「じゃあ私は向かいのカフェに待機してるわ。移動するとなったらちゃんと連絡して」

「…はい」

「一人で出歩いてはだめよ」

「…はい」

 幼い子を諭すように言うジェシーはまるでエルと言うことが同じだ。なんだかエルの心配性がジェシーにもうつっていないだろうか。

 ジェシーが運転してくれた車の中で、私は一つ一つ丁寧に確認されている。

 車のすぐ前には一軒のイタリアンのお店がある。今日舞台となる場所だった。こじんまりとしつつもお洒落な、センスのあるお店だ。

「ごめんねジェシー…こんなことに付き合わせて」

 ガックリと項垂れる。ジェシーは元々Lの側で働きたいって願って来たのに、まるで子守だ。相手が子供ならまだしも、私はジェシーより年上だってのに。

 ハンドルを握ったままジェシーは笑った。今日も彼女がつけているサングラスはまるで女優のようなデザインでかなり似合っている。

「私が今回日本に呼ばれたのはあなたの護衛のためなのよ、それが仕事なの」

「うう…こんないい大人のボディガード…」

「当たり前よ。忘れてるかもしれないけどあなたの恋人は世界のLなのよ。これくらい当然。しかも誘拐された前歴があるんだから」

 以前誘拐されたのは、L全くの無関係でしたけど。

 私は改めてジェシーにお礼を言うと鞄を持つ。

「気兼ねなくゆっくりしてきて。これが終わったらまたイギリスへ戻るから、なかなか友達とも会えないでしょう」

「あ、うん…」

「吉沢って子によろしくね。」

 ジェシーはひらひらと手を振った。私は頷くと、ようやく車の扉を開けて足を下ろす。

 メニューの書いてある小さな看板が出入り口にあった。扉は開いている。

 すぐ目の前の店に入ると、それを確認したかのように背後の車が去るのがわかった。多分車はどこかに置いて、目の前のカフェに来てくれるんだろうな。頭が上がりません。

「いらっしゃいませ」

「あ、えっと、吉沢、です」

「お待ちしてました、2階ですよ」

 白いシャツに黒いエプロンをつけたショートカットの女性が笑顔で言う。目の前には狭い階段があった。

 そこを登っていくと、途中からすでに賑やかな声が聞こえてくるのが分かる。

 約1ヶ月ぶりだ。前回は散々な終わり方だった、今回は笑顔で終われるだろう。

 階段を上り切るとすぐに開けた場所に出た。今回も立食らしい、あまり広いとは言えない会場に多くの友人が立って笑っていた。

「あーーー!##NAME2##さーーん!」

 甲高い声が響いたかと思えば、どしんと体が衝撃に揺れる。よろめいたのを何とか踏ん張ってみれば、長いウェーブの髪を揺らしたお人形さんみたいな子がこちらに抱きついていた。

