hello solitary hand・番外編
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どうしてこうなった。
―――と、彼女ならきっとそう云うだろう。
眼を焼くスポットライトに照らし出された私は、壇上からその光景をげんなりと眺めていた。此方とは対照的に真っ暗な影の下に犇めく参加者達は、鬼の様な形相で我先に声を上げ値を吊り上げていく。まるで絵に描いた様な、人間同士の醜い争い。普段なら指を指して笑い、酒の摘みにでもするだろうその光景。だが残念な事に、今は失笑すら浮かばない。何故なら今の私の立ち位置は、その醜い争いを端から眺める“傍観者”ではなく、寧ろ争いの中心たる“当事者”だからだ。
嗚呼、本当にどうしてこうなってしまったのだろう。常に先を読み、ありとあらゆる未来を見通す私の予想から外れた最悪の事態。其処からどうやって軌道修正したものかと思考をフル回転させながら、私は肺の酸素を全て絞り出す様な深い深い溜息を吐いた。
****
「「「“闇オークション”?」」」
三者三様に首を傾げ私の言葉を鸚鵡返しする同僚と、後輩と、恋人。そんな三人に私はニッコリと笑って頷いた。
「そう。“闇オークション”。表で取引出来ない品々に参加者が値を付けて最高額を提示した客に売り渡す、非合法組織御用達の競売場さ。で、今回その競売場の一つを摘発する為の証拠集めに協力して欲しいと個人的に依頼を受けたのだよ。
「でも異能特務課って、異能力者を管理統括する組織ですよね?何で闇オークションなんか…」
「あー…察し」
「そう云う事か」
「え?国木田さん?菫さん?」
如何やら大人組は思い至った様で、二人揃って何とも苦々しい表情を浮かべた。だが先輩達と対照的に、敦君は未だ不思議そうな顔で眼をぱちくりさせている。そんな後輩に、私は優しい先輩の代表としてヒントを出してやる事にした。
「敦君。確かにただの闇オークションなら、喩え違法行為だとしても特務課にとっては管轄外だ。では逆に。どんな事件なら特務課は動かざる負えなくなると思う?」
「え…。それは勿論、異能力者が関わる事件で……。っ!まさか…っ」
漸く真相に辿り着いた敦君に、私は満面の笑みを以て正解を口にした。
「そう、件の闇オークションでは
―――
話によると、元々其処は人身売買や窃盗を生業とする無法者達が寄り合い出来た、ごく普通の違法競売場だったらしい。だがある時、仕入れた人間の中に偶然異能力者が紛れ込んでいた。しかもその異能力者を競りに掛けた所、一般人の倍以上の値で落札されてしまったのだ。これに味をしめた運営側はそれ以降商品を異能力者に絞り、世にも珍しい“異能力者を売買する闇オークション”が誕生したのだと云う。
「だが、抑々異能力者の数は一般人より遥かに少ない。異能力者のみを扱う闇オークションなど本当に成立するのか?」
「今の所は成立しているみたいだよ。まぁその代わり
「成程…、そりゃ秘密組織の特務課も出張ってくるわな」
如何に超常の力を持つ異能力者とは云え、不測の事態や数の力には敵わない。更に悪い事に、出品された異能力者を買い取る顧客の殆どは裏側の人間だ。放っておけば非合法組織の勢力が拡大し、間違いなく表側との均衡が崩れる。
「まぁこれだけ派手に動いてたら、近い内にポートマフィア辺りが殲滅に乗り出すだろうけど。特務課としては、競り落とされた異能力者の詳細とか諸々調査しておきたいそうでね。連中が闇に葬られる前に、法的手段で処理したいんだってさ」
「依頼の内容は判った。だが証拠集めと云っても、具体的には如何する心算だ?」
「簡単だよ。私が商品としてその闇オークションに潜入する」
「「「は!?」」」
私の発言に眼を見張って、またしても彼等は三人仲良く同時に疑問符を上げる。予想通りのその反応に笑いながら、私は作戦の概要を説明した。
先ず私が商品として件の闇オークションに潜入し内情を探る。その後オークションに出品され、売買が成立した所を見計らって軍警を投入。違法人身売買の現行犯で参加客諸共闇オークションを摘発すると云う流れだ。
「異能力無効化の異能力者なんてそうそう居ないし、連中は喜んで飛びつくだろう?それに私なら、眼にした証拠や情報は何一つ忘れないし、大概の拘束は自力で解けるからね」
「まぁ、お前が潜入に適任なのは判った。それで、その個人的な依頼を俺達に話した意図は何だ」
「国木田君達にはオークションに参加して、私を競り落として欲しいのだよ。普段通りに競りが終わってしまえば、落札し損ねた客は直ぐに散ってしまう。でも、何の後ろ盾も無いポッと出の一見さんに稀少品を掠め取られたとなれば話は別だ。きっと誰も彼も私の強奪を目論んで、君達を待ち伏せする筈だよ」
「そして連中が会場に留まっている内に、軍警が突入して一網打尽と云う筋書きか」
「そう云う事」
「でも、そんなに巧く行きますか?」
「大丈夫だよ。その為に特務課が五千万円程手配してくれる事になっている」
「ご、五千万!?」
「今の所、過去最高落札額は一千万円だそうだ。其処に来て五千万円の値が付けられた商品を、何処の馬の骨とも知れない素人が不用心に連れ歩いてたら、ネギと鍋を背負った鴨にしか見えないだろう。常連客は勿論、転売狙いのハイエナ迄纏めて釘付けに出来るさ」
