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神様がいる喫茶店(旧)

 喫茶「がじぇっと」のひげ面のマスターはイライラしていた。
 時刻は夜十時を回っていたので、マスターはお店を閉めたかった。しかし、いっこうに帰らないお客が一組いた。
 怒っても良かったのだが、マスターは温厚で、尚且つ分別の付いている男性だったので、まだ堪忍袋の緒が切れてはいなかった。しかしそれも時間の問題だった。
「マスター、上がって良いですか?」
 そう言いながら、奥の方から白地に青い縦ラインのワイシャツを着た癖のある黒髪の少年が現れた。瞳は金色に輝いている。
「……ああ、古森くんか。帰っていいよ」
 マスターは、ややぶっきらぼうに答える。
「あ、まだお客さんいるんですか?」
 古森と呼ばれた少年は奥の方にいるマスターの虫の居所が悪い原因を見て言った。
「まあね。私は明日のクッキーの仕込みをやっているから。さっさと帰りなよ」
 そう言って、マスターは気分悪そうに奥へと消えた。

 古森は、ふうと息を吐き、その元凶を眺めた。
 それは、だいたい三十代後半の女性二人組だった。
「でね! うちの若いやつ、使えなさすぎて! ほーんとうに困るわ! あいつ、一人いないだけで、もっと仕事が回るわよ。それなのに若い女だからって、男性社員にちやおやされてさ!」
 一人の女性がそう大声で騒ぐ。もう片方の女性は、その様子を見て、やや困った風に
「そんなこと言わないことよ」
 と苦笑いをしていた。
「へえ。つまり、あなたは職場から消えて欲しい人間がいると言うことですか?」
 そう古森はその会話に突然乱入した。女性二人は目元を見開き、口を歪ませ、古森を見つめる。
「そうよ、それがどうしたの。あんた、ガキのくせして、私にお説教するつもり? 仕事はみんなで回しましょう! とかそういうの?」
 騒いでいた女性はそう古森に突っかかる。しかし、古森は
「いえ……それが願いなのであれば、ボクが叶えて差し上げますよ、ということです」
 と慇懃に答えた。
「どういうこと?」
 相方の女性は、古森に純粋な目で尋ねる。
「ボクは、どんな願い事も一人につき三つまで願いを叶えることが出来ます」
 古森は満面の笑みでこう答えた。
「はあ、あんた、ふざけているの? まあいいわ。やってみるものなら、やってみなさいよ。私の願いを叶えてみなさいよ。うちの会社の若い女を消してよ」
 愚痴を言っていた女性は大声でそう叫んだ。

 遅い時間に不釣り合いな大声を聞いたマスターは嫌な予感がして、慌てて表に出たが、すでに古森は指をはじいた後だった。





 古森に願いを叶えてもらった女性は、翌日半信半疑で出社した。
「おはよう」
「おはようございます」
 いつものように同僚と挨拶を交わすが、その中に、女性が消えて欲しいと願った一番若い女性社員が突然退職をしたため、いなかった。
 女性はもうこれで私は心置きなく仕事ができるわ! と心の中で大変喜んだ。
 しかし、
「あの子が居ないと、なんか……さみしいよね。仕事にも穴が開くしさ」
「そうよねえ……。ドジだけど、仕事は真面目だからねえ……。まさか突然辞めるなんて、なにかあったのかしら?」
 と会社の人間、皆彼女のことを心配し始めた。そして、仕事が回らなくなった。この様子を見て、件の女性は
「あのアマ! 仕事が全然進まないじゃない! ふざけんな!」
 といういらついた。





 女性はアフターファイブに再び「がじぇっと」を訪れた。
 店内に入るなり、テーブルを拭いていた古森の胸ぐらを掴むと、
「てんめえ。うまくいかないじゃない!」
 と大声で喚いた。
「ボクの力は本物ですよ。絶対に叶ったはずです」
 古森は微笑みながら、答える。女性は手を緩め、
「そりゃあ、あの女は来なくなったわ。でもね、みんなそのことに気を取られて、全然仕事が進まないのよ!」
「そこまでは、ボクの知ったことじゃないですよ。でも、もう二つ、願い事を叶えることが出来ますが、如何なさいますか?」
 そう言って、古森は女性の腕から抜けた。
 女性は
「そうね……。そうだわ……。みんなあの女のことを気にしなきゃ良いのよ。そうよ。それが願いよ!」
 こう言って、腕をぐっと握りしめる。
「わかりました。では、叶えましょう」
 古森はそう言うと、指をパチンと鳴らした。





 翌日の会社では、退職した人の話題がまったく出なかった。その代わりに、その人と入れ替わりで、新人が入社した。
 だが女性は、その日一日だけでその新人の使えなさに、むしゃくしゃしはじめた。
 それと同時に、そんな新人を認めようとしている上司や同僚達にも腹を立て始めた。





