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神様がいる喫茶店(旧)

 白いセーラー服姿の篠座ひびきは「喫茶がじぇっと」の扉を開けた。
「ひびき、どうしたの。そんなグロッキーな顔をして」
 ひびきの叔父でマスターはカウンターの奥で、カップを磨きながら首をかしげた。
「う……。ちょっと、つきまとわれててね……」
「えっ。もしかして、ストーカー? ちょっと警察警察!」
 マスターは慌てて携帯電話を手に取る。
「あ、そういうことじゃなくって。ユーレイなのよ。私のセンモンのね」
「専門の幽霊? いわゆる心霊系の?」
「そ。なんか、ここ二日、ずーっと女の幽霊につきまとわれててさ……。プリン頭のギャル系の。お風呂やトイレにまで来そうで、どうしよう……」
 ひびきはカウンター席に座ると、机に溶けるように体を預ける。その様子にマスターは腕を組み、
「ひびきちゃん。それさ、古森くんに相談したら?」
 マスターのその言葉に
「えーっ。コモリに?」
 ひびきは驚きの声を上げ、顔を上げる。
「だってさ。そうじゃない? 彼、そういう類いなんでしょ?」
「ま……まあ……そうだけど……さ……」

 ひびきは、この前の古森が淹れたエスプレッソの味を思い出した。エスプレッソを飲むのは初めてだったため、おいしいか不味いかはいまいち判断がつかなかったが、ほろ苦かったのは覚えている。それよりも、エスプレッソの
「あなただけのために」
 という意味が頭の中を駆け巡り、ひびきは顔が赤くなった。

「ひびきちゃん?」
 マスターの声で我に帰ったひびきは、
「う……」
 と顔を両手で隠すと、
「ちょっと、休んでくるわ。早くに寝て、明日に備えなきゃ」
 うつむきながら、店を出た。

「ちょっとーあなたもウブねえー。男の子の名前が出たとたん、顔を真っ赤にさせちゃってさー」
 プリン頭の女幽霊はクスクス笑いながらはひびきの跡を追う。
「幽霊がなによ! そもそも、あんたがあたしにつきまとわなかったら、あたしもここまで疲れることはなかったのよ。こんなしちめんどくさい能力なんてなかった方が良かったわ。もうー!」
 ひびきは頭をかきむしった。
「まあ、まあ。ひびきちゃん……だっけ。ねえ、わたしが幽霊である理由さえ分かったら、成仏するから、許してちょーだい」
 幽霊はウインクした。
 ひびきは脱力した。

「金にならないことはしたくないんだけどね……」
 そう言いながらも自宅に戻ったひびきは、ミサトと名乗った幽霊の話をとりあえず聞くことにした。
「まーひびきちゃん。そんな冷たいことを言わないで」
「冷たいことなんて言っていないわ。あんたが馴れ馴れしいだけよ」
「あら、そう? まーいいじゃない。ひびきちゃん」
「良くない! 何があったか、さっさと話しなさい!」
 ひびきの剣幕に、ミサトはびっくりしたようで、
「そんなこと言わなくっても……」
 としょげつつ、
「ま、話しましょうかね。わたしの死んだわけ!」
 明るく話し始めた。
「わたしね、生前友人たちと、翠埜市郊外にある廃校になった校舎に肝試しに行ったのよ。ほかのメンバーがいないなーどうしてかなーって探してて。気がついたら死んでたの」
 ミサトは両手をたたくと、
「マジ、超ウケるー」
 ゲラゲラと笑った。
「で、遺体は見つかっているの? 葬式とかあげたの?
 幽霊の脳天気さに疲れたひびきはふうと息を吐くと、訊いた。
「さあ。わかんない。とりま、死んでいるのは確実よ。だって、わたし幽霊だし」
「はあ……」
 ひびきは深くため息をつくと、
「ま、仕事を引き受けたからにはやってやろうじゃない。行くわよ」
「どこへ?」
 ミサトは目が点になって尋ねる。
「どこって……あんたが死んだ廃校よ。あんた自身の遺体を見たり、見つからなかったとしても死んだ理由が分かれば、あんたも多分気が済むでしょ」