「遠藤さん!」

「##NAME2##さん1ヶ月ぶりーー!」

 屈託のない笑顔でこちらを見る彼女は、女の私も見惚れてしまうほど可愛い。パステルカラーのワンピースが揺れてとても似合っていた。

 遠藤さんに続くように、村井さんや他のクラスメイトも笑顔で迎えてくれる。

「##NAME2##さん!まだ日本にいたんだねー!」

「これてよかったね!」

 高校時代まるでクラスの隅にいた私がこうしてみんなに迎えられてることに、ジンとして泣きそうになる。

 前回も勿論楽しく馴染めたけど、今回も絶対めちゃくちゃ楽しいのがもう分かる。私は笑顔でみんなに挨拶した。

「みんな1ヶ月ぶり!」

「主役の##NAME2##さんが到着でーす」

「…えっ、主役!?」

 私から離れた遠藤さんがニコニコして言う。

「そーそー!この前、身を呈して守ってくれた##NAME2##さんありがとうの会!」

 なんと!なぜそんなことに。

 私は慌てて首を横に振った。

「そんな大そうなことしてない!」

「いやいや〜もう##NAME2##さん超かっこよかったもん。私の身代わりに立候補しながら怯えもせず颯爽と歩いてさあ…」

 しみじみという遠藤さん、多分めちゃくちゃ美化してる。私は困って眉を潜めるが、近くにいた大野くんが頷く。

「いや分かる。俺男だけど、カッコいい…キュンってなったもん」

「大野、セクハラだよ」

「え、なんで!?」

 慌てる大野くんに周りがどっと笑う。私も釣られて笑った。

 すると背後から声が聞こえた。

「大野、言動には気を付けろ。##NAME2##の旦那さんに聞かれたらお前の命はない」

 はっと振り向くと、見覚えのあるエクボが目に入った。白い歯で私に笑いかける。ついほっと心が緩んで、目を細めた。

 相変わらず子犬のような人なつこい笑顔で、吉沢くんが立っていた。

 みんなが更に盛り上がって声を上げる。

「吉沢!遅い!幹事のくせにー!」

「いやー道渋滞してまして、ほんとサーセン」

 頭を軽く下げて謝る吉沢くんに、すかさず遠藤さんが聞いた。

「え、何々、なんで##NAME2##さん褒めたら大野の命ないの?##NAME2##さんの旦那さんマフィア?」

「お前はいつも想像力豊かすぎだろ」

「だって##NAME2##さん玉の輿だし」

「全然マフィアじゃないけど、とりあえず##NAME2##にとんでもなく惚れてるから男が近寄ったらぶちのめされそう」

 吉沢くんが頷きながら言ったのを聞いて、私はつい吹き出してしまった。なんで吉沢くん、エルのことこんなに分かってるの。

「俺親友だけど##NAME2##口説いたら多分殺される」

「とりあえず親友ってのも嘘くさいし殺されるのもいいすぎじゃない?」

 呆れた様子で言う遠藤さん。なぜか、「いや、もう心の親友」と断言する吉沢くん、どうしてそんなにエルに懐いてるんたろう。

 吉沢くんは話題を一度切るように一呼吸置くと、声を張ってみんなに呼びかけた。

「えー、全員揃ったみたいなんで!」

 騒がしかった会場は静まって彼の言葉に集中する。リーダーシップを取れるさすがの##NAME1##景だ。彼の声は隅々まで響く。

「この前の同窓会のやり直し、集まれたひとたちありがとう!今日はこの店の2階はご覧の通り貸し切り、1階は他にも客いるみたいだからそこんとこよろしく。
 前回二次会に行こうとしてた人たち多かったみたいだから、今回はこの会をゆっくり堪能できるように会場の使用時間も長くお願いしてあります!みんな今回こそ笑って解散しよう!」

 吉沢くんの挨拶が行われると、会場は大きな拍手で包まれた。みんな笑顔で楽しんでる様子が分かる。

 前回はなかなか体験出来ないような恐怖を味わったけれど、こうしてみんな笑顔で集まれていることにほっとした。

 吉沢くんが私にメニューを渡す。

「ほら##NAME2##ドリンク!乾杯もするから!」

「あ、うんありがとう、ウーロン茶で」

「飲まないの?」

「うん」

「まあ、竜崎さん他で飲酒とか嫌がりそうだもんな」

 サラリと言って近くにいた店員に私の分も一緒に注文してくれる吉沢くん、もうほんとにエルの特徴わかりすぎてて何者ですか。

 またワイワイと騒がしくなったところで、吉沢くんが笑顔で尋ねてきた。

「イギリスいつ帰るの?今回、##NAME2##はもう日本にいないかなって心配してた」

「うん、具体的に決めてないけどそろそろ帰るよ。帰ってるつもりだったけど、クラス会参加したくて」

「まじ?そのために帰国延期とか愛されてるねー。また日本来るときは教えてよ、みんなで飯行こう」

「ほんと?ありがとう!」

 つい声が弾んだ。こんな風にクラスメイトに誘ってもらえる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。ちょっとエルは心配しそうだけど、二人きりじゃなければまだいいだろう。

