幸せな一日
ドターーン!!
凄まじい音がしたのは、大きな屋敷のとある個室。
ベッドの上から、派手に人間が転げ落ちた音だった。
「……ってぇ……」
強打した頭をさすりながら、タンクトップ姿の少年が起き上がる。
寝癖でボサボサになった赤い髪が印象的な、端正な顔立ちの少年。
『若き獅子』と呼ばれる剣士『ロイ』だ。
こうしてベッドから落ちるのは珍しくはない。
自分でも寝相が悪いのはわかっているし、落ちるのも週3ペースだ。
「ふあぁ……」
いつもは起こしに来る先輩のマルスも、今日は何故か起こしに来ない。
もっとも、この歳になってまだ誰かに起こしてもらう、ということ自体がダメだとはわかってはいる。わかってはいるのだ。
「……あ」
ふと、枕元のスマートフォンを見て、すぐに小さなため息をひとつ。
「……メールもLINEもきてない……」
そして机の上の卓上カレンダーに目をやり、今日の日付を見て、ロイは更に深いため息をついた。
「……いけね、もうすぐ朝飯だ……」
時計の針は朝食5分前を指している。
ロイはのろのろと着替えを済ませ、皆が集まっているであろう食堂へ向かった。
食堂はいつも通り騒がしく、スタッフが慌ただしく食事を並べている。
朝食はバイキング形式で、好きな物を好きなだけ食べられる。
「あ!」
いち早くロイの存在に気づき、跳び跳ねるように駆け寄ったのはピチューだった。
「ロイにーちゃん、おはよ!」
「……あぁ、おはよう」
「…………?」
ピチューはポカンとした顔で首を捻った。
いつもなら「おはよう!」と太陽みたいな笑顔で、これでもかというくらい頭を撫でてくれるのに。
朝食時も大食いなのに全然食べず、みんなに心配されていた。
何を聞かれても「大丈夫」と受け流していたのがやけに気にかかる。
ほとんど誰もいなくなった食堂で、ピチューは「う~ん」と考え込んでいた。
「ピチューどうしたの?」
そこに来たのはネスとピチューだった。
「ロイにーちゃん、どうしたのかなぁ?」
「何が?」
「だって、げんきないみたいだもの……
ごはんもたべてなかったし……」
ピチューの言葉に、ネスとトゥーンも今朝のロイの様子を思い出す。
確かに、皆に話しかけられて笑顔を見せてはいたが、どこか落ち込んでいるように見えた気がした。
「確かに元気なかったね……」
「う~ん……」
「今日なんかあったっけ?」
「今日?何日だっけ……」
「えっと……6月1日」
「6月1日……?」
そこでネスとトゥーンは顔を見合わせ、「あーーっ!」と同時に叫んだ。
「ロイ兄ちゃーん!」
「ロイ兄ちゃぁーーん!?」
声を張り上げ、バタバタと忙しく廊下を駆け回り、トゥーンとネスはひたすらにロイの姿を探す。
「いないね……」
「どこ行っちゃったのかなぁ……?」
いつもは乱闘するか修行するかで滅多に屋敷の外には出ないというのに、今日に限ってどこへ行ったのだろうか。
「でも思い出してよかったよ、ロイ兄ちゃん元気なかったのそのせいだったんだ!」
「うん……
あーもうっ!どこ行ったんだよっ!」
せっかくロイの様子がおかしい理由がわかったというのに。
そんな時……
「……ロイを探してるの?」
そう口を挟んだのは、純白の羽を持った天使『ピット』。
「ピット君知ってるの!?」
「うん。ロイなら、この近くの泉に行ったよ」
「泉……?」
ピットの話によると、どうやらロイはここから1kmほど離れた泉に出かけたとのことだった。
その泉は「神秘の泉」と呼ばれ、水に触れただけで傷が治ってしまうという不思議な泉。
以前ピット、ルイージ、リンクが見つけたもので、それをロイにも教えたのだった。
「何か急いでるみたいだったけど、用事でもあるの?」
「うん、あのね……」
一方、ここは神秘の泉。
詮索しなければ誰にも見つからないようなこの泉は、人の手が一切加えられていない自然そのものの姿。
奥には小さな滝が流れ、空気も美味しくまるで別世界に来たかのような気分になる。
そんな泉の真ん中に、水色の大きな竜の姿があった。
立派な角と大きな翼を持つその竜は、"氷"の属性を持つ『氷竜』。
「ふぅ……」
光を浴びてキラキラと輝く泉の水を全身に浴びて、竜は気持ち良さそうに息をついた。
しかし、その瞳はどこか寂しげであった。
「……やっぱりみんな……忘れちゃってんのかな……」
忘れられているだけで落ち込むなんてバカなことかもしれない。
気づいてほしいと思うのも図々しいことかもしれない。
けれど……
「……フェレ家のみんなにも、誰にも気づいてもらえないなんて……」
竜は何度目かも知れぬ、重く深いため息をついた。
そこへ、ガサガサと木々の間を潜り抜けて現れたのはネスとトゥーン。
大きな竜の姿を見つけて、「あっ」と嬉しそうな声をあげる。
「いた!」
「ロイ兄ちゃ―ーん!」
いきなり大声を張り上げられて、竜は驚き体をビクつかせた。
「な、何だお前らか……」
声の主が仲良しの子供二人だとわかると、安心したように息をついた。
二人とも濡れないように、泉の向こうに立って手を振っている。
「何してるのー?」
「……見ての通り水浴びだよ。
たまには竜としての体も綺麗にしないと」
そう言って、体を震わせ水滴を弾き飛ばす。
飛んだ水滴が大量にかかって、ネスとトゥーンは少し迷惑そうだ。
「人間の姿も竜の姿も、どっちも"俺"だから。
竜としての自分を受け入れるのに時間はかかったけど……でもこの力は母さんから受け継いだ能力……誇りだからさ。
大事にしたいんだ」
「そっかぁ……」
そう、この竜はロイのもう一つの姿。
彼は母と同じ、氷竜の血と竜の力を持っている。
いわゆる、人間と氷竜のクォーターなのだ。
ロイは翼を大きく広げると、そのまま飛んでネス達の側に降りてきた。
「わあぁ!?」
「ふぅ……」
ロイの重さで地響きと砂煙が巻き起こる。
ネスは咳き込み、トゥーンは大きな目に砂が入って涙目になっていた。
「……で、お前ら何しに来たんだ?
俺に何か用があって来たのか?」
「ううん、大した用ではないんだけど……」
「あ……そう……」
ロイは少し不機嫌そうに呟いた。
「ただ、行って欲しいところがあるんだ!」
「え?」
「ね、いいでしょ?」
ワガママな頼み事をされても、ロイは子供に甘いため断ることができない。
ふうっと深いため息をついて、ロイはその場に屈んだ。
「わかった……背中に乗れよ」
「うん!」
「ありがと!」
二人は嬉しそうにロイの背中に飛び乗る。
こうして背中に乗せてもらい、空中散歩を楽しむのが子供達は大好きなのだ。
だが、今回ばかりはちょっと目的が違う。
大きな翼を羽ばたかせ、雲の切れ間を颯爽と飛べば、眼下には自分達の住まう屋敷や町並みが見えてくる。
「右だよー!」
「そうそう、そのまままっすぐ!」
「はいはい……
一体どこに行くんだ?」
「それはお楽しみ!」
訊いても何も教えてくれようとはしない。
ロイは何もわからないまま、ネス達の指示を受け、言われるがままに飛び続けた。