このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

神様がいる喫茶店(旧)

 ひびきが古森と会ってから、一週間が経った。古森のことを第六感的な何かで気になっていたひびきは、学校帰りに毎日古森神社の前を訪れていた。しかし、別段声を掛けるでもなく、境内を軽く覗いて、そのまま帰宅していた。

 ひびきは一人では広すぎる自宅に帰ってくると、自室に戻り、制服のままベッドに身を投げた。そして背伸びをすると、疲れが溜まっていたためか、そのまま眠りについてしまった。





 ひびきは最近、眠るたびに同じ夢を見ている。
 ひびきが八歳頃、空にまでとどかんばかりの大樹のもとで、同い年ぐらいの男の子と遊んでる夢だ。容姿もわからないし、もちろんどこの誰かも分からない少年だったが、ひびきは彼と一緒にいるとすごく楽しかった。
 ある日、彼との別れの日が来た。その男の子はもの凄く真剣な様子でひびきに、
「ひびき、ボクはキミのことが好きだ」
 と言った。ひびきは突然のことに、頬を赤らめ、言葉が出なかった。
 やっとの事でひびきが言えたのは、
「お互いに成長した後に、もし会えたら、同じ事を言ってよ」
 という言葉だった。
 彼は言った。
「それは願い事なの?」
 と。





 その瞬間、ひびきは目を覚ました。体は大の字になっていて、顔には一筋涙が伝っていた。
「なあんか、またせつない夢を見た気もするけど、まあいいか。忘れちゃったし」
 ひびきはそう言うと、ベッドから勢いよく起き上がる。そして大きく背伸びをして、大きな欠伸をした。
 その後、台所で二つ手際よくオムライスと作り、一つをタッパーにいれた。インスタントのお味噌汁と共にデパートの紙袋に入れると、緑のシティバイクにまたがり、颯爽と走っていった。

 夕方の商店街を物珍しそうに十五、十六歳程の少年が歩いていた。青いワイシャツが爽やかである。
「ここら辺はあまり変わっていないなあ」
 黒の癖毛に金の瞳の少年――古森は そう言うと、あるお店の前に立った。
 そのお店はダークブラウンの木材でできた三角屋根の建物だった。店の前には色とりどりのきれいな花々が飾られている。きれいだなと思ったが、花の種類には疎かったため、古森にはなんの花かは分からなかった。
 古森はその建物の看板を見ると、そこには
「喫茶 がじぇっと」
 と書かれていた。
「がじぇっと……。昔どこかで聞いたような。どこでだっけ」
 古森は腕を組み、首をかしげた。その刹那、鈍い鈴の音と共に店のドアが開いた。
 古森はびっくりして、後ろへ仰け反る。
 ドアの向こうから出てきたのは、中年の髭面の男性だった。髪は白髪交じりで、どこか寂しげな目をしていた。着古した黒いエプロンが良く似合っている。手には安っぽい箒とちりとりがあった。
 ひげ面の男性は古森の姿を見るやいなや、
「おや、お客さんかい?」
 と尋ねてきた。古森は
「あ……いや……ちがい……ボク……お金……ないし……」
 とやや挙動不審に言って、その場から走り去ろうとした。
 すると、
「あら。コモリじゃないの。一週間もひきこもってたくせにどうして出てきたのよ」
 古森は声のする方を見ると、ひびきがシティバイクから降りていた。そしてそれを立たせると、かごに入っていた紙袋の手提げを持った。
「ん…だから、ボクはふ……フルモリだって……」
 古森は気怠そうに訂正する。
「それにひきこもってたっていうけど、キミに会わなかっただけだからね?」
 と付け足す。
 ひげ面の男性は、二人の様子に目が点になって、
「ひびきちゃん、彼とは知り合いなのかい?」
 と訊いてきた。
「ええ。ちょっとね」
 ひびきは答え、
「無理矢理人を呼び込んじゃだめよ、叔父さん。コモリはお金がないんだから」
 屈託のない笑顔を作る。
「叔父さん……?」
 古森はひびきの言葉をリフレインする。
「そ、叔父さん。父さんの弟さんよ」
 ひびきは古森に軽い調子で答える。
「ってことで、叔父さん。夕飯よ。ちゃんと食べないとダメだからね?」
 続けて、ひびきは自身の叔父に紙袋を渡す。
「……そ……それは、ひびきのご母堂が作ったの?」
 古森は居心地が悪そうな顔で尋ねる。
「ご母堂って……。あんたも古いわね」
 ひびきは目線を古森からそらすと、
「いないわ。父さんも母さんも行方不明なの。死んだことにしているわ」
 ひびきのその姿を見た古森は急に影のある表情を作った。その様子を見たひびきは、
「なによ、あんたが暗くなる必要はないのよ。あたしは気にしていないしね」
 と言って古森に笑いかける。
「だったら、本当に良いけど……」
 古森は戸惑いながらも穏やかな顔になった。
 そんな様子を見たひびきのマスターは、
「ひびきちゃんの友だちなら、コーヒーの一杯ぐらいごちそうするよ、入って入って」
 と言って、二人を店内に招き入れた。