「あー!あんなこと言ってて巧が##NAME2##さん口説いてるぅー!」

 大声で指をさして遠藤さんが言うと、吉沢くんは眉を潜めてそちらを見た。遠藤さんは私の隣に来て吉沢くんをニヤニヤしながら見た。

「##NAME2##さんの旦那さんにちくっちゃおー」

「遠藤##NAME2##の旦那さん知らないだろ」

「は!そうだった!」

「もう相変わらず遠藤ばか。」

「ばかって!言ったな!本当のこと言うとただの悪口なんだぞ!」

「自分で認めるんだ…」

 クラスの人気者の二人の掛け合いは大変面白い。声を上げて笑わされる。遠藤さんは笑う私の顔を覗き込んで、一緒に笑った。

「##NAME2##さん、日本きたら私もまたご飯行こうね!」

「えっ…ほんと?」

「うん、旦那さんあわせてよー!」

「は、ははは…」

 ちょっと普通の人と違うエル、そう簡単に知らない人と食事なんて取らない。吉沢くんと会ったのは完全に偶然だったし。

 でも遠藤さんとエルの組み合わせって…なんか凄い化学反応起こりそう。

「遠藤さんの彼氏さんもね」

 私が社交辞令も交えて言うと、突然彼女はニヤリと笑った。

「…ふふふ」

「…遠藤さん?」

「聞いて!!私、プロポーズされたの!」

 まるで飛び上がりそうなくらいのテンションで、彼女は大変嬉しそうに言った。

 その顔が本当に幸せそうな表情で、私は驚きながらも嬉しさが込み上げた。

「ええー!おめでとうーー!」

「この前事件に巻き込まれたじゃん?あれ知って、なんかこう、気分が盛り上がったみたいでね…」

 吉沢くんはなぜか驚愕したように遠藤さんを見ている。

「遠藤が既婚…まじかよ…」

「あれあれー?ショックですか?もしや私に密かに思いを?」

「勘弁してくれ。お前みたいなのに先越されたのが悔しいんだよ」

「みたいなのって何よ!彼女もいないくせに!」

「ちょ、それ痛いところだからつかないでくれる?」

 吉沢くんの傷心の表情と勝ち誇ったような遠藤さんの表情が正反対でなおおかしい。すでに私の腹筋は限界を迎えそうなほど笑わされている。ジェシーの特訓で鍛えられてるはずなのになぁ。

「ほんとおめでとう遠藤さん!」

「まあ、具体的な話はまだまだなんですけどね。」

「私も嬉しいよ。すっごく素敵な奥さんになるよ」

 照れたように彼女は笑う。確かに遠藤さんは美少女に似つかわしくない性格だけど、そこが最高の魅力だと思う。

 きっと吉沢くんたち男の人は遠藤さんをからかってるけど、その魅力を分かってる気がする。

「ちなみに私得意料理スクランブルエッグなんだけどやばいかな?」

「ふふ、練習すればなんとでもなるよ」

「練習かあ、しなきゃなあ。料理教室でも通うかなあ」

 両手で頬を覆って幸せそうに言う遠藤さんは最高に可愛い。一体彼女をこんなにしてる運命の相手はどんな人がとても気になる。

「あ、##NAME2##ウーロン茶きた」

「あ、ごめん吉沢くんありがとう」

 彼からウーロン茶を受け取る。吉沢くんはみんながドリンクを持っている事を目視で確認すると、乾杯の音頭を取るために再び声を張り上げた。

「みんな飲み物持ってるー?」

「はーい!」

「よっし、ではもう飲んでるやつらもたくさんいるけど。食べて飲んで楽しんでいきましょう!乾杯!」

 吉沢くんの声に続いて、みんなの声が重なった。

 氷の揺れるウーロン茶を、私も掲げた。






(うーお腹いっぱい)

