若き獅子
それは今から20年前のこと。
ニニアンは元々、弟と共に竜の世界で暮らしていた氷竜だった。
だがある日、どうしても「外の世界を見てみたい」と思い立ち、謎の声に導かれた二人は、異世界とこの世界を繋ぐ「竜の門」を開き、このエレブ大陸へとやって来た。
しかし異世界で暮らしてきた氷竜である二人は、気候の合わないエレブ大陸では長く生きられない。
故にほんの少し、外の世界を見たらすぐに戻るつもりだった。
……だが、運命の歯車は大きく狂ってしまった。
訳あって、ニニアンは踊り子、弟のニルスは吟遊詩人として放浪の旅をしながら、命を狙う暗殺集団「黒い牙」から逃げる日々を送ることになってしまったのだ。
その旅の途中に出会ったのが、当時17歳のエリウッドだった。
行動を共にするうちに、ニニアンは次第に彼の魅力に惹かれていった。
しかし……
『……私は氷竜……
元の世界に帰らなければならない……』
全てが終わり、異世界に帰らなければならなくなった時、ニニアンはエリウッドへの思いを無理やり断ち切ろうとしていた。
だが、そんな彼女の背中を押したのは弟のニルスだった。
『ニニアンを……姉さんをお願いします』
本当は好きな人と一緒にいたい……
ニルスはそんな姉の気持ちを察して、迷いを断ち切らせた。
それもニニアンの幸せを願っての決断。
弟の後押しを受けたニニアンは異世界へは帰らず、エリウッドと共にフェレに向かったのだった。
『……異大陸へ帰ったニルスのことが……気がかりです』
『この世界に残ったこと……後悔してるのかい?』
『いいえ……
ニルスが私の背中を押してくれなければ……私はあなたへの気持ちを隠してニルスと共に帰っていたでしょう……
私はニルスにとても感謝しています…… だからこそ心配で……』
『……そうか……』
『あの子も私のように……幸せに暮らしていればいいのですが……』
『……そうだね。
でもきっと君の弟なら……幸せになると思うよ』
『……ええ……私も……そう信じます』
『……ニルスに心配かけないように、僕は君を精一杯幸せにしてあげなきゃね』
『エリウッド様、私はあなたといるだけでとても幸せです……』
『……ありがとう、ニニアン……』
それから2年が過ぎた頃。
ある日突然、エリウッドはフェレ城から姿を消した。
誰にも何も告げず、たった一人でどこかへ行ってしまったのだ。
『エリウッド様……』
彼の身に何かあったら……
たった一人で城を出た彼に、万が一のことがあったら……
ニニアンはただただ、心配でならなかった。
そして何の連絡もないまま、3日が過ぎたとき……
『……ニニアン』
エリウッドはニニアンの元に帰ってきた。
『! エリウッド様……!
一体お一人でどこへ行かれていたのですか!?
何も告げず……何日も帰らず……私……ずっと心配していたんですよ……』
『……すまないニニアン……
だけどこれを……君にあげたくて……』
『これは……』
エリウッドが渡したもの、それは極寒の高知にしか咲かない白い花。
ニニアンがエリウッドと共にイリアを訪れた時に、好きだと言っていた花だった。
『エリウッド様……私の為にこれを……?』
『……それを君に渡した上で……伝えたいことがあったんだ』
『え……?』
『……ニニアン、僕と……結婚して欲しい……』
それはエリウッドがずっと心の内に秘めていた、ニニアンへの思い。
ニニアンは心が温かくなった。
エリウッドの気持ちが詰まった花を大事そうに胸に抱え、やがてコクりと頷いた。
『……はい、エリウッド様……』
フェレ侯爵エリウッドと、その妻となるニニアンの結婚式は盛大に行われ、二人にとって深く心に刻まれた思い出となった。
『ニニアン、僕は君が傍にいるだけで幸せだよ……』
『私も……とても幸せです……』
二人は人々が羨むほど仲睦まじく、見る者すらも温かい気持ちにさせてしまうほど、幸せな日々を過ごしていた。
……やがて、ニニアンはその身体に新しい命を宿した。
『ニニアン、身体が冷えるといけないからしっかり温めて……』
『ありがとうございます、エリウッド様……』
『あとほら、ホットミルクも入れておいたからね』
エリウッドはひたすらにニニアンを気遣うようになった。
『……私のお腹に……私達の子供がいるんですね……』
『うん……
男の子かな……それとも女の子かな?』
『まだ気が早いですよ……』
『えへへ……今から楽しみで仕方ないんだ』
エリウッドは子供が生まれた後の未来を想像するのが、日々の日課であり楽しみになっていた。
『……エリウッド様は子供が生まれたら……何をしたいですか?』
『そうだなぁ……
男の子だったら毎日一緒に遊んであげたいし……女の子なら可愛い洋服、いっぱい着させてあげたいなぁ……
女の子だったら、きっとニニアンみたいに綺麗な子に育つだろうからね』
『男の子なら、エリウッド様みたいに素敵な人になると思います』
『そうかなぁ……
ふふっ……今から楽しみだ』
『ええ……早く逢いたい……』
そして6月1日の夜……
『ご子息が生まれたぞー!』
