神様がいる喫茶店(旧)
古森は、ひびきと店の奥に置くカラーボックスを買いに、郊外のショッピングモールまで出かけていた。
予算も大きさもちょうどいい物があったので、それを購入し、そのほかの細々としたものを買ったあと、
「ねえ、コモリ。あんた、おなかすいてない?」
ひびきは茶色のポニーテールを揺らし、古森に尋ねる。
「ボクはフルモリだからね? まあ、それはともかく。おなかはそこまですいてないけど、歩き疲れた。休みたい」
ひびきはケラケラ
「あんた、もっと体力つけたら?」
と笑う。
「なんだよう。このカラーボックス、結構重いんだよ。ひびきはカートを引いているだけじゃないか」
と、古森は、不機嫌そうな声で言った。その言葉に少し顔を引きつらせたひびきは、古森に
「まあ、なにかおごってあげるから。それで我慢してよ」
と言葉を濁した。
一番の混雑時を乗り切ったフードコートは、人がまばらだった。
ひびきは、開いていた席に座ると、
「とりあえず、何食べる?」
と古森に聞く。しかし彼は、
「ねえ、ひびき。アレ、何? あのクリーム色の板は?」
と幼い子供たちの方を見て聞いた。子供たちの手には、薄いタッチパネル式の画面が握られていて、夢中になって触っている。
「ああ……最近、またはやりなんだってね、『てんかが』」
ひびきはややぐったりしながら、古森の質問に答える。
「『てんかが』?」
古森はその言葉を繰り返す。
「『てんしのがかみ』。略して、『てんかが』。いわゆるおもちゃよ、おもちゃ。天使と会話できるというスタンスのおもちゃよ。あたしが小さいときにもあったけど、あのときは白黒液晶だった。今じゃあ、ここまで大きな画面にフルカラーだなんて、だいぶ進化したわね」
「んじゃ、ひびきもその……『てんしのかがみ』で遊んだの?」
ひびきの言葉に古森は質問する。
「いや、あたし、本物の天使見ることできたし、必要なかったわ。家のごたごたでそれどころじゃなかったし」
「さいですか」
そう言って古森は、脱力した声を出す。
「そんなことより、ホントおなかすいたから、何か食べましょ。あたしはラーメン食べるけど、あんたは?」
空腹で不満げなひびきの勢いに乗せられ、古森は、
「んじゃ、ボクもそれで」
と静かに言った。
二人が空いた器をお店に返しているときだった。その店のすぐ傍の席にいた六歳ぐらいの女の子が、わあんと泣き出した。
「マーちゃんも『てんかが』欲しい! てんしさまとおはなしがしたい!」
隣に座っていた母親とおぼしき女性は、
「マーちゃん、我が儘言わないの」
と叱りつける。
「お姉ちゃんには買ったのに、どうしてマーちゃんには買ってくれないの?」
母親は女の子を諭すように、
「お姉ちゃんは入院中でしょ? お友達がいなから、てんしさまとお友達になってもらうためにあげたの。マーちゃんにはお友達がいるし、この前、くまのぬいぐるみを買ってあげたじゃない」
と優しい声で諭す。女の子はやはり、
「おともだち、みんな『てんかが』ばっかりやってるの。話についていけないの。くまさんはお話ししてくれないし、みんなみんな前はずっといっしょにあそんでくれたのに、今は『てんかが』ばかりなの! だからマーちゃんも!」
と言って、再びぐずる。
女の子の母親は急に口調をとがらせ、
「こんなわがままを言う子はうちにはいりません!」
と叫ぶと、女の子をおいてその場を離れてしまった。
その様子を見た古森は、大泣きしている女の子に近づき、
「大丈夫?」
と声をかけた。
「ちょっと、コモリ?」
ひびきは古森を止めるが、彼はその幼い少女に
「キミは叶えたい願いって……あるかい?」
と尋ねた。
「うん……でも叶いっこないんだ。マーちゃんは元気だし、お母さん怒らせちゃったし。でも、マーちゃんもてんしさまとお話ししたい」
「それがキミの願いなんだね?」
古森は深い声で再び尋ねる。
「ちょっと、こんな女の子まで! コモリ! ねえ!」
ひびきは古森を止めた。しかし、
「ひびき、ちょっとうるさいよ。ボクはこの子の願いを叶えなければいけないんだ」