 私は腹部に手を当てて心で呟く。お腹の膨れ具合がワンピースでバレないか心配になった。

 今回は長く会場を借りていたと言う吉沢くんの言葉通り、以前よりまったりみんなと話せていた。

 時計を見ればもう少しで16時。そろそろお開きになるだろうか。

 私はトイレの中の鏡を見て身嗜みを整えた。笑いすぎて話しすぎて、正直完璧だったメイクは見事に崩れてきている。

 でもまあ、いいや。そんなこと。

 一人で鏡に向かって微笑んだ。

 最高に楽しいこの時間、終わってしまうのが本当に残念だけれど、また帰国したらご飯にいこうと遠藤さんたちとも約束できた。

 信じられない。私が、友達できてる。

 特定の仲のいい友人を作らないように過ごしてきた20年以上の時。予知能力なんていうものに翻弄された人生だった。

 でも今は取り返せる。能力だってないし、昔のクラスメイトとも再会できた。

 こんなに沢山の好きな人に囲まれて幸せすぎてどうにかなっちゃうんじゃないかって本気で思う。

「…さて戻ろう」

 2階の貸し切り会場でみんながまだ待ってる。

 トイレは1階しかなかったため、階段を登らねばならない。

 私は鞄からリップだけ軽く塗ると、トイレから出た。


「…##NAME2####NAME1##さん」


 階段へ向かおうと歩いている時、背後からそう呼ばれた。反射的に振り返る。

 そこに立っていたのは、一人の若い男性だった。爽やかな笑みを浮かべて私を見ている。

 サラサラとした黒髪に、ハッキリした顔立ち。目元の泣きぼくろが柔らかな雰囲気を助長させる。女性にモテそうな男性だ、と思った。

 年は松田さんくらいだろうか。白っぽいパンツに、青いシャツが眩しくて印象的だ。空のような爽やかな青色だった。

「…はい?」

「あ。すみません突然呼び止めて。僕、森野蓮といいます」

「はい」

「やっぱり##NAME2####NAME1##さんですね」

「あの、どこかでお会いしました?」

 見覚えはまるでない。少し怪訝そうに彼を見ると、森野さんは慌てて頭を下げた。

「すみません、怪しいものじゃないんです…
 警察です」

 言われてはっとする。彼は優しく微笑んでこちらを見ていた。

「だからあなたの事知ってたんです。警察内では有名人ですよ、あの件で」

 あの件、とは間違いなく、カイドウとのことだろう。

 なぜかカイドウというテロリストの指揮者と面会する事になった後、夜神さんからわざわざお礼の電話を貰った。

 君との面会でカイドウは吹っ切れたように自白しだしている、警察内でもその話題で持ちきりだ、ありがとうと。

 なぜあんなことになったのか私もよく分からないが、警察の役に立ててよかったと思っていたのだが。

「ああ…どうも」

「お友達の身代わりで人質になったってだけでも中々の話題性だったんですけどね」

「あれはまあ無我夢中で…」

 そう答えながら、こんな場所であの事件の事を話すこの男性に少し違和感を覚えた。守秘義務とは。

「警察の方にはお世話になりました。ありがとうございました」

 そう会話に終止符を打ち、すぐに2階へ行こうとしたが、森野という人はさらに私に話を続けた。

「綺麗な人だな、と思ってました」

 真顔で振り返る。爽やかな笑みで私を見ている。

「そ、れはどうも」

「でもご結婚されてるんでしたっけ?」

「はい」

 左手にはめられた指輪を、見えやすいよう自然と手を動かした。エルに贈られたものだ。森野さんはそれをちらりと見、続ける。

「残念ですね。どんなお相手か気になります」

「普通の人ですよ。」

「普通ですか」

 腕を組んで考えるように首を傾げる。

「おかしいですね」

「はい?」

「あなたの戸籍を調べたけど、結婚なんてされてませんでしたよ」

 その台詞を聞いた瞬間、とてつもない違和感に襲われた。

 彼の爽やかな笑みに不気味さを感じる。

 戸籍?なぜそんなものを調べたの?

