hello solitary hand・番外編

名前設定

hello solitary hand
苗字
名前
ミョウジ
ナマエ


夏の風物詩と云えば、花火に祭、そして海。

と云う事で―――


「さぁ思う存分遊び倒すが善い、少年少女達‼︎」

「待て、その前に準備体操だろう!お前ら其処に並べ!先ずは屈伸運動から」

「もう二人共行っちゃったよ国木ぃ〜田君」


そんな大人達の声を背に、少年少女達は波打ち際へと駆けて行く。嗚呼、夏の日差しに照らされて海にはしゃぐ敦君と鏡花ちゃんの眩い事。何だこの輝かしい光景は、下手すりゃ某大佐宜しく眼を焼かれるぞ。


「そうか…。これが“生命の輝き”と云う奴か。澁澤龍彦、今になって貴方の言葉の意味を理解したよ……」

、多分それ違うと思う」

「戻れお前達‼︎準備体操も無しにいきなり海に入る奴があるか⁉︎海中で足でもつったらどうする心算だ!」

「こぉら。心配なのは判るけど、あの二人なら大丈夫だろう。寧ろ、若者の楽しみに水を差す方が余程問題じゃないかいマスター?」

「お前はまたそうやって彼奴等を甘やかしおって…っ」

「まぁまぁ。の云う通り、敦君と鏡花ちゃんは我が社の優秀な新人だ。大概の事なら自分で何とか出来るさ。それより折角海水浴に来たんだし、私達も今日はこの大いなる海を堪能しようじゃないか!」

「全く…。こんな事なら彼奴等に備品の整理などやらせるのではなかったな…」


遡る事三日前。前衛的なオブジェと見紛う程に肥大化した太宰デスクの惨状に、国木田君がキレた。その勢いでお掃除スイッチが入った彼は、徐々に清掃範囲を拡大。最終的に社員を巻き込んだ大掃除に発展してしまったのだ。まぁ幸い、近頃の探偵社は特に大きな依頼も無く正直暇を持て余してしたので、寧ろ時間の有効活用になった訳だが。こと大掃除には、往々にしてある“宿命”が付き纏う。そう―――

整理整頓の為に取り出したアルバムとか思い出の品を懐かしんでいる間に、何時の間にか大掃除を忘れて気づけば夕方になってしまうアレだ。私達も例に漏れずその現象の虜となり、結果後半は皆で嘗ての思い出話に花を咲かせていた訳だが、その際以前探偵社の皆で行ったと云う“海水浴”の話が出た。何でも乱歩さんが唐突に『海の家のかき氷が食べたい!』と云い出したのをきっかけに、その場に居た面々で海水浴に行ったのだそうだ。因みにその時私と鏡花ちゃんは綺羅子ちゃんに頼まれて、社長お気に入りの和菓子屋さんに大福を買いに行っていたので不参加だった。序でに太宰も何時ものように仕事をサボってブラついて居た為、連れて行って貰えなかったらしい。備品整理の際発掘された浮き輪やビーチボールを眺めながら、その時の出来事を語る敦君は満面の笑顔で、余程楽しかったのだろうと一目で判った。そんな幸せのお手本の様な光景に頬を緩めていると、不意にポツリと小さな呟きが落ちた。


「海…私も行ってみたかった……」


そう云って、海水浴の思い出が詰まったビールボールを抱える和装の美少女が隣に居たら、人としてやる事は一つしかあるまい。


「どう鏡花ちゃん?海楽しい?」

「うん。連れて来てくれてありがとう」

「いいって事よ!あ、そうだ。ちょっと其処座ってくれるかい?折角だから戻る前に日焼け止め塗り直しておこう」

「此処に来る前にも塗ってもらったけど?」

「それがな?海水浴中はウォータープルーフの日焼け止めでも持続時間が短いらしいんだ。だから普段より気をつけてこまめに塗り直した方が良い。って、花の女学生ナオミ先生が云ってた」


手に取った日焼け止めを手足に塗ってあげながらそう説明すると、鏡花ちゃんは納得した様に頷いてくれた。嗚呼、しかしホントこの子は美肌女子だなぁ。まさしく白雪の様な柔肌に日焼けなんて言語道断。此度の海水浴、この子のぷるぷる卵肌は私が守らねば!

そんな決意を胸に日焼け止めを塗り終えた私は、「お待たせ。さぁ行っておいで」と鏡花ちゃんにゴーサインを出す。だが彼女は海へは戻らず、何故か日焼け止めの容器を手に取り私に向き直った。


「私も塗ってあげる」

「え?」

「おぉーっと!それには及ばないよ鏡花ちゃん。紫外線の脅威からの肌を守るのは、恋人である私の役目だからね!」


その瞬間、つい一秒前迄視界の何処にも居なかった筈の太宰が、マッハで私の肩を抱き寄せた。あれ?君、いつから瞬間移動の異能力者になったん?そんな疑問に思考を飛ばしていると、いつの間にか日焼け止めの容器を手にした太宰が、無駄に色っぽい声で囁き始めた。


「さぁおいで。此処だと人目に触れてしまうからね。誰も居ない二人っきりの場所で、この私がムラなく、くまなく、隅々迄塗ってあげよう」

「ありがとう鏡花ちゃん。でも私、今回は海入らんし。水着も持って来て無いから、そんなこまめに塗り直さんでも大丈夫だぞ」

「何で⁉︎」


透き通る夏空の下、驚く程邪な気配しかしない御託を完全スルーして目の前の美少女の頭を撫でると、メッチャ至近距離でこの世の終わりみたいな悲痛な叫びが上がった。


「ちょ、お兄さん。幾ら美声だからって耳元でそんな叫ばんといて」

「イヤイヤイヤイヤ、それよりも何で⁉︎水着待って来てないって何で⁉︎私ちゃんと荷物の中に入れておいてあげたでしょ⁉︎」

「国木田君に着火剤出して貰って先刻燃やした」

「クニキィィイダクゥゥウウンンンン!!!」

「煩い。文句なら燃やした本人に云え」

「悪いな太宰。だがアレ着るくらいなら、私はやつがれちゃんスタイルで熱中症に倒れる方を選ぶ」

「そんな…っ、あんまりだよ。私、君の事を思って三日三晩寝ずに選んだのに…」

「そう嘆くなよ太宰君。代わりにほら、先日通販で即ポチした“ビーチの探偵”Tシャツが日の目を見る日が来たぞ!」

「何で私が選んだ水着は燃やした癖に、そんなダサTシャツには嬉々として袖を通すんだい君‼︎」


珍しく本気で頭を抱えて砂浜に突っ伏す太宰。う〜ん。絶対こっちの方がいいと思うんだけどなぁ。恋人との埋まらないセンスの違いにぼりぼり頭を掻いていると、不意にぐぅ〜と高らかに腹の虫の鳴き声がした。