 それから三十分後。市役所から夕方五時のメロディチャイムが流れてきた。
「まったく。こんなに距離があるなんて聞いてないわよ。結構遠いわね……」
 廃校に着き、緑色のシティサイクルから降りたひびきはやや息が乱れていた。
「ひびきちゃん。ちょっと体力ないんじゃない? 太っているからかな?」
 挑発的なミサトの発言にひびきは
「消されたい?」
 ときつく言い放つ。
「いやいや。脅さないで脅さないで。消えたくない消えたくない」
 ミサトは横に首を振った。
 ひびきは軽く咳払いをすると、
「んじゃ、入りましょうか」
 と言って、南京錠のかかった門の前に立った。
「開くの?」
 ミサトは軽い調子で尋ねる。
「んー簡単よ」
 ひびきはいつもの調子でそう言うと、南京錠に軽く握る。
 その瞬間、南京錠の頭が独りでに動いた。
「ひらけゴマってとこね」
 ひびきは、クスリと笑う。
「ちょっとお。悪いことには使っていないよねえ?」
 ミサトは呆れ顔でひびきを見た。

 ひびきとミサトは、廃校の昇降口に入った。
「なにやってるの。何取り出しているの」
 ミサトは鞄を漁っているひびきに軽い調子で訊く。
「見れば分かるでしょ。懐中電灯。まだ明るいけど、暗くなったら危ないでしょ。あたしまで幽霊になったら、それこそあんたのこと呪うわよ」
 鞄から黒の小型懐中電灯を取り出したひびきは固い声でミサトに突っ込む。
「おっかねえー」
 ミサトは大げさに体を反らし、大声で叫んだ。
 ひびきは懐中電灯のスイッチを押す。まだ空は明るいのにもかかわらず、灯りがともっているのがはっきりと分かる。
「とりあえず、いつ暗くなるか分からないから、つけておきましょ」
 ひびきは真剣な顔で前をまっすぐ見た。

「んー今のところ、何もないわね。ボロいけど、危ないところなんて皆無じゃない」
 最上階である三階にまで来たとき、ひびきは怠そうな顔でつぶやいた。
「危ないところって?」
 ミサトは無気力な顔でひびきに尋ねる。
「そら。心霊的に危ないっていうこともあるけどさ。それ以外にも、落ちやすかったり、事故が起きやすい場所とか……具体的に言うと、階段が壊れているとかね……そういうのを含めたすべての危険性よ」
「へー」
「ねえ、あんたの依頼を聞いてあたしは来たのよ。もうちょっとなにか思い出したらどうなの? ……って、あれ?」
 窓を見ながら廊下を歩いていたひびきは立ち止まった。
「ひびきちゃん。どうしたの」
「あ……いや、なんか今、外に人影が」
 ミサトは大声で、
「ばっかねえ、ひびきちゃん。滅多にこんなところ、人なんて来るわけないじゃん」
 ひびきを笑う。
「そ……そうよねえ……」
 ひびきは首をかしげた。
「ささ。次行こう。次」
 ミサトはひびきを急かした。

 三階の一番奥は音楽室だった。
 薄暗い室内をひびきとミサトは奥に置いてあるグランドピアノに近づく。
 ひびきはグランドピアノを懐中電灯の光で照らす。
「うーん。何もないわね」
 そう呟いたひびきをミサトは人差し指で突っつき、
「ねえ、ひびきちゃん。音楽室って肝試しの定番じゃない?」
「だーっ! ちょっとは何かしら危機感を持ちなさいよー!」
「まーまー。落ち着いて落ち着いて。そんなんじゃ早死にするよ」
「死んでる奴に言われたくないわ!」
 ひびきの絶叫が響き渡る。