 普通被害者の事はそこまで調べないだろう。それとも、私は何か疑われてるのだろうか?

 私は平然を装って答える。

「面倒なので結婚したと言ってますが、婚約中なんです。別に不思議ではないでしょう?」

 にこりと笑って言う。嘘をついてるわけでもない。

「…なるほど」

「なぜそこまで私が調べられてるかは分かりませんが、調べても面白い事は何もありませんよ」

 言い放って立ち去ろうとした時、彼は言った。



「Lですか?」



 ピタリと足を止める。

「あなたの大切な方。Lですか?」

 私はゆっくり顔を向ける。

「L…って、何ですか?」

 少し首を傾げて言った。声色も表情も、違和感なく仕上がったつもりだった。

 それでも森野という人は感心したように続ける。

「誰、ではなく何、と来ましたか。思ってましたが想像以上に強くて聡明な方ですね」

「はあ…?」

「あの事件にはね、さまざまな疑問があります」

 ニコニコしながら柔らかな口調で言う。

「ホテル内にたまたま警察関係者がいて、カイドウの捕獲やあなたの救出などを行ったと我々は上から聞かされてます。
でもそれが誰なのか一向に噂を聞かない。本当なら表彰どころの騒ぎじゃない活躍なのに」

「……」

「しかも爆破したのはどうやら改造された爆発物だ。そんなこと成し遂げる人間がいると思いますか?ええ、いるとしたら天才ですよ。
そしてさらに、警察庁長官から指令が出て最前線にいたのは夜神総一郎、模木完造、相沢周一。みんな現場に出て慌ただしくしてる中何やら調べ物で必死になっていたのは松田桃太。
 この人たち、分かりますよね?」

 私は何も返事をしない。それでも彼は続けた。

「そう!キラ捜査でLと捜査した人たちですよ。あのホテルにいたのがLだったら納得です」

「すみません、何のことだかさっぱり」

「カイドウの聴取から、奴を捕獲するのに来た者たちは、人質であるあなたの知り合いのように見えたらしいです。あなたが誰かの名前を呼んだように聞こえたと」

 心の中でぐっと言葉を飲む。

 何がいいたいのこの人は。

 私とLの関わりを知って、何がしたいの?

 心の中でそう不思議に思いながらも、決してそれを悟られないように努めた。エルのこと、絶対にバレてはいけない。相手が警察でも、だ。それにこの人は警察と呼ぶにはおかしいところがたくさんある。