「あ…。その、すみません……。向こうから美味しそうな匂いがして、つい……」

「ふふ。いいよ敦君。あっちの方向なら、確か海の家があった筈だ。ちょっと早いけど、お昼ご飯買いに行こうか」


すると敦君は嬉しそうに目を輝かせて「はい!」と返事をする。未だ嘆きを垂れ流す太宰とレジャーシートの拠点を国木田君に任せ、私は鏡花ちゃんと手を繋いで先頭を歩く敦君の後を追う。


「はぁ〜、美味しそう。焼きそばに…、イカ焼きに…、フランクフルト…。あ、かき氷も!」

「其処迄判るのか。矢っ張り敦君の嗅覚は凄いなぁ!」

「僕のと云うより虎の嗅覚ですけど。でもさん、本当に良かったんですか?」

「ん?何が?」

「太宰さんの用意した水着を着るかどうかは別として。折角海に来たんですから、泳いだりしなくていいのかなって…」

「あ〜。いいのいいの。頻繁に入水する太宰君回収して遊泳なら間に合ってるし。浜辺でキャッキャウフフする柄でもないしね」

「海水浴、楽しくない?」

「いいや?メッチャ楽しいよ!君達が愉しそうに海で遊んでるの見てるだけで私は大満足だ!まぁ海の楽しみ方は人それぞれって事さ。幸い、このビーチは人も余り居ないしね」

「あ!云われてみれば確かに。以前海水浴に行った時は人でごった返してましたけど、此処はガラガラですね」

「太宰君オススメの穴場スポットらしいからね。私も多少は気構えてたんだが、これなら心置きなく楽しめそうだ 。ぶっちゃけ夏の海水浴場とか、下手な心霊スポットよりおっかないからね…。万が一、ヤンキーパリピ溢れる陽キャ御用達ビーチとかチョイスされてたら、きっと心折れて廃人になってたと思うよ私…」

「あ〜…、それは僕もちょっと嫌かも…」

「大丈夫。もしもの時は私が守るから」

「ありがとう鏡花ちゃん。でも夜叉白雪はしまっとこうな」


そんな事を話しながら、私達は目的地である海の家へと辿り着いた。流石に此処には何人か人が居て、アロハシャツを着たグラサンのお兄さん達が、網や鉄板の前で調理に精を出していた。


「へぇ…。海の家って初めて入ったけど、結構広いんだなぁ」

「わぁ〜。焼きトウモロコシのいい匂い…」

「はは。いいよ、焼きトウモロコシも買っていこう。鏡花ちゃんは何食べたい?」

「クレープ!」

「オッケー。後は長身コンビにも何か買ってってやんないとなぁ。あ!すみませんお姉さん、ちょっと注文宜しいですか?」

「はい!お召し上がりは店内ですか?それともテイクアウト……」


「「「あ…」」」




****




「おい太宰。本当に大丈夫なんだろうな?」

「何だい藪から棒に」

「この季節に無人のビーチなど、普通はありえん。貴様は穴場スポットなどと云っていたが、まさか立ち入り禁止の禁漁区か何かじゃないだろうな?」

「国木田君は疑り深いねぇ。私がそんな悪い事をする人間に見える?」

「はぐらかすな。質問にだけ答えろ」

「……ふふ、別に君が心配している様な事はないよ。このビーチに人が居ないのは、此処が関係者以外立ち入り禁止の“プライベートビーチ”だからさ」

「プライベートビーチ?」

「そう!だから安心し給え国木田君。元より非公開であるこのビーチで、面倒事なんて起こりようがないのだから」


―――ズザザザザ‼︎

刹那、二人の目の前で水飛沫の様に砂が舞い上がる。そしてその発生源には、私と鏡花ちゃんを両脇に抱えて、手足を虎に変化させた敦君が居た。


「やぁ、おかえり皆〜。随分とダイナミックなご帰還だね!」

「太宰さん!そんな呑気な事云ってる場合じゃ…っ!」

「来た…っ」

「あぁもう!」


鏡花ちゃんが短刀を構えると同時に、私は虎の腕から抜け出して大きく腕を振る。まるで金属同士が打ち合った様な音が青い空に登り、飛び散った火花が白い砂浜に消えた。


「だ〜ざいく〜ん?ちょっとこの状況説明してくんない?」

「ん?説明も何も、見た通りだと思うよ?」


そう返されて再び周囲を見やる。

グラサン集団を従えた見覚えのある三人組と、

対抗心でメラメラしている蜂蜜色の髪の乙女と、

対抗心通り越してギンギラギンの殺意剥き出しの黒外套。

云うまでもなく、芥川君&樋口ちゃん&黒蜥蜴withポートマフィアの皆様だ。

―――うん。どうしてこうなった?


