あなたの背中
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エルの背中には、不思議な魅力があると思っている。
彼は時折、立派なソファや椅子があるにも関わらず、わざわざ床にパソコンごと移動し、下に座り込んで仕事をすることがある。特に突っ込んだことはなかったが、ソファより地面に座りたい気分なんだろう、とぼんやり想像している。
そんな時、後ろから背中を見つめてみる。
エルはひどい猫背だ。それは彼の背骨が心配になってしまうほど。背中を丸め、そしていつものあの白い服を着ている。ごそごそと仕事をしながら時折動くその背中は、見ているとなんだかムズムズしてくる。猫背のくせに案外広くて、気持ちよさそうで、言ってしまえば抱き着いてしまいたくなる。
エルはそんな私に気づくことなく、私には分からない英語で話し難しい顔をしている。ずいぶん難しい事件らしい。
仕事中に急に抱き着くわけにもいかず、私はそわそわもやもやしている。彼に食べてもらうためのケーキを焼きながら、時々チラ見してしまう。
エルの背中には不思議な力がある。なんとなく、私を引き付けてくる。
「エル、おやつおいておきますね」
パソコンとの通信が切れたところで、私はそっと彼の隣に近づいた。床にケーキを置くなんて行儀が悪いことだと分かってはいるけれど、仕事中は許すことにしている。
彼が顔を上げた。
「ありがとうございます、今日はタルトですか」
「仕事の進み具合はどうですか」
私が尋ねると、彼はさっそくケーキにフォークを刺しながら答えた。
「順調です。犯人は割り出しましたし、あとは警察が突入して逮捕するだけです。90%の確率で成功します」
「あ、よかった」
事件はほとんど解決に近づいているらしい。ほっと胸をなでおろした私を、彼は不思議そうに見てきた。
「珍しいですね」
「え?」
「あなたが事件について聞いてくるのが」
どきりとした。確かに、私は普段あまり事件の進捗について聞くことはない。どんな事件か聞くことはあるが、それもたまにだ。エルが扱う事件は残虐なものも多いので、あまり聞かない方がいいですよ、と言われたからだ。それに、私の頭では理解出来ないと分かっているから。
それでも今回聞いてしまったのは、タイミングを見計らっていたから。
彼の背中に、触れるタイミングを。
「……えっと」
「何かありましたか。外出でもしますか」
「い、いえ」
「もう一、二時間すれば決着がつくと思うので待っててくれますか。そういえば最近はあまり外にも出れていませんでしたね。すみませんでした」
そう言ってエルは、私のタルトとティーカップを両手に持ち立ち上がった。あっ、と声が漏れる。エルが場所を移動するのだと分かったからだ。
案の定彼はソファの方に向かっていく。ソファに座ってしまったら、あの背中が見えなくなってしまう。
「え、エル!」
「はい」
「ちょっとお願いが……」
「はい、どうしました」
「ソファに座らないでください!」
私が言うと、彼はきょとんと振り返った。そんなエルの背後につつつ、と歩み寄り、背中に隠れる。
「……光さん?」
不思議そうに言ってくる彼の声も無視して、私はその背中に触れた。そして、丸まったそれを思い切り胸に抱いた。
「!!?」
「ふふ、なんとなくこうしたくなって……なんでしょう、動物を抱きしめてるみたいな」
「…………」
「エルの背中って、不思議な力がありますよね」
彼の背中はやっぱり広かった。熱い体温が伝わってくる。白いそこに頬をくっつけた瞬間、しまったと思い離れた。
「あ! 白い服にファンデーションがついてしまいました、ごめんなさい!」
「……あなたって人は」
「す、すみません、着替えますか? うっかりしてました……」
「あと一時間で犯人確保……それまで私は持つのだろうか……いっそあとは全部警察に投げ出そうか……」
