守るべきものの為に
あれからいくつもの季節が過ぎた。
仲間の支えもあり、再び立ち直り剣を握ることが出来るようになったロイは、エリウッドやマーカスに剣の扱いを教わり……
やがて12歳になった時、父と同じようにリキア地方最大の都市『オスティア』へ留学した。
乳兄弟であり一番信頼の置ける家臣でもあるウォルト、そして幼なじみのリリーナと共に、ロイはフェレの領主になるその日の為に毎日文武を磨く日々を送っていた。
昼は学校で勉学に励み、それが終わればセシリアから兵法や武術を学ぶ。
覚えることばかりで毎日忙しい。
だが、オスティアにも「竜の子」であるロイを敵視する者は少なくなかった。
人と竜の共存など不可能だと言われていたこの時代、ましてや当時10歳だったロイの力が暴走したことは、リキア地方の誰もが知っていること。
そんなロイがオスティアに留学してきて、彼を恐れる者、やっかむ者、どうにかして追い出そうと考える者は後を絶たない。
……嫌われ者はどこに行っても嫌われ者。
ロイはそれもわかっていたし、だからといってもう逃げるつもりもなかった。
けれど、嫌がらせはフェレにいた頃よりもずっときついものだった。
ロイを徹底的に追い込み、オスティアから追い出そうと、学校の生徒達はあらゆる卑劣な策を巡らせる。
そんな辛い日々に耐えながら、ロイは日に日に力を付けていった。
「……今日はここまでにしましょう」
「え……」
「もう4時間も休まず稽古してるわ……これ以上続けても体をこわすだけよ。
……もう休みなさい」
「そんなっ……僕はまだやれます!」
「……ロイ、稽古熱心なのはいいことよ……私だって感心してる。
でも、自分の体を痛めつけてまで稽古をしても意味はない……
……あなた、本当に強くなりたくて稽古をしてるの?」
ロイの体がぴくりと動く。
「あ 当たり前じゃないですか……僕は自分で自分を守るために……」
「そんなのはただの都合の良い言い訳……
あなたは稽古に打ち込むことで嫌なことを忘れたいだけなのよ。
その証拠に……私が何度注意しても同じミスばかり繰り返してる。
集中できてない証拠よ」
「…………」
「そのままじゃいくら稽古しても無駄……
心が落ち着くまで、ゆっくり休みなさい……
……無理しちゃダメよ」
「……はい」
ロイにとって剣を振ることだけが一番の安らぎだった。
……2年前は剣を握ることを恐れていたのに、皮肉な話だ。
けれど彼女の言うように、ロイの頭には教えられたことなど何一つ頭に入っていない。
ロイはただ、己の心をごまかす為に無駄に剣を振っているだけなのだ。
諦めて部屋に戻ろうとすると、正面から歩いてくる人影が2つ。
「こんばんは、ロイ」
「リリーナ……ウォルト……」
それはロイと共に留学したウォルトと、このオスティアの領主の娘であり幼なじみのリリーナ。
ロイは少し気まずそうな顔をしている。
「あなたが意地でも会おうとしないから無理やり来てやったわよ」
「どうして……」
「私たちが会いたいからに決まってるでしょ!ロイってば、私たちの気持ちなんて全然無視なんだもの!」
少しイライラしている。ウォルトはそんなリリーナをまぁまぁ、と落ち着けながら、心配そうにロイを見た。
「ロイ様、どうして僕たちを避けるのですか……
……もしかして、あの時のことが原因ですか?」
「………………」
ロイがオスティアに来てまだ日の浅い頃。
学校でウォルトやリリーナと楽しく話していた時に、クラスメイトから酷く冷たい目で見られていたことがあった。
自分だけならよかった。けれど、明らかにウォルトやリリーナのことまで悪く言われていた。
このままでは2人まで嫌われて、酷い目に遭ってしまうかもしれない。
新しく友人ができて楽しそうなウォルトが、自分のせいで交友関係がどうにかなってしまったら。
オスティアの次期当主であるリリーナが、自分のせいで立場が危うくなってしまったら。
そんなことを考えると、それ以降近づくことなんてできなかった。
「私はあの時のことなんて気にしてないわよ!変な事言う奴がいたら魔法で消し炭にしてあげるわ!」
言葉が強すぎる、とセシリアに窘められていたが、ロイはそんな彼女の逞しさが少し、羨ましかった。
