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夜。
明日はJのアジトだった所に行く予定だ。
そんなに緊張するような事でもないはずなのに、私はなんだか眠れずに夜を超えていた。
「うーん、眠れーん」
ベッドで寝返りを打つ事…数十回はいったな。
時計を見上げれば2時を指していた。丑三つ時。
もう一度全身を大きく伸ばした。
いっそ映画でも見ちゃうか。いや、寝て万全な態勢で行かなきゃダメだよなぁ…
「…水飲も」
私は部屋の電気を一旦つけ足を下ろす。
私はJのトップと会ったんだろうか。誰なんだろう。
なぜ私なんだろう?
ふうとため息をつきつつ、立ち上がって部屋をあとにする。
すぐ近くのリビングの扉を開けた時、一瞬叫び出しそうになった。そこにある光景に絶句した。
…昼間と同じ格好でなんかいる…
ソファの同じ位置に同じ態勢で、パンダの置物はいたのだ。
…もう2時なんですけど!?何してるの?!
扉を開けたまま停止してると、竜崎はこちらを振り返らずに言った。
「どうしましたこんな時間に」
「いや…水取りにきただけですけど…こっちの台詞ですよ、こんな時間まで何やってるんですか…」
「捜査です」
「いやいや…」
ふと、そういえばこの人は見たこともないクマがある事を思い出す。
恐る恐る尋ねた。
「竜崎…平均睡眠時間どれくらいなんですか…」
「どれくらいでしょうね。何日か起きて寝たいだけ寝ます。」
愕然とした。
こ、こんなめちゃくちゃな人見たことない…!
私は頭を抱えた。食生活も睡眠もちゃんとしてないで、この人はよく生きているな…
「今日は休んだらどうですか。」
「まだ大丈夫です」
呆れて物も言えない。…もう知らない。水だけ貰おう。
私は冷蔵庫に近寄り中から水をとりだす。
コップに注いでいる時、ふと竜崎を見れば、彼は紅茶のカップを口につけて大きく仰いでいた。
「…よかったら紅茶入れますか」
つい、言葉に出てしまった。そんなつもりはなかったのに。
「お願いします」
私はお湯を沸かす。自分は冷たいミネラルウォーターを口にした。
昼間とはまた違った静けさが流れる。
お湯が沸く音だけが妙に響き渡った。私はそれをじっと眺める。
「眠れないんですか」
意外にも、世間話をもってきたのは彼だった。
「はい、なんか緊張してるのか」
「あなたの安全は必ず守ります」
「そこを心配してるわけじゃないんですけどね」
「いざとなれば得意の蹴りを使って逃げてください」
「Jが私如きの蹴りで負けるはずないでしょうに」
沸いたお湯でカップを温める。
「ちゃんと寝ないと朝が辛いですよ」
「竜崎にだけは言われたくないですね。私そんなクマ見たことないですよ。余命1ヶ月の人でももう少しマシな顔色してます」
「そんなに酷いですか、クマ」
「えっ、まさかの無自覚?」
私は戸棚から紅茶を取り出す。種類は特に希望を聞かなかった。めんどくさい、私のおすすめ出したれ。
「まあそのクマに存在意義があるとすれば、監禁から解放されたら飛び蹴りをかましてやろうと思ってたのに、クマにビックリしてそんな気が失せたことですね」
「なるほど、私は命拾いをしたようです」
「食べないわ寝ないわ動かないわ、もうこれ…人間じゃ…」
言いながら、なんだか私は笑えてくる。
夜中で気分もハイになってるせいだろうか。
ふふっと口から笑みが漏れてしまえばもうこぼれ落ちるのみ。
寝ない、食べない、猫背、変な座り方。
なんかもう面白い。面白すぎるこの人。
私はついにお腹を抱えて笑い出してしまった。
「ふふ、こんな人…見たことないふふふっ」
こぼれる息。口も悪いし気も使えないし。
「あは、もう、どこの改造人間ですか!あはは!」
