逃げたい、逃げない


……怖い……

俺は……自分の力が……
自分の中に眠る莫大な力が……怖い……



……物心ついた時からそうだった。
赤いものを見ると異様に興奮したり、誰かを血まみれにしたい衝動に駆られたり……

だけどそんな物騒なこと考えてるなんて絶対に言えなかった。
軽蔑されたり、頭がおかしいんだとか思われたくなくて……

それでも、両親に相談していればまだ違ったのかもしれない。
母さんが亡くなってから、俺の中に眠る力は次第に増大していったんだ……



そして事件は起こった。

あれは今から5年前、父さんに稽古をつけてもらってた時のこと。
気がついたら、俺は全身血まみれで立ち尽くしていた。


自分の血じゃない。
目の前には、重傷を負った父の姿。

『お父…さん……?』

ただ呆然と立ち尽くすことしかできない。


『なに……これ……なんで……』

そしてたどり着いた、1つの答え。
この状況を作ったのが、自分だということ……

『僕が……僕がやったの……?』

『ロイ……大丈夫、大丈夫だから……』

重傷を負っても、笑ってそう言う父さんを見て、俺は涙が止まらなくなったんだ……

血にまみれた自分の体と父さんの傷を見て僕は酷くパニックに陥った


使っていたのは練習用の剣であって
間違っても傷つく事なんかなかったはずだから……



なまくらな剣を凶器へと変えた自分の知られざる能力……

それを聞かされたのはそれから少し後だった




『……ロイ、よく聞いて……
君には、お母さんと同じ……竜の血が流れてるんだ』

俺の母さん……ニニアンは踊り子でありながら、強力な力を持つ氷竜のマムクートであったということ。

俺にはその氷竜の血が流れていて、いずれ自分でもわからぬうちに力が暴走してしまうかもしれないということ……

そうなれば、父さんの負った怪我程度では済まない。
氷竜に化身してしまうほどになれば、一帯の領地など滅ぼせるほどの力が俺にはあるのだと聞かされた。



俺は……人間と氷竜、両方の血が流れる混血児だったんだ……







それからが、地獄の始まりだった……







眠っていた竜の血が暴走して父エリウッドを無意識に傷つけてしまい、ロイは罪悪感と自らの力の恐怖に駆られた。


軍の兵士や家臣は、まだ幼い彼を追い詰めるかのように冷たい視線を投げかけ、遠ざける。


心を抉られるように深く傷つけられたロイは、やがて部屋に閉じこもるようになってしまった。

父エリウッドと交わした本音の会話で少しは救われたものの、傷が完全に癒えたわけではない。


ロイはあれから一切笑わなくなってしまった。



そんなロイを心配していたのは『ウォルト』。

ロイとは歳も近く、何より乳兄弟の間柄で、生まれた時から一緒にいる一番の理解者だった。


それでも、決して対等な立場にあるとは考えない。

ロイがいくら呼び捨てにしろと言っても『様付け』で呼び、忠実な家臣であるということに誇りを持っているという、少々頑固な性分であった。





「はぁ……」

気づいたらさっきからため息ばかりついていた。

ため息をつくと幸せが逃げるという。

ならば僕は今まで一体どれだけの幸せを逃がしたのだろうか。


ウォルトは黄緑色の髪を乱暴に掻きむしり、また深いため息をついた。



ロイ様は今日も部屋から出てこない。


毎日ずっと部屋にこもってばかりじゃ、もっと気が滅入る一方だ。

だから、何とか外に連れ出したくて毎日会いに行ってるのに、なかなか出てきてくれない。


こんなにポカポカ暖かくて外出日和だというのに……



下を向きながら歩いていたら、気付かずに誰かとぶつかってしまった。


「………?」

「これウォルト!しっかり前を見て歩かんか!」

激を飛ばしたのは老騎士マーカス。

どうやらロイの父エリウッドに正面衝突してしまったらしい。


「エ…エリウッド様!申し訳ございません!」

「あー、いいよ気にしないで」

「最近たるんどるぞ!フェレ家の家臣ならば常に気を引き締めておけ!そんなことでは戦場で……」

「うるさいよマーカス、ちょっと黙って」

「うぐ……」

エリウッドに言われ、マーカスは押し黙り一歩下がる。


「気にしなくていいよ、ウォルト。
どうかしたの?」

「いえ、大したことではありません。
ただ、ロイ様を……」

「?」

「……天気が良いのでロイ様を外に連れ出したかったんですが……やはり『嫌だ』と言われてしまいまして」

「あー、最近毎日部屋に行ってるもんね」

「ご存知だったのですか?」

「うん」

僕はマーカスよりも皆のことはよく見てるつもりだよ、とエリウッドは誇らしげに笑う。

マーカスは何も言えず後ろを向いたままだ。


「……ロイは僕が元気づけたつもりだったけど……
やっぱり、心に負った傷は相当深かったみたいだね……」


ウォルトだってわかっている。


ロイも好きで閉じこもってるわけじゃない。

ただ、外に出るのが怖いのだ。



「わしは……わしはエルバート様の代からフェレ家に使えておりました……
しかし今……ロイ様が深く傷ついていらっしゃるにも関わらず、わしはロイ様をお救いすることすらできない……」

「マーカス……?」

「……わしがロイ様を傷つけた輩を軍から外し追放しようかと申し出たところ、ロイ様が言われたのです……
『その人達は悪くない……
覚えてないけど、僕がお父さんに怪我させたのは事実なんだ……怖がられてもしょうがないよ……
悪いのは僕なんだ……』と……」

「……ロイがそんなことを?」

「ロイ様はお優しいお方です……
そのお姿がいじらしく……哀れで……うぅ……」

「……マーカスが泣いてどうするんだよ。
一番つらいのはロイなのに」

「も……申し訳ありませ……うぅ……」

マーカスは何度もハンカチで目頭を押さえている。

涙腺が弱いのか、あふれる涙がなかなか止まらないらしい。


「心に負った傷を癒せるのは人の心でしかない……
どんなに深い傷でも、相手を思う気持ちがあれば少しずつ癒えていく……
時間はかかるかもしれないけどね」

「エリウッド様……」

「ウォルト、ロイがまた元気になってくれるように、君は沢山ロイに話しかけてやってほしい。
扉の外からでも、君の教えたいことをロイに話してあげるといい。
誰かが気にかけてくれてるとわかれば、それだけで救われると思うんだ……」

「は……はい!」

「僕もロイと一緒にいる時間を取れるように、今立て込んでる仕事をなるべく早めに終わらせるよ。
マーカス!手伝ってくれるよね?」

「はっ!もちろんでございます!」

「それじゃあね、ウォルト」

「は はい!」


エリウッド達が去った後、ウォルトは気分が落ち込んでいたのも忘れ気合いを入れ直す。

「(……夜、また行ってみよう……)」


そしてまだロイ様に聞かせたことのない、楽しい話を沢山してあげるんだ。


僕にできるのは、ロイ様と触れ合う時間を作ること……

壁を隔てて姿が見えなくても、声を聞かせてあげること……


僕がロイ様を元気にしてあげなきゃ……

ロイ様の心を救ってあげなきゃ……

1/3ページ
スキ