「おうおう!敵組織の縄張りで買い物たぁいい度胸してんじゃねぇか?えぇ?探偵社さんよぉ?」

「此処はポートマフィアの所有地だ。悪いが即刻立ち去り給え」

「おのれ探偵社…!我々の領域に土足で踏み込んだ挙句不法占拠なんて。貴方達、一体誰の許可を得て此処にパラソルなんて差しているんですか⁉︎」

「「「…………」」」


怒れる樋口ちゃんのご指摘に、その場の探偵社メンバーの視線がある一点に集約される。真夏の太陽の下極寒の雪山をも凌駕する冷たい視線を一身に受けながら、元凶はニコニコと笑顔で手を振り返してきた。反省と云う概念すらハナから持ち合わせていない様なその反応に、私達より先にキレた国木田君が太宰の胸倉を掴み上げる。


「おい太宰…。お前、数秒前の自分の発言を覚えているか?」

「またまた〜。こんなの私達にとっては日常茶飯事じゃないか!」

「それについては否定しないけどさぁ。だからって、眠ってる獅子に態々興奮剤投与する事はないだろ…」

「大丈夫大丈夫。何せウチには勇猛な虎が居るからね。と云う事で敦君!頑張って!」

「ちょっと!無茶云わないで下さ―――」


―――ヒュン!


無責任のお手本の様な無茶振りに反論を口にした敦君の横を通り過ぎて、唸りを上げた高速の何かが飛来する。その通過点ど真ん中に居た太宰は咄嗟に首を曲げて躱すが、結果太宰の背後にあった木の幹が木っ端微塵に砕け散り、耳障りな音を立ててへし折れた。


「おい。避けてんじゃねぇよ糞鯖」


あー。彼まで出張って来ちゃったか…。こりゃ思ってたより荒れるかも。

そう苦笑しながら振り返ると、其処には鮮やかなパラソルを数本担いだ中也が居た。どうやら先刻の一撃は、重力操作を用いたパラソルの投擲攻撃だったらしい。


「げぇ…最悪。何で君まで居るの中也」

「そりゃこっちのセリフだタコ。此処は関係者以外立入禁止だ、裏切り者がいけしゃあしゃあと入り浸ってんじゃねぇよ」

「うわ酷い!過去を何時迄も引き摺って女性を非難するなんて最低。今すぐと鏡花ちゃんに謝りなよ」

「手前に云ってんだよ!面の皮防火扉か‼︎」

「別に私は気にしないぞ?実際その通りだしな」

「(コクコク)」

「あのなぁ…。お前もお前だぞ。大方此奴の口車に乗せられたんだろうが、ちったぁ行き先の下調べくらい…イヤ待て、それより何だそのダッセェTシャツは?」

「え?良くないコレ?久方振りに一目惚れして買ったお気に入りなんだが?」

「………あ〜…、おう。まぁ、お前が気に入ってんならいいけどよ…」

「ちょっと何折れてるの中也。良くないから。何も良くないから。此処は部下に命じて、今すぐの水着を手配させる所だろう。勿論デザインは私が選ぶから安心してね!」

「それ、灰になる水着が増えるだけだと思うが…」


―――バタン!


その時、唐突な衝突音と共に砂が舞い上がった。思わずその場の全員が視線を向けたその先で、枯れ木の様な痩躯が砂に沈んでいた。


「芥川先輩ーーー!!」


誰よりも早く状況を理解した樋口ちゃんが、涙目でやつがれちゃんを抱き起こす。普段血色の悪いその顔は、茹蛸の様に真っ赤になって湯気を上げていた。だが、幸か不幸かその原因は誰が見ても一目瞭然―――


「まぁ、こんな季節にこんな場所でそんな格好してればそうなるよねぇ」


太宰のその言葉に、恐らくこの場の全員が賛同した事だろう。何せこのやつがれちゃん、基芥川君、燦々と太陽が降り注ぐ真夏のビーチで、普段通り黒外套姿だったのだ。そう云えば最初の一撃を見舞われて以降、自棄に静かだなと思っていたが、熱中症で意識朦朧としてたんかな。


「うぅ…芥川先輩…。お気を確かに…」

「煩い…樋口…」

「なぁお前さぁ、流石に外套着てビーチは拙いって判るだろう?」

「っ…、獣風情が… やつがれに……、説教など…」

「イヤ、こればっかりは此奴の云う通りだぜ芥川。だから大人しく首領が用意した正装に着替えろって云っただろ?」

「くっ…、ですがそれは…。それだけは……」

「云いてぇ事は判る。お前の異能を考えりゃあ尚更な。だがよぉ芥川。俺達は此処に遊びに来てる訳じゃねぇ。首領の護衛って云う重要任務を仰せつかった身で、個人的な都合を優先させる自由なんざ俺達にはねぇんだ。だからな芥川―――今すぐ此奴に着替えて来い」


そう云って中也は、まさしくマフィアの幹部らしい厳かな表情でソレ・・を芥川君に差し出した。

爽やかな夏のビーチに相応しい―――トロピカルなアロハシャツを。


「っ〜〜〜!矢張り承諾しかねます!闇の体現たるポートマフィアが、斯様に浮かれ切った装いなど…。否、それ以前に極彩色の羅生門など、やつがれは断じて認めぬ‼︎」

「仕方ねぇだろ!エリス嬢が海水浴所望してんだ。普段の格好なんざ浮きまくる上に、最悪死ぬぞ!いい加減腹括って着やがれ‼︎」

「あ〜成る程。それで芥川君以外は逆にそんな格好だった訳か…」


断片的な会話の内容から、全ての謎が解けた私は改めてポートマフィアの面々を見やる。誰も彼も、何時もの黒服ではなく鮮やかなアロハや水着姿。実は私達が海の家で最悪なバッティングを果たしてしまったのも、これが原因だった。もし彼等が何時も通りの風体で現れていたなら、私達だって海の家からそっと回れ右して速攻太宰を問い詰めに蜻蛉返りしていただろう。それが叶わなかったのは、アロハ服の彼等が余りにも違和感なく海の家の風景に同化していた為だ。てか凄いなポートマフィア。幾らグラサンを常時装着しているとは云え、黒服をアロハに変えただけでここまでビーチに溶け込むとは。流石“ポートマフィア”を名乗るだけはある。


「ほら見給え敦君。あれが無茶振り上司を最上位に据えた黒よりドス黒いブラック組織の惨状だよ?恐ろしいねぇ。まぁ?職務内容は勿論、社員の身も心もクリーンな超絶ホワイト企業たる我が社には、一生縁のない世界の話だけどね?」

