おねだり
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「あの、エル…欲しいものがあるんです…」
彼女が言いにくそうに私に告げたのは、昼食を取り終えた後だった。
ゆっくりと隣を見れば、どこか落ち着かない様子で申し訳なさそうに私を見る。
「必要な物は何でもワタリに言えばいいですよ」
「その…高価な物なんです」
その言葉を聞いて、私はつい彼女を二度見した。
高価なもの??
予想外の事に驚いた。
彼女と知り合ってもう1年。未だかつて、彼女が高価なものを欲したことはなかった。
必要最低限の生活用品を求めるくらいで、変な言い方だが無欲の塊の人だ。私が贈る数々のプレゼントも遠慮し恐縮する人。
そんなこの人が。高価なものをねだっている。
俄然やる気が起きた。
私はこの日を待っていた。彼女がねだってくるのを。
無欲なのはこの人らしくいじらしいのだが、やはり喜ぶものをプレゼントしたいのは男の性。
私が働き稼いだ金がこの人の喜びに繋がるのかと思えば本望だ。今一体自分がいくら資産があるのか分からないが、彼女のためならその全てをかけてもいいと思っている。金などまた稼げばいい。
果たして何だ。
高価なもの、となればどんなものがあるだろうか。あまり金銭感覚のない自分ではよくわからない。
戦闘機F-15(30億円)などか。いや。落ち着け自分。さすがにこの人はそんなもの欲しがらない。それに恐らくだが億は超えないのではないか。この人の金銭感覚では突然億を超えるものはねだらなそうだ。ねだられたら買うが。
やはり別荘だろうか。数千万ほどで買える手軽なものだ。どこかの国の家が欲しいというのはあるかもしれない。何軒か買おうか。
いや女性となればアクセサリーや鞄などかもしれない。以前は贈ろうとして止められたバーキン(800万)とかいう女性人気のある鞄がやはり恋しくなっただろうか。いくらでも買いたい。店ごと買おう。
そこまで考えはっとする。
違う。どれでもない。
きっと彼女が求めているのはこれだ。
車。
外出を心配され中々外に出られない。何を隠そうどこかで拐われでもしたらと私が考えてしまうからだ。
しかし車があれば、拐われる心配も薄れて外出出来ると考えているのではないか。
気晴らしのドライブなど。
それだ、それに違いない。
ともなればベンツだろうがフェラーリだろうが買ってやりたいと思うのだが。
…事故が心配だ…
だめだ。せっかくの彼女のおねだりに答えられそうにない。
車は車で心配だ。万が一事故にでもあったらと思うと気が気でない。
ワタリが運転するとなればさすがにそんな心配はないのに、なぜだ。
彼女がハンドルを握る姿はどうしても心がざわめく。
「…あのですね」
おずおずと、口を開く。
ああ、せっかくの彼女の初めてのおねだりを。
私は受け入れられそうにない。
辛い。
どうすればよいのだ。
親指の爪をかじりつつ考える。
彼女に喜んでもらいたい。なんでも与えたいのに…
「パソコンが、欲しいんです」
噛んでいた爪を離した。
「…なんですって?」
「一番安いのでいいんです。パソコンが…ほしくて」
どこか顔を赤くしてねだるその姿は天使か、女神か。
こんなシーンでなぜか欲情してきた自分をとりあえず落ち着かせた。
「パソコン。ですか?」
こくりと頷く。
「エルが使ってるのは仕事の物で重要だろうから…私のものが欲しくて。その、ミサにメールをしたいんです。」
「………」
「ワタリさんに聞いたら、安くても3万はするだろうって…」
「あなた高価なものと言いませんでしたか?」
「え?高価じゃないですか…パソコン…3万ですよ…」
どんどん小さくなっていくその姿は今にも消えてしまいそうなほど。
3万、とは。円の話だろう。
3万円???
……3万円???
