神様がいる喫茶店(旧)
正午に入ってすぐにこと。
「喫茶 がじぇっと」の一角で、一〇代後半の若い女性が四人、一枚の紙を見て黄色い声をあげていた。
ここで働いている癖毛に金の瞳を持った少年、古森は女性達の姿を見て、もうちょっと静かにしてくれないかなあ……と冷ややかな目で見ていた。
「でね、わたしさ。この曲でね、明日のアガツマミュージックのオーディションに出ようと思うのよ! そうすればジョルジュと同じステージにたてるわ!」
一人の女性が声を張り上げた。古森は興味本位で、その紙をのぞき込んだ。
☆
「あんた、鼻歌なんて妙に機嫌がいいわね。どうしたの」
茶髪をポニーテールにした少女、篠座ひびきは古森を茶化す。
「あ、いや。そういうわけじゃ」
古森はひびきの方を見ると、相当慌てたらしく、手に持っていたカップを落としかけていた。
「歌っていて思ったけどこの曲ないなあって思うんだよね。まあ、チラ見だし、譜面そのものも久々に見たから、メロディが合っているかは少々自信がないけど」
割りそうになったカップを古森は大事そうに棚にしまう。
ひびきは訊く。
「ふうん。ってか、音感でもあるの?」
「うん……まあ、小さい頃にちょっとね」
「ふうん……あんたに小さい頃ってあったの?」
古森の答えにひびきは非常に驚く。
「ボクのことはどうでもいいでしょ」
古森は冷たく静かに言葉を濁す。
「でさ。この曲はコード進行もはちゃめちゃで訳がわからないんだよねえ。こんなんでオーディション受けるって言っていた女性がいたんだけどさ。まあ叶わない夢なんてないとおもうから、がんばって欲しいと思うけどね」
古森は苦笑いをする。
ひびきは
「ふうん」
と納得したようなしないような顔で、古森を見る。
「バイト君もそう思う?」
古森とひびきが声がした方に振り向く。さっきの女性グループのうちの一人、燃えるような赤い短髪の女性が、挑戦的な目で二人を見ていた。
「はあ、『そう』ってどういう意味ですか?」
古森は首をかしげる。
「あいつ……村岡の曲をどう思うかってことよ。コードははちゃめちゃ。もちろんメロディラインもめちゃくちゃ。挙げ句の果てに歌詞もダメダメ……だと私は思うのよ。私はね」
女性はやけに「私」を強調する。
「でもさ、周りのみんなは、あの子はすばらしい、あの子の書く曲は最高っていうんだよね。でも、自分は駄目な曲だと思ってたから、言ったのよ。おかしいって。したら、猛口撃。おかげで自分こそおかしいのかなって思っちゃって、自信がなくなっちゃっててさ」
赤毛の女性は片笑みをすると、
「でも、自分と同じような考えの人がいて良かったわ。ありがとうね、バイト君。ってことで、お会計、いいかしら?」
古森に向かって、紙が挟んであるバインダーを見せると、財布を取り出し、
「あいつら、私にすべて払わせるなんてひどいわね。あ、会計はちゃんとするわ。心配しないでよ」
とつらそうに笑った。
その翌日。
「がじぇっと」に再び、昨日の女性四人組がやってきた。
リーダー格の黒のツインテールの女性、村岡はご立腹のようで、乱暴に椅子に座わり
「まったく、わたしの曲を理解できないなんて、あの審査員もたいしたことがないわ」
と叫んだ。その言葉に二人の女性は「そうよね」「そうだわ」と口々に同意する。
赤い短髪の女性は
「そんな現実逃避はダメよ。ダメだったところをちゃんと教えてもらったじゃないの。そこをちゃんと直していけば少しは認められるかもよ」
と賢明に訴えかけた。
「なによ! あなた、わたしの実力が分からないの? わたしの作品のすばらしさがわからないなんて、あんたも審査員と同じようにおかしいわ!」
残りの二人の女性も
「本当にそうよ。そんなことを言うなんて頭おかしい!」
「どうかしてる! 謝りなさいよ!」
村岡の言葉と同調し、責め立てる。
赤い髪の女性は一瞬顔を歪ませ、下にうつむく。
そして震え声で
「ご……ごめんなさい……」
と謝った。
その声を聞いていないかのように、