「ミサト!」
 突然、ソプラノボイスが音楽室の入り口から聞こえた。ひびきとミサトは振り返る。
 そこには、白のボレロに青いワンピースを着たボブヘアの女性が音楽室へと一歩ずつゆっくりと歩いてきた。
「まりあ? どうして、まりあがここに? っつーか、わたしのこと……見えるの?」
 ミサトはまりあと呼ぶ女性の姿を見た途端、顎が外れそうなぐらい間抜けに口を開け、大声で叫んだ。
「ええ。見えるわ。ミサト……ミサト……ごめんね……」
 まりあはその場に泣き崩れた。
「な……なにが起きたっていうのよ?」
 ひびきは慌てふためく。
「ボクがまりあさんの願いを叶えたんだよ。『もう一度親友であるミサトさんに会いたい』『ミサトさんに謝りたい』っていうね。ひびき」
 そこには黒い癖毛の少年がいた。金の瞳が輝いている。
「コモリ!」
 ひびきは少年の名前を叫ぶ。
「ひびき。ボクはフルモリだからね?」
 落ち着いた様子で古森も音楽室に入る。
「ミサト……ごめんね……本当にごめんなさい……悪気はなかったのよ……」
 まりあは声を上げて泣き始めた。
 ミサトはまりあに近づくと、しゃがみ込み、
「え、どうしたのよ。まりあ? わたしが死んだのに、まりあが関係あるって言うの?」
 ミサトは穏やかな顔でまりあを見る。
「えっ……知らないの?」
 まりあは泣き止み、きょとんとした表情でミサトを見る。
「彼女、なにも覚えていないから死因探しにに来ているのよ」
 ひびきは吐き捨てるように続け、
「で、なんでミサトさんは死んだんですか? 謝るってことは、なにかやましいことでも?」
 と睨み付ける。
 まりあはうつむきながら、立ち上がると、後ろに振り向き、そのまま走ってその場を離れた。
「ちょ……ちょっと、まりあさん! 逃げる気なの?」
 ひびきは思わず手を伸ばす。しかし、届かない。
「ちょっと! もう!」
 ひびきは息を思い切り吸い、一気に吐き出すと、まりあのあとを走って追いかけ始めた。

「何も悪気はなかったのよ……事故だったのよ……」
 まりあは泣きながら、走る。
「まりあさん! まりあさん? なんで逃げるんですか。ちょっ……」
 ひびきも廊下を全力疾走する。
 まりあは二階へと駆け下りはじめた。
 十数秒後、ひびきも駆け下りる。
 ひびきが踊り場に来た途端、足に何かを引っかけ、転んだ。
「いたた……」
 ひびきは上半身を起こし、ひざを擦る。
 その瞬間、踊り場の片隅に置いてあった清掃用具入れが彼女の上に倒れてきた。
 ひびきは絶叫をあげ、頭を押さえ、目を瞑る。
 数秒間そのままの体制でうずくまった。いつまで経っても体に痛みが走らないので、恐る恐る目を開けた。
 用具入れはひびきの頭上数センチ上で、ぴったりと止まっている。
 ひびきは息を殺しながら、後ろにそっと下がり、立ち上がった。
「な……なによこれ」
 ひびきは青ざめながら、用具入れを眺める。それから、ひびきは用具入れの後ろを懐中電灯で照らした。
 そこには複雑にロープが滑車とともに組んであった。そして、そこから一本が出ており、複雑にそのロープは宙を描き、反対側にある消火器入れに消えていた。ひびきが足を引っかけたためか、それはすこしたるんでいる。
「なにこれ……トラップ? いたずら? でもなんでこんなのがこんなところに?」
 ひびきはきょとんとした様子で、まじまじとそれを見る。
「ひびき! 大丈夫? 今、凄い音がしたけど」
 上の階段から降りてきた古森はひびきに駆け寄る。
 その後ろをついてきたミサトは
「あっ! ひびきちゃん。この仕掛け……なんかデジャビュを感じるわ!」
 と大声で叫んだ。
「デジャビュ?」
 古森とひびきの声が重なる。
「そう。わたしね、死ぬ直前に転けたの。で、気がついたら死んでたのよ」
 ミサトは両腕をオーバーに動かす。
「気がついたらって……」
 ひびきは呆れた声で呟く。
「あれは私は悪くない。不幸な事故だったの」
 ひびきは振り向くと、下の階からゆっくりとまりあが上がってきた。
「ただの肝試しじゃつまらないからって、私が提案してみんなで組んだ仕掛けが……。ミサトが掛かった仕掛けだけがうまく動かなくって……」
 ミサトは子供のように泣き始め、
「用具入れの下敷きになっただけで、死ぬなんて……そんな思うはずないじゃない。打ち所が悪かっただけで、死ぬなんて思うはずないじゃない!」
 鼻声で叫んだ。
 ひびきはミサトの顔を恐る恐る見た。意外にもミサトは満面の笑みでまりあを見つめ、
「なあんだ。そういうことだったのかあ」
 とアッケラカンと言うと、大笑いした。
「そうよね。あのとき、わたし懐中電灯の電気を切らしちゃって、月明かりを頼りに皆を探していたんだったよ。そりゃ、割と明るい今でもひびきちゃん、足を引っかけたんだもの。それだけ暗かったら……ねえ」
 ミサトはそう言うと、再び笑い始めた。
「んじゃ……成仏してくれるかしら?」
 ひびきはミサトに優しく尋ねる。
「ええ……成仏するわ。――ただし」
「た……『ただし』?」
 ミサトの言葉にひびきは語尾を上げる。
「まりあ、あんたも道連れよ」
 ミサトは氷のような声をあげ、まりあを階段から突き落とした。





