竜の血
―終点―
竜化したロイは、ここに連れて来られて暫くはただ暴れていたが、今は大分落ち着きを取り戻してきていた。
手足は鎖に繋がれ、マスターが付きっきりで様子を見ている。
ロイは昔のことを思い出していた。
氷竜としての力が暴走し、大好きな父を傷つけてしまった時のことを……
自分に何が起こって、何をしてしまったのか、具体的には何も覚えていない。
気がついた時にはあちこち血にまみれていた。
剣を持つ僕の右手を、しっかり掴む目の前の父。
腹部はどす黒い血の色が滲み、未だなお出血が続いていた。
『……さん……お父さん……!?』
『……ロイ……』
息子の顔を見て、ホッと安心した表情を見せたエリウッド。
やがて、ロイの腕を掴んでいた手が、脱力して垂れる。
『お父さん!』
『エリウッド様!どうなされたのですか!?』
騒ぎを聞き付けてやって来た兵士達が、二人の姿を見て息を飲む。
『……大丈夫だ、心配ない……すぐに手当てを……』
カラン、と剣を落としたロイの体は震え、瞳には涙が浮かんでいる。
『お父……さん……』
『ロイ、何も心配要らないよ…… 大丈夫、すぐに良くなるから』
そう笑って、エリウッドは訓練場を出ていった。
記憶はないけれど、自分は大変なことをしてしまったのだ。
心が押し潰されそうな程の罪悪感を感じながら、ロイは乳兄弟のウォルトが心配して見に来るまで、ずっとそのまま泣き続けた。
その後、ロイは手当てを受けたエリウッドから「大事な話がある」と呼び出された。
『……お父さん……ごめんなさい……
その……僕……』
『いいんだ、謝らないで……
いつかはこうなる気がしてたんだ』
『え……』
父を傷つけたことで罰を与えられるのでは、と怯えたが、どうも違うらしい。
息子を見つめるエリウッドの瞳はどこか悲しく、寂しげだった。
『……ロイ、今から話すことはまだ幼い君には少し難しいことかもしれない。
でも……とても大事なことだから、最後まで聞いてほしい』
ロイは初めて、自分の正体について聞かされた。
氷竜のマムクートの血が流れる混血児だということ、今回はその竜の血が暴走して起こってしまった事故だということ、いずれ完全に竜化して力を抑制できなくなるかもしれないということ……
『……今回はあまりに突然だった。
急に動きが素早くなって、僕の声も届かなくなって……気がついたら斬られていた』
さすがのエリウッドも気が動転してしまい、素早い攻撃を避け、ロイの腕を掴むのがやっとだった。
『……ごめんなさい……僕……ホントにとんでもないことを……』
『もういいんだって。僕もロイも無事だったんだしね。
この話はおしまい。ほら、ウォルトと遊んでおいで』
『……はい!』
エリウッドの部屋を出て、ロイは少しだけ気持ちが軽くなった。
だけど、剣を握るのは怖い。
廊下に飾られた楯や剣を見ているだけで、感情が荒ぶってしまうような気がする。
そんなロイに追い討ちをかけるかのように、聞こえてきた兵士達の会話。
『それにしても恐ろしいものだ、氷竜の力は……』
『ロイ様の力が暴走したんだろう?
それでエリウッド様が大怪我をなされて……』
『竜化こそしなかったからいいものの……また暴走されたらたまったもんじゃない……幼き公子とはいえ竜の血が流れているなんて……
可愛らしい顔をした化け物のようなものだ』
『…………っ』
ロイはそれ以上聞いていられなかった。
涙が出そうなのをこらえて、ロイは部屋に駆け込んだ。
それから自分を見る者達の目が冷たく感じられた。
竜の血が流れている、そのことだけで避けられるようになっていた。
母は……ニニアンは皆に愛されていた。
それは自分みたいに暴れたわけでもないし、キレイで穏やかで、自分なんかとは違う。
竜の血が流れていたって、ニニアンの周りはいつも光り輝いていた。
……でも、ロイは違う。
『化け物』呼ばわりされたことは、幼いロイにはつらいものだった。
そして周りの者達の態度が、ロイをどんどん追い詰めていった。
みんなに冷たくされて避けられるなら、また誰かを傷つけてしまうのなら、外になんか出たくない……
ロイは部屋に閉じ籠り、すっかり外に出なくなってしまった。
教育係のマーカスが、食事を持ってくる度に声をかけてくれたけど、やはり外に出る気はなかった。
だけど、数日経ったある日。
『……ロイ』
『!』
昼食の時間、部屋の外から聞こえてきたのは、いつものマーカスではなく父エリウッドの声。
『ロイ、出ておいで……
ちょっと父さんと話をしよう』
『…………』
『たまには顔を見せてくれないかな?