「まずわたしの実力をみんなに分かってもらわないとだめよねえ。みんなに聞いてもらうには、プロにならないとダメだわ!」
リーダーの女性は話をずらす。
「あなたの願いはプロの歌手になることですか」
少年の声がした方に四人とも振り返った。
「は?」
村岡はあきれた声を出す。
「あ、いや。いつまで経っても注文が来ないので」
癖毛の少年――古森はやや困った顔で、ボールペンを持った右手首をぐるぐると回す。
「で、あなたの願いはプロの歌手になることなんですか?」
村岡の顔を古森は金の瞳で見つめる。
村岡は
「ええ、そうよ。わたしの実力を嫉妬で認めない世界がおかしいの。プロになれば、嫉妬をしない一般の人は認めるに違いないわ」
「そう思うのなら、その願いを叶えて差し上げることは可能ですが?」
古森の不気味なほどの笑みにその場の女性は、目が点になった。
「どういう……あんた、どこかのプロダクションとかとつながりがあるとか、そういうの?」
村岡は意地悪な目つきで古森をからかう。
古森は動じることなく、
「そういうものではありません。あなたの願いをただそのまま純粋に叶えることが出来ると言うことですよ」
慇懃に答えた。
「ふん。物は試しよ。やってみるなら、やってみなさい」
村岡の言葉に、古森は
「では」
と指を鳴らした。
その翌日、「がじぇっと」に勢いよく黒いツインテールの女性が鈍い鈴を勢いよく鳴らして入ってきた。
「バイト、いる?」
と笑顔で古森を呼ぶ。
「はあ、なんでしょう」
古森がカウンターから出てくるなり、村岡は大きく飛び跳ね、
「今度デビューすることに決まったの。ついさっき、収録が終わったところ。ありがとう、願いが叶ったわ」
と叫んだ。
「は……はあ。それはよかったですね」
村岡の勢いについて行けない古森だった。とりあえず、話を合わせる。
「んじゃ、CDがでたら、特待価格で売ってあげるからね!」
黒いツインテールの女はそのまま扉へと消えていった。
その二週間後。古森の元に代金引換で村岡のシングル盤が届いた。
古森はマスターからラジカセを借り、一応聞いてみたが、あまりの酷さにやっぱりこれはないな……と思った。
一週間後、がじぇっとに
「新譜だというのに、売り上げランキングの百位にも入れなかったのよー」
と泣き叫びながら、村岡は入ってきた。
「と……言われましても……。売れるかまでは……っていうか、あんなひどい曲でうろ……」
村岡に胸ぐらを捕まれ、ぶんぶんと振り回されていた古森は、目を回しながら話す。
「せっかくプロデビューするに当たって、仕事も辞めたのに! 食いっぱぐれるわ! ねえ、売れるようにしてよ!」
村岡は半泣きで古森にすがる。
「わ……わかりました。では……」
古森はそう言うと、乾いた音を立てて、指をはじいた。
ひびきが「がじぇっと」でテレビのチャンネリングしていると、一位の曲が紹介されていた。村岡の曲であった。テレビの向こう側で、村岡が気持ちよく歌っている姿を見て、ひびきはへえ、こんなのが最近の流行なのね、と聞き流した。
次の瞬間、
「どうしようー」
村岡は顔をぐしゃぐしゃにして、がじぇっとにやってきた。そのまま玄関にへたれこむ。
「な……なにがあったって言うのよ」
青チャートで勉強をしていたひびきは、ペンを置くと、村岡に近づいた。
「いやあああ! みんなわたしに嫉妬しているのよ。だから、だから……みんなわたしを罵倒するのよ!」
そのとき、カウンターの奥にあるテレビにでている音楽プロデューサーと紹介されていた男性の
「この村岡さんの曲はぶっちゃけ、あれよあれ。カラス避けにしかならない、ね。だって中身がなさすぎるんだもの」
と言う発言にテレビ越しのスタジオ内では大爆笑が起きていた。
音楽に疎いひびきは音楽プロデューサーの男性の意見の意味がいまいちわからなかったが、
「ま……次の曲に勝負かけたら、どうです?」
と適当にフォローをする。
「次って! わたしは今の曲にかけていたのよ! なのに! なのに!」