「云ってろペテン師野郎。大体手前等の何処がホワイト企業だよ。莫迦デケェ染みがこびりついてんだろうが。手前と云う名の」

「くっ…どうする…。俺には反論の言葉が一切思い浮かばん……」

「すまん国木田君。私も無理だ…。あぁ、こんな時に乱歩さんが居てくれたら…っ」

「ねぇ其処の二人。本気で悔しそうな顔するのやめて貰えるかな?」

「おっほん!あー、盛り上がっている所申し訳ないが、そろそろ本題に戻らせて貰っても?」


その時気まずそうな咳払いと共に広津さんが流れを絶った。因みに広津さんも例外なくアロハ姿である。ふむ、広津さん確かウチの社長より年上だった筈だが、中々仕上がった良い身体をしてらっしゃる。矢張り常日頃から前線に出てる人は違うなぁと内心で称賛する私を他所に、広津さんは年の功を感じさせる落ち着いた声で続けた。


「先程も話した通り、此処はポートマフィアが所有するプライベートビーチだ。部外者、それも敵対関係にある組織に、おいそれと利用させる訳にはいかん。よって君達武装探偵社には、速やかな退去を要求する」

「えぇ?いいでしょう別に。どうせ誰も遊んでないんだし」

「手前の耳は飾りか兵六玉。首領がお忍びで休暇に来てんだよ。さっさと消えやがれ」

「大丈夫大丈夫。どうせエリスちゃんの着替えに一日潰して、実際に海へ繰り出すのは二日目以降にるから」

「詳しいですね太宰さん」

「昔、私もこの手の行事に強制参加させられていたからね。うん。本当に、叶うなら脳内から消し去りたい負の記憶だよ」


そう俯いた太宰の眼からはハイライトが消えていた。だがそう云う事ならあの男と鉢合わせする危険性はなさそうだ。不幸中の幸いに私はホッと胸を撫で下ろす。しかしどうしたものか。

今はまだ比較的平和に話し合いが出来ているが、お互い血気盛んな武闘派集団同士。いつ実力行使の戦闘になるか判らない。筋を通すなら、ポートマフィアの所有地に無断で立ち入った私達の方が、非礼を詫びて立ち退くべきなのだろうが。海水浴を楽しみにしてくれていた鏡花ちゃんを思うと、此の儘帰ってしまうのは躊躇われる。何か平和的に、且つ向こうが納得してくれる形で譲歩して貰う手は無いものか…。


「ったくまどろっこしい!こんな奴等、力ずくで追い出しちまえば良いだろ!」

「落ち着け立原」

「おう探偵社。これが最終警告だ。大人しく帰るなら良し。だがこれ以上居座るってんなら、こっちもそれなりに持て成してやるぜ?」

「国木田さん…」

「ちっ、止むを得ん…。お前達帰り支度をしろ。今回の海水浴は中止」

「あーーー!そのーーーちょーーーっと待って頂けますかーーー⁉︎」


自分の肺活量を最大限活用して時間を稼ぎつつ、武装探偵社とポートマフィアの間に割って入った私は、オーバーヒート覚悟で脳味噌をフル回転させた。いやまぁ、国木田君の判断が正しい事は判るんだけどね。でももうちょっと何か手は無いかな?“皆で仲良く”は流石に無理だとは思うけどさ。せめて何かこう、海っぽい事して一つでも多く思い出にして欲しいじゃん。何か、何かないか?考えろ私。ありきたりな脳味噌を限界までぶん回せ‼︎


「何だよ。まだ何かあんのか?」

「えっと…、あの、あのだね……?ええっと…、その……」

「だから何だよ。云いてぇ事があんならハッキリ云え」


あああああ‼︎駄目だ何っも思いつかねぇ‼︎いっそ素直に“海水浴の続行”を中也に申し出れば聞き入れて貰えるだろうか?いいや駄目だ!如何にロリコン中年野郎の酔狂に振り回された結果とは云え、今の中也は護衛任務で此処に居るのだ。幾らそれなりの間柄とは云え、其処に付け込んで上からの命令に背くような事をお願いするなんて言語道断。況してや部下の皆さんの前なら尚更だ。どうする?どうすればいい?せめて鏡花ちゃんにクレープの一つでも食べさせてあげたい所だが……。


―――ピリリリリリ!


その時、私達の間を軽快な電子音が割く。音の出所は中也が羽織っていた赤いパーカーのポケット。其処から携帯端末を取り出した中也は、一瞬大きく目を見開いた。が、次の瞬間何とも云えない引き攣った顔を浮かべて通話に応じる。


「はい、俺です。……はい。はい。…ええまぁ…。はい。…イヤ、ですがそれは……はい。判りました。ええ。では失礼します」



ポートマフィアと云う組織に於いて、首領に次ぐ統率権を持つ五大幹部。その一角を担う中也の余りに恭しい対応。私が知る限り、通話相手の心当たりは二人。そしてその答えは、何時の間にか私の背後を取ってお決まりの定位置に収まった太宰の手の中。スマホの電子書面メールに添付された鏡花ちゃんの水着写真と、冒頭に記された“姐さんへ”のワンワードに集約されていた。


「太宰手前…、汚ねぇ真似しやがって……」

「おや?何の事だい?私はただ、もっといい写真が欲しいなら。撮影時間を延長して欲しいと、依頼主に交渉しただけだよ?」


中也と同様に五大幹部の一角を担う“姐さん”こと尾崎紅葉さん。烈々たる剣技と夜叉の異能を持ち、気品と非道さの両方を併せ持つ彼女は、時として組織の最高権力者たる首領すら頭が上がらない存在だ。

そんな彼女の好きなものは金ぷらと漬物。そして


―――泉鏡花ちゃんである。





****





真夏の砂浜に唸りを上げた豪速球が叩きつけられ、舞い散る砂がキラキラと陽光に輝く。


―――ピーーー!