 店内も暗い茶色の木材で出来ていた。やや明るい茶色のカウンター席が四席並んでおり、その手前には二人掛け、奥には四人掛けのテーブル席がそれぞれ二つとあった。
 窓には白いレースのカーテンが掛かっており、飾ってある古ぼけた木細工もそれが味わい深いインテリアとなっていた。明るすぎでもなく暗すぎでもなく、いつまでもいることが出来そうな上品な雰囲気の店だった。
「ここ、コーヒーの香りがすごいねえ、ひびき」
 古森はそう言って大きく息をする。
「『がじぇっと』は自家焙煎が売りでね。私が豆を毎日焙煎しているんだ」
 ひびきの叔父である「がじぇっと」のマスターは胸を張って言う。
「ささ、座って、古森くんだっけ。とりあえず、座って」
 マスターはそう言うと、古森をカウンター席の椅子に座らせ、カウンターの向こうで、豆を挽きはじめた。その間にホーローの口の細いヤカンでお湯を沸かす。それを少しだけ冷ました後、紙製のフィルターにはいったコーヒーの粉へお湯を注ぐ。。お湯を入れるたび泡を立て、店の香ばしく豊かな香りをますます強くしていった。
「叔父さん、あたしも飲みたいー」
 古森は声のする左側を見ると、ひびきが肘をついて座っていた。
「分かっていますよ」
 マスターはひびきに優しく微笑む。
 しばらくの間、コーヒーの静かに落ちる音だけが店に響く。それと同時に、香ばしくやさしい香りが柔らかく広がった。
 十分強後、二人の前にはコーヒーが置かれていた。
「い……頂きます……」
 古森は恐る恐るカップに口をつける。そして一言、
「苦い……すっぱい……」
 その言葉に、ひびきは鼻で笑うと、
「もー砂糖とか入れたら?」
 と言って、カウンターにある角砂糖の入った瓶を古森の前に置く。
「ありがと……」
 古森はそう言うと、二つほど角砂糖をコーヒーの中に入れ、スプーンで混ぜた。
「まったく、子供味覚なのね、あんた」
 ひびきはそう言うと、そのまま飲んだ。

 突然、マスターは深くため息をついた。
「どうしたんですか?」
 古森は尋ねる。
「今日は割と暇なんだけどね。ひびき、お給料出すから、働いてくれないかな? 最近お客さんが増えて、私一人じゃちょっとね」
 マスターは申し訳なさそうな顔でひびきに手を合わせる。しかし、ひびきは
「叔父さん、ごめん。この前の英単語テスト、あまり成績よくなかったの。だから次のは気合い入れたいから……ごめんなさい」
 と言って頭を下げた。
 マスターは、
「あ……あ、そりゃあ成績の方が大事だよね。あの兄貴の娘なんだから、がんばってもらわないと」
 と苦笑いした。
「あの兄貴?」
 古森は心に引っかかった言葉を繰り返す。
「ああ、ひびきの両親……つまりは、私の兄さんと義姉さんは弁護士だったんだ」
 マスターは古森の疑問に答えた。
「へえ……」
 マスターの言葉を聞いた古森はここではないどこかを眺めているかのように返事をする。
「ま、今はいないから今は親のお金でなんとか一人暮らししているのよ。あとは自分の能力で稼いでね。まあ、こっちはお小遣い程度だけど。ってことで、叔父さん。とにかくあたしは難しいわ」
 そんなひびきの台詞に、古森は両手で乾いた音を叩いて出すと、
「あ……そうだ。マスター。ボクは三つまで……そう、三つまで人の願い事を叶えることができます」
 とまるで営業マンがセールストークをするかのごとく、明るく丁寧な口調で言った。
「は?」
 マスターの目は再び点になった。
「ひびき、どういうことですか?」
 マスターはひびきに質問を振る。
「言っている通りよ。コモリは人の願いを叶えることができる神様なんだってさ」
「はあ。にわかに信じがたいですが……ひびきのいうことですしねえ……ううむ」
 ひびきの答えにマスターは思わず唸る。
「どうします? 一気に叶えなくても、一つずつ叶えることも可能ですが?」
 古森はそう言って、楽しそうに指で宙で円を描く。マスターは
「叶えるのに代償とかはないんだよね?」
 と古森に質問をする。
「えぇ。ないですよ。むしろあるとしたら、叶った喜びが、ボクの存在する意義になるんです」
 と言って、微笑む。
「なら……よし。働き者のアルバイトを雇いたいという願いは大丈夫かな?」
 マスターの言葉に、古森は
「十分ですよ」
 と言って、指をはじいた。
 すると、勢いよく「がじぇっと」の扉が開いた。鈍く忙しない音と共に鈴が揺れる。
 飛び込むように入ってきたのは、一人の男性だった。手足は骨と皮しかないほどに細く、腹部は膨らんでいた。そして、よれよれのチェック柄のシャツを着ていた。
 男性は、マスターの顔を見るなり、
「すみません! ここで働かせてもらえませんか?」
 と耳が割れるほどの大きな声でマスターに尋ねた。ひびきも古森も思わず耳をふさぐ。
「あ……ああ。いいよ、いいけど……君は誰でしょう?」
 マスターは尋ねる。
「オレは! 翠泉大学経済学部二年の綾野颯人です!」
 相変わらず大きな声で叫ぶ綾野に
「ちょ……ちょっと、もうちょっとでいいから、声のヴォリューム下げて!」
 ひびきも負けずに叫ぶ。
「ひびきも声が大きいよ!」
 古森も叫ぶ!
「何ですって!」
 ひびきは再び叫んで、古森の胸ぐらを摑む。
「そもそもねえ! ひびき、ひびきって馴れ馴れしいのよ!」
「コモリって呼ぶひびきだって、馴れ馴れしいよ!」
 ひびきも古森も声を張り上げる。そこに
「もう! 二人とも、今そこを言い争うところじゃないでしょうが! 静かにして!」
 と、とうとうマスターも声をあげた。