古森の言葉の勢いにひびきは声が出なかった。それから、古森は目をきらりと光らせ、
「それでは、キミの願いを叶えるよ」
と言うと、指をはじいた。
その瞬間、ぱあっと光ったかと思うと、女の子の手にはアンティーク調のきれいな鏡が握られていた。
「なにこれ……」
女の子が鏡をのぞき込むと、
「こんにちは」
金髪碧眼の美形が鏡の中にいた。ゆったりとした白い服、頭には輪っか、背中には翼がある。
「うっそ……天使……?」
ひびきは声を失った。
「だって、この子は天使様とお話がしたいって願ったんでしょ? それを叶えただけだもの、ボク」
古森はアッケラカンと話す。
ひびきは、両腕で頭をくしゃくしゃとかきむしると、古森に詰め寄り、
「もー! どうしてそうなるのよ! 普通の人間はねぇ……」
と言いかけた。しかし、
「ありがとう! お兄ちゃん! 大切にするわ!」
という女の子の言葉に、ひびきは古森への矛先をひっこめてしまった。
それから、女の子……マーちゃんは、ずっと「天使の鏡」を通して、本物の天使と話をした。家のこと、家族のこと、特に病気で入院中の姉のこと……。
天使は、同じ話でも、ずっとマーちゃんの話を聞いていた。
もちろん、マーちゃんがクラス中にアンティーク調の変わった『てんかが』を持ち始めたことが話題になった。しかし、マーちゃんはその噂を気にしなかった。何故なら、天使様が励ましてくれるからである。マーちゃんは天使様さえいてくれれば、もうなにもいらないとさえ思うようになっていった。
天使の方もマーちゃんのことを気に入ったようで、マーちゃんが話しかけるたびに、いつも不気味なほどに微笑んでいた。
ある日のこと。
マーちゃんと同じ小学校に通う高学年の女の子に「天使の鏡」を盗まれてしまった。その女の子も「てんしのかがみ」は持っていたが、マーちゃんの持つ「天使の鏡」がうらやましくなったのだ。
その女の子は、学校帰り、川縁でその「天使の鏡」をのぞき込んだ。しかし、自分の顔が写るばかりで、天使はでてこない。
「なんだ、つまらないの」
そう女の子は言うと、取り返しに来たマーちゃんの目の前で、「天使の鏡」をたたき割った。
いやああああと叫ぶマーちゃんの声に反応するように、割れた鏡の破片が強烈な光を放った。
そして、その光から天使が現れ、
「マーちゃん。遅くなってごめんなさい。つらかったでしょう。もう大丈夫。私たちの仲間になりなさい」
と言って、手をマーちゃんに差し出した。
マーちゃんは、
「はい」
と涙声でそう言うと、天使の手を握った。
そのまま、二人は光の中へと消えていった。
今起こったことに対して、呆然としていた高学年の女の子は、がっくりと腰を落とた。そして、青ざめた顔を、ぱんぱんと左手ではたく。
「あっ、あったわ!」
女の子が声の方を見ると、茶髪をポニーテールにした女子高生……篠座ひびきがそこにいた。割れた鏡を細かい破片まで拾い上げると
「あんたが盗ったのね、この鏡」
と女の子をにらみつけた。それから、悲しそうな顔をして、
「この鏡の持ち主、死んだの。ついさっき、交通事故でね。今、彼女の霊を追いかけていたら……やっぱり、この鏡が心残りだったのだわ」
そう言うと、ひびきはその場を立ち去った。
女の子は涙が止まらなかった。
その後のこと。
喫茶「がじぇっと」にある中年女性が訪れた。写真を割れた「天使の鏡」の枠の中に、入れて飾ったのを見て、女性は、
「死んだ娘がこれにそっくりの鏡を持っていましてね、本物の天使様とお話できるって話していましたの。どこで拾ってきたかはわかりませんでしたけどねえ……。もっとあの子にかまってあげれば良かったわ。そうすれば、鏡の中に友達なんて作らなくてすんだのに。本物の天使はあの子だったのよ。どうして、目の前の天使を見ないで、みんな、みんな……ただのおもちゃに夢中になっちゃったのかしらね……」
と泣いた。
その話を聞いたひびきは、古森に憤りをぶつけた。
古森は
「分かってる」
