潜在能力


リキア地方東部に位置するフェレ領は、華やかさはないが自然に囲まれたのどかな地。

そのフェレと国境を接するベルン王国は近頃、にわかにではあるが不穏な空気を漂わせていた。



そしてこれは、ロイが4歳になったばかりの、暑い夏の日のことである。



「ひっ……ひいぃぃ!」

一人の騎士が、深手を負った右腕をかばいながら走り去っていく。


それはベルンの密偵として領内に侵入した竜騎士。

フェレ騎士団の前に明らかな力の差を感じ、恐れをなして逃げ出したのだ。


しかし地面には、その騎士が乗っていた飛竜が倒れたまま……



ー……待ッテ……ゴ主人様……ー


主人であったはずの騎士が逃げ去る様を、霞む視界の中に捉える。

まるで最初から一人であったかのように、自分には目もくれず……


ー……待ッテ……ー


主人は逃げた。

パートナーを見捨てて、ただ一人だけ……








それから数時間後のこと。

領主エリウッドは幼いロイや家臣を連れて、騒ぎがあったという荒野の視察に訪れていた。


「竜騎士と争ったというのは、この辺りかい?」

「はい。ですが取るに足らない相手でした。
右腕を負傷し、一目散に逃げていきましたから」

「騎士と言うには根性の足らん奴じゃのう」

マーカスはそんな輩は武人の恥だ、とため息をつく。

ロイはここに来るのは初めてで、物珍しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。


その時……


ー……タスケテ……ー


「…………?」


ロイは不思議な声を聞いた。

今までに聞いたことのない、それも頭に直接響いてくるような声。


それが気になって、ロイはずっと握っていた父の手をほどいた。


「あっ……ロイ?」



ロイは自分の背丈程もある長い草むらをかき分けて歩いた。


そして、見つけたのは……


「……あ……」


腹部から血を流し、力なく倒れこんでいる一頭の飛竜だった。


「これは……飛竜!?
何故ここに……」

「先程、私と戦った竜騎士が乗っていた竜だろう……」

アレンとランスはロイの身を案じ、前に立ちはだかる。


「ロイ、行こう。危ないから……」

エリウッドも、ロイの手を引いて飛竜から離れようとした。


が……



ー痛イ……助ケテ……ー


「!」

再び、声が聞こえた。

そしてその声の主が、その飛竜なのだと気づいた。


「…………!」

苦しむ飛竜を放っておけず、ロイは父の手を振りほどいて、飛竜のそばに駆け寄った。

「ロイ!?」

「ロイ様危険です!お下がりください!」

「このこ、いたがってる!たすけてっていってる!」

「! ……ロイ……君は……まさか……」


エリウッドはハッとした。

氷竜と人の混血であるニニアンの子なら、彼もまた……きっと……



「たすけてあげよう、ね?」

ロイが懇願するも、マーカスは表情を変えず首を横に振る。

「……ロイ様、その竜はベルン王国の竜です……
ベルンはこの頃不穏な空気を漂わせ、リキアや各地方を不安に陥れています……
そのような国の竜を保護しようなど……」

「……そんなむずかしいこといわれたってわかんない!
こんなにたすけてっていってるのに、むしするの!?
このこがわるいわけじゃないのに……!」

とうとうロイは大泣きしてしまった。

さすがのマーカスも困ってしまう。


すると……


「……わかった」

「エリウッド様!?」

「ロイの言う通りだ。
この竜を連れて帰ろう」

「し しかし……」

「ボクちゃんとおせわする!
ね、だからいいでしょ!?」

「う……うむむ……」

エリウッドとロイにそう言われてしまっては何も反論できない。


「……わかりました」


飛竜を飼うなどどうなることやら……という不安感を抱えつつも、マーカスはそう言うしかなかった。







エリウッド達は城に戻り、今は使われていない馬屋を飛竜の小屋にすることにした。


「ふう~……小屋に入れるだけでも一苦労ですな」

「ライブの魔法である程度の傷はふさがった……
目が覚めた時に暴れたりしなければいいが……」

「じゃあ、ボクここでみてる」

「し しかし……」

「だいじょーぶ!」

ロイは満面の笑みでそう言った。

この薄暗い小屋の中で、飛竜が目覚めるまで待つというのだ。


「どうやらロイには飛竜の言葉がわかるみたいだ……
ここは任せてみよう」

「……わかりました」

エリウッドの言葉で、アレンやランス、マーカスは「くれぐれもお気を付けて」とロイに言い残し、その場を後にした。








それから数時間後……


飛竜は目を覚まし、辺りをきょろきょろ見回した。

そしてふと、自分の腹に巻かれた包帯に気付く。


ーココハ……ドコダ……?ー

「……あ、おきた!」

ロイは眠そうに目を擦りながら、飛竜のいる柵に近寄った。

飛竜が目覚めるまでずっと待っているつもりだったのだが、睡魔には勝てず、積み上げられた牧草にもたれて眠ってしまったのである。


飛竜は不審そうな目でロイを見つめた。



ー貴様ハ……リキアノ人間ダロウ……
何故、私ヲ助ケタ?ー

「キミがたすけてっていってたからだよ。
たすけてっていってるひとをたすけるのはあたりまえでしょ?
……あ、キミはひとじゃなくて、りゅうだけど」