「しかし、よく特務課がそれ程の投資に踏み切ったな…」
「この件は彼等にとってそれほど重要だと云う事だよ。まぁそれに、最終的には自分達の手元に戻って来ると確定した出費だからね。お堅い役人の財布の紐も、ちょっとは緩むと云うものさ」
「………おい太宰。今回の件、本当にそれだけか?」
「おや、如何云う意味だい国木田君?」
「如何に特務課からの依頼とは云え、物臭太郎の生まれ変わりであるお前がそんな面倒事を進んで請け負うなど、何か裏があるとしか思えん」
「酷いなぁ。私だって、ここぞと云う時はちゃんと真面目に働くよ。それに異能力者専門の競場なんて、私達からしても他人事じゃないからね」
すると国木田君は、眉間に皺を寄せつつも口を噤んだ。流石付き合いが長いだけあって、これ以上の追及は無駄と察したらしい。実際、国木田君の指摘は正しい。だが残念な事に、本件は異能特務課の参事補佐官殿直々の依頼だ。そして彼には、以前取引をした際「異能特務課からの依頼があった際は、一件だけ無償で全面協力する」と云う約束を交わしている。まぁその取引で得られたものの価値を考えればこの程度、負債にすらならないけれど。結果私はこうして、柄にも無く面倒事に一役買う事になった訳だ。
「まぁでも最初に云った通り、これは私個人が特務課に依頼された案件だ。よって無報酬のタダ働きになる。だから、もし気が乗らないなら断ってくれて構わないけど」
「何云ってるんですか!太宰さん一人をそんな危ない目に遭わせられませんよ!」
「お前の事はどうでも善いが、探偵社員として今聞いた話は見過ごせん。協力はしてやるから、後で一杯奢れよ」
「うふふふふ、君達ならそう云ってくれると思っていたよ」
「駄目だ」
その時、纏まりかけていた空気に一石が投じられた。ポカンとした三対の眼がその声の方へと向けられる。そしてただ一人否を唱えた彼女は、もう一度同じ言葉を繰り返した。
「駄目だ。私は断固反対する」
「菫さん?」
「どうした菫?確かに無報酬と云う点は問題だが、これはヨコハマの平和に関わる」
「そう云う問題じゃない!」
「……菫…?」
国木田君の言葉を断ち切る様に上げられた声は、本気の否定と怒りが滲んでいた。確かに彼女が私を心配して、この件に異を唱える事は想定していた。だがここ迄激昂するとは一体どういう事だろう。何が彼女の逆鱗に触れたのかと今迄の会話を頭から思い返していると、その検証が終わる前に菫が私の両肩を乱雑に掴んだ。
「闇オークション…?潜入調査…?挙句商品として態と捕まるなんて、そんなの…、そんなの……、
太宰君がモブおじに乱暴されちゃうだろうが!!エロ同人みたいに!エロ同人みたいにっ!!」
「何の話をしているのかな菫お姉さん!?」
突然謎の単語を口走った菫は、しかし私の疑問に答える事無く、ぐわんぐわん私の肩を揺さぶると見た事も無い様な必死の形相で叫んだ。
「駄目だ!考え直せ太宰!確かに君は大概左側ポジションに据えられる事が多いが、年上相手だと余裕で右側にされちゃってたりするんだぞ!?況して相手は森羅万象、因果律すら捻じ曲げる最強の存在だ!そんな奴等の所に態々捕まりに行くなんて、ポートマフィアの首領に十二歳以下の幼女差し出すのと同義じゃないか!!」
「菫さん、ちょっと落ち着いて下さい!」
「離してくれ敦君!こんな超絶美形で可愛いちょい悪儚げ色男、モブおじ共が放っておく訳無いじゃないか!どう足掻いても『げへへ…』な展開まっしぐらじゃないか!太宰が…私の可愛い太宰が傷物にされるー!!」
「阿呆かお前!こんな奴に手を出す連中など居る訳無いだろう!いいから一度落ち着」
「あ゛ぁ゛ん!?おうおう聞き捨てならねぇな国木ぃ~田君よぉ!よく見ろほら!こんな傾国級の別嬪さん捕まえて好き勝手出来ると知ったら、ルパンジャンプ不可避だろうが!!完全にルパジャン製造機だろうが!!駄目駄目お姉さんそんなふしだらな展開絶対許しませんよ!!」
「はいはい、その前に取り敢えず落ち着こうね菫お姉さん。どうどう」
何故か怒りの矛先を国木田君に向けた菫の腹に腕を回して、今度は私が彼女を引き寄せた。まるで毛を逆立てた猫の様に荒れ狂う彼女を宥めようと、膝の上に座らせて頭を撫でてやる。何時もならこれである程度落ち着く筈だ。その筈なのだが、尚も菫の暴走は納まらず、今度は私の首元にしがみ付くと彼女は駄々を捏ねる子供の様に首を横に振った。
「頼むよ太宰、考え直してくれ…。モブおじは…、モブおじは本当にヤバいんだって…」
断片的な発言から推測するに、どうやら菫は私が潜入先で如何わしい眼に遭う事を心配しているらしい。実際裏社会では、そう云った偏執的な趣味嗜好の持ち主もザラに居る。しかし、彼女がそう云った危険性を真っ先に危惧したと云うのは少々意外だった。とは云え、菫がこんなに取り乱す程私の身を案じてくれた事は矢張り嬉しくて。隠しきれない笑みを滲ませながら、この愛くるしい駄々っ子をどう宥めようか考えていると、不意に菫が妙案を思いついたと云わんばかりに顔を上げた。
「あ、そうだ!太宰じゃなくて私が潜入すればい」
「は?駄目に決まってるだろう」
滲んでいた隠しきれない笑みが一秒の間もなく消え失せた私は、この後暫く彼女と本気の論戦を繰り広げる事となったのだった。