村岡は子供のように泣きわめく。
ひびきは頭をかいて、どうしようか悩んでいると、台所から古森が出てきた。
その刹那、村岡は古森にすがりつき、
「なんで、願いが叶っても、どうしてうまくいかないの? ねえ!」
と叫んだ。
ひびきは、
「ちょ……あんたも懲りないわねえ! また力を使ったの?」
あきれ声でため息を吐く。
「ねえ、とにかく。叶えてよ! わたしの願いを!」
嗚咽を繰り返す村岡に、
「じゃあ、最後の願いを聞かせてください」
古森は静かに尋ねる。
「ジョルジュって知ってる? ロックシンガーのジョルジュ」
ひびきは、
「まあ、一応……。翠埜市出身の人というのは、名前だけ」
と応える。それに気にもとめず村岡は話を続ける。
「まあいいわ。わたし、ジョルジュにあこがれて歌手を目指したの。ぶっちゃけた話をすると、ジョルジュにさえ認められたら、わたしはそれで十分なのよ」
「は……はあ」
ひびきと古森は乾いた声しか出ない。
「ってことで、バイト君。わたしをジョルジュと会わせなさい。実際に会って、私の曲を聴いてくれれば、きっとわたしの良さをわかってくれるはずだわ」
村岡はさっきとは打って変わって、明るく自信がある声で叫んだ。
「それが、あなたの願いなんですか」
古森は無表情に村岡に問う。
「ええ。そうよ」
自信満々に村岡は笑う。
古森が指をはじこうとした瞬間、ひびきは彼の手を掴んだ。
「なにをするの、ひびき」
「ろくでもないことが起きるに決まっているわ!」
「そんなのやってみないとわからないじゃないか」
古森はひびきの制止の腕を振り払うと、
「では、叶えますね」
と言って、指をはじいた。
これですべてうまく行くはず、と村岡はハイテンションで「がじぇっと」から出て行った。
村岡がいなくなった「がじぇっと」で、古森はうつむいていた。顔には陰ができている。
ひびきはいつもと違う古森の様子に気がつくと、
「ねえ、どうしたの」
と優しく訊いた。
「ボクだって知りたいよ。この力がどうしてうまく行かないかってことをさ……」
古森の声は震えていた。
その三日後のこと。
ひびきは学校の宿題を、古森は店の雑誌を整理していると、がじぇっとの鈍い鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませー」
古森は扉に近づく。
「はーい、少年少女諸君。元気してた?」
そこには燃えるように赤い短髪の女性がいた。
「ねえ、バイト君。ジョルジュって知ってる?」
席に着くなり赤毛の女性は古森に訊く。
「あ……最近の音楽には、ボク疎くって。どなたですか?」
古森の言葉に、女性はスマートフォンを数回いじってジョルジュのCDジャケットを表示させた。 ひびきは二人に近づいて、のぞき込む。
それは男性のモノクロの写真だった。髪は緩やかなウェーブのかかっている。顔は掘り深い。
「この人、外人さん?」
「いや……本名は非公開だけど、一応純粋な日本人みたいよ。でね、彼、すごいのよ。私を含めたロックしている仲間内じゃ『神様』扱いしているぐらい」
ひびきの質問に女性は答える。
「へえ……世の中には凄い人もいるものなのねえ……。ねえ、コモリ……?」
ひびきはそう言いながら、古森の方をみる。古森がまるで悪寒戦慄の如く、ふるえ、顔は青ざめていた。
「どうしたの、コモリ。顔色悪いわよ」
「あ……いや……なんでもない……」
古森の反応に女性は
「そこまでビビるものかい? 自分とどことなく似ている男性を見るのってさ。まあいいや。んで、本題にはいるよ」
女性は机を勢いよく叩く。
「村岡がこのジョルジュに会ったんだってさ! しかも自分の曲を見てもらいにって。おそれ多くもね! でさ、どうなったと思う?」
女性は鈴のように笑うと、
「目の前で、テープは壊されたわ。俺にこんな時間をとらせやがって、ってぶちぎれたって。バカだわ。あいつ」
それから女性はふうと息を吐き出すと、