 私はにっこり微笑んでみせた。

「あの、本当になんのお話なのかわからないんです。あの時は私もいっぱいいっぱいで正直記憶が曖昧なところもありますし……お役に立てなくて申し訳ないのですが」

「…………」

「あの日は運が良かったと思います。犯人とも波長があったのかもしれません。でも私は本当にただの一般人で、特別な人間ではないんです」

 森野さんは表情を変えずに微笑んでいる。その余裕のある笑みがどこか怖い。私は不気味さを感じながらそれでも負けじと笑ってみせた。

「今ね、あの日のクラス会のリベンジなんです。もう戻りたいので、よろしいですか?」

 そう言って会場へ戻ろうとした時だった。

 森野さんは突然私の腕を強く掴む。かなりの力だったため痛みで顔を歪めた。そして近くにある壁へと押し付けられる。

 彼は顔を至近距離まで近づけ、微笑む。

 思ってもない行動に混乱した。反射的に私の腕を掴んでいる彼の腕をみる。

 その時初めて気がつく。人差し指だけ赤いマニキュアが塗ってあるのが目に入る。今の日本の流行りとかなのだろうか、男性がネイルとは珍しいと思うのだが。

 なぜかはわからないがその指がひどく気になった。白いパンツと空色のシャツがアンバランスで、なのに目に焼き付いて離れない。

 私は必死に声を出した。

「……あの、何か?」

 時計を触りたかったがその気持ちを抑えた。この距離で変な動きはよくない、そう分析したのだ。森野さんは普通の人じゃない、気をつけねば、と。

「面白い女性ですね。こんな時まで冷静ですか」

「冷静と言いますか、唖然としているだけです。離していただけますか?」

 相手を刺激しないよう、それでいて不自然にならないように言った。それでも森野さんは離してくれない。一部だけ真っ赤な人差し指の爪がなんだかやたら視界の中で目立つ。

「もし…あなたがLと知り合いなら」

「ですから、Lってなんですか?」

「もし、あなたの夫がLなら」

「あの、」

「非常に興味深い。あの世界の名探偵をおとした一般人の女性だなんて。そう思いませんか」

 ぐっと顔を近づけられる。綺麗な顔立ちだというのに嫌悪感を覚えた。それでも、ガラス玉みたいなその瞳から不思議と目を離せない。

 彼は私の腕を掴んで離さない。

「は、なしてください」

「もし……Lがあなたの大事な人ならば。こんな面白いことはない。
 あなたを手に入れたい、あのLから横恋慕なんて面白いでしょう?」

 私は耐えきれずキッと彼を睨んだ。Lからこの人に乗り換える? そんなことあり得るわけがない。初対面でなんて失礼なことを言う人だろう。

 焦茶色の瞳に自分が映り込む。私の睨みに全く怯むことなく、彼は続けた。

「Lは僕にとってとても重要な人なんです。Lにお近づきになるにはあなたしか手立てがない。勿論Lと同時にあなたにも興味がある」

「離してください」

 すっと彼は人差し指を出した。赤いネイルが見える。青いシャツと白いパンツ、それと赤は私の中の色彩感覚を揺さぶった。

 なんだろう、ひどく気持ち悪い。この人、すごく気持ち悪い。

 森野さんは私の耳に口を寄せ、囁くように言った。

「大丈夫、僕に全てを任せていただければきっとあなたも楽しめます。どうか委ねて。Lのことなんて忘れて、僕のそばにいませんか」

 程よいアルトの声は聞き取りやすく、どこかゾクゾクする声だった。自分の体が震えてくるのがわかる。

 この人は何を言っているのかよくわからない。私を口説いてるの? Lの情報を引き出そうとしているの?  どれもしっくりこない不快感が嫌だ。

 それでもなぜか拘束されたように体が動かなかった。ただ瞬きも忘れて目の前の森野さんを見ている。ジェシーに教わった護身術なんてまるで出てこない。

 森野さんは続けて囁いた。

「こちらにくれば面白い世界が見れます、僕の隣に」

「……はな」

 ほとんど出なくなった声をかろうじて絞り出した時だった、聞き覚えのある声が頭上から響いたのだ。

「##NAME2##ー?」

 はっと眠りから覚めたように意識が鮮明になる。階段の上から覗き込んでいるのは吉沢くんの姿だった。彼は不思議そうにこちらを見た後、森野さんを見て眉を顰める。

 階段を素早く駆け降りてくると、私の腕を掴んでる森野さんの手を払った。

「##NAME2##? どうした」

 ようやく解放された私は、掴まれていた腕をさすった。戸惑いながら吉沢くんの背後に下がる。森野さんは少しだけ目を細めてこちらを見ていた。

 森野さんはにっこりして言った。

「すみません、少しお話ししたかったので。これで失礼します」

「はあ?」

「では##NAME2####NAME1##さん、また」

 森野さんはそういうと爽やかに立ち去った。吉沢くんは私の顔を覗き込んで心配そうに言ってくれる。

「ナンパ? 大丈夫?」

「う、うん、大丈夫」

「なんか変なやつだったな、上行こう」

「吉沢くんありがとう、助かった……」

 私は彼に誘導されながらようやく階段を登っていく。ようやくさっきまでの不快感が消えてくる。

 帰ったらエルに報告しなきゃ。

 あの人はなんだか——いけない人間な気がする。


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