「二十五対二十三!探偵社チームの勝利!」

「よっし!やったね鏡花ちゃん!」

「貴方が巧く拾ってくれたお陰」

「何やってるんですか立原!」

「仕方ねぇだろ!完全に気配消した状態で飛んでたぞあれ!」


ビーチに設えられたネット越しに、二組の男女がそれぞれ歓喜と悔恨に湧き立つ。そんな光景にピントを合わせ、シャッターを押した。する不意に後ろから手が伸びてきて、私の視界に色鮮やかな液体に満ちたグラスが現れる。


「わぁ!何だこれメッチャ美味しそう!」

「ウチの店のイチオシメニューって奴だ。味は保証する」

「へぇ、思ったよりガチで海の家経営してるんだな」

「海水浴ん時は海の家で食事してぇって、エリス嬢がよぉ。ったく何見て影響されたんだか」

「はは。全く、幹部になっても苦労が絶えないねぇ君は」

「うっせぇ莫ぁ迦」


そんな憎まれ口を叩きつつも、中也は私の隣にしゃがみ込む。渡されたドリンクはオレンジの爽やかさとマンゴーの濃厚さが見事にマッチしていて、まさにイチオシメニューの名に相応しい味わいだった。


「うん。すっごく美味しい。あとでシェフの方にお礼云っとかないとな」

「あ〜、……そりゃどうも」

「え……。あの…もしかしてこれ」

「わぁ、いい匂い!」

「あれ?中也さん⁉︎なんで態々⁉︎」

「煩ぇ。姐さんの許しが出たとは云え、此奴等は探偵社だぞ。この場を任された責任者として、目ぇ離す訳にはいかねぇだろ」

「……ふふ」

「何だよ」

「イヤ?なんでもないよ」

「あ、あの…。ところで…」

「あぁ、そうだったな!ごめんごめん。沢山動いてお腹空いたよな。という事で中也さん。そちら、頂いても?」

「チッ、ったく。まさか来店一号目がお前らになるとはな」


その整った貌にありありと“不服”の二文字を刻んだ中也は、深い溜め息を吐いて私に大きめのビニール袋を差し出す。その中には、焼きそばにイカ焼きに焼きとうもろこしと、海の家定番メニューがプラスチックの容器に入れられてぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。


「わぁ美味しそう!」

「ほいお箸、たんとお食べよ敦君」

「おう、お前はこれだったな。姐さんに感謝して食えよ?」

「!」


すると不意に、何かがフワフワと浮かびながら鏡花ちゃんの前に躍り出た。それは、生クリームとフルーツを贅沢に盛り込んだ特大のクレープだった。


「ホント便利だな重力操作。雑踏での食べ歩きとか余裕じゃん」

「阿呆。んな事に使うもんじゃねぇよこれは」


そんな談笑をしている間に、敦君と鏡花ちゃんは各々最初の一口を頬張る。感想は聞くまでもなく、輝きを増した瞳と仄かに染まった頬から予想はついたが、それを言葉で聞きたかった私は敢えて二人に問う。


「どう二人共?美味しい?」

「はい!前の海水浴で食べた焼きそばより美味しいです!」

「中の果物がゴロゴロしてて、クリームも沢山入ってる。美味しい」

「そっかそっか。良かったな二人共!どうやらプレオープンの評判は上々みたいですな幹部殿?」

「へいへい。お褒めに預かり光栄だぜ」


完全に諦めモードでそっぽを向く中也。私にとっては相変わらず微笑ましい反応だが、どうやら彼の部下にとっては若干対応に困るものらしい。どう動くべきか完全に迷っている樋口ちゃんと立原君に私はレジャーシートの一角を空けて手招きをする。


「君達も座りなよ。皆で食べようぜ?」

「はぁ⁉︎な、なんで私達がそんな事…っ」

「だって君達も連戦でお腹空いてるだろ?」

「てか何でお前等、探偵社とビーチバレーなんざやってんだよ?」

「海で遊ぼうとしたら、絡まれた」

「“この海で遊びたければ我々の屍を超えていけ”と…。でも、流石にこう云う場で戦闘はよくないからって、さんが代案を出してくれまして…」

「ビーチバレーで決着をつける事になった」

「丁度よくビーチバレーのコートを見つけたもんでね。広津さんに使用許可取って使わせてもらう事にした。あ、勿論異能力は使用禁止ね?」

「何やってんだよお前等…」

「だ、だって!納得いかないじゃないですか!芥川先輩が熱中症で苦しんでいると云うのに、彼等ばかり海を堪能するだなんて‼︎」

「あ、樋口ちゃんの怒りポイントそこだったのね」


因みにやつがれちゃんは現在、ポートマフィアが運営する海の家で妹の銀ちゃんに看病されてます。


「樋口の姐さんの主張は兎も角として、納得いかねぇのは俺も同じです。此処は俺達ポートマフィアの所有地、つまりは縄張りでしょう?何で探偵社なんかに明け渡さなきゃならないんすか⁉︎」

「話ちゃんと聞いてたのか立原。明け渡した訳じゃねぇ。滞在を許可しただけだ。約束の三時間が来たら即刻追い出す」

「でも…っ」

「これは五大幹部の命令だ。ポートマフィアである以上、お前に拒否権はねぇ。文句があんなら、死に物狂いで出世しろ」

「イヤ。仮に幹部まで登り詰められたとして、俺にあの人の発言覆せる訳ないでしょう?」

「まぁまぁ、そう気を落とすなよ立原君。人間誰しも得意不得意はあるさ。現に先刻の君のスパイクは実に素晴らしかったよ。流石は烏野の切り込み隊長だ!」

「なぁ、何云ってんだ此奴」

「あぁ、多分それは流して大丈夫だと思います」

「所で他のデカブツ共は何処行った?」

「太宰と国木田君ならあっちで釣りしてる。広津さんから良く釣れるスポットがあるって聞いた国木田君がノリノリでね。あ、そうだ!向こうの二人にも幾つか持ってってあげようかな」