「自分の身の丈をわかった上で、向上心を持たなきゃ何事も始まらないのにね……」
とせつなそうに呟いた。
「喫茶 がじぇっと」の一角で、一〇代後半の若い女性が四人、一枚の紙を見て黄色い声をあげていた。
ここで働いている癖毛に金の瞳を持った少年、古森は女性達の姿を見て、もうちょっと静かにしてくれないかなあ……と冷ややかな目で見ていた。
「でね、わたしさ。この曲でね、明日のアガツマミュージックのオーディションに出ようと思うのよ! そうすればジョルジュと同じステージにたてるわ!」
一人の女性が声を張り上げた。古森は興味本位で、その紙をのぞき込んだ。
☆
「あんた、鼻歌なんて妙に機嫌がいいわね。どうしたの」
茶髪をポニーテールにした少女、篠座ひびきは古森を茶化す。
「あ、いや。そういうわけじゃ」
古森はひびきの方を見ると、相当慌てたらしく、手に持っていたカップを落としかけていた。
「歌っていて思ったけどこの曲ないなあって思うんだよね。まあ、チラ見だし、譜面そのものも久々に見たから、メロディが合っているかは少々自信がないけど」
割りそうになったカップを古森は大事そうに棚にしまう。
ひびきは訊く。
「ふうん。ってか、音感でもあるの?」
「うん……まあ、小さい頃にちょっとね」
「ふうん……あんたに小さい頃ってあったの?」
古森の答えにひびきは非常に驚く。
「ボクのことはどうでもいいでしょ」
古森は冷たく静かに言葉を濁す。
「でさ。この曲はコード進行もはちゃめちゃで訳がわからないんだよねえ。こんなんでオーディション受けるって言っていた女性がいたんだけどさ。まあ叶わない夢なんてないとおもうから、がんばって欲しいと思うけどね」
古森は苦笑いをする。
ひびきは
「ふうん」
と納得したようなしないような顔で、古森を見る。
「バイト君もそう思う?」
古森とひびきが声がした方に振り向く。さっきの女性グループのうちの一人、燃えるような赤い短髪の女性が、挑戦的な目で二人を見ていた。
「はあ、『そう』ってどういう意味ですか?」
古森は首をかしげる。
「あいつ……村岡の曲をどう思うかってことよ。コードははちゃめちゃ。もちろんメロディラインもめちゃくちゃ。挙げ句の果てに歌詞もダメダメ……だと私は思うのよ。私はね」
女性はやけに「私」を強調する。
「でもさ、周りのみんなは、あの子はすばらしい、あの子の書く曲は最高っていうんだよね。でも、自分は駄目な曲だと思ってたから、言ったのよ。おかしいって。したら、猛口撃。おかげで自分こそおかしいのかなって思っちゃって、自信がなくなっちゃっててさ」
赤毛の女性は片笑みをすると、
「でも、自分と同じような考えの人がいて良かったわ。ありがとうね、バイト君。ってことで、お会計、いいかしら?」
古森に向かって、紙が挟んであるバインダーを見せると、財布を取り出し、
「あいつら、私にすべて払わせるなんてひどいわね。あ、会計はちゃんとするわ。心配しないでよ」
とつらそうに笑った。
その翌日。
「がじぇっと」に再び、昨日の女性四人組がやってきた。
リーダー格の黒のツインテールの女性、村岡はご立腹のようで、乱暴に椅子に座わり
「まったく、わたしの曲を理解できないなんて、あの審査員もたいしたことがないわ」
と叫んだ。その言葉に二人の女性は「そうよね」「そうだわ」と口々に同意する。
赤い短髪の女性は
「そんな現実逃避はダメよ。ダメだったところをちゃんと教えてもらったじゃないの。そこをちゃんと直していけば少しは認められるかもよ」
と賢明に訴えかけた。
「なによ! あなた、わたしの実力が分からないの? わたしの作品のすばらしさがわからないなんて、あんたも審査員と同じようにおかしいわ!」
残りの二人の女性も
「本当にそうよ。そんなことを言うなんて頭おかしい!」
「どうかしてる! 謝りなさいよ!」
村岡の言葉と同調し、責め立てる。
赤い髪の女性は一瞬顔を歪ませ、下にうつむく。
そして震え声で
「ご……ごめんなさい……」
と謝った。
その声を聞いていないかのように、