****
しんと静まり返った地下駐車場。その一角に停めたワゴン車の中で複数並んだ電子画面に眼を落としながら、私は耳に嵌め込んだ通信機からマイクを口元に下ろした。
「こちら菫、客足がどっと増えた事以外は特に変化無し」
『了解した。こちらも予定通り恙無く進んでいる。後は大トリである奴の出番を待つばかりだ。それさえ終われば、この悪趣味な催しからも漸く解放される…』
「まぁ当然だけど、人買いのオークションなんて気分の良いもんじゃないよな。敦君も大丈夫か?」
『はい。ちょっと此処の空気は居心地悪いですけど…、何とか…』
『俺達はいい。それよりお前の方こそ大丈夫か?』
「大丈夫だよ国木田君。私はこの通り平常心だ。何も拙い事なんて無い、ノープロブレムさ。ハハハハ」
『そうか。では今聞こえた拳銃の
「うん。先刻のは拳銃じゃなくて散弾銃のリブ嵌めた音」
『判った。取り敢えず今のお前が平常心を語るな』
こんな時でも的確なツッコミを決める同僚に内心で賞賛を送りつつ、私は何時でも会場にカチコミを掛けられるように体制を整えた。何せ此処は闇オークションの会場。そう。“闇オークション”だ。二次創作において必ず一度はネタにされ、時として公式に迄その勢力を伸ばす鉄板ネタだ。一般的には愛されヒロイン枠がオークションに出品され、それを金持ち枠がポンと大金出して買い取ると云う流れがセオリーだが、場合によっては絵に描いた様なゲスい金持ちに落札されバッドエンドと云う展開もなくは無い。それにこれ迄の経験上、太宰が態と敵に捕まる時は、危害を加えられる事も折り込み済みと云う場合が殆どだった。普段「痛いのは嫌いだ」とか云っておきながら、必要と有らばその痛みすら必要経費として割り切るのが彼だ。故に目的を果たす前である今この時、もし舞台裏で手荒い扱いを受けていたとしても彼は特に抵抗もせず流すだろう。それで調子に乗った此処のスタッフが変な気でも起こしたら、最悪「げへへ…売り出される前に俺達も楽しませて貰おうじゃねぇか」的な展開に―――
「許さん。そんなけしからん展開は断じて許さんぞ…。イエスイケメンノータッチ。この禁を破りし愚者には死あるのみ。慈悲は無い」
『会場に乗り込む時は一声掛けろよ。巻き添えは御免だ』
『あれ…?』
『ん?どうした敦?』
国木田君が敦君に声を掛けたその時、耳に嵌めていた通信機が会場の騒めきを拾った。異能の関係で人混みに潜入出来ない私の為に、花袋君に頼んでハッキングして貰った監視カメラの映像を確認すると、矢張りオークションの参加者達が何やら不安そうに蠢いている。
「何か会場がザワザワしてるけど、何かあった?」
『判らん。どうやら騒ぎの中心は入口付近の様だが…。敦、見えるか?』
『えっと…ちょっと待って下さいね…』
敦君が虎の目で状況を確認している間、私も入口付近の映像を映した電子画面に眼を落とす。その途端、私の耳に何ともガラの悪い怒声が飛び込んできた。
『おい糞餓鬼!手前今の言葉もう一辺云ってみろや!!』
『フッ、脳味噌だけでなく耳すらお飾りとは、いっそ憐れみに値する愚鈍振りだな』
『んだとゴラァ!』
入口付近の映像に映っていたのは人集り。だがその中心地はぽっかりと空間が空いていて、四人の人影が睨み合っている。否、正確には三人が一人を睨みつけていたと云った方が正しい。そしてこれまた見るからに堅気じゃない三人組に取り囲まれた痩躯は、小さく咳を落として顔を上げた。
『畜生にも劣るその不憫な理解力に免じて、今一度だけ教えてやろう。貴様等如き愚物がこの場を訪れた時点で、既に身の程を弁えぬ癲狂。あの人を…、太宰さんを競り落とすのは
―――この
『「何やってんの彼奴(あの子)!!?」』
奇しくも私と敦君のツッコミが見事にハモった。てか、え?何?何で此処に居んの
『菫さん…あの…』
「うん。こっちでも確認した。取り敢えず敦君は国木田君の影に隠れてて。此処で
『わ、判りました…』
『しかし、何故ポートマフィアが此処に…。まさか、裏切り者の太宰諸共このオークションを潰しに…』
「否、多分アレ単に推しを競り落としに来ただけのガチ勢です」
だが拙い事になった。
『はっ!笑わせんじゃねぇ糞餓鬼!身の程を弁えてねぇのは手前の方だ!』
『応ともよ!手前の目的は知らねぇが、俺達はに負けられねぇ理由があるのさ!』
『誰にも邪魔はさせねぇ…。奴を競り落とすのは俺達だ…。そして憎っくきあの男に、今こそ“復讐”を果たす!』
『復讐…だと…』
予期せぬダークホースの出現に愕然としていると、何やら会話の雲行きが怪しくなって来た。どうやら芥川君に食って掛かっていた三人組は太宰と面識がある様だ。しかもその不穏な言葉には、何と云うか…並々ならない憎悪と怨讐を感じる。まさか、ポートマフィア時代に潰した敵組織の残党―――
『忘れもしねぇ六年前!我が憧れのマドンナ、酒屋の若女将で未亡人のサユリさんを奪ったあの糞餓鬼を、俺は絶対ぇ許さねぇ!!』
『同じく四年前!俺の心のオアシス、純朴な花屋の売り子だったアヤメちゃんを汚したあのスケコマシは、俺が必ず地獄に叩き落とす!!』
『去年の冬!人生初の彼女、大学卒業後は結婚を申し込もうと夢見てたスミカちゃんを誑かしたあの間男に、今こそ裁きの鉄槌を!!』
―――違ったー!あれ歴代のNTR被害者だー!!