元気な男の子が生まれたという吉報が、すぐにフェレ中に知れ渡った。
エリウッドは一睡もせずずっとニニアンに寄り添い、子供が生まれた瞬間は感激のあまり号泣してしまった。
『エリウッド様……』
『ニニアン……よく頑張ったね……』
『はい……
……エリウッド様、見て……』
ニニアンのすぐ横には、生まれたばかりの小さな赤ちゃんが眠っていた。
『可愛い……』
『ええ……エリウッド様にそっくりの……赤毛の男の子……』
『……名前はどうするんだい?』
『男の子なら"ロイ"……
ずっと……そう決めていました』
『ロイ……か……
いい名前だ……』
『エリウッド様のように……強く優しい子に育ちますように……』
だが、ロイが生まれてからというもの、ニニアンは体調を崩しやすくなっていった。
日に日に容態は悪くなり、時にはベッドから出られない日すらあった。
『ニニアン様は出産でかなりの力を使われた……
まともに歩くこともできないほど弱られている……』
元々、この大陸に来てから短いとわかっていた、残された自分の命。
ロイを産んだことで多大なエネルギーを使ったニニアンの寿命は、かなり短くなっていた。
『(子供を産むことが命を削ることになるのはわかってた……
それでもロイを産んだのは……
私が生きた証を残したかったから……
私が……エリウッド様を愛しているから……
そして……
私の子供がフェレの未来を築いていく姿を見たかったから……)』
だが、大きくなったロイの姿を見ることはできそうにない。
徐々に弱っていく自分の体。
けれどロイはこれからどんどん成長していく。
ロイのこれからを案じたニニアンは、ある日フェレ家に仕えている女の子、レベッカを呼び出した。
レベッカは一年ほど前にウォルトを産み、若き母親として育児に勤しんでいる。
そんな彼女に、ニニアンはある頼み事をしたのだ。
『……レベッカ、お願いがあるの……』
『な 何ですか?』
『……私の代わりに……ロイを……育ててほしいの』
『わ 私が……!?ロイ様を……!?』
『私では満足にロイを育ててあげることができない……
ロイが大きくなるに連れて、私はどんどん弱っていく……
……今の私にはもう……ロイを抱き上げる力すらないの……』
ニニアンは悲しげな顔で呟いた。
『……で でも私なんかにできるでしょうか……』
『母親として子育てを任せられるのは……あなたしかいないわ……
大丈夫、自身を持って……私はあなたを信じてる……あなたなら……できる』
『ニニアン様……』
『だから……お願い』
『……わかりました。
必ず立派に育て上げてみせます!』
ニニアンは安心したように微笑んだ。
それから月日は流れ、いくつもの季節が移り変わった。
『ニニアン、動いても大丈夫なのかい……?』
『……大丈夫です。
残された時間を……少しでもあの子と一緒に過ごしたいから……』
ニニアンは少しでも体調がいい日は、必ずロイと触れ合うようにしていた。
『ロイ!』
『お母さん!』
ロイは母親の姿を見つけると、嬉しそうな顔で駆け寄り、思い切り胸に飛び込んでいった。
抱きしめると、日に日に成長し大きくなっているのがわかる。
『お母さんだぁーいすき!』
『ふふ……私も大好きよ、ロイ』
本当はいつでも一緒にいたい。
けれど寝たきりの母親を見れば、ロイが心配してしまう……
だからこそ、こうして元気なときに、精一杯抱きしめることで愛情を伝えることしかできない……
ニニアンはその一瞬一瞬を大事にしていた。
そして、それから更に1年後……
ニニアンは自分の命の終わりが近いことを確信していた。
『……エリウッド様……私はもう長くありません』
星空の下、ニニアンがエリウッドに告げたその言葉。
それはエリウッドが一番聞きたくない言葉だった。
『何言ってるんだニニアン、そんなこと言わないで……』
『……ロイを産み……私は残された生命の大半を使い果たしました。
いずれ私は……あなた達を残し天国へ向かいます』
『……嫌だ……信じたくない……嫌だ……!』
『私は氷竜です……元々この世界に長くは留まれない……
それはエリウッド様もわかっていたでしょう?』
『……わかっていたさ……けれど……その日がもうすぐそこまで迫ってるなんて信じられない……
それに……ロイはまだ……5歳になったばかりだというのに……』
『……それだけが心残り……
まだ幼いあの子と……あなたを残して逝かなければならない……
ロイが成長してあなたの跡を継ぎ……フェレの未来を切り開いていく姿を……あなたと一緒に見たかった……』
『……う……』
『……エリウッド様……』
『……わかってる……泣いちゃいけないってことは……わかってるよ……』
エリウッドは何度も何度も涙を拭った。
『……最後の日まで笑顔でいなきゃ……
最後まで笑って……幸せだったって思えるようにしなきゃ……
……そうだよね?』
『はい……』
エリウッドはそう言って笑いかけた。
そして現実を受け止め、ニニアンが最後まで幸せでいられるように誠意を尽くすことを誓ったのだった。