「まずわたしの実力をみんなに分かってもらわないとだめよねえ。みんなに聞いてもらうには、プロにならないとダメだわ!」
リーダーの女性は話をずらす。
「あなたの願いはプロの歌手になることですか」
少年の声がした方に四人とも振り返った。
「は?」
村岡はあきれた声を出す。
「あ、いや。いつまで経っても注文が来ないので」
癖毛の少年――古森はやや困った顔で、ボールペンを持った右手首をぐるぐると回す。
「で、あなたの願いはプロの歌手になることなんですか?」
村岡の顔を古森は金の瞳で見つめる。
村岡は
「ええ、そうよ。わたしの実力を嫉妬で認めない世界がおかしいの。プロになれば、嫉妬をしない一般の人は認めるに違いないわ」
「そう思うのなら、その願いを叶えて差し上げることは可能ですが?」
古森の不気味なほどの笑みにその場の女性は、目が点になった。
「どういう……あんた、どこかのプロダクションとかとつながりがあるとか、そういうの?」
村岡は意地悪な目つきで古森をからかう。
古森は動じることなく、
「そういうものではありません。あなたの願いをただそのまま純粋に叶えることが出来ると言うことですよ」
慇懃に答えた。
「ふん。物は試しよ。やってみるなら、やってみなさい」
村岡の言葉に、古森は
「では」
と指を鳴らした。
その翌日、「がじぇっと」に勢いよく黒いツインテールの女性が鈍い鈴を勢いよく鳴らして入ってきた。
「バイト、いる?」
と笑顔で古森を呼ぶ。
「はあ、なんでしょう」
古森がカウンターから出てくるなり、村岡は大きく飛び跳ね、
「今度デビューすることに決まったの。ついさっき、収録が終わったところ。ありがとう、願いが叶ったわ」
と叫んだ。
「は……はあ。それはよかったですね」
村岡の勢いについて行けない古森だった。とりあえず、話を合わせる。
「んじゃ、CDがでたら、特待価格で売ってあげるからね!」
黒いツインテールの女はそのまま扉へと消えていった。
その二週間後。古森の元に代金引換で村岡のシングル盤が届いた。
古森はマスターからラジカセを借り、一応聞いてみたが、あまりの酷さにやっぱりこれはないな……と思った。
一週間後、がじぇっとに
「新譜だというのに、売り上げランキングの百位にも入れなかったのよー」
と泣き叫びながら、村岡は入ってきた。
「と……言われましても……。売れるかまでは……っていうか、あんなひどい曲でうろ……」
村岡に胸ぐらを捕まれ、ぶんぶんと振り回されていた古森は、目を回しながら話す。
「せっかくプロデビューするに当たって、仕事も辞めたのに! 食いっぱぐれるわ! ねえ、売れるようにしてよ!」
村岡は半泣きで古森にすがる。
「わ……わかりました。では……」
古森はそう言うと、乾いた音を立てて、指をはじいた。
ひびきが「がじぇっと」でテレビのチャンネリングしていると、一位の曲が紹介されていた。村岡の曲であった。テレビの向こう側で、村岡が気持ちよく歌っている姿を見て、ひびきはへえ、こんなのが最近の流行なのね、と聞き流した。
次の瞬間、
「どうしようー」
村岡は顔をぐしゃぐしゃにして、がじぇっとにやってきた。そのまま玄関にへたれこむ。
「な……なにがあったって言うのよ」
青チャートで勉強をしていたひびきは、ペンを置くと、村岡に近づいた。
「いやあああ! みんなわたしに嫉妬しているのよ。だから、だから……みんなわたしを罵倒するのよ!」
そのとき、カウンターの奥にあるテレビにでている音楽プロデューサーと紹介されていた男性の
「この村岡さんの曲はぶっちゃけ、あれよあれ。カラス避けにしかならない、ね。だって中身がなさすぎるんだもの」
と言う発言にテレビ越しのスタジオ内では大爆笑が起きていた。
音楽に疎いひびきは音楽プロデューサーの男性の意見の意味がいまいちわからなかったが、
「ま……次の曲に勝負かけたら、どうです?」
と適当にフォローをする。
「次って! わたしは今の曲にかけていたのよ! なのに! なのに!」