『くだらぬ。“復讐”と云うから何かと思えば、ただの負け犬共か』
『んだとゴラァ!』
『誰が負け犬だオラァ!』
『手前みたいな餓鬼に、愛する女を奪われた俺達の悲しみが判るかチキショー!!』
『吠えるな喧しい。貴様等が幾ら嘆こうと、この場に於いては財力が全て。たかが負け犬三匹分の端金であの人を手に入れようなど、浅はかにも程がある』
『おいおい。奴に復讐を誓ったのが
『何…?』
『俺達はただ、代表者として此処に来ただけさ。共に復讐を誓い合った同志達の代表としてなぁ…』
『その数総勢四十八人!!何奴も此奴も奴を葬る為なら自己破産も厭わねぇ覚悟だ!!』
―――しかもまさかのNTR48選抜メンバーッッ!!
『最早俺達に失うものは何もねぇ!喩え地獄に堕ちようとも、あの悪魔野郎を道連れに出来るなら本望だぜ!!ひゃーっはっはっは!!』
『『「………」』』
その悲壮感と狂気が入り混じった高笑いに、私達探偵社メンバーは何とも云えない沈黙を余儀なくされた。否、確かに太宰の女癖の悪さを考えたらその影で涙を飲んだ男の一人や二人は居ると思ってたが、まさか“被害者の会”迄発足されて居るとは思わなかった。しかもあろう事かこのタイミングで、自滅覚悟の特攻を仕掛けてくるとは…。アレ
『聞き捨てならないわね。彼に復讐だなんて、そんな事私達が許さないわ』
『―――!?何者…っ』
その時、ヒールの音を高らかに響かせて数人の女性達が
『太宰君を手に入れるのは私達よ!彼を大事にしてあげられないなら、今すぐ此処から立ち去りなさい!!』
『何だ貴様等は…』
突然の第三勢力出現に、流石の
『スミカちゃん!?何で此処に!?』
『何で?そんなの、太宰君を競り落とす為に決まってんでしょ!』
『正式に太宰君を手に入れられるこのチャンス、みすみす逃すものですか!』
『失われたあの甘く幸せな時間を、私達はもう一度取り戻す!誰にも邪魔はさせないわ!』
―――“被害者の会”・アナザーサイド参戦してきたー!!
『最初から判ってた…。彼は本気じゃない、これはお遊びなんだって…。でも、喩えそれが嘘だとしても私は…私達は、彼が微笑み掛けてくれればそれでよかったのよ…っ』
『なのに、太宰君は近頃私達と全然会ってくれなくなった…。どんなに連絡しても理由をつけて断られて、電話にも出てくれない』
『だから私達は決めたの。此処に居る全員で太宰君を手に入れて、全員で彼との時間を平等に分け合おうって』
『具体的には一日交代制。その間、担当日じゃない人のメールや電話連絡は禁止よ。既に半年先迄シフトが埋まって居るわ』
『そんな…、やめるんだスミカちゃん!あんな奴の為に、君が大金を掛ける必要なんて』
『は?何云ってんの?お金払うのは私達じゃなくて、財布係のチョロ男達に決まってんじゃん。アンタと同じで、彼奴等電話一本で幾らでも口座に振り込んでくれるもの』
『んなっ!?』
トドメの一言に沈む“被害者の会”C(仮名)。その姿は画面越しとは云え、とても直視出来ない程惨たらしいものだった。
『おい…、菫……』
「ごめん。こればっかりは謝罪以外に発言権ないわ私……」
『何て云うか…、女の人って逞しいんですね……』
何てこった…。まるでホストに貢ぐキャバ嬢に貢ぐ客の図だ。誰も幸せになれない負の食物連鎖が見事に完成してしまって居る。取り敢えずこの件が片付いたら、太宰君とはじっくりお話しさせて頂くとして。喫緊の問題は、
『ほう、随分と骨のありそうな連中が揃ってるじゃあねぇか。矢っ張競りってのはそう来なくちゃな』
「―――っ!?」
その時、余りにも聞き覚えのある声が、通信機越しに私の鼓膜を揺らした。その声に思わず画面に食いつく様に顔を寄せると、高級感のあるコートを肩に掛けた小柄な人影が、トレードマークである帽子の鍔を上げた。
『だが生憎だったなぁ。最後に奴を競り落とすのは
―――俺達ポートマフィアだ』
―――
『ったく、独断専行もいい加減にしろよ芥川。どんなに早く着こうが、競りの開始時間は変わんねぇぞ?』
『す、すみません…。しかし、
『まぁ、その気持ちは全く判らねぇけどよ。俺達は首領の勅命で此処に来たんだ。それを忘れんじゃねぇ。いいな?』
『……はい』
流石の
『しっかし、成る程な。見るからにキナ臭ぇ招待状だとは思ってたが、こう云う事か…。なぁ、手前等も此奴を見て此処に集まった口だろう』
そう云い放った中也は、懐から何かの紙を取り出した。それを見た“被害者の会”の代表者達が、驚いた様に各々同じ大きさの紙を取り出す。中也は「招待状」だと云っていたが、流石に監視カメラ越しのこちらからはその内容を確認出来ない。
「敦君。君の虎眼で内容見えそうか?」
『すみません…、流石に文字までは……あ!』
『どうした敦?』
『三枚とも右下に同じマークが付いています。あれは…、
その瞬間、私は全てを悟った。
太宰の予想を見事裏切り、このオークションに突如として“被害者の会”が大集合した理由を。そして私は誰にも聞こえない心の中で渾身の叫びを上げた。
―――何してくれとんだあのヒ魔人野郎!!