そう思い立った私は、ビニール袋にプラスチック容器を詰め込んで立ち上がった。パラソルの下で美味しそうに頬っぺたを膨らませている後輩ズに見送られ、私は長身コンビが釣りをしている桟橋へ向かう。すると突然後ろから持っていたビニール袋を取り上げられた。驚いた私が振り向く間もなく、犯人は取り上げたビニール袋を下げて私の前を進んでいく。


「え…、あの。中也?」

「お前等から目ぇ離す訳にはいかねぇって云っただろ。さっさと行くぞ」

「あ…うん。ありがと」


前を歩く中也は無言の儘、振り返る事すら無かった。片手にビニール袋を下げ、もう片方の手をパーカーのポケットに入れた彼の後を、私は黙って着いて行く。

中也は何も云わない。気拙さとは違う。けれど容易く破れない沈黙が、波の音に紛れて私達の間を満たす。

それでも―――


「なぁ中也」

「……何だ」



それでも、これだけは云っておきたかった私は、意を決してその沈黙を破った。


「ジュース、美味しかった。ご馳走様」


足を止めた中也が漸く此方を振り返った。

呆れた様な。安堵した様な。そして、何処か懐かしそうな顔で、中也は苦笑した。


「おう。そりゃ良かったな」


それだけ云って、中也はまた歩き出す。その後を、数歩離れて私も歩く。私達の間には再び沈黙と波の音が満ちていったが、それは何となく、先刻より穏やかに聞こえた。




****




「お!また釣れた!やぁ、此処は本当に良く釣れるねぇ」

「…………」

「おや?おやおやおやおや?国木ぃ〜田く〜んもしかして未だに収穫ナシ?え?折角広津さんがこんなに良い場所を教えてくれたのに?」

「いいか太宰。釣りの醍醐味とは“待つ”事だ。魚が餌に食いつくまでの間、雑念を払い、心頭を滅却し、己の心と向き合う。それこそが釣りの本質。当たりが連発した程度で浮かれるのは三流の…」

「おぉ!またまた釣れたー!」

「だぁぁあああ‼︎クソ、何故だ⁉︎何故俺の所には全く当たりが来んのだ⁉︎」

「国木田君が怖い顔して海面を覗いてるから、魚が逃げちゃってるんじゃない?」

「魚に人間の顔など判るものか!単に場所の問題だ!おい太宰、其処を代われ‼︎」

「やれやれ仕方ないなぁ」

「随分と余裕そうだな太宰君」

「ん?そりゃまぁ既に十分釣れてますし。今更場所の交換くらい」

「釣りの話ではなく、臼井君の話だ。それとも、彼女を残して同僚と釣りに興じる事に、何か意図でもあるのかね?」


現役時代より大分フランクになったその問いかけに、私は微笑みを返して再び釣り糸を垂らす。


「勘繰り過ぎですよ。幾ら相思相愛の恋人同士だとしても、お互いのプライベートは尊重するべきでしょう?」

「隠れて彼奴の持ち物に発信機を取り付けて居る奴がよく云う」

「黙って国木ぃ〜田くん」

「この場には彼も居る。臼井君とて、多少思う所があるのでは?」

「ははは!判ってませんね広津さん」


あまりに莫迦らしい仮説に本気で笑いが込み上げた。恐らくは驚いて目を丸くしているだろう年上の元部下に背を向けた儘、私は波の上を漂う浮きを眺める。


が他の男に目移りするなんて有り得ませんよ。過去がどうであれ、今の彼女は文字通り私無しでは生きていけませんから。貴方もきっと判るでしょう。

―――がどれだけ深く、重く、盲目的に、私を愛しているかを知ればね」


広津さんが私の言葉に異論を唱える事はなかった。それどころか、この場の誰も口を開く事すら無かった。鼓膜を揺する波の音を聞き流しながら、私は砂浜の方へ視線を向ける。


「まぁでも、全く意図が無い訳でもありませんよ?だってずっと一緒に居たら、こうして彼女に迎えに来て貰えませんから」


眩い日差しに輝く海と砂浜。そんな夏の輝きすら、此方に向かって大きく手を振る彼女の姿に霞んで見えた。




****




桟橋の端で釣り糸を垂らす彼に手を振ると、嬉しそうな顔で振り返してくれた。その反応に少しテンションが上がった私は、砂浜から桟橋の上を駆けて彼の許へと向かう。


「やっほー太宰!調子はどうだい?」

「絶好調!ほら見て、こんなに釣れたよ!」

「わぁ、凄いな!流石太宰だ。こりゃ腕が鳴るなぁ」

「ふふふ。今日の夕飯、楽しみにしてるね」

「おい。バタバタ走るな。魚が逃げるだろうが」

「ちょっと国木田君?自分が坊主だからって八つ当たりは良くないよ?嗚呼、よしよし。可哀想な。大丈夫、私が着いてるからねぇ」

「おう。ありがとう。国木田君も悪かったね。お詫びと云っちゃなんだけど、差し入れ持って来たからちょっと休憩しないか?」


私を抱き締める太宰の腕を一旦抜けて振り返ると、丁度中也も到着していた。中也から袋を受け取り中のプラスチック容器を取り出していると、太宰がニヤニヤとした顔で私の背中に凭れ掛かってきた。


「おやおや中也ぁ。荷物持ちご苦労様〜。君の無駄に有り余ったパワーも役に立つ時があるんだねぇ?」

「おい。その割り箸寄越せ。この莫迦の脳天に突き刺してやる」

「おお怖い!こんな爽やかなビーチで流血沙汰なんて、流石は脳味噌迄筋肉で出来た原始生物だ。どうぞ母なる海にお帰りよ。親戚のプランクトン達と仲良くね」

「手前こそ挽き肉にして海にばら撒いてやろうか。折角釣りしてんだ。質は最悪だろうが最後に撒き餌の役には立つだろうぜ?」

「悪いがそんな餌で釣れた魚など此方から願い下げだぞ」


国木田君の的確なツッコミなど諸共せず、お約束とばかりに啀み合う二人。あー、何か懐かしいなこの感じ。ポートマフィア時代を思い出すわ。なんて考えながら、私はフランクフルトが入った容器を太宰に差し出した。


「これこれ、喧嘩しない。……のは、君等には無理だと思うが、取り敢えず腹拵えしてからにしようぜ?」

〜。私釣り竿で手が塞がってるから食べられな〜い。君が食べさせて?ね?」

「手前の腕は何の為に二本もぶら下がってんだ。両方引き千切って新種の魚類にしてやろうか」

「は?哺乳類の腕を引き千切ったって魚類になる訳ないだろう莫迦なの中也」

「はいはい取り敢えず喧嘩の前にご飯にしような。ほら太宰、あーんして」

「まるで保育士を見ている様だな」

「残念ながら何時もの事だ」

「あーん」


その時、口を開けてフランクフルトに食い付こうとした太宰が、残像を残して消えた。


―――ザバァン!