村岡は子供のように泣きわめく。
ひびきは頭をかいて、どうしようか悩んでいると、台所から古森が出てきた。
その刹那、村岡は古森にすがりつき、
「なんで、願いが叶っても、どうしてうまくいかないの? ねえ!」
と叫んだ。
ひびきは、
「ちょ……あんたも懲りないわねえ! また力を使ったの?」
あきれ声でため息を吐く。
「ねえ、とにかく。叶えてよ! わたしの願いを!」
嗚咽を繰り返す村岡に、
「じゃあ、最後の願いを聞かせてください」
古森は静かに尋ねる。
「ジョルジュって知ってる? ロックシンガーのジョルジュ」
ひびきは、
「まあ、一応……。翠埜市出身の人というのは、名前だけ」
と応える。それに気にもとめず村岡は話を続ける。
「まあいいわ。わたし、ジョルジュにあこがれて歌手を目指したの。ぶっちゃけた話をすると、ジョルジュにさえ認められたら、わたしはそれで十分なのよ」
「は……はあ」
ひびきと古森は乾いた声しか出ない。
「ってことで、バイト君。わたしをジョルジュと会わせなさい。実際に会って、私の曲を聴いてくれれば、きっとわたしの良さをわかってくれるはずだわ」
村岡はさっきとは打って変わって、明るく自信がある声で叫んだ。
「それが、あなたの願いなんですか」
古森は無表情に村岡に問う。
「ええ。そうよ」
自信満々に村岡は笑う。
古森が指をはじこうとした瞬間、ひびきは彼の手を掴んだ。
「なにをするの、ひびき」
「ろくでもないことが起きるに決まっているわ!」
「そんなのやってみないとわからないじゃないか」
古森はひびきの制止の腕を振り払うと、
「では、叶えますね」
と言って、指をはじいた。
これですべてうまく行くはず、と村岡はハイテンションで「がじぇっと」から出て行った。
村岡がいなくなった「がじぇっと」で、古森はうつむいていた。顔には陰ができている。
ひびきはいつもと違う古森の様子に気がつくと、
「ねえ、どうしたの」
と優しく訊いた。
「ボクだって知りたいよ。この力がどうしてうまく行かないかってことをさ……」
古森の声は震えていた。
その三日後のこと。
ひびきは学校の宿題を、古森は店の雑誌を整理していると、がじぇっとの鈍い鈴の音が鳴った。
「いらっしゃいませー」
古森は扉に近づく。
「はーい、少年少女諸君。元気してた?」
そこには燃えるように赤い短髪の女性がいた。
「ねえ、バイト君。ジョルジュって知ってる?」
席に着くなり赤毛の女性は古森に訊く。
「あ……最近の音楽には、ボク疎くって。どなたですか?」
古森の言葉に、女性はスマートフォンを数回いじってジョルジュのCDジャケットを表示させた。 ひびきは二人に近づいて、のぞき込む。
それは男性のモノクロの写真だった。髪は緩やかなウェーブのかかっている。顔は掘り深い。
「この人、外人さん?」
「いや……本名は非公開だけど、一応純粋な日本人みたいよ。でね、彼、すごいのよ。私を含めたロックしている仲間内じゃ『神様』扱いしているぐらい」
ひびきの質問に女性は答える。
「へえ……世の中には凄い人もいるものなのねえ……。ねえ、コモリ……?」
ひびきはそう言いながら、古森の方をみる。古森がまるで悪寒戦慄の如く、ふるえ、顔は青ざめていた。
「どうしたの、コモリ。顔色悪いわよ」
「あ……いや……なんでもない……」
古森の反応に女性は
「そこまでビビるものかい? 自分とどことなく似ている男性を見るのってさ。まあいいや。んで、本題にはいるよ」
女性は机を勢いよく叩く。
「村岡がこのジョルジュに会ったんだってさ! しかも自分の曲を見てもらいにって。おそれ多くもね! でさ、どうなったと思う?」
女性は鈴のように笑うと、
「目の前で、テープは壊されたわ。俺にこんな時間をとらせやがって、ってぶちぎれたって。バカだわ。あいつ」
それから女性はふうと息を吐き出すと、
「自分の身の丈をわかった上で、向上心を持たなきゃ何事も始まらないのにね……」
とせつなそうに呟いた。