『まぁ各々譲れねぇ目的はあるんだろうが、奴は俺達が頂く。そして首領から仰せつかった管理者権限の下、手始めに奴を一週間ドッグランの敷地に首だけ残して埋めてやる』
『はぁ!?巫山戯んな!んなゆるふわな方法で俺達の無念が晴らせる訳ねぇだろうが!野郎は市中引き摺り回しの上打首獄門だゴラァ!!』
『そうはさせるもんですか、太宰君は私達が一生大事に養っていくのよ!私達の生き甲斐を誰にも奪わせはしないわ!』
『笑止。あの人が居るべき真の場所は闇の具現たるポートマフィア。そして
正しく一発触発の空気。それを見守る探偵社メンバーは、最早ツッコミどころか驚く気力さえ失って居た。誰もが“どうすんのコレ”と言外に探り合っている中、私は運転席へと移りエンジンキーを回した。
「悪い二人共、少し外す。その間太宰の事頼んだ」
『は?おい、どうする心算だ菫!?』
私の声と車のエンジン音に、国木田君が慌てた様に声を上げる。かなり私怨も混ざっていたが、仕事モードの中也が本気で太宰を競り落としに来た時点で、想定される最高落札額は一気に跳ね上がった。とてもじゃないが五千万円では足りない。此の儘ポートマフィアが太宰を落札したら、軍警が突入した瞬間大戦争が勃発する。だからと云って、今から特務課に増額を求めても受理される迄時間が掛かるだろう。だから―――
「ちょっとパトロンに交渉掛けてくる」
私はそう云い残して、車のアクセルを踏み込んだ。
****
もう厭だ。最悪だ。死にたい。
この壇上に晒されて、もう五十三回目になる慨嘆。件のオークション内で裏側の情報は十分収集出来た。後は作戦通り国木田君達に私を落札して貰い、取引を終えて軍警の突入を待つだけ。…だった筈なのに。国木田君達の位置を探ってぐるりと客席を見渡すと、其処にある筈の無いセンスゼロのダサ帽子を見つけた。かち合った碧眼が愉快そうに厭な笑みを浮かべるのを見て、私は此処最近で一番の不愉快を感じた。しかもその隣にはギンギンに眼光を飛ばす芥川君迄居る。説明を求めて国木田君達に視線を投げるも、げんなりとした表情で眼を逸らされた。敦君に至っては死者を弔う様に合掌する始末だ。更に競りが始まると、勇ましい女性の声が開口一番「一千万」と云い放った。いきなり過去最高額を提示したその声の方を見ると、見覚えのある女性達がこぞって私に熱い視線を送っていた。彼女達が何者なのか、その答えに思い当たった瞬間、サッと血の気が引くのが自分で判った。加えてその過去最高額は、何故か私に並々ならぬ殺意の眼差しを送る男達によっていとも容易く塗り替えられた。それを皮切りに謎の三つ巴の構図が瞬く間に構築され今に至る。
あり得る筈の無いこの地獄の様な有様。明らかに第三者が裏で糸を引いている。そして、私の眼を掻い潜りこんな事態を引き起こせる男を、私は一人知っていた。何時ぞやの蒐集家と同じ様に、奴が異能力者の情報を売り渡していたとしたら、この闇オークションが品切れを起こさず成立していた理由も説明が付く。原因の解明に至った脳裏に「余興は多い方が善いでしょう?」と云う魔人の声が蘇って、不快指数が更に上がった。
「七千万!」
「七千二百万!」
「七千五百万!」
競り上がった金額は、特務課から支給された予算をとうに越えて居た。国木田君達は大分前から魂の抜け切った様な顔で、凄まじい競り合いを繰り広げる三組を呆然と眺めている。と云うかその三組も、競争心と会場の熱狂に煽られて引き際と自制心を見失っている様だ。中也達は別にどうでもいいが、他の一般人二組は仮に落札出来た所で、その後地獄の負債生活が確定するだろう。その辺りの転落劇も、あの魔人はニヤニヤ笑いながら鑑賞する心算なのかもしれない。そんな事を考えている内に、耳障りなよく通る高音が私の耳をつん裂いた。
「だぁぁクソ、なら一億!一億だ!!」
前の座席に足を掛け此方を指さすチビの啖呵に、会場が今迄で最高の歓声に包まれた。一気に金額を桁ごと釣り上げられ、他の二組も唖然として固まっている。街を牛耳るマフィアの幹部が全く大人気ない。湧き上がる歓声以外に声は上がらず、私を指さした中也は不愉快なドヤ顔を浮かべた。
「え…?あの…、い、一億…?」
「おう、その馬鹿一億で買ってやる。……本来は一銭の価値もねぇがな」
矢張り競はポートマフィアの勝利に終わった様だ。予想はして居たが心底不快極まり無い。他に提示者が居ない事を確認し、司会者が半ば呆然としながらも木槌に手を掛ける。それを見て、私は競の間に考えていた四百以上ある脱走方法の再精査を始めた。
「で、では…一億円で落さ」
「―――五億だ!!」
刹那、会場の扉が盛大に開け放たれた。