 綾野を雇ってから、マスターは仕事を一から教えていった。もちろん簡単ではなかったが、一生懸命説明していった。綾野も真面目に仕事を覚えようとしているように見えていた。







 綾野がバイトを始めてから一週間後のこと。
 ひびきは古森神社の前に、シティバイクを置いた。勢いよく境内の中へ入っていき、本殿の障子を思い切り開けた。
 本殿の中から、少年の絶叫が響き渡る。そして、少し落ち着いてから、彼は
「なんだあ、ひびきかあ」
 と安堵する声を出した。
「なんだ、じゃないわよ。コモリ。そんなに驚かなくたって良いでしょうに……って新聞?」
「そ、新聞」
 コモリと呼ばれた少年――古森の周りには、古い新聞の切り抜きが並べられていた。その隣には青や赤など色とりどりの紙が置かれている。
「なにやっているの?」
 ひびきの質問に古森は
「ん? ちょっとね、スクラップブックでも作ろうかなって、図書館まで行ってきてた」
 と答えた。ひびきは古森に再び訊く。
「ふうん。つまりこれは新聞のコピーってわけね……。っていうか、コピーするのには名前とか必要じゃない? あたし、自由研究でやったもの! どうしたの?」
「ひびきの名前を借りた」
 甲高い平手うちの音が神社中に響き渡る。
「だって、ひびきって名前、ユニセックスな名前なんだもの。思いついた名前がさあ!」
「色々言い訳しないでよ! はあ、もうまったく」
 かなり痛かったらしい古森は自身の頬をさすりながら弁解する。この様子にひびきはため息をついた。
「でね、考えたら、この紙に貼る糊がないんだよ、ここに。どうしようかなあって。ひびき、キミ持ってない?」
 古森は申し訳なさそうに続ける。呆れたひびきだったが、
「んもう。あたし、自分の分のしか持っていないわよ。今、貼っちゃうなら、貸すけどさ」
 と言って、スクールバッグの中からオレンジの糊を古森に渡す。
「ありがとう。んじゃ、ちゃっちゃとやっちゃうね」
 古森は高い音を立てて糊の蓋を開けると、新聞のコピーに糊を塗っていき、紙に貼っていった。
 ひびきは、本殿の敷居に腰を掛けると、紙を一枚手に取った、返すと、行政のお知らせが載っていた。
「あ、これ、裏面か」
 ひびきはそう言って、紙を元の位置に戻す。
 次にひびきは、古森が張り終わった新聞の切り抜きを手に取ろうとした。しかし、古森はひびきの腕を掴み、
「やめて」
 と冷たく言い放ち、睨まれた。
 ひびきは残念そうな顔で
「わかったわよ」
 と言って手を引っ込めた。







