8約束
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
自分でもなぜ、この人を愛したのか、と疑問に思っている。
こんなことを言えばきっと彼女は目を釣り上げて怒るだろうが、私の正直な感想だから仕方ない。
なぜなら私は愛すると言う事を知らずに生きてきたから。
これから先も永遠に、知らずに生きていくのだと思ってたから。
親に捨てられ、偏屈で人と関わることも上手く出来ない不器用さは誰かを愛する器でないことは明確だった。さらには、愛される、など。
おしとやかさのカケラもなく、騒がしい口ぶりで、怒ったり笑ったり忙しい。
しかしそのふとした表情を見るととてつもなく抱きしめてしまいたくなる。それは壊れるほどに。
私は本当は分かっているのだ。
彼女は私に無いものを全て持っている。
楽しい時に思い切り笑う表情の豊かさも、誰にでも隔たりなく接する優しさも、正直で真っ直ぐな心も。
嘘と闇に紛れて生きてきた自分に、彼女はあまりに眩しすぎた。
約束
「あの竜崎、これ盛大に失敗したんですけどどう思いますか」
「これはこれは。焼いたあと何処かに落としたんですか」
「それがね、落としてないんですよ。焼いて取り出したら鉄板の上にこれがあったんですよ。」
「あなたの家のオーブンは魔法を使えるみたいですね」
「上手いこと言った気ですかこのやろー」
彼女は拗ねたように口を尖らせて歪に曲がったチーズケーキ(恐らく)を見た。
確かに、むしろこんな風に斜めに焼き上がらせる方が難しいのでは無いか、と感心するほど表面が残念な事になっている。
それでも、朝から私の為に慣れないケーキを焼いてきたのだと思うだけで実は胸の奥底が温かくなっていくのは言わないでおく。
自覚している。私は相当、この人にヤラれてるのだ。
世界の切り札がきいて呆れるほど、たった一人の人に見事に翻弄されている。
憎まれ口を叩くくせにこうして私の為にケーキを焼いてくれたり、少し近づくだけで耳まで赤くしたり、とにかく言動の一つ一つが目を離せない。
私はそばにあったフォークを手に取ると、まだカットもしていないそのチーズケーキらしきものをすくって食べた。
「信じられません」
「えっ!」
「このビジュアルでこの味ですか」
「ど、どう言う意味ですか竜崎!」
焦ったように前のめりになる彼女はやはり感心するほど顔の表情が豊かだ。
口の中に広がるなめらかな舌触りに笑い出してしまいそうになる。
以前も失敗作を無理に食べたことがあった。その時もそうだった。見た目はかなり残念なのに、味は驚くほどイケるのだ。
そしてこのチーズケーキもまた、同じような結果だった。
「おいしいですよ、すごく」
「ええ!」
「愛さんは器用なんだか不器用なんだか。どうすれば見た目と味をこんなに正反対にさせれるんですか」
「私も聞きたいですね…今回は味見もしなかったしヤバイかと思いながら持ってきたんですけど」
彼女はにへら、と顔を柔らかくして笑った。美味しいと言われたことが嬉しかったようだ。本当に分かりやすすぎる人だ。
私はフォークで一口分ケーキを刺すと、その油断した笑顔の口に突っ込んだ。
「どうぞ。味見を。」
私に突然フォークを入れられた彼女は一瞬目を丸くさせ、しかしすぐにみるみる顔を赤くさせた。
チラチラと動かす視線を見るに、私の使ったフォークで食べたことがやけに恥ずかしかったようだった。
何を、今更。
私は呆気に取られたあと笑い出しそうなのを堪えた。
彼女の無垢な反応が、恐ろしいほどに愛しくなってしまう。
「わ…ほんとですね、美味しい、一流ケーキ屋みたい、私天才かもですね!」
恥ずかしさを隠そうと話す彼女に気づかないフリをしながら、私はまたケーキを口に入れた。不覚にもあんな反応をされた後にまた使うのがやや緊張してしまった。
甘酸っぱいようなチーズケーキが口の中でほどける。
隣で嬉しそうに私を見る彼女をみて、私はふと思った。
それは本当に、唐突に。
今、伝えておきたくなったのだ。
「愛さん」
「え?」
「もしある日突然私がいなくなり、電話もかけてこず、あなたの家にも訪れなくなったら。
あなたは決して私を待たず、前を向いてください」
隣で顔が固まるのが分かった。
決して今唐突に思ったことでは無い。
この人を初めて抱きしめたその瞬間から、それは思っていた。
もしどこかで私の正体が漏れ、今まで売り続けた喧嘩相手に命を狙われたら。
私はこの人の隣には戻れない。
それはある日突然訪れるかもしれない現実で、避けられないことかもしれない。
そうなった時、あなただけは前を向いて、その豊かな表情を無くさず生きていて欲しいと思った。
例え他の男性があなたの隣にいることになっても。
この人が嘆き悲しむより、ずっとマシだと思っている。
「寝ぼけた事言わないでください」
目をしっかり開いて、彼女は私に言った。
先程赤らんだ顔はとっくにいつもの顔色に戻り、柔らかかった表情は凛としていた。
「そんな僕が死んでも君は他の男を見つけて幸せにみたいな安っぽいドラマの台詞いらないんですよ。
もしいなくなっても他の男なんて見ないでほしい、くらい言って欲しいですね」
彼女は強い語尾で私に言う。
「待ちますよ。あの家でずっと。幽霊でもなんでもいいから帰ってきてください」
「霊感あるんですか」
「ないですけど」
彼女は少しだけ笑った。
「もし竜崎が本当にいなくなったとしたら、その後の私の人生は私が決めます。私が竜崎を待ち続けておばあちゃんになってもそれは私が決めた人生です。」
チーズケーキを食べる手はもう止まっていた。
歪な形をしたそのケーキがなんだか切なく、悲しく、美しく見えた。
「心外です。私の意思の強さをまだ竜崎が分かってくれてないなんて」
「愛さん」
「言っておきますが後を追うようなことはしません。そしたら私は地獄で、竜崎は天国で会えなくなっちゃうでしょ。とりあえず頑張って生きますから。それが私にとっての幸せなんですよ。きっと笑いながら、いつか竜崎に会うのを楽しみに生きていけます」
私をみて微笑んだその顔は堂々として、一切の迷いもなかった。
強く、温かく、明るさに溢れている。いつでも正直な人。
ああ。そうだ。
私が愛した女性は、こんな人だった。
持っていたフォークをテーブルの上に乱暴に放ると、私は両手で強く彼女を抱きしめた。
それは本当に無意識で、勝手に体が動いたせいだった。
彼女からは爽やかなシャンプーの香りがした。
…これでは死ぬに死に切れない。
私は天国も地獄も、幽霊も信じていないタイプだが。
信じてみたいと、今生まれて初めて思った。
「とんでもない人ですねあなたは」
「褒めてもらって光栄です」
壊れてしまいそうだと錯覚するその肩から体を離し、正面から彼女を見つめた。
愛など。
恋など。
あんなに、馬鹿馬鹿しいと思っていたのに。
「では、愛さん。もし私が死んだとしても、他の男など見ずに一生私を待っていてください」
「…考えておきます」
そう言った彼女の口に強く唇を寄せた。
いつもは顔を赤くするその人は、今日は赤くならなかった。
優しく笑い、つられて私も笑った。