客席は勿論、舞台の裏側に居たスタッフ迄もが驚愕をありありと浮かべて顔を出す。
其処に居たのは一人の女性。
一目で上物と判る黒い着物。花月巻にされた髪。白い肌によく映える紅を唇と目元に差したその女性は、一見すると極道の女組長の様にも見える。だが―――
「その男、私が五億で買わせて貰う」
だが、そう告げた声は、
精巧に貼り付けられた虚勢の笑みは、
間違いなく私の最も愛しい女性のものだった。
****
この施設の中で、最も清潔で豪華な応接室。其処で一通りの手続きを終えた落札主の前に、商品である私は手枷を嵌められて連れ出された。
「ではお客様、此方が商品になります」
「嗚呼、有難う」
向けられた表情は見事な程に造り込まれ、普段の柔らかさなど見る影もない程に鋭く研ぎ澄まされていた。
「待たせてしまってすまない。此方さんが、小切手を現金に変える迄は会わせられないと云うんでね」
「申し訳ありません。何分こう云う商売ですので、どうかご容赦を。いやぁしかし、こんな豪気なお客様は初めてです!幾ら珍しい異能力者とは云え、五億も積まれるとは」
「なぁに。お宅等の噂を聞いて立ち寄ったら、丁度好みの男が売られてたから買った。それだけさ。何せ、前の旦那に先立たれてから何かと矢面に立つ事が多くてねぇ。花のある顔でも傍に置いとかないと、気が狂って誰彼構わず撃ち殺しちまいそうになる…」
「へ…?あ、嗚呼…。それは何とも、その…気苦労の絶えない事で…」
「ぷっ…くく…」
即興の作り話だろうが、彼女の性格上絶対にあり得ないそのミスマッチに思わず吹き出してしまった。だが彼女の話をすっかり鵜呑みにしたオーナーは、慌てて私に怒鳴り散らす。
「おいお前、何笑ってんだ!失礼だろうが!!」
「触るな」
オーナーが私に掴み掛かろうとした瞬間、刃の様な鋭い声が空気を裂いた。その声に心臓を刺し貫かれた様に、オーナーがピタリと動かなくなる。
「その男は私のものだ。人売り風情が触るな」
応接用のソファーに座った儘の彼女は、抜き身の刀剣の様な眼差しを此方に向けていた。その鋭利な光に不覚にも見惚れていると、不意に彼女は私に視線を移して手を差し伸べた。
「おいで」
たった一言そう告げられ、私は取り敢えずそれに従った。彼女の前迄歩み寄り差し伸べられた手の前に跪くと、その手が優しく私の頬を撫でる。馴染みあるその感触に眼を細めながらも、私は間近にある彼女の顔を観察していた。何時も相手を安堵させる様な柔らかい表情を浮かべる彼女が今、真っ赤な紅を差して凛と張り詰めた空気を纏っている。初めて見るその表情に魅せられる一方で、まだ自分の知らない彼女の一面があった事に僅かばかりの不満が滲んだ。だからだろう。
その下にある見知った彼女を、暴いてやりたくなったのは。
「嗚呼。これから私どんな事されちゃんだろう。お願いだからせめて優しく扱って下さいね?」
触れる手に自ら頬を擦り寄せ、上目遣いで甘ったるく微笑む。態と色を含んだ声で囁いて、すぐ其処にある毅然とした瞳を覗き込んだ。僅かな動揺も見逃さない様に、端正に繕われた仮面の綻びを探る。その下にある筈の、愛くるしいあの表情を。
けれど―――
「っ!?」
鼻腔を掠めるのはよく知る彼女の匂い。けれど、眼前に広がる艶やかな色彩に彩られた目元は、私が知るどれとも違う。まるで鼠の喉元に爪を立てる猫の様な、獰猛で、妖しく、背筋が泡立つ程に―――美しい光だった。
「安心しろ。望み通り優しく優しく愛でてやる。帰ったらすぐにでも、な」
私の顎を掴んで引き寄せた彼女は、そう告げると立ち上がる。そして、私の腕を掴んで立たせると口をあんぐりと開けて固まっているオーナーを見下ろした。
「それじゃあ私達はこれで失礼」
「…あ、はい…お気をつけて…」
生返事を返すオーナーに踵を返し、彼女は錠の掛けられた私の手を引いて扉を潜る。隣に並んだ事でちょっと視線を向ければ、抜かれた後ろ襟から覗く真っ白な頸が見えて、先刻大打撃を受けた心拍を余計に乱される。自分の心臓など意図的に止められる程自在に操れるのに、握られた手から伝わる冷たい温度が私の中で勝手に熱に変わる。そんな不測の事態に対策を講じる事すら出来ずにいると、不意に彼女が此方を振り向いた。
その視線に射止められた様に呼吸ごと体の機能が停止する。するりと頬を這う指先があまりに優美で心臓が煩い。流れる様な動作で私に身を寄せた彼女は、背伸びをして私を抱き寄せる。耳元を浅い吐息が掠めて思考が落ちた。今迄に無い不可思議な感覚。その正体も掴めず籠絡されていく私に、彼女が小さく囁いた。
「なぁ、此処迄来ればもう大丈夫かな?」
「………へ?」