ロイの可愛い笑顔が見れなくて父さんも元気が出ないんだ』
いつも忙しい父がせっかく自分のために時間を作ってくれたのに、顔を見せないのはあまりにも失礼だ。
そう思い、ロイはようやく部屋の扉を開け、数日ぶりに顔を見せた。
『目が赤く腫れてるね……ずっと泣いてたのかな?』
エリウッドは優しく頭を撫でて、「外に出よう」とロイを連れ出した。
ロイは久しぶりに部屋の外に出た。
しかし、すれ違う者達は皆ロイを遠ざけ、冷たい視線をぶつけてくる。
ロイがうつむいていると、エリウッドは優しく微笑み、小さな手をぎゅっと握ってくれた。
城を出たところで、ロイはようやく口をきいた。
心に秘めたまま、ずっと言えずにいたこと……
『……お父さん……
僕は……僕はいない方がいいのかな……』
『……どうしてそう思うんだい?』
『みんな……みんな優しかったのに……
僕がお父さんのこと傷つけた時から冷たくなったんだ……
僕はみんなのこと大好きだけど……みんなは僕を化け物だと思ってる……
僕なんか……僕なんか生まれてくるべきじゃなかったんだ……』
『ロイ……』
『ごめんなさい……お父さんとお母さんを責めたくて言ってるんじゃないんだ……
でも……僕……また誰かを傷つけるんじゃないかって……そう考えたら怖い……』
『そうか……つらい思いをさせてすまなかったね……』
ロイは部屋にこもりながら、一人孤独感と恐怖と戦っていた。
泣き出してしまったロイの気持ちを汲んで、エリウッドは小さな息子の体を抱きしめる。
『……大丈夫だよ、ロイ』
エリウッドはロイの頭を優しく撫でると、小高い丘の上で手招きした。
『来てごらん、ロイ』
『…………?』
ロイの目の前には、青色の綺麗な花が辺り一面に咲き誇っている。
『ここはね、僕がニニアンに思いを告げた場所なんだ。
そして彼女の好きな花の種を植えて……毎年咲き誇る頃に見に来て永遠の愛を誓おうと約束した』
『……お父さんと……お母さんが……』
『以前にも僕とニニアンの話はしたよね?
ニニアンは僅かな間だけでも……僕と人生を共にすることに決めたんだ。
それだけ愛し合っていたんだよ。
……そして君が生まれた』
ロイの生まれた6月1日、フェレの誰もがロイの誕生を喜び祝った。
『ロイ……君は僕達にも周りの者達にも……みんなに祝福されて生まれてきたんだよ』
『……でも……』
『僕はロイが生まれてこなければよかったなんて……一度も思ったことはないよ。
ニニアンも……そう思ってるはずさ。
ロイは元気で優しくて……僕達の自慢の息子だからね』
寂しそうだったロイの瞳が、少しずつ明るくなっていく。
『ロイ……何があっても僕はずっとロイの味方だからね。
だからもう……泣かないでおくれ』
心を深く傷つけられていたロイにとって、父のその優しさは何よりも嬉しく、支えとなったのだった。
―――――――――
「! クレイジー!ロイが……」
白い煙のようなものに包まれて、ロイの竜化が解けていく。
「……ごめんなさい……父さん……母さん……」
人間の姿に戻ったロイは、そう呟いて涙を流した。
その日の深夜……
竜化が解け、部屋に戻ることを許されたロイ。
だが、なかなか寝付くことが出来ず、ロイは悪夢にうなされていた。
故郷のフェレもリリーナのいるオスティアも、辺り構わずブレスで凍らせ、大事な人を傷つけ殺していく……
『い、嫌だ……誰か!助けてくれ!』
『ロイ…様……どうして……』
こんな光景、見たくもないはずなのに……
竜になった俺は、怯える民や家臣を追い詰めて……
辺りを鮮血で染め上げる……
やめろ、誰も傷つけるな……
大事な……大事な仲間なんだ……!
「うわあぁっ!」
叫びをあげて、ロイは飛び起きた。
ベッドもパジャマも、寝汗でぐっしょり濡れている。
「……そうだ……俺は……」
……また傷つけてしまった……
今度は……大事な友達を……
「……ごめん、ピット……」
きっとピットは豹変した俺を恐れてる。
もう……今までみたいに仲良くなんかできないだろう……
もう、ここにはいられない……
俺の力は……あの頃より遥かに強くなってる……
いつか……いつか誰かを殺してしまいかねない……
そんなの俺には……耐えられない……
まだ夜も明けきらぬうちに、ロイは皆に宛てた置き手紙を部屋に残し、そっと屋敷を出ていった。
「……さよなら……」
月明かりに照らされた大きなお屋敷を名残惜しそうに見つめて、ゆっくりと歩を進める。
「……どこへ行く?」
「……クレイジー……」
そんなロイを呼び止めたのは破壊の化身クレイジーハンド。
この世界を束ねるマスターハンドに並ぶ……重要な存在。
「……俺は……ここにはいられないよ。もう誰も傷つけたくない……」
「逃げるのか?自分の力から」
「そう思われても構わない……でも俺は……大切な人を失いたくない……」
「……お前が自分で決めたことだ……私には止める権利はない。好きにするがいい。
だが……今までお前と暮らしてきた仲間はどう思う?
お前がいなくなったら……」
「……誰も悲しまないよ……いない方がいいって言うさ……
俺は『化け物』だから」
「…………」
「……世話になったな、クレイジー……」
これ以上いると未練が残る。
ロイはそれ以降、一切後ろを振り返ることもなく歩き続け、やがて……姿を消した。
「(……バカな奴だ……今まで寝食を共にしてきた仲間を信じられぬとは……
お前は、彼らをそんなに薄情な奴だと思っているのか?)」
クレイジーの考える通り。
やがて夜が明け朝を迎えたこの屋敷は、いつも以上にざわつくことになる。