「引き留めてごめんなさい、どうぞソファに座ってください。満足しました」
「満足どころか私は」
「あ、洗濯入れなきゃ。あともう少し、事件解決まで頑張ってください!」
私はガッツポーズをとって励ました。そしてそのままエルを置いてベランダにむかっていく。エルは唖然として私を見ていた。私は自分の両手を見てみる。さっき抱きしめた感覚がまだ残っていた。
広くて、固くて、安心する背中。
少し抱き着いただけだけど、心が温かく満たされている感じがした。あの白い背中は、変な中毒性がある。
彼に抱き着いてたまらなくなるのだ。
彼女の後姿はやけに私の心を掻き立てる、と思っている。
それは特に料理をしている時はまずい。破壊力が増している。
料理中も彼女の顔が見えるようにと、うちはオープンキッチンのものを選んでいるので、基本彼女はこちらを向いて調理している。それはそれでとてもいい、最高の眺めだと思っている。
だが、ふとした時……例えば背後にあるオーブンを使用している時だとか、私に背を向けることがある。もしくは、私があえて用もないのにキッチンに入り、彼女を後ろから眺めることもある。
そんな時、見えるあの背中は、私の心を掻き立てて仕方ない。
小さく華奢で、抱きしめたくてしょうがなくなる。可愛くて愛しく、なぜあんなに引き付けるのだろうと不思議に思うほどだ。
あの人の背中は、いつ見ても気持ちを高ぶらせる。
「エル? お菓子のおかわりがいりますか?」
不思議そうにこちらを振り返って彼女が尋ねた。私は小さく首を振る。
「いいえ、先ほど頂いたものがまだあります」
「では紅茶淹れますか?」
「いいえとくには。今何を作っているんですか」
「昼食のオムレツです」
「なるほど」
そんな会話をしながら、不思議そうにこちらを見てくる。言いたいことはわかっている、用もないのになぜキッチンに居座っているんですか、ということだ。
包丁を握り扱う彼女の後姿。
ああ、中毒のようだ。
「エル、何かありますか?」
首を傾げて見てくる。私はついに素直に言った。
「調理中申し訳ないのですが、一旦包丁を置いていただけますか」
「え? はい」
「少しこちらにずれて……そうその辺に」
「は、はあ」
包丁を扱っている時に急に抱き着くなんて愚かなことは出来ない。あの人が手でも切ってしまったらどうするのだ。心配性な自分は、包丁を置いてもらったのち、そこから離れることも確認した。よし、これだけ距離があれば怪我の心配はないだろう。
「エル?」
「ちょっとむこう向いて下さい」
「は、はあ」
きょとんとしながら従ってくれる。そんな彼女の背中に、引き寄せられるように近づき、背後から抱きしめた。
自分より背が低いため、彼女のつむじが見下ろせる。ふわりとシャンプーの香りがしてめまいを覚えた。
柔らかく温かで、細く折れそうな体。たよりなさそうに見えて、とても頼りがいのある体。自分にはない不思議な力。
「エル……?」
「……すみません、ちょっとだけ、こうしてみたくなっただけです」
そっと囁いた。彼女は恥ずかしそうに笑った。耐えきれず、その頬にキスを落とした。
そのまま顔をこちらに向けさせ唇にも落としてみる。
ああ、背中もいいが、正面でないとキスは出来ない。
体すべてが狂おしいほど欲しい。
「……エル」
「料理してる時のあなたの背中、なんだか引き寄せられます」
「ええ? そうなんですか」
「そうなんです。もちろん正面もいいんですがね」
「ふふ、面白い」
「いつ抱き着こうかタイミングを伺ってました」
「それでキッチンでずっと黙って見ていたんですか」
「包丁で怪我でもしたら大変なので」
「すぐに言ってください。もう周りには誰もいないから……ちょっとぎゅってするくらい、いつでもできるから」
恥ずかしそうに言う可愛らしい顔。
二人だけの生活。
抱きしめたいときに抱きしめられる、幸福の時間。