 十分後、
「出来た! ひびき、ありがとう。返すね」
 古森はさっきと打って変わって、ひびきに微笑む。
「どういたしまして」
 ひびきは呆れた顔で糊を受け取る。
「で、ひびきは何しに来たの? ボクに何が用があったんだよね?」
 古森は微笑をたたえながら、尋ねる。
「あ……ああ。ああ。そうよ。あのビール腹男がうるさくて!」
「はあ」
 古森はひびきの言葉が理解出来ないようで、きょとんとした様子でひびきの目を見つめている。
「百聞は一見にしかず、よ。ちょっと来なさい!」
 ひびきは叫んだ。





「ですからー。自家焙煎とか良く訳の分からない手間を掛けるよりー買ってきた方がいいですよー。んで、その浮いたお金を給料とかに回してくださいー」
 古森がひびきに連れられ、喫茶「がじぇっと」の扉を開けると、件のアルバイトの声が店内に響いていた。
「でもね、綾野君。ここは自家焙煎が売りなんだ。売りを捨てるわけにはいかないよ。分かって欲しいな」
「なにが起きているの?」
 マスターの戸惑った声を聞いた古森はひびきに訊く。
「働き者は働き者だったらしいわ。でも、給料が安いって文句を言い出したのよ。これ以上は上げれないって叔父さんは言ったのだけど……」
 ひびきは深くため息をつくと、
「なら、手間やお金の掛かる自家焙煎を辞めろって言い出してさ……」
 ひびきがもう一度ため息をつく。その刹那、
「いい加減にしてくれ!」
 とうとうマスターの限界のメーターが振り切ってしまったようで、
「私のこだわりが分からないというのなら、辞めてくれたまえ!」
 ひびきが未だかつて見たことがないほど、マスターは怒りにまかせて怒鳴った。
 しかし、綾野は
「何言っているんですか。雇用側の勝手で労働者を辞めさせるなんてできませんよお!」
 とヘラヘラと笑いながら言い放った。
 マスターは怒りのメーターも振り切ってしまったためか、思わず綾野に向かって大きく腕を振りかぶった。
「あっ」
 ひびきは叫び、目をつむる。
 しかし、何も音がしない。ひびきは目を開けて、綾野を見た。
 綾野は体を埋めて震えているだけで、怪我も何もしている様子はない。
 マスターの方を見ると
「えっ」
 古森がマスターの高く上がった腕を掴んでいることに、ひびきは驚きの声を出した。
「マスター。怒りにまかせるなんで、あなたらしくないと思いますよ」
 古森はそう微笑む。そして、
「もう二つ、願い事を叶えることが出来ますが……如何なさいますか?」
 と静かに私語いた。
 マスターは、腕を下ろすと、
「あいつと縁を切りたい! そして……もっと……私のコーヒーについて分かってくれる子を雇わせてくれ!」
 と声を絞り出した。
「わかりました」
 古森は微笑むと、軽い音を立てて、指を二回はじいた。

 うずくまっていた綾野は震えはじめると、
「もおおおおっ! こんな店、つぶれちゃえば良いんだああ!」
 と叫びながら立ち上がり、店から飛び出していった。
「な……なんだったんだ。この一週間……」
 マスターは呟き、
「これで良かったんだよなあ……。うん……」
 自分を納得させるように頷く。
「あとは、マスターのコーヒーについて分かってくれるアルバイトが現れるだけですね」
 古森はそう真面目な顔で、ドアを見つめていると、
「そのことなんだけどさ、あんたが最適だと思うのよね」
 と言うひびきの声が聞こえてきた。
「へ?」
 古森は目を点にしてひびきの方を見る。顔にははてなマークが浮かんでいた。
「だから、コモリ。あんたがここで働けば良いのよ」
「でもボク、コーヒーなんて分からないよ!」
 ひびきは満面の笑みで勧めるが、古森は否定する。
「あんたなら、きっと分かるはずよ。確証はないけど、勘は当たるのよ。あたし」
 古森の顔をのぞき込みながら、ひびきは笑顔を作る。
「ね、いいでしょ。叔父さん?」
 ひびきはそう言って、マスターの方を見る。
「まあ、ひびきの見る目というのは確かなのは、わかっていますし……。あとは古森君さえよければ、ですね」
 マスターは強引なひびきに押されながらも、古森の意思を訊く。
 古森はうつむき少し考えた後、
「わかりました。こちらこそ、お願いします」
 古森は頭を下げた。

 斯くして、古森は喫茶「がじぇっと」で働くこととなった。
 働き始めてから、一週間ほど経ったある日、ひびきは古森に
「働けって言う無茶ぶりは悪かったと思うけどさ、一体どうして、自分から頭を下げたのよ?」
 と訊いた。古森は
「スクラップブックを作るのには、ファイルが必要。ファイルを買うにはお金が必要でしょ?」
 とあっけらかんと言った。続けて、
「んーでも、もしかしたら、マスターの願い通りにボクも従っちゃっただけかもね」
 と明るく笑った。
3/17ページ
スキ