだろう」
「だって太宰、今年のクリスマスは特別イチャイチャしたかったんだろ?なのに、それらしい事全然してやれなかったからさ。せめてもの埋め合わせって事で頑張って着てみた!」
そう云って菫は得意気に胸を張ってフンと鼻を鳴らす。相変わらず顔には出ないが、それでも相当酔いが回っているのだろう。恐らく素面なら、顔を上げさせるだけで数十分は掛かる。本人もそれを判ってるから、態々酒の力で羞恥心を鈍らせるなんて荒技に頼ったのだ。特別な日を特別にし損ねた、私の為に──
「はぁ…。もう、これだから菫は……」
「なぁ太宰〜?感想プリーズ。酒が抜けた後の私が負うダメージに関わる問題なんだぞ?」
「ダメージ負うのは決定なんだね」
「あぁ、最低でも丸一日は羞恥で悶絶する自信がある」
「…ふ…ふふ…」
私の胸に身を寄せて、拗ねた子供の様に頬を膨らませる菫。その様に思わず笑みが零れる。私は彼女の頭を覆うフードを外して、その額にキスを落とした。そして、捨て身のプレゼントをくれた献身的なサンタクロースに、嘘偽りない心からの言葉で応える。
「凄く可愛い。ありがとう菫。こんな素敵なサンタさんが来てくれるなんて、矢張り佳い事はするものだね…」
私の言葉に菫は僅かに目を見張って、軈て満足気にはにかんだ。普段どんなに泥酔しても白い儘のその顔は僅かに赤く染まっていて、それを隠す様に菫は私の胸に顔を埋める。そんな姿が愛くるしくて、私はいつもの様に腕の中に彼女を閉じ込めて、優しく頭を撫でてやる。
「却説。君からこんなに素敵なプレゼントを貰ったからには、私も相応の品で返さないとね」
「え?いや、一応ちゃんとプレゼントは別に用意してあるぞ?これはオマケと云うかサービスと云うか……」
「あははは!またまたご冗談を。寧ろ、これ以上素敵なクリスマスプレゼントなんてあり得ないよ。菫の羞恥心的に」
「何でプレゼントが私のコスプレ前提なんだ」
「と云う訳で私からのプレゼントだけど……
菫。君は何が欲しい?」
「え……?」
私の問いに菫はキョトンとした顔で首を傾げる。そんな彼女を更に抱き寄せて私は続けた。
「欲しい物、行きたい場所、やりたい事、やって欲しい事。何でも叶えてあげる。
まぁ私が叶える以上、流石に限度はあるけど。でも、大概の望みなら叶えてあげられると思うよ?」
文字通り、自分から贈れる最大級のプレゼントを提示して、私は彼女の返答を待った。私の言葉を聞き終えた菫は少し考える様に俯き、軈て顔を上げると、両手で私の顔を引き寄せた。
「なら今日一日、──絶対死なないで」
その声は、まるで天使の歌声の様に柔らかに私の鼓膜を揺らす。けれど、彼女が紡いだその望みに私は反射的に口を噤んだ。それを見越していたかの様に、困った様に笑う彼女は私の額に自分の額を重ねる。
「君が自殺する事もなく、誰かに殺される事もなく、不慮の事故に巻き込まれる事もなく。いつも通り穏やかに過ごせると約束された一日。
一度でいいから、そんな“特別な日”を過ごしてみたいんだ」
最後に「駄目か?」なんて零して、彼女は私にキスをする。嗚呼、何処でこんなの覚えてきたのか。まったく末恐ろしいにも程がある。
けれど、たった数時間前に素敵なクリスマスの思い出を得た筈の彼女が、それでも尚私との“特別な日”を欲していると云う事実が
──どうしようもなく心臓を高鳴らせる。
「本当に欲張りになったね、君」
「自業自得。君が甘やかした所為だ」
「それは何より。私も手塩に掛けて可愛がった甲斐があると云うものだ」
私の至極当然の返答に、甘やかな笑みが途端に胡乱な表情に変わる。その愛くるしい呆れ顔を、私は指先でそっと撫ぜた。
「いいよ。君の望みを叶えてあげる。ただ…」
私は敢えて一度言葉を切って、不思議そうに首を傾げる小さなサンタクロースを横抱きに抱え上げる。自分に向けられるまん丸な目に吹き出しそうになるのを飲み込んで、先刻のお返しにとびきり甘い声で彼女の耳元に囁いた。
「死ねないストレスで、いつも以上に君を欲してしまうかもしれないけど。いい?」
途端に真っ白な耳が着ているサンタ服と同じ真紅に燃え上がる。反撃の成功を確信しつつ、私は彼女の出方を待った。軈て小さな両手がおずおずと私の肩にしがみ付く。そして、私の首元に顔を埋めたサンタクロースは、僅かだがそれでも確かに──小さく頷いた。
私は彼女を抱えた儘、自室の襖を開ける。ふと窓の方に目をやると、濃紺の夜を白い雪が舞っていた。
子供にとっては夢の夜。
大人にとっては秘密の夜。
そして、恋人達にとっては特別な夜。
それぞれ得るものは違うけれど、それでも皆一様に胸躍らせ待ち侘びる、年に一度だけの夜。
そんな聖なる夜を、しんしんと降り注ぐ雪が冷たくも美しく照らしていた。
「メリー・クリスマス、菫」