君の名を呼ぶ


それは今から5年前。


フェレと深い友好関係にある、リキア最大の都市「オスティア」から、エリウッドに手紙が届いた。

オスティア侯爵ヘクトルはエリウッドと親しく、久々に会って話がしたいのだという。


エリウッドは旧友に会うため、
そして息子のロイの心の療養を兼ねて、オスティアへと向かった。



が、到着して早々、エリウッド達は出鼻を挫かれることになる。


『オスティア侯ヘクトル様は只今大事なお客様との謁見中でございます。
申し訳ございませんが、暫しこちらでお待ちくださいませ』

『何じゃと!?大事なお客様!?
エリウッド様は大事なお客様ではないと申すのか!?』

『まぁまぁマーカス落ち着いて……
……あの、大事なお客様って?』

『リグレ公爵様でございます』

『あ~……』


相手が大貴族の公爵なら仕方ない。

田舎貴族である自分はのんびり待たせてもらうこととしよう。


そうしてエリウッドはかれこれ30分、客間の天井を見つめながらボーッとしていた。



「……ウッド
……おいエリウッド!」

「…………」

「おい!」

頭を軽く小突かれて、エリウッドはようやく自分の世界から戻ってきた。

顔を横に向ければ、そこには昔からの友人であるヘクトルの姿があった。


「……あ、ヘクトルいたの?」

「『いたの?』じゃねぇ!相変わらずボーッとしやがって……」

「ボーッとしてたんじゃないよ、心を無にしてたんだよ」

「それをボーッとするって言うんだよ。
悪かったな、待たせて」

「ううん、それより公爵殿はもう帰られたの?ご挨拶したかったんだけど」

「ああ、今帰られた……
その後でお前がもうこっちに着いてるって聞いたからな……悪い、タイミングがずれた」

「そっか、じゃあしょうがないね」

エリウッドは脳天気な笑顔を見せた。


よく見ると、ヘクトルの後ろに誰か隠れている。

目がくりっとしている、青髪の女の子だ。


「あれ、ヘクトルその子は……」

「俺の娘のリリーナだ。俺に似て可愛いだろ?」

「ほんと、フロリーナに似て可愛い子だね」 

「おいコラ」

リリーナと呼ばれたその少女は父親の後ろから出てくると、エリウッドにペコリと頭を下げた。

「初めまして!リリーナです!
お父さまがいつもお世話になってます!」

「あはは、世話にはなってないけど」

「おい」

「リリーナかぁ……よろしくね」

「はい!」

「……そうだ、僕もヘクトルに紹介しておくよ。
なかなか会わせる機会がなかったんだけど……
ロイ! こっちにおいで!」

「………?」

名前を呼ばれてロイが振り返る。

暇を持て余していたロイは、客間に案内されてからずっと絵を描いていた。


だが、人見知りで警戒心の強くなっているロイは、エリウッドの服を掴んだまま離れない。


「ロイ、このヒゲ面はね」

「おいコラてめぇ」

「父さんの友人でヘクトルっていうんだ」

「ヘクトル……さま?」

「そうだ。
だが"さま"なんて呼び方ぁよしてくれ。
テキトーに"ヘクトルおじさん"とかでいいぜ」

そう言われて、ロイはこくりと頷いた。


「リリーナはロイと同い年だ。仲良くしてやってくれ」

「……ロイって言うの?
あたしリリーナ! よろしくね!」 

リリーナはそう言って笑いかけるが、ロイは目線を逸らし俯いたまま。


「リリーナ、父さんはエリウッドと話をするから……ロイと遊んでおいで」

「うん!
ね、あっちで一緒に遊ぼう!」

「え……?……あ……」

ロイはリリーナに手を引かれ、そのまま外へと連れ出された。

去り際にロイが困ったように振り返ったが、エリウッドは大丈夫、と微笑んで彼らを見送る。


「……何だ、シャイな子供だな……」 

「ごめんね、あの子人見知りだから……」 

「……いや……リリーナは気が強いから、相手にされなくても、仲良くなれるまで粘るさ。
……それに、ロイはただ人見知りなだけじゃねぇだろ……
やたら傷だらけだったしな」