「……リリーナは強いね」
「別に、黙ってられない性格なだけよ」
「僕にはそれが出来ないから……」
ロイはそれ以上語ることはなく、そのまま部屋を後にしようとする。
「ちょっと、ロイ!話はまだ……」
「……僕には近づかないで。僕は……2人に何かあったら嫌なんだ。2人のことを大事だと思ってるから、敢えてそうしてるんだよ」
「ここは学校じゃないんだから、ここでくらい話したって平気でしょ!?」
「僕は話すことなんてないよ」
「ロイ様……」
「……じゃあ、またね」
ロイの背中を見送りながら、セシリアはやれやれと息をつく。
「困ったものね……あの子、変なところで強情だから」
「も〜〜……ロイの考えてること、全然わかんない!」
「でも……僕達との関わりを絶ったら……ロイ様は……」
「……そうね。だからほっとけないのに……心配すらさせてくれないんだもの」
オスティアに来てから、こんな会話も何度か繰り返した。
けれどその度に拒絶して、これでいいんだと言い聞かせて、ロイは学校が終わると毎日夜遅くまで、セシリアと剣の稽古に励んでいた。
それは心の奥にある孤独感を埋めるため。
自分でそうしておきながら、どうしてこんな感情を抱くのだろうか。
「……はぁ……」
部屋に戻ったロイは、力が抜けたかのようにベッドに飛び込んだ。
「…………」
オスティアに来てから、未だ良かった事なんて何一つ無い気がする。
今のロイには楽しい思い出など無く、あるのは悲しく辛い思い出ばかり。
『傷つくことは怖いし嫌なことだけど……
その分、人の痛みがわかる優しい人間になれるんだよ』
ロイがずっと立ち直れずにいた時、父エリウッドはそう言っていた。
でも……
「……お父さん……僕……ホントに優しくなんかなれてるのかな……
人の痛みなんかわからないし……僕の心にあるのは……恨みと憎しみばっかりだ……
普段は笑顔で耐えて……でも耐えれば耐えるほど……それが強まってくんだ……」
父の言うように自分は優しくない。
自分を好きにもなれない……
そんな自分がもっと嫌になる、負の繰り返し。
「……はぁ……」
ロイは何度目かもわからぬため息をついた。
「……そうだ、お父さんに手紙書こう……」
心配性な父からはほぼ毎日のように手紙が来ていた。既にそこそこ大きな木箱がいっぱいになるほどの量である。
だが、ここ暫くロイからは出していない。
便りがないのは元気な知らせ、とよく言う。
しかし病床の父の場合は別だ。
返事を出さずにいたら、余計心配して体調を崩してしまうかもしれない。
ロイは起き上がると机に向かい、羊皮紙と羽根ペンを取った。
「(……心配かけるようなことは書けないな……)」
ペンを持ってみても、何を書けばいいのかわからない。
散々悩んだ末、ロイはインクを付けペンを走らせた。
「……お父さん元気ですか?
僕は元気でやっています……
勉強について行くのは大変だけど、学校が終わった後もセシリアさんが根気よく教えてくれて……剣の稽古も……」
なるべく心配かけないように、父が悲しまないように、良いことばかりを書いた。
……本当の事なんて、書けるはずもないから。
「みんな優しいし……友達も……いっぱい……出来たし……
だから……」
ペンを持つ手が震える。
「……だから……心配……しない…で……」
涙の滴が一つ、羊皮紙の上に落ちた。
「……う……」
ロイは顔を伏せて泣き出してしまった。
こんな状態で、手紙なんて書ける訳がない。
ロイは窓を開けて空を眺めた。
……昔から、嫌なことがあると綺麗な星を眺めて気持ちを落ち着けていた。
「僕がフツーの人間だったら……みんな友達になってくれたのかな」
考えても仕方ないことを呟く。
けれど、それは愛する母をも軽蔑しているような気がして、慌てて首を振った。
自分の力は恐ろしいものだけど、愛する母の息子であるという強固な証まで捨てたくはない。
──あぁ、全てをわかった上で、それでもなお親しくしてくれる人がいたら。
そこまで考えて、やはり自分は寂しかったのだと気づく。
「誰か……僕のことを理解してくれる人、いたらいいのにな……」
満点の星空に、そんな願いを託して。