 まりあは自分が宙を舞ったまま、時間が止まったと感じていた。
「まりあさん。ちゃんと謝らないとダメじゃあないですか。どうして謝れないんですか? 謝りにここまで来たんでしょう?」
 下を見ると、古森が階段に立って、まりあを見上げていた。
「このままだと、確実にあなたは死にます。どうします? 最後の願いは?」
 古森の金の目が怪しく光る。
「ここで死にたくないわ! ちゃんと謝るから、助けて!」
 まりあはあらん限りの声で叫んだ。
「分かりました」
 古森はそう言うと、指を軽やかにはじいた。





 ひびきは階段を降りると、落ちたまりあを抱く。
「まりあさん? まりあさん!」
 ひびきは必死にまりあの名を呼ぶ。
 まりあは目を見開いた。
「よかった……」
 ひびきは安堵の声を出す。
 まりあは上半身だけ起き上がると、「うう」と呻き声をだし、
「ごめんなさい……本当に私が悪かったわ……。だから……助けて……」
 と子供のようにミサトに許しを請い始めた。
 そんなまりあを見たミサトは、ふうと息を吐き出し、
「許して欲しかったら、やって欲しいことがあるんだけど?」
 ときつい口調でまりあに言った。
「な……なに?」
 まりあは引きつった声を絞り出す。
「わたしを忘れないで。忘れたら、ただじゃおかないんだから」
 ミサトは穏やかな顔で消えていった。





「これで……よかったのかしら?」
「ん。なんのこと?」
 翌日の夕方、「がじぇっと」でひびきが言うことに古森が言葉を重ねる。
「まりあさんは……なんていうか……本心から……謝ったのかしら? ミサトさんはどうして許したのかしら?」
「ボクが思うに、ミサトさんは許していないと思うよ」
「えっ」
 古森の思わぬ回答に、ひびきは驚く。
「それ以上に自分自身が忘れ去られる方が許せなかったんじゃないかな。ここまで来ると憶測でしか話せないけど」
 古森がカジュアルに話す。
 それに対してひびきは、
「人は忘れる生き物よ。忘れないと前には進めないって言うしさ」
 とせせら笑う。
「たまには後ろを向いて、過去の過ちを見つめないといけないときもあるよ。多分」
 古森のやけに暗い言葉が、何故かひびきの胸に深く刺ささった。
「後ろを向いて……反省か……」
 と思わず声を出してしまう。
「ま、一例だけどね。あまり気にしないで」
「うん……それじゃお言葉に甘えて、あまり気にしないでおくわ」
 古森のフォローを受けて、ひびきは軽く流した。
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