「……うん……色々あったからね……」

「まぁ……それは仕方ねぇよな」

「……元々おとなしい子だけど……あんなことがあって余計塞ぎ込んじゃってね……
……でもあの子は……あの子なりに一生懸命頑張ってるから……」

「そうか……子供なりに大変な思いしてんだな」


ロイは卑劣な態度や言葉で傷つけられ、人を信用することが出来なくなっていた。


エリウッドがそんなロイをオスティアへ連れてきたのはヘクトルに自分の息子を紹介するため。

そして……
フェレを離れて見知らぬ土地へ行けば、傷ついたロイの心も少しは癒されると思ったからだった。


「……ロイとリリーナ、仲良くなれるといいんだけどなぁ」

「……そうだね……」








「ねぇ、待って!」

「…………」

早足で逃げるように歩くロイと、それを必死に追いかけるリリーナ。

あれからロイはリリーナの手を振りほどき、一緒に遊びたがる彼女を避けていた。


「待ってってば!」

ようやくリリーナがロイの腕を掴む。

「……なに?」

ため息をつきながら、しつこいな、とばかりにロイは振り返った。

お城を離れてだいぶ歩いたのに、どこまでも追いかけてくるリリーナにロイは嫌気がさしていた。

だが、リリーナとしてはただロイと親しくなりたいだけなのである。


「1人で歩き回るなんて危ないわよ!
迷子なったり誰かに襲われたりしたらどうするの?」

「……来た道はちゃんと覚えてる。
それに、ここの警備は万全なはずでしょ……」

「そ…それはそうだけど……
……で、でも逃げること無いじゃない!」

「……僕は君と馴れ合うつもりはない」

「なんで? あたしのこと、嫌いなの?」

「……そうじゃない。僕は誰とも仲良くなんかしない」

「どうして? 友達はいっぱいいた方がいいじゃない」

「……友達なんかいらない。
何を言ったって、君には理解なんかしてもらえないよ……僕のことなんて」

「……そんなこと……」


それだけ言って、ロイはまた1人でどこかへ去ってしまった。

その小さな背中はどこか寂しげに見える。


あんなことを言っていても、ロイだって本当は友達が沢山いた方がいいに決まってる。

けれどロイの心は固く閉ざされ、リリーナの言葉も聞き入れてはもらえない。


それでも、リリーナはどうしても彼と仲良くなりたかった。

彼の心を完全に救ってあげることは出来なくても、せめて寂しい思いだけはしないように……










そして夕方……


深い深いため息をついて、リリーナは裏庭の片隅に腰掛けていた。


そこへやって来たのはエリウッド。


「……リリーナ」

「おじさま……」

「あはは、『おじさま』かぁ……
まぁ、30越えたらもうオジサンだもんね~」

「あっ……すみません、お嫌でしたか……」

「ううん、構わないよ。
それより、ロイとは遊べた?」

「いいえ……あの子、あたしが遊ぼうって言っても"嫌だ"って言ってばっかで……」

「あはは、やっぱりか……」

エリウッドはやれやれ、と困った表情を見せた。

二人には仲良くなってもらいたいが、やはり一筋縄ではいかないものだ。


「さっき一人で帰ってきたから、そんなことだろうと思ったよ
今も絵を描いてるんじゃないかな」

「そうですか……」

「ごめんねリリーナ、なかなか気難しい子で……」

「……いえ、大丈夫です。
あたし、何とかあの子と仲良くなりたい……」

「そっか……そう言ってもらえると嬉しいよ。
でも、まだちょっと警戒してるみたいだね」

「警戒?
……もしかして、あの事が原因で……?」

「……うん。知ってたんだね」

「はい……一通りは」

「そうか……」

ふと、エリウッドは小脇に抱えていたスケッチブックをリリーナに手渡した。

「リリーナ、これを……」

「…………?」

「ロイがいつも使ってるものの一つなんだけど……」


リリーナは恐る恐るスケッチブックを開く。すると、赤髪の男の子が数人の少年に向かって石を投げたり、身体を蹴っている絵が描かれていた。

「……これ……」

石を投げられるのも蹴られるのも、ロイが経験してきた辛い思い出。

やり返す勇気もなくて、ロイはスケッチブックに仕返しをしている絵を描き、辛い気持ちを抑えるしかなかったのだ。

他のページを見てみると、黒一色でぐしゃぐしゃに塗りつぶされていたり、『辛い』『悔しい』などといった本心が綴られていた。


「…………」

リリーナは胸が痛くなってスケッチブックを閉じた。

ロイはあの日から、ずっと傷つき、苦しみ、孤独を感じながら1人で戦っていた。

その辛さはきっと、他の人には想像もつかない程のものだろう。


「……これだけ辛い思いばかりしてきたから、簡単に人を信じられない……
あの子にとって……人間は恐ろしいものになってるのね」


尚更あの子を一人にしておけない……

ロイの心を知り、リリーナは強くそう思った。


「とりあえず僕達は暫くここにいさせてもらうから、その間に少しでも仲良くなれたらいいんだけどな……」


ロイは人を信じられない上に、女の子は少し苦手。

ロイが彼女に少しでも心開いてくれれば、何かが変わるかもしれないのに……


「(やっぱりもう少し時間を置かなきゃ……ダメなのかなぁ……)」
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