「っ⁉︎太宰‼︎」


刹那。大きな水柱が立ち上り、その先で何かが飛沫を上げて沖の方へと進んでいく。その合間に、包帯だらけの手が波に揉まれて浮き沈みしていた。


「太宰‼︎」

「莫迦、待て‼︎」

「離してくれ中也!太宰が…っ!」

「見りゃ判る!だが落ち着け!先ずは状況を理解すんのが先だろうが‼︎」


反射的に太宰の後を追って飛び込もうとする私を抑え込んだ中也は、張り詰めた視線を海へと向ける。その視線の先には矢張り水飛沫と、時折り覗く太宰の手。恐らくは何かが太宰を海中に引き摺り込んだのだろうが、海に隠れてその正体がまるで判らない。


「何だあれは…。まさか鮫でも出たのか…っ⁉︎」

「阿呆云ってんじゃねぇ!此処はウチのプライベートビーチだぞ⁉︎んなもん入って来られる訳ねぇだろ‼︎」

「では何だと云うのだ⁉︎現に今、太宰が海に引き摺り込まれておるではないか‼︎」

「っ…!」

「ふむ。驚いた。まさかあの話は本当だったのか…?」

「広津さん、何か知ってるんですか⁉︎」


正体不明の存在に緊張感が走る私達の中で、比較的冷静な儘の広津さんは、私の問いに顎髭を撫でながら答える。


「今朝、此処でレモン爆弾による爆破漁をしていた梶井から、沖の方で黒く蠢く謎の物体を見たと報告があったのだが……」

「貴様!よくもそんな場所で俺達に釣りなどさせていたな‼︎」

「イヤ、てっきり何時もの徹夜明けの幻覚かと…」

「あぁ、そりゃ仕方ねぇわ」


まさかのカミングアウトに、怒りの儘広津さんに掴み掛かる国木田君。対照的に中也は何かを諦めた様な顔で項垂れていた。だが、未だアレの正体は判らず、そして未だ太宰はその正体不明の何かに海の中を引き回されている儘だ。幾ら日常的に自殺未遂を繰り返し、己の心拍すら操れる常識外れない太宰とは云え、此の儘海に引き摺り込まれれば溺死は免れない。


「―――っ!」


アレの正体について、考えても埒が明かない。今の最優先事項は太宰の救出だ。そう判断して、私は中也に目を向けた。


「中也!兎に角今は…っ」

「ったく仕方ねぇなぁ!」


云うが早いか、中也は桟橋に繋いであったジェットスキーに飛び乗った。重力操作の推進力も上乗せられたジェットスキーは、太宰を連れ去った謎の物体を追って走り出す。


「待ってくれ‼︎」

「おい⁉︎」

「うおっ⁉︎」


国木田君の声を背に私は空気拒絶で海上をかっ飛ぶと、中也の運転するジェットスキーの後ろに飛び乗った。これには流石の中也も驚いた様で、此方を振り返って目をまん丸に見開いていた。


「莫迦野郎!何やってんだ⁉︎」

「私も行く!太宰が連れてかれたのに、黙って待ってられるか‼︎」

「お前なぁ…っ」

「中也、前!」

「!」


今迄此方に無反応だった謎の物体が、急に此方へ攻撃を始めた。海の中から次々と水柱が上がり、船体が大きく傾く。


「チッ、小賢しい真似しやがって…。とばすぞ、振り落とされんなよ‼︎」

「うん!」


海中から此方を狙って立ち上る水柱の間を縫い、ジェットスキーは水飛沫を上げて移動する包帯だらけの手を追う。太宰との距離は既に五メートル程度迄縮まった。もうすぐ助けられる。そう思った瞬間、私達を囲う様に水柱が上がった。


「太宰‼︎」

「クソ!」


後一歩の所で太宰との間を隔てる水の障壁。躱そうにも全方位を囲まれて回避出来ない。万事休すかと思われたその時、耳慣れた声が私を呼んだ。


さん‼︎」

「っ⁉︎」


一閃。鋭い何かが水の障壁を切り刻み、その中から巨大な頭足類の足の様なものが現れた。水と云う隠れ蓑を失い、異形その儘の姿で襲い来るそれを、屈強な虎の腕が抑え込む。


「敦君⁉︎」

「早く太宰さんを!此処は僕達・・に任せて下さい!」


その声に呼応する様に、夜叉白雪が異形の足をバラバラに切り刻む。そして敦君が着地したのは、何ともトロピカルな極彩色の帯の上。


「太宰さんの窮地…。則ちやつがれの力を認めさせる好機!ならばこの程度の屈辱、甘んじて受け入れよう‼︎」

「頑張って下さい芥川先輩!」

「おい、もっと踏ん張れ銀!俺達迄海に引き摺り込まれるぞ!」

「〜〜〜っ!」


砂浜にはアロハシャツに袖を通した芥川君と、病み上がりの彼を支える樋口ちゃん達の姿があった。トロピカル羅生門が異形を縛り上げ、敦君と夜叉白雪がそれを撃破していく。その見事な連携プレイに私だけでなく、中也までもが感嘆する様に笑った。