「この辺に監視カメラは無かったと思うが、盗聴器とかも設置されてたりしないよな?」
「………あ、うん。大丈夫」
「そっか。いや〜、善かった。もうこれ以上は表情筋が限界でさ〜」
私の返答を聞くや否や、彼女は盛大に伸びをして自分の頬をぐにぐにと揉み解す。其処にあったのは紛れもない、私のよく知る柔らかく暖かい彼女の表情だった。
「てか、太宰大丈夫だったか?此処の奴等に変な事されてない?」
「え…、嗚呼うん。大丈夫だけど…」
「なら善かった。もうホント心配してたんだぞ太宰〜。あ、一応先刻の奴から手錠の鍵預かってるけど要る?」
懐から鍵を取り出した菫に私は首を振って指を鳴らした。それを合図に手首を拘束していた枷がジャラリと落ちる。
「うん。何時見ても鮮やかだな」
「有難う。所でこれは一体どう云う―――」
その時、後方に気配を感じて私は彼女を自分の後ろに下がらせた。コツコツと硬い靴底の音が狭い暗がりに反響し、徐々に此方へ近づいて来る。だが恐らくこれは此処のスタッフのものではないだろう。皮膚に刺さる様なこの刺々しい気配を、私はよく知っていた。
「やぁ、まだ帰っていなかったのかい―――芥川君?」
溶暗の中に浮かび上がった漆黒は軈て私達の前で足を止め、鋭い眼光を湛えながら小さく咳を落とした。
「生憎と、まだ仕事が残っております故」
「嗚呼そうだった。寧ろ君達は、その為に
眉間の皺を増やした芥川君が口を噤む。しかし、彼の返答など聞かなくとも察しはついていた。何せ彼等の首領は、最小のリスクで最大の成果を常に求める合理主義の権化なのだから。
「ポートマフィアの本当の目的は、この闇オークションを異能特務課に潰させる事。そうだろう?」
「え…、どう云う事?」
「前に説明した通り、ポートマフィアにとってこの闇オークションは自分達の縄張りを荒らす害虫だ。けれど、異能特務課がその摘発に動き出してしまった以上、下手に動けば自分達にも飛び火する可能性がある。それならいっそ特務課に此処を潰させて、蛻の殻になったこの闇オークションをポートマフィアが頂いてしまおうと云う算段さ」
だからあの人は、得体の知れない鼠の謀略に乗ってやったのだ。さしもの特務課も、自ら非合法行為を認可した犯罪組織相手では不用意に動く訳にはいかない。況して其処に異能力すら絡まないとなれば、愈々もって管轄外になる。結果ポートマフィアは邪魔者が消えた上、新しい流通網と収入源を得て万々歳。全くあの人らしい、実に無駄の無い奸計だ。
「大方、私の出品を聞いて特務課の動きを察したのだろう。君達を遣わした本当の目的は、特務課に先んじて関係者と犯罪の物証を押さえる事だ。被害に遭った異能力者の所在をどうしても掴みたい特務課は、否が応でもポートマフィアに借りを作らざるおえない。その負債を、此処での違法行為を黙認させる事で支払わせようと云う訳だ」
「完全にヤーさんの発想じゃねぇか…」
「どっちも似た様なモンでしょ?」
小さくツッコミを入れた菫にそう返すと、仕切り直す様に芥川君が咳払いをした。
「全て貴方の仰る通りです。此度の件は首領の勅命。故に、もし邪魔立てすると云うなら―――」
「しないしない。私が特務課から依頼されたのは、この闇オークション摘発の手助けだ。その後の後処理迄はそれこそ管轄外だよ」
「ちょ、いいのか太宰!?」
「実際このオークションを潰した所で、孰れまた無法者達の吹き溜まりになるだけだよ。それに彼等なら、少なくとも表側との均衡を不用意に崩す様な品を扱う事もない。まぁあの人の思惑通りって云うのはかなり癪だけど、現状それが一番纏まりの善い落とし所だ」
「ん〜…、まぁ、君がそう云うんなら…」
「有難う菫。却説、と云う訳だ芥川君。因みにオーナーはこの先の応接室に居るよ。捕まえたいならどうぞ?」
「承知。…その前に、臼井」
「へ?え?私?」
「貴様以外に誰が居る。……最後に
「は、はい…。何でしょう?」
突然名を呼ばれ頓狂な声を上げる菫。そんな彼女に眉間の皺を増やした芥川君は、また小さく咳をして口を開く。
「先刻貴様が提示した金額。あれは誠か?」
「え…。嗚呼、うん…。まぁ…」
「如何様に工面した?」
「知人に…ちょっと借りまして…」
「では、あれは不当に得た金ではないのだな?」
「ん?…うん。一応、合法で一時的に借り受けたお金だけど…」
「…………」
「あの…、芥川…君?」
「………。……ならばよい」
長い沈黙の後にそう零した芥川君は、私に一礼すると其の儘横を通り過ぎて行った。突然の問答に首を傾げた菫は、しかし不意にハッと息を飲むと小さく私に耳打ちした。
「なぁ太宰。若しかして私今、
「勘違いするな!