 退社後、女性は再度「がじぇっと」に向かった。
 扉を乱暴に開けるなり、
「このガキァ! ふざけんなあ! なにもかも思い通りにならないじゃない!」
 と怒鳴った。
 その声に、店内で駄弁っていた茶髪のポニーテールとオレンジのお下げの二人の少女は驚いて振り返った。
「ちょっと? 店内で騒がないでくれますか。いくらあたしたちしかいないとはいえ、さすがにうるさいわ。で、何のよう?」
 茶髪の女の子――篠座ひびきは不機嫌そうに言う。
「あの天パのクソガキだしやがれ! こっちは腹の虫がおさまらんのよ!」
 女性の鬼の形相でそう叫んだ。
「天パ……まさか、古森さん?」
 オレンジの少女、大竹口文子はやや青ざめた様子で呟く。
「ん? 呼んだ?」
 奥から古森が現れたとたん、女性は古森に殴りかかった。
 しかし、次の瞬間、ひびきが立ち上がり、古森の前に立ったため、女性の握り拳はひびきの頬に思い切り当たった。ポニーテールはその衝撃で揺れ、ひびきは倒れ込む。
「ひびき!」
 古森は叫び、ひびきの隣にしゃがみ込んだ。片頬を真っ赤にさせたひびきは古森を一切見ずに、うつむきながら、ユラユラとひびきは立ち上がると、軽く、フフフと笑い、
「お姉さん、そんなに世の中思い通りにしたいわけ? この力がそこまで自分にとって素晴らしいモノだと思っているの? ふざけないで」
 と言って、女性をにらみつけた。その瞳は金色に輝いていた。
 そのことに気がついた古森は、
「ひびき、駄目!」
 と止めに入るが、
「邪魔よ」
 と言って、古森を突き飛ばす。彼の体はテーブルと椅子に思い切り当たり、二つのカップが勢いよく床に落ちた。大竹口は、その様子にオロオロするばかりで、何も出来ない。
「あはははははははは!」
 ひびきは高らかに笑うと、
「分かったわよ。あなたの思い通りにしてあげるわよ。それで気が済めば良いわ」
 と言って、パチンと指をはじいた。





 女性が目覚めると、掛かっているのが、いつものふかふかの寝具ではなく、ボロボロの毛布であることに気がついた。慌てて周りを見回すと、自分がいるのは住んでいるはずのコンクリート建てのアパートではなく、ましてやさっきまでいたはずの喫茶店でもなく、隙間だらけの壁や床の家だということが分かった。
 女性の隣には荒ら屋には不釣り合いな淡いピンクのかわいらしい封筒が落ちていた。差出人は書かれていない。
 女性は悪寒を感じつつ、封筒を開け、中にある便せんをを取り出し、読み始めた。
「ここは無人島です。ここではあなたの思い通りに動けます。そして、他の人に煩わされることもありません。だって、人間はあなた一人しか居ないんですから」
 手紙を読んだ女性は、荒ら屋から飛び出た。目の前にはただ青い海が広がっていた。





「あ……あたし……」
 ひびきが目覚めると、病室にいた。どうやら個室のようだ。
「あら、目覚めたのね。みんな心配してたのよ。リンゴ剥くね。食べるでしょ」
 ひびきのベッドの横で本を読んでいるぴっちりとしたスーツを着た女性はそう言って立ち上がった。
「えっと……あなたは……ゆたかお兄ちゃんの……」
 ひびきは金槌で殴られているような頭痛の中、起き上がり、女性に話しかける。
「あら覚えててくれたのね。そう。私はゆたかの婚約者の三浦聖子よ。ひびきちゃん」
 そう言って、するするとリンゴを滑らすように剥く。それから食べやすい大きさに切ると、爪楊枝でリンゴを刺し、ひびきに渡した。ひびきは受け取ったリンゴをじっと見つめる。
「あら、ひびきちゃん。もしかして、ウサギリンゴの方が良かった?」
 聖子はそう言って、慌てる。
「あ……いや……。聖子お姉さん、あたし、あの後、倒れたんですか?」
 ひびきは聖子に尋ねる。聖子は
「記憶がないの? ひびきちゃん」
 と逆に尋ねる。
「いや……そういうわけじゃ。女性に殴られて、キレて、何故か……あの女性の願いを……」
 ひびきがそう言った瞬間、大きな音を立てて病室の扉が開いた。
「ちょっと、ここは病院よ。静かに……って古森くんか」
 ひびきはハッとした表情で、扉の方を見る。古森の表情はいつもの穏やかなものではなく、金の目は一切笑っていなかった。
「コモリ……?」
 ひびきは少年のあだ名を呼ぶ。
 古森はいつもの様子から考えられないぐらいの怖い顔でひびきの胸ぐらを掴み、グイッと顔をひびきに近づけ、
「ひびき。キミ、ふざけているの? もうその力を使わないって言ったこと忘れたの?」
 いつもよりやや低い声で、静かに言った。
 ひびきは
「どういうこと……」
 とかなり弱々しい声で、古森に聞く。
 古森はひびきを掴んでいる腕を緩めると、深くため息をつき、
「もっと自分を大切にしてってことだよ。ああ、でもそうか。キミはボクの願いのせいですべて忘れてしまっていたんだね」
 と言って、悲しそうに目を伏せた。
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