呆然としてる私を心配そうに覗き込む彼女。
分かってるのだろうか、この人は。
私が一つ事件を解決すればどれほどの報酬を貰えるのかを。
「ごめんなさい。私…生活費とかも出してもらってるのに」
「…光さん」
「す、すみません…」
どこか涙目だ。ああ、やはり欲情してきた。なぜだ。
しかし今はそんな場合ではない。彼女の過ぎるほどの恐縮をなんとかしたい。
遠慮などしてほしくないのだ。なぜならその存在自体が私の生きる希望なのに。
「そんなものまるで高価のうちに入りません」
「…え」
「それにあなたは私にお菓子を作って、掃除や洗濯などをしている。立派な労働ですよ」
「そ、そんな、生きる上で誰でもすることです」
「だとしたらハウスキーパーやパティシエの存在がなくなりますよ」
「…だってプロではないですから…」
どこまで謙虚なのだ。もう少しこの人には強欲さと図々しさを与えてやりたい。
「あなたが望むならそこらへんのマンション一棟買いますよ。本気です。たかがパソコンと聞いて拍子抜けしてるくらいです」
「…いいんですか」
「せっかくなので最新のいいものにしましょう」
「いえ!一番安いのででいいんです!」
慌てて首を振る彼女を見て苦笑する。
この人はなぜこんなにも謙虚なのか…私をどれほど救ってきたが分かっているのか。
しかし、これが彼女のいいところだ。
私はしっかりと彼女を見た。
「ではいいですか。あなたはいつも私にお菓子を焼いてくれますね。私にとっては一流パティシエ以上です。あなたにそのつもりがなくとも。
ケーキ屋でケーキを焼いて売ればお金になります。ですので立派な労働をしているのですよ」
「そ、そんな…」
「もしプロでないとしても、その労働にはキチンと賃金が支払われます。パティシエ見習いでも給与はあるでしょう。私はあなたからケーキを買っている。ですから生活費もパソコンも、そのあなたの給料から出します」
「エル…」
少し微笑んで私を見る。
「気兼ねしないでください。私の喜びはあなたが笑顔でいること。欲しいものを言ってくれた方がずっと嬉しいです」
「…ありがとうございます…!」
ようやく見えた満面の笑みを見て胸が締め付けられる。
ああ、いまだにこんなに心を鷲掴みにされる。
なんて罪なひとなのだ。
私は落ち着かせるために紅茶を飲んだ。
「さっそくワタリに準備させます」
「嬉しいです、ありがとうございます!」
彼女ははしゃぐように少しだけソファから跳ねた。
可愛らし過ぎる。
「ミサさんもあなたからの連絡待ってますよ」
第二のキラだったという要因は正直彼女の友人として少しばかり心配が翳るがしかたない。
もう記憶を取り戻す事もないだろう、ここは女性同士仲良くやってもらいたい。
話し相手がいれば、彼女もだいぶ気が紛れるだろう。
「はい、ミサや松田さんにようやくメールできます!」
笑いながら言ったのを聞いて、ピタリと停止した。
「…………松田?」
「あと、相沢さんや模木さんも!」
あとの二人はいい。一人は既婚者だし、もう一人も彼女に恋心など抱いていない穏やかな仲間だ。
しかし、松田は。
「いつの間に連絡先を?」
「え?捜査本部が解散する前に。夜神さんちょっとゆっくり話せる状態じゃなかったけど、何かあれば松田さんが言付けるからって言ってくれてます」
あの男は。
油断も隙もならない。
文句をいいそうになってぐっと堪えた。日本とイギリス。離れているし、そもそも彼は横恋慕など考えてはいないだろう。
彼女が望むのならこれくらい目を瞑らねばならないか…
「…分かりました。なんとか我慢します」
「え?我慢?」
「いえこちらのことです」
遠く離れてもいまだ嫉妬心を燃やすなど。
自分の心の狭さに呆れた。
しかし隣で嬉しそうに笑う人を見れば少しだけ心が晴れる。
さて、やはりバーキンとやらを買って贈っておこうか。
その後
ワタリさんは早速部屋にパソコンを取り付けてくれた。
ウキウキしてそれを背後から眺めていると、振り返ったワタリさんに笑われる。
「あ、すみません!子供のようにワクワクしちゃって」
「いいえ。そんなに楽しみにされてはこちらもやりがいがあります。お友達への連絡がようやくできますね」
「はい!楽しみです!」
元々友達と呼べる相手がまるでいなかった私。ミサや、松田さんたちと連絡が取れるのはとても嬉しかった。
すぐに設置は終わりワタリさんが使い方を簡単に説明してくれる。…普通こういう機器って、ワタリさんの年代の人は苦手かと思うんだけど…
説明を一通り聞いて私は頭を下げた。
「ワタリさんありがとうございます!忙しいのにすみませんでした!」
「とんでもございません。何か分からないことがあればなんなりと」
「はい、本当にありがとうございました!」
恐らく私がこれを使うのはメールとか通信くらいで、難しい事なんて使うことはない。最新のパソコン、ちょっと宝の持ち腐れのような気もするけど仕方ない。
私は早速目の前に座り込み、持っていたミサたちの連絡先をうちこみはじめた。
「よし送信!」