聞いたことのない生活。こんな人世の中にいるなんて、世界は広い。変人の頂点がここにいる。
完全にツボに入ってしまったらしく、私は何日かぶりに思い切り笑った。
お腹が痛くなりそうなくらい。
しばらく笑ったあとふと見ると、いつのまにか竜崎はソファから立ち上がってこちらを見ていた。
やはり酷い猫背で、ポケットに手を入れて。
「あ。すみません笑っちゃって。本当はすみませんなんて思ってませんけど」
「あなたも十分一言多いです」
「竜崎の真似です。」
私は一息ついてようやく紅茶の茶葉をだす。そこへお湯を注いで行く。
「ここに来て初めてあなたが笑ってるのを見ました。」
「そうでしたか」
「怒ったり笑ったり、忙しいですね」
「悪かったですね、思ったことが顔に出やすいタイプなんです」
「笑ってる方がいいですよ」
顔をあげる。竜崎はいつもの無表情で私を見ていた。
…空耳かと勘違いするくらい、意外な言葉だった。
「そういう気の利いたことも言えるんですね」
「気を利かせたわけではありません。いつもの眉を上げて厳しい顔をしてるよりよほどいいです」
「すみませんね怖い顔してて。誰のせいだと思います?」
「Jですかね」
「……紅茶、どうぞ」
私はテーブルに置いた。しかし竜崎は取りに来ず、そのまま立って私を見ていた。
やっぱり変な人だ。失礼なことを言うかと思えば急に優しい事も言いだす。
じっと見られると落ち着かない。どうも私はあの大きな瞳が苦手なのだ。
「そういえばワタリさんって、竜崎のお父さんなんですか?」
気まずさを取り払うために、とりあえず話題を振ってみた。
「いいえ、ワタリは私の右腕です」
「そうなんですか。まあ親子にしては歳が合わないか。」
私は冷たい水を一口飲む。竜崎は爪を噛みながら言った。
「私には親がいませんので。あなたと同じく、施設で育ちました」
ふと、顔を上げた。
いつもと何も変わらない竜崎がいる。
身の上話を私に話すのは意外だと思った。
「そう…だったんですか…」
「私の場合親戚に引き取られるとかもなくずっと施設にいたのですが」
「まあ…それもありだと思いますよ」
冷えたグラスを両手で握る。掌にひんやりとした冷たさが広がった。
「私は親戚の… 叔父のような人に引き取られましたけど…感謝はしてますが、やっぱり家族にはなれませんでしたから」
グラスの中の透明な液体を見つめる。
「竜崎とワタリさんの方がよっぽど親子っぽいと思いますよ」
「…確かにワタリには絶大な信頼を寄せています」
「羨ましい。そんな家族」
私は、私の家族は。
…家族には、なれなかった。
「幼い頃突然両親を亡くして…子供ながらに絶望したけど。やっぱり私には、死んだあの二人だけが家族なんです。本当は、もう一つ欲しかったけど…家族。」
家族と一言でいっても難しいものなんだと、幼心に悟った。
それどころか。家族どころかー
4歳の時、友達の家で遊んでいたら、電話が鳴り響いた。
自分の家とは違う音だったから酷く印象に残っていて、私はリカちゃん人形を持っていた手を止めた。
友達のお母さんが青ざめた様子で私の名前を呼び、バタバタと走り回ってタクシーに乗り込んだ。
訳のわからないまま病院に連れていかれたが、そのまま両親と会うことはなかった。
遺体も、4歳の子供に見せられるほど美しくない事故だった。
数少ない親戚は高齢の人も多く、上っ面だけ笑顔を作る人間ばかりだった。
すぐさま施設に入れられた。4歳には理解し切れていなかった。
両親が死んだことも、施設に入って生きていくと言うことも。
でも子供にしては聞き分けのいい方だったと思う。
分からないなりに、誰かを困らせるようなことはしなかった。
両親に会いたいと泣き叫ぶことはしなかった。
ただ一人、夜ベッドの中で泣いた。