だけ答えた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
予算も大きさもちょうどいい物があったので、それを購入し、そのほかの細々としたものを買ったあと、
「ねえ、コモリ。あんた、おなかすいてない?」
ひびきは茶色のポニーテールを揺らし、古森に尋ねる。
「ボクはフルモリだからね? まあ、それはともかく。おなかはそこまですいてないけど、歩き疲れた。休みたい」
ひびきはケラケラ
「あんた、もっと体力つけたら?」
と笑う。
「なんだよう。このカラーボックス、結構重いんだよ。ひびきはカートを引いているだけじゃないか」
と、古森は、不機嫌そうな声で言った。その言葉に少し顔を引きつらせたひびきは、古森に
「まあ、なにかおごってあげるから。それで我慢してよ」
と言葉を濁した。
一番の混雑時を乗り切ったフードコートは、人がまばらだった。
ひびきは、開いていた席に座ると、
「とりあえず、何食べる?」
と古森に聞く。しかし彼は、
「ねえ、ひびき。アレ、何? あのクリーム色の板は?」
と幼い子供たちの方を見て聞いた。子供たちの手には、薄いタッチパネル式の画面が握られていて、夢中になって触っている。
「ああ……最近、またはやりなんだってね、『てんかが』」
ひびきはややぐったりしながら、古森の質問に答える。
「『てんかが』?」
古森はその言葉を繰り返す。
「『てんしのがかみ』。略して、『てんかが』。いわゆるおもちゃよ、おもちゃ。天使と会話できるというスタンスのおもちゃよ。あたしが小さいときにもあったけど、あのときは白黒液晶だった。今じゃあ、ここまで大きな画面にフルカラーだなんて、だいぶ進化したわね」
「んじゃ、ひびきもその……『てんしのかがみ』で遊んだの?」
ひびきの言葉に古森は質問する。
「いや、あたし、本物の天使見ることできたし、必要なかったわ。家のごたごたでそれどころじゃなかったし」
「さいですか」
そう言って古森は、脱力した声を出す。
「そんなことより、ホントおなかすいたから、何か食べましょ。あたしはラーメン食べるけど、あんたは?」
空腹で不満げなひびきの勢いに乗せられ、古森は、
「んじゃ、ボクもそれで」
と静かに言った。
二人が空いた器をお店に返しているときだった。その店のすぐ傍の席にいた六歳ぐらいの女の子が、わあんと泣き出した。
「マーちゃんも『てんかが』欲しい! てんしさまとおはなしがしたい!」
隣に座っていた母親とおぼしき女性は、
「マーちゃん、我が儘言わないの」
と叱りつける。
「お姉ちゃんには買ったのに、どうしてマーちゃんには買ってくれないの?」
母親は女の子を諭すように、
「お姉ちゃんは入院中でしょ? お友達がいなから、てんしさまとお友達になってもらうためにあげたの。マーちゃんにはお友達がいるし、この前、くまのぬいぐるみを買ってあげたじゃない」
と優しい声で諭す。女の子はやはり、
「おともだち、みんな『てんかが』ばっかりやってるの。話についていけないの。くまさんはお話ししてくれないし、みんなみんな前はずっといっしょにあそんでくれたのに、今は『てんかが』ばかりなの! だからマーちゃんも!」
と言って、再びぐずる。
女の子の母親は急に口調をとがらせ、
「こんなわがままを言う子はうちにはいりません!」
と叫ぶと、女の子をおいてその場を離れてしまった。
その様子を見た古森は、大泣きしている女の子に近づき、
「大丈夫?」
と声をかけた。
「ちょっと、コモリ?」
ひびきは古森を止めるが、彼はその幼い少女に
「キミは叶えたい願いって……あるかい?」
と尋ねた。
「うん……でも叶いっこないんだ。マーちゃんは元気だし、お母さん怒らせちゃったし。でも、マーちゃんもてんしさまとお話ししたい」
「それがキミの願いなんだね?」
古森は深い声で再び尋ねる。
「ちょっと、こんな女の子まで! コモリ! ねえ!」
ひびきは古森を止めた。しかし、
「ひびき、ちょっとうるさいよ。ボクはこの子の願いを叶えなければいけないんだ」
古森の言葉の勢いにひびきは声が出なかった。それから、古森は目をきらりと光らせ、