こちらの近況報告を打ち込んで完了する。
それぞれみなさんに送信し終え、大きく伸びをした。
近況報告とは言っても、そう報告するようなこともないのだが。私は毎日家でエルにお菓子を焼く日々で、日本にいた頃とそう大差はない。
「終わりましたか」
背後からそんな声が聞こえて振り返る。見れば部屋の出入り口にエルが立ってこちらを見ていた。
「エル!終わりました、パソコンありがとうございました!」
「ミサさんや、松田さんたちにも送ったんですか」
「はい、こっちの生活は楽しいよって近況報告しました。返事くるの楽しみだなぁ…」
私がはしゃいでるのをみて、エルも優しく微笑む。だがしかし、すぐに眉を潜めた。
「ミサさんはともかく…松田と連絡を取るのはいささか癪ですが」
「メールくらいじゃないですか…模木さんと相沢さんもですし!」
「そこでひとつ、あなたに条件があります」
「え、条件?」
エルはゆっくりこちらに近づいてくる。わたしの目の前に立つ。彼を下から見上げた。
「私にもメールを送ってください」
「………」
目を細めてエルを見る。
エルは至って真剣にこちらをみていた。
「松田さんがあなたとメールしているのに私はしたことがない。これは恋人である私の立場がありません」
「どこで張り合ってるんですか」
「当然ですよ、松田さんとのメールを許可したのを褒めて貰いたいくらいです」
「24時間365日一緒にいるのに何を送れって言うんですか」
「どんな内容でもいいのです、1行でも構いません。あなたがその日感じた事や思ったことなど些細な事でいいから送ってください、ああ出来れば最後に愛の言葉などが入っているとなお良」
「ちょ、ちょっと待ってください毎日送らせるつもりですか?!」
「はい当然です」
私は頭を抱えた。
同じ屋根の下で暮しておきながら!
メールを送り合うやつが、
どこにいる!!
私は立ち上がってエルをしっかり見る。
「エル、100歩譲ってあなたにもメールすることとします。しかし毎日は無理です、話題が尽きます」
「その日話した事と被っても構いませんよ」
「そ、それ送る意味ないでしょう…」
「いいえあります。私の仕事の活力になります」
「………」
だめだ、こうなるとエルは引かない。
凄まじく面倒ではあるが、大した手間ではないしパソコンを買ってもらった恩がある。
私は渋々その条件を飲んだ。
夜。
お風呂上がりにパソコンを立ち上げる。早速ミサから返事が来ていて微笑む。
それを開こうとして、エルとの約束を思い出した。
…いた仕方ない、こうなればとことん適当なメールを送りつけてやる。
私は濡れた髪もそのままにキーボードを打ち込んだ。
『エルへ
お仕事お疲れ様です
明日も頑張ってください』
まあなんと簡易的。明日もコピーして貼り付けて送ろうか。
早速送信し、そのままミサからのメールを開いた。
文章からも伝わる彼女のテンションの高さに笑いながら読んでいるところへ、新着メールに気づく。
松田さんたちの誰かかなぁ?
そう思い送り主を見れば、なんと今さっき送ったエルからで目を見開いた。
え、何。エルも返してくれるの?てっきり私が一方通行で送るのかと思ってた。
マウスを操作してそのメールを開いた。
『初めてあなたから頂いたメールとても感激しました。これは永久保存版として残しておきます。私への労いの言葉が第一だなんてさすがとしか言いようがありません。これで私は今日も明日も最速で容疑者を特定することができます。ところで今日あなたが焼いてくれたチョコチーズケーキは相変わらず大変美味で私の舌に合います。どんな一流パティシエも敵わない味はやはり愛情という隠し味でしょうか。そしてあなたがキッチンで焼くその姿は神々しくさらにケーキの味が増します。今日も可愛らしく美しくてなぜ私の家の中に女神がいるのだろうかと錯覚を起こすほどでたまりま』
私はそっとパソコンを閉じた。
おまけ
私は閉じたパソコンを前に頭を抱える。
なんだったの今の長文。最後まで読めなかった。まだまだ続いてた。画面文字で真っ黒だった。
あんなあいさつメールにあんなの返して来るなんて大丈夫だろうか、エルは寝る暇もないほど忙しいのに。メール打つ時間睡眠に当てて欲しい。
私は意を決して部屋から出て隣のリビングに入る。
「エル!」
「なんでしょう」
「なんですかさっきのメールは。あんなの打つの時間無駄でしょう、そんな時間あったら寝てください!」
「!」
エルが目を見開く。そこまで言ってあっ、と思った。
…エルは誰かとメールなんてしたことないだろう、楽しんでやってたのかもしれない。
ちょっと言い方がキツかったかも…。傷つけてしまったかな。
私は慌ててフォローしようとしたとき、エルが目を爛々と輝かせだ。
「感激です、それはメールする時間があれば共に寝室に行きましょうというお誘いですね、それもそうですね。メールもいいですが直接あなたと触れ合う時間の方がずっと素晴らしいに決まっています、すぐに寝室に行きましょう」
「……」
どんな解釈?
この超ポジティブシンキング、羨ましい。