「はい!サーセンでした!!」
「と云うか芥川君、よく今の聞こえたね」
「っ!!」
私がそう云うと芥川君は目を丸くして硬直した。此方としてはツッコミの心算だったのだが、如何やら彼の中で勝手に称賛としてカウントされてしまった様だ。
「でも私も気になるなぁ菫〜。君のその格好の事も含めて、ちゃんと説明してくれる?」
「ん?嗚呼、それはな―――」
****
「と云う訳で、事件は無事一件落着!証拠品として押収されていた五億円も返却されましたので、指定の口座にお返ししておきましたよ」
「はぁ…、巧くいって善かったである…」
「急に無理なお願いしちゃってすみません。でも、お陰様で助かりました。貴方が居なければどうなっていた事か…。本当に有難う御座います、ポオ氏」
すると今回の立役者、基ポオ氏は少し嬉しそうに口元に弧を描いた。
「まぁ、突然『お金を貸して欲しい』と云われた時は正直驚いたであるが…。しかし、菫君は乱歩君にとって大切な後輩。無下に断る訳にはいかないである」
「ふふ、じゃあ帰ったら乱歩さんにもお礼を云わなきゃですね」
圧倒的財力を誇る新勢力相手に絶体絶命のピンチを迎えた武装探偵社。そんな私達を救った、…と云うか、藁にも縋る思いで送ったSOSサインに応じてくれた慈悲深き救世主。それこそが、元
とは云え、私も彼にお願いしたのは九割五分ダメ元だった。如何にポオ氏が乱歩さん激推しの善良な気弱男子だとは云え、その後輩にいきなり大金を貸して欲しいなどと要求されて『はい、どーぞ』と差し出してくれる訳はない。と云うか、それが成立したら完全にただのカツアゲだ。そう思いつつも、他に頼れる当ても冴えた妙案も浮かばず、私は額を地べたに擦り付け誠心誠意頭を下げて彼に助けを求めた。そんな私の懇願に、矢張りポオ氏は最初当惑しているようだったが、
「いや〜ホント凄かったなぁ、ポオ氏の行動力…」
出された茶を啜りながら、私はしみじみと感嘆を漏らした。交渉成立から僅か二十分後、彼が渡してくれた小切手には五億と云う破格の数字が並んでいたのだ。まぁ確かに「証拠品として一時的に押収されますが、必ず全額お返しします」とは云ったが、まさかあそこ迄の金額を貸し付けてくれるとは思っていなかった。断言しよう。あの一件で五億と云うとんでもない金額に一番度肝を抜かれたのは、間違いなくこの私だ。更には、「支払う金額に違和感を感じない人物を装った方がいいである」と云うポオ氏の配慮で、衣装さんとメイクさん迄呼ばれた私は、『若くして夫に先立たれ、愛を求めて彷徨う悲しき
「それで…、その、菫君?約束の事であるが…」
「ええ勿論。今日はその為にお休みも貰ってきましたからね。ご満足頂ける迄、幾らでも語って差し上げますよポオ氏」
「嗚呼、夢の様である!乱歩君が今迄解決した事件の話を、その場に居た当事者から直に聞けるだなんて」
「いや〜。寧ろ、そんなお礼しか思いつかなくて申し訳ない」
「何を云うであるか!乱歩君の超推理は世界の宝!人伝とは云えその煌めきの数々を知る事が出来るなど、金には変えられぬ最高の対価である!それに巧くすれば其処から乱歩君の弱点を見出し、今度こそ吾輩の
乱歩さんの話になった途端饒舌になりテンションを上げるポオ氏に、私は益々親近感を覚えつつも、改めて偉大な先輩を得た幸運と、そんな先輩をこんなにも慕ってくれるご友人の存在を嬉しく思った。
「嗚呼、まさに感無量!思い切って本国の別荘を担保にした甲斐があったであるなカール?」
「……はい?」
微笑ましく緩んでいた私の顔面が、その一言で一気に凍りついた。
「あの…、ポオ氏?それってまさか、あの五億の為に…?」
「む?嗚呼、それが一番手っ取り早かったであるからな。まぁ別荘と云っても、幾つか所有している内のひとつに過ぎぬ。暫くは使う予定もないので何の問題も無いである」
「………」
「菫君?」
アライグマと一緒にキョトンと首を傾げるポオ氏に、私はノーモーションで土下座を決めた。それと同時に、私が知る限りの乱歩さん事件簿を喩え喉が潰れても語り倒さねばと心に決めた。
****
ヨコハマの異能力者を悩ませていた“闇オークション事件”は、これにて無事幕を閉じた。運営側は勿論、競に参加していた客達も次々と逮捕され、現在特務課は被害に遭った異能力者の保護に大忙しだと云う。一応依頼主には本件の黒幕の存在を報告はしたが、恐らく尻尾すら掴む事は出来ないだろう。そして見事漁夫の利を得たポートマフィアは、乗っ取った会場を使って現在真っ当な非合法競売を営んでいる。まぁ、あれだけの勢力が各々の思惑で動いた結果と考えれば、大分マシな幕引きだろう。ただ、唯一問題を挙げるとするなら―――
「はぁ〜……」
「太宰さん、最近元気無いですよね…。矢っ張りこの前のオークションの件が堪えたんでしょうか?」
「まぁ、あんな目に遭えば普通はそうなるだろう。だが……」
「? 国木田さん?」
「その男は私のものだ。人売り風情が触るな」
「安心しろ。望み通り優しく優しく愛でてやる。帰ったらすぐにでも、な」
「(いやいやいや、何アレ。あんなの反則でしょ。普段ふわふわと愛くるしい癖に、あんな凛々しい顔であんな事…。嗚呼無理もうどうにでもして。と云うか寧ろどうにかされたい。あ、否。でも私は抑々相手を翻弄するタイプであって、あくまで主導権は私が、あー、けど矢っ張り危ないお姉さんの菫にいいようにされるのも捨てがた)はあぁぁ〜〜……」
「よし、あれは単に阿呆が阿呆な事を考えているだけだから無視しろ。関わると碌な事にならんぞ」
こうして、意図せず恋人の新たな可能性を目の当たりにしていまった私は、その後暫く“ギャップは最強”と云う彼女の格言を深く深く噛み締める事となったのだった。