ーオ前、私ノ言葉ガワカルノカ?ー

「うん、わかるよ?」

変わった人間もいたものだ、と飛竜はロイの瞳をじっと見つめる。

だが、幼き少年の澄んだ瞳を見て、その心に嘘偽りがないことはわかった。


しかし……

ー……私ハ、リキアノ人間ニ世話ニナル気ハ無イ……ー

そう言って翼を広げ、外へ飛び立とうとした。

「まって!」

ロイはとっさに飛竜の足をつかみ、必死に止めようとする。

「まだケガなおってない!
そんなのでおそとでたらあぶないよ!」

ー…………!ー

飛竜はもがいてロイの手を振り払おうとする。

が、ロイは頑として離れようとはしない。


「おねがい、げんきになるまででいいから……
だからここにいて……!」


ー…………ー


飛竜は根負けし、諦めて翼をたたんだ。

ロイもホッとして手を離す。



「あのね、これ、えいせいへいさんにもらったの。
これをのむとケガがはやくなおるんだって!」

ロイはあらかじめもらっておいた飲み薬の袋を飛竜に見せた。


ー別二薬ナドイラヌ……ー

「そんなこといっちゃダメ!
はやくかえりたいなら、はやくげんきにならなきゃ!
そうでしょ?」

ロイの言うことももっともである。

飛竜は仕方なく「……ワカッタ」と呟いた。



「いっぱいのんだら、いっぱいきくかなー?」

ー1ツダケヨコセ。飲ミ過ギテ変ニ悪化シテモ困ル……ー

「そう?じゃあ、いっこだけね!」

ロイは袋の中から黒っぽい丸薬を取り出し、飛竜の口へ投げ込んだ。

どうやら苦かったらしく暫く咳き込んでいたが、ロイの心配そうな顔を見て必死にこらえた。

「はやくよくなるといいね……」

ー……フン……ー








次の日も、ロイは朝早くから飛竜の様子を見にやってきた。

「エレルー!ごはんだよー!」

ー……何ダ?ソノ"エレル"トイウノハ……ー

「キミのなまえ!きのう、ボクがいっしょーけんめーかんがえたの!」


飛竜に「エレル」と言う名前をつけ、水を取り替えたり小屋を掃除したり、ロイは懸命に世話をした。



エリウッドやマーカスは早朝から頑張るロイを、影からこっそり覗いていた。


「あは、ロイってば一日ですっかり仲良くなったみたいだね」

「ふむぅ……やはりロイ様には竜のお力が……?」


始めこそ周りの家臣は危険がないものかと心配していたが、ロイとエレルの仲を見ているうちに、その不安も薄れていった。





「よくたべるねぇ」

ーマダダ……マダ足リナイ……ー

「えぇ!?」


日に日に絆を強めていくロイとエレル。

竜騎士と竜ですらここまで解り合うことはないが、ロイはエレルを大層気に入りなついていた。

人間の方が動物になつく、といつのはかなり不思議なものだが。








だが、その日は突然訪れた。


ー……私ハ……ベルンヘ帰ル……ー

「え……」

いつものように世話をしていた時に、エレルは突然そう言い放った。


ー傷ハ治ッタ……
……私ガココニ居ルベキ理由ハ、モウナイ……ー

「…………」


確かにエレルの傷はもう治っている。

元々エレルの世話は傷が治り、再び飛び立てるようになるまで……と決めていた。

その日がついに訪れたのだ。


ー私ノ主人ハモウ居ナイ……
ダガ、私ニハ仲間ガ居ル。
生マレ育ッタ谷ニ……沢山ノ仲間ガ居ルー

「……そっか……
おともだちのところに……かえるんだね……」


ロイも心のどこかではわかっていた。

いつか別れなければいけない、と。


だが別れる前に、ロイは一つだけ、やっておきたいことがあった。


「……ねぇ、いっこだけ、おねがいしていい?」

ー……何ダ?ー

「ボクをせなかにのせて、そらをとんでほしいの」

ー……ワカッタ……ー


エレルは嫌な顔をすることもなく、ロイを背中に乗せた。

こうして人を乗せるのはいつぶりだろう。


「わぁっ……」

飛竜に乗るのが初めてのロイは、落とされないようにしっかり首につかまった。


エレルはどんどん高度を上げていく。

見慣れたお城や村が、次第に小さくなっていった。


海の向こうからは、太陽が昇る美しい景色が見られた。


「すごーい……」


地上からは決して見る事のできない景色。


ロイは今見ている景色を頭に刻み込んだ。


エレルと過ごした日々を、決して忘れないように……


「ボクもこんなふうに、そらをとべたらいいのにな」

ー……………ー





空中散歩を終えて、エレルは広い草原の上に降り立った。

もう、別れなければならない。

ロイは名残惜しそうにエレルの体に抱きついた。

「……ありがとう、エレル……
キミといられて、すっごくたのしかったよ」


別れるときは笑顔で、と決めていた。

泣いたらエレルも辛くなるだろうから。


「……げんきでね……」


エレルは翼を広げ、猛々しく吼えると、ゆっくりと空に舞い上がった。

羽ばたく翼によって起きた風で、ロイの髪が激しくなびく。


ロイは大きく手を振りながら、小さくなっていく姿を見送った。



「……また……あえたら……いいな……」


最後まで笑っていたかったのに、ロイは堪えきれずに泣き崩れてしまった。

涙が枯れるまで、ずっとずっと泣き続けた。
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