「それでは、キミの願いを叶えるよ」
と言うと、指をはじいた。
その瞬間、ぱあっと光ったかと思うと、女の子の手にはアンティーク調のきれいな鏡が握られていた。
「なにこれ……」
女の子が鏡をのぞき込むと、
「こんにちは」
金髪碧眼の美形が鏡の中にいた。ゆったりとした白い服、頭には輪っか、背中には翼がある。
「うっそ……天使……?」
ひびきは声を失った。
「だって、この子は天使様とお話がしたいって願ったんでしょ? それを叶えただけだもの、ボク」
古森はアッケラカンと話す。
ひびきは、両腕で頭をくしゃくしゃとかきむしると、古森に詰め寄り、
「もー! どうしてそうなるのよ! 普通の人間はねぇ……」
と言いかけた。しかし、
「ありがとう! お兄ちゃん! 大切にするわ!」
という女の子の言葉に、ひびきは古森への矛先をひっこめてしまった。
それから、女の子……マーちゃんは、ずっと「天使の鏡」を通して、本物の天使と話をした。家のこと、家族のこと、特に病気で入院中の姉のこと……。
天使は、同じ話でも、ずっとマーちゃんの話を聞いていた。
もちろん、マーちゃんがクラス中にアンティーク調の変わった『てんかが』を持ち始めたことが話題になった。しかし、マーちゃんはその噂を気にしなかった。何故なら、天使様が励ましてくれるからである。マーちゃんは天使様さえいてくれれば、もうなにもいらないとさえ思うようになっていった。
天使の方もマーちゃんのことを気に入ったようで、マーちゃんが話しかけるたびに、いつも不気味なほどに微笑んでいた。
ある日のこと。
マーちゃんと同じ小学校に通う高学年の女の子に「天使の鏡」を盗まれてしまった。その女の子も「てんしのかがみ」は持っていたが、マーちゃんの持つ「天使の鏡」がうらやましくなったのだ。
その女の子は、学校帰り、川縁でその「天使の鏡」をのぞき込んだ。しかし、自分の顔が写るばかりで、天使はでてこない。
「なんだ、つまらないの」
そう女の子は言うと、取り返しに来たマーちゃんの目の前で、「天使の鏡」をたたき割った。
いやああああと叫ぶマーちゃんの声に反応するように、割れた鏡の破片が強烈な光を放った。
そして、その光から天使が現れ、
「マーちゃん。遅くなってごめんなさい。つらかったでしょう。もう大丈夫。私たちの仲間になりなさい」
と言って、手をマーちゃんに差し出した。
マーちゃんは、
「はい」
と涙声でそう言うと、天使の手を握った。
そのまま、二人は光の中へと消えていった。
今起こったことに対して、呆然としていた高学年の女の子は、がっくりと腰を落とた。そして、青ざめた顔を、ぱんぱんと左手ではたく。
「あっ、あったわ!」
女の子が声の方を見ると、茶髪をポニーテールにした女子高生……篠座ひびきがそこにいた。割れた鏡を細かい破片まで拾い上げると
「あんたが盗ったのね、この鏡」
と女の子をにらみつけた。それから、悲しそうな顔をして、
「この鏡の持ち主、死んだの。ついさっき、交通事故でね。今、彼女の霊を追いかけていたら……やっぱり、この鏡が心残りだったのだわ」
そう言うと、ひびきはその場を立ち去った。
女の子は涙が止まらなかった。
その後のこと。
喫茶「がじぇっと」にある中年女性が訪れた。写真を割れた「天使の鏡」の枠の中に、入れて飾ったのを見て、女性は、
「死んだ娘がこれにそっくりの鏡を持っていましてね、本物の天使様とお話できるって話していましたの。どこで拾ってきたかはわかりませんでしたけどねえ……。もっとあの子にかまってあげれば良かったわ。そうすれば、鏡の中に友達なんて作らなくてすんだのに。本物の天使はあの子だったのよ。どうして、目の前の天使を見ないで、みんな、みんな……ただのおもちゃに夢中になっちゃったのかしらね……」
と泣いた。
その話を聞いたひびきは、古森に憤りをぶつけた。
古森は
「分かってる」
だけ答えた。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。