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それから1ヶ月がたった。
私は本格的に職場に復帰し、前と変わらない忙しい毎日を送っていた。
しかし未だ携帯は持つ気になれず、休みの日はダメ大人の鏡のようにチューハイを飲んで過ごした。
必要最低限の食事と、必要最低限の生活だけをしていた。
すぐには元どおりの生活なんて出来ないんだ、と痛感する。
それはやっぱり人生最大といっていいほどの失恋が原因で、いい大人がフラれたごときでこんなに長く落ち込んでるなんて呆れる。
だが私にも言い分はある。だって好きだったんだもんしょうがないじゃん、と。ちゃんと働いてミスなく仕事をこなしてるだけ褒めてもらいたい。
あんなパンダをここまで好きになってしまったのは誤算だったけど、無駄な恋ではないと思っている。
きっと世界でもほんの一握りしか知らない秘密を、私は知ってるのだ。
好きな人と、大事な秘密を、共有できてるんだから。
それだけでなんだか、この恋はめちゃくちゃ凄かったんだぞって自分に胸を張りたい。
「あ、売り切れだ」
私は並んでるお酒のコーナーを見て一人呟く。
(あーあのお酒が好きなのになぁー)
がっくりと肩を落として持っている籠の中身を見た。
飲む気満々のつまみ達。スルメにピスタチオ、チーズ。
明日は仕事が休みだった。こういう日は仕事帰りにお酒とつまみを買ってひたすら飲む、というのがここ1ヶ月のお決まりになっていたのに。
一番お気に入りのレモンサワーがないことに落胆した。
さて、代わりのものを買ってくか否か。
その場でしばらく悩んだあと、ここ1ヶ月の堕落した生活を思い浮かべて自分を叱咤した。
今日は断酒するか。
私は持っていたつまみ達を再び売り場へ戻した。いい加減1ヶ月も経つんだししゃんとしなきゃ。
明日は携帯を買いに行こうか。友達にも連絡してない。誰かと会って食事するのも気分転換にいい。
しかし私の体験は周りの人に相談できないということが一番な難点である。どうやら犯罪者に狙われて警察に保護されていた、という事実は職場などになら説明して構わないと言われたが、
もちろん詳細なことは言わないよう警察には釘を刺された。
そして言わずもがな、竜崎のことなんか誰にも言えやしない。
失恋の愚痴を言うことすらできず、私はモヤモヤが溜まっていた。
空になった籠を戻し、私は結局手ぶらで店を出た。
時刻はすでに20時。今日は日勤だったのに、急患が出てバタバタしてたらこの時間になってしまった。
外は小雨が降っていた。傘立てにあるビニール傘をもってさす。
私はため息をつきながら自宅へ歩き出す。
辺りはすでに暗く、いつだったか夜中一人で歩き回ったあの日を思い出した。
自分の歩く音が響く。
雨の匂いと湿気が辺り一面を覆っている。じめっとした感覚は肌に不快感を覚える。
何となく空を見上げた。
当然ながら月も星も見えない真っ暗な空が、どこか切なく見えた。
(…やっぱりお酒買えばよかったな)
明日休みだし。今から何して過ごそうか。
つまらないテレビでも見て過ごすか、超絶ハッピーな映画でもレンタルしていこうか。
いやむしろめちゃくちゃ泣けるやつにしちゃおうか。
考えを巡らせるがどれも自分の心は踊らない。
どうせ何をするでもなく、また一人感傷的になって夜を過ごすんだこの馬鹿は。
水たまりを避けながら歩みを進めていくと、ようやく自分のアパートが見えた。
中に入り傘を畳む。郵便受けを覗くも、何も届いていなかった。
…そういえば届いた荷物、整理しなきゃなあ。
ふと思い出す。明日の休日はそれで潰れるかな。
少し前に大量の段ボールが届いた。全て私が使用していた洋服や化粧品が入っていた。
もしかして手紙の一枚でも、と思い中身を必死に確かめたけれど、生憎そんなものはかけらも入ってなかった。
まあね、あの人が手紙を書くとか想像つかないしね。
でも一言だけでも。元気ですか、とか、仕事頑張ってください、とか、付箋に書いてあるだけでもそれがあれば、私は頑張れると思った。
期待はむなしく。恐らくあの人なんて荷造りに関わることすらなかっただろう。ワタリさんが全部やってくれたに違いない。
荷物の中には、あの日竜崎が抱きしめてくれた時着ていたパジャマも入っていて、それを見て私はまた泣いた。
他の荷物はそのままに、パジャマだけハンガーに掛けて部屋に飾っている。
…よくよく考えればなんて女々しい。いや。女だからいいのか?