「彼奴等やるじゃねぇか!突っ切るぞ、しっかり捕まっとけ‼︎」

「あぁ、頼んだ中也!」


頼もしい後輩達の活躍で窮状を脱した私達は、今度こそ太宰の許へ向かった。ぷかぷかと海面に浮かぶ太宰の手。あと少しで届くと思われたその手は、しかし急に海の中へと吸い込まれた。


「太宰‼︎」

「おい‼︎」


私は咄嗟にジェットスキーから飛び降り、太宰の手を追って海中へと潜った。青く透き通った海の中で、眠り姫の様な美しい貌が海底へと落ちていく。必死に水を掻いて、空色に漂うその手を掴むと、私は自分の許へと手繰り寄せた。瞼の閉じられたその顔を見て、早く引き上げなくてはと上を向いたその瞬間、


―――暗く深い水底から、脳を直接揺らす様な声がした。


「腹が…減った………っ」


その声を、私は知っていた。

それが何なのかも、私は知っていた。


頭足類の様な足を海中に漂わせ、広大な海の底に鎮座する海魔の様な異形。それを見た瞬間、私の脳内で点と点が線が繋がった。


「チョコレートやアイスクリームは……、無いのか………?」

「―――っ‼︎(ゴボゴボっ)」




****





「と云う訳で!実に愉快な海水浴だったよ。ねー皆ー?」

「愉快な訳あるか‼︎最初から最後迄貴様の所為で散々な目にあったわこの迷惑噴霧器が!」

「私は楽しかった」

「僕も。まぁ太宰さんが海に引き摺り込まれた時は、どうなる事かと思いましたけど…」

「大変でしたね。それで太宰さんを襲った謎の物体って、結局何だったンですか?」

「えっと、それが…」

「ダイオウイカ」

「へ?」


途端に話を聞いていた谷崎君の目が点になった。だが私はそれに怯む事なく、あの日と同じ様に確固たる毅然とした態度で云い切った。


「謎の物体の正体はダイオウイカだ。なんか海流の問題で誤って浅瀬に迷い込んでしまったらしくてな」

「はぁ…。じゃあそのダイオウイカは、ポートマフィアが処分を?」

「イヤ。好物で誘き寄せて沖に誘導した。大分離れた所まで連れてったから、もうあのビーチには出ないと思う」

「好物…?え?ダイオウイカの好物って何ですか?」

「チョコとアイス」

「………それ本当にダイオウイカなんですか?」

「ダイオウイカだ。チョコとアイスが好きな紛う事なきダイオウイカだぞ」


後輩に明らかな疑いの目を向けられながらも、私は笑顔でゴリ押した。まぁ流石に本件の協力者である中也には本当の事を話したが。お陰で海の家からありったけのチョコとアイスを頂いて、あの旧支配者を遠い沖まで誘導出来た。うん、平和的に解決出来てホント良かった。正直あんなとんでも生物とそう何度も戦いたくないし。


「乱歩さん。ダイオウイカってなんですか?」

「すっごくおっきい烏賊の事」

「わぁ、やっぱり都会って凄いですね!僕も見てみたかったなぁ」

「ダイオウイカのは無いけど、さんが沢山写真を撮ってくれたから、良かったら見る?」

「本当ですか!是非見たいです!」

「これがビーチバレーでポートマフィアに勝った時の写真」

「え?待って、何でポートマフィアとビーチバレーなンてしてるの?」


此度の海水浴の写真を広げて各々盛り上がる後輩達。その姿を微笑ましく思いながら、私は応接用のソファーでサボりの体制に入った太宰の前にしゃがみ込む。


「云うのが遅れたけど。ありがとな」

「ん?」

「紅葉さんに交渉して、遊べる時間確保してくれてさ」

「あぁ。礼には及ばないよ。最初からああなる事は想定してたからね」


なら抑々別のビーチに行けば良かっただろう。なんて、野暮なツッコミは飲み込んだ。ポートマフィアとの衝突と云うリスク前提で彼があのビーチを選んだ理由は、何となく想像が付いていたから。


「手間の掛かる恋人ですまんな太宰。でも、凄く楽しかったよ―――“初めての海水浴”」

「そう。なら良かった」


満足気に、何処か安堵した様に太宰は笑う。けれど不意に彼は「あぁでも」と声を上げて、あからさまに拗ねた様な顔をした。


「君の水着姿が見られなかったのは、唯一の心残りだよねぇ…」

「まだ根に持ってたんか君」

「だって私、凄く楽しみにしていたのだよ?それなのに燃やすだなんて、あんまりじゃないか」

「ん〜、だってなぁ。鏡花ちゃんだけなら兎も角、あの場には国木田君や敦君も居たしなぁ。

流石に君以外に見せる訳にはいかないだろ」

「え?」


その途端ソファーに転がっていた太宰が飛び起きた。珍しく本気で驚いた様な顔で此方をガン見してくる太宰に、私は深い溜息をはいた。


「あのな…。幾ら仲間内だからって、流石に脚とか腹とか胸元とか露出するのは拙いだろ。私はあくまで君のなんだし…」

「…………」

「だから、別に君が選んでくれた水着が気に入らなかった訳じゃない。ただ、あれくらいしないと君が強硬手段に出ると思ったから…。正直、ちょっとやり過ぎたって、反省してる……」

「………じゃあもし仮に、私の他に男が居ない場所でなら、君は水着を着てくれるって事?」

「あぁ、うん。まぁ、君が着て欲しいなら…」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「………ちょっと待ってて、今すぐ無人のビーチ探すから」

「今度はポートマフィアの所有地以外で頼むぞ」


こうして、武装探偵社に於ける今年二度目の海水浴、基私の記念すべきビーチデビューは何とか無事幕を下ろした。しかしどうやら、近い内に私はもう一度あの爽やかな夏の海に降り立つ事になるらしい。その時は、彼の前でだけなら、今度こそ海らしい装いに挑戦してみよう。検索を始めた恋人の真剣な横顔を眺めながら、私は人知れずそんな誓いを立てたのだった。


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