あのパジャマを捨てられればいくらか気持ちが楽になるだろうに。…さすがにまだできないや。
ふっと失笑する。あーあ。情けない。もう本当自分が情けない。
全然タイプなんかじゃなかったくせになぁ。なんでこうなったんだろう。
傘の水滴を軽く払うと、私は階段を上っていく。
しとしとと雨の音が響くなか、部屋のある3階にたどり着く。
何度も使用してる階段だけど、仕事終わりに3階って地味にキツい。ああやっぱりジム通おうかな。
私を運動不足だと言い放ったあの人をまた思い浮かべてしまい苦笑した。
何でもかんでも、あの人が出てくる。私の許可なしに、夢にだって登場しやがる。
困ったもんだ。
そんなことを考えながら一人ため息をつき、階段を上り切りホールを出ると、はっとして足を止めた。
私の部屋は階段から一番遠い角部屋だった。
その部屋の前に、
誰かが、
しゃがんでいた。
「………え」
遠目で見えるその人は白い服にジーンズだった。
私の部屋の扉に背をもたれて、しゃがみ込んでいる。
その姿を見た途端、息が止まった。
雨の音だけが響く。
震える足で、ようやく一歩を踏み出した。
平衡感覚がなくなってしまったかのように、周りがふわふわしてるように見える。
心は口から心臓が出ちゃいそうなくらいうるさく高鳴る。
私の足音に気づいたのか、ふと彼はこっちを見た。
目があう。
私が苦手な、それでいて求め続けたあの黒い瞳が私を捕らえた。
ああ
竜崎だ。
表情も変えず彼はこちらを見ていた。そしてゆっくりと立ち上がり、いつものようにポケットに手を入れる。
転ばないよう必死に回転させる足でなんとか彼に近づけば、竜崎の髪と白い服はほんの少し濡れていた。
「……竜崎……?」
喉から出た声はかすれていた。
会いたくて会いたくて仕方なかった人だった。
寝ても覚めてもこの人のことばかり思い浮かべて、泣いて、わすれようとしたけど忘れられない人。
なぜ、ここにいるの?
頭が真っ白で混乱してる私をよそに、竜崎は平然と言った。
「こんばんは」
「…こ、こんばんは」
律儀な挨拶にずっこけるかと思った。
「いいですか、上がっても」
「………
………
へ!!」
あ、上がる!?竜崎が!?
停止した頭を何とか稼働させ、私はあたふたと慌てた。
「じゅ、10分待ってくれませんか!?」
「…まだ待たねばならないのですか」
「いいですか、10分!待っててくださいよ!」
私はそれだけ言うと傘を適当に立て、鞄から慌てて鍵を取り出した。
とりあえず中が見えないよう扉を開けて入り込む。
玄関を見ただけで絶望した。散らかりまくり。
何を隠そうここ1ヶ月仕事以外は廃人のように過ごしてきた。必要最低限の掃除や洗濯はしていたものの、物は出しっぱなしだった。
「ま、まずい!」
私は慌てて靴を脱いで散らかる荷物を次々手に取った。
畳む余裕もなく、洋服はそのまま丸めて次々クローゼットに入れていく。
出しっぱなしの化粧品も乱暴に籠に入れた。
ワタリさんから届いた段ボールはそのまま乱雑に置きっぱなしだし、部屋の中心にあるテーブルには空のチューハイが何本も並んだままだった。女として終了。
必死にゴミ袋に適当に詰めて一時避難し、部屋干ししていた下着に気付いて慌てて取っている時。
「10分経ちました」
そんな声が背後から聞こえてくるもんだから、私はつい叫んだ。
「わー!!!」
「これはまた随分散らかってますね…10分前はどれだけだったんですか」
「わー!!わー!!」
「まあ想定内です。」
竜崎はそういうと、私に何の許可も取らずスタスタと部屋の中に入り、テーブルの前にしゃがんだ。
とりあえず下着を見えないように隠しながら引き出しに押し込む。普通10分経っても呼びに来なければ入らなくない!?デリカシーないやつ!
「愛さん紅茶が飲みたいです」
勝手にきて勝手に上がって勝手に寛いでる自由人は飄々とそう言った。
図々しい!…なんて怒る間もなく、彼の口からまた聞けた自分の名前に心ときめかせた。
私は無言でキッチンに入る。お湯を沸かし、最近めっきり飲まなくなった紅茶を取り出した。
飲むと誰かさんを思い出してしまうから、飲めなかったのだ。
ちらりと横目で竜崎を見れば、また親指の爪を噛んで一点を見ている。
竜崎が私の部屋にいる。
なんて違和感。
いつも豪華なスイートルームの大きなソファや椅子に座ってたはずの彼が、シングルのベッドの下に座り、小さなテーブルの前で膝を抱えてるなんて。
ドキドキしてしょうがない。私の部屋に竜崎がいる。
少し震える手で紅茶を入れると、私はそれをテーブルに置いた。とりあえずシュガースティックも数本おく。
「ありがとうございます」
「…いえ」
「あまり飲み過ぎはよくありませんよ」
「へ?」
「これ。」
竜崎は並んだ空のチューハイを指さした。片付け切れていなかった。
私は顔を赤くしてゴミ袋にそれを詰めていく。
「い、いつもはこんなに飲まないんですけどね!」
「なぜ今回はそんなに飲んだんですか」
「そ、それは!」
あんたに振られたからだよ!
…なんて言えるわけなかった。というか、察しろよ。それ以外に何があると思うのか。
私は無言でゴミをキッチンに置くと、改めて竜崎の前に座った。
竜崎はいつもの持ち方でティーカップを持って紅茶をすする。
「すみませんでした、あの後すぐに厄介な事件が入りまして海外へ飛びまして」
「は、はあ…」
「なかなか来れず」
???
頭の中で?が沢山生まれる。
「…あの、竜崎、何しにいらしたんですか…?」
私が首を傾げて竜崎に聞くと、彼は私を見て目を丸くした。
「恋人のところへ来るのに、理由がいりますか?」
は????
