はじめてのおつかい
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「待ってください光さん。考え直して下さい、私は耐えられないです」
「エル、もう決めたことです」
「私から離れないでください。私はあなたなしでは生きられません、どうか考え直してください」
「あの、ちょっと、考え直すも何も」
「なぜ急にそんなことを言うのですか。ワタリも何か言ってください。こんなの納得いきません」
「エ…」
「いかないでください光さん、愛しています」
「牛乳を!買いに行くだけでしょうが!!」
背後でワタリさんが困ったように笑っている。
エルは私の財布を持つ手を必死に抑えている。
私はつい大声で叫んでしまった。
ことの始まりはこうだ。
いつものように私はエルにお菓子を作ろうとキッチンに立っていた。
お菓子作りに欠かせない材料の一つ、牛乳。
新しいパックを開いた瞬間、私は手を滑らせて派手に床に溢してしまった。
まるっと一本分。白い液体は床にぶちまけられた。
その掃除もかなり面倒で気が滅入ったが、なんと言っても困ったのは牛乳がもうない、ということだった。
「どうしました光さん」
私の様子に気がついたワタリさんが優しく声を掛けてくれる。
「あ。ワタリさん。牛乳派手にこぼしちゃって」
「そうでしたか。今から使おうとされていたのでしょう?Lのお菓子に必要不可欠でしょうに。私が購入して参ります」
「えっ…そんな…」
完全に自分の不注意からのミス。
ワタリさんは私には想像もつかないほどの仕事をこなしている人で、それなのに私の事も気をつかい、エルにも気を使い、いつか倒れるんじゃないかと心配するほどのお人だ。
そんな人に牛乳一本買うために時間を割かせるなんて…
空になった牛乳を見て悩む。しかしこれが無くては今日のケーキが作れない。エルのリクエストのパンケーキ。生クリームやフルーツを沢山飾ろうと思ってたんだけど…
ワタリさんが買ってきてくれた既製品のお菓子もたくさんあるけれど、ありがたいことにエルは私の作った物がないと嫌です、といつも言ってくれている。
少し離れた所で何やら考え込んでいるエルを見た。数日前から手掛けている難しい事件らしい。
私は少し考えた後、ワタリさんに笑顔で言った。
「私が行ってきます、ワタリさん」
イギリスへ来て1ヶ月。
買い物はワタリさんが買ってきてくれるか、何度かは一緒に買いに行った。
実はここから徒歩5分ほどにスーパーがある。私一人でも十分いける距離なのだ。
生憎英語はまるで出来ないポンコツなのだが、スーパーで牛乳を買うくらいでは英語はさほど必要ない。レジに渡してお金を渡すだけだ。
私ですらさすがに出来る。
しかしワタリさんは少し驚いたように目を開いた。
「しかし、それは…」
「スーパーすぐそばだし、英語分からなくても大丈夫ですよ」
「いえ、そういうことでは無く…」
「ワタリさんも忙しいし一番の暇人は私ですから。はじめてのおつかい、行ってきます」
笑顔でそう告げると、コートを取りに寝室へ向かう。鞄を持ち、中に財布が入っていることを確認する。
一人で外出なんて、いつぶりだろう。あ、ミサの家を訪ねた時か。死神つきだったけど、あれは一人で外出カウントでいいのかな。
リビングへ行くと集中しているエルに簡単に声を掛けた。
「エル、少しスーパーへ行ってきます」
「はいいってらっしゃい」
「行ってきます」
そこまでいってあっと、イギリス硬貨を持っていないことに気づき、ワタリさんに声を掛けた。
「ワタリさん…私日本円しかありませんでした…!」
「そうでしたね、うっかりしておりました」
そう話す私達を、エルは今日初めて見た。
「……光さん?」
「え?」
「…ワタリもいくのですよね?」
「え、いえ。一人で行ってきます」
そう私が言った後の彼の驚愕した顔。
ソファを飛び降りて私の元へびゅんと移動した。
「何を言ってるんですか…!一人で外出など!」
「え、近くのスーパーですよ。英語話せなくても何とかなりますよ」
「そんなことを心配してるわけではありません、何かあったらどうするんです。日本とはまたわけが違いますよ。可愛いあなたを連れ去ろうとする輩がいたら」
「ひ、昼間だし人が多いところだし大丈夫ですって」
「心配でおかしくなりそうです、やめてください」
「エ…」
そして、会話は一番最初に戻るのだ。
彼がこれほど心配性だとは思わなかった。
頭を抱えざるを得ない。
「エル、私もいい大人です。確かに海外は初めてですが、いつまでもワタリさんにおんぶに抱っこではいけません」
「しかし心配でなりません。日本は比較的平和ですからまだいいですが、海外はそうもいきません。日本人は狙われやすいんですよ。あなたの美しさに目が眩む者たちが…」
「そんな人たちいませんって。」
「私ならあなたを見かけてすぐ連れ去りますよ、連れ去って一生外に出れないよう監禁します」
「あなた自身が一番ヤバいやつだといい加減気付いてください」
私はワタリさんにお金を貰う。エルはそれを止めようと必死だ。
「ワタリ…!光さんに何かあったら…!」
「い、い、加減にしてください!もう決めたんですから!行ってきます!帰ったら美味しいケーキ焼きますからね!」
私はびしっとエルに言い放つと、彼が背後でガチャガチャ言ってるのを無視してリビングから飛び出た。
エルの愛情は深い。ありがたいことだ。
しかしあまりに心配性すぎて、大袈裟すぎて、このままでは私がダメ人間になってしまいそうだ。
私だって一人の人間として自立したい。いや、今まではそれなりに自立した人間だったはずなんだけど。
玄関で靴を履くと、私はそのまま外へと踏み出していった。
覚えた道を一人歩き、スーパーはすぐに見えてきた。
確かに日本ではないその街並みを一人で歩くのは多少緊張したけれど、どこか開放感と清々しさがあった。
大きな規模のスーパーに足を踏み入れ、ガヤガヤとした人混みに紛れながら牛乳をすぐに見つける。
せっかく来たし、と興味本位で少しだけ色々みてまわる。
食材も日本とはだいぶ違う。日本食が好きな私はワタリさんが日本の調味料や食材を特別に仕入れてくれてる。ありがたや。
じっと珍しそうに棚を眺めていると、近くにいた気の良さそうな男性が声を掛けてきた。
「Are you a Japanese?」
顔を上げると、ニコニコしたダンディなおじさまだった。
英語は壊滅と言っても、さすがにこれくらいは分かる。
「イエス!」
私は笑顔で答えた。
「This source is recommended!」
何やら一つの瓶を持って笑顔で言う。
ん。んん?ちょっと分からなかったぞ。
でも表情と雰囲気からして、このソース美味しいよって言ってる感じかな…?
私は首を傾げながらも笑って受け取った。
「オーケーオーケー!サンキュー!」
見ればドレッシングのようだった。確かに美味しそうだし、一つ買ってみようかな。値段も安いし。
男性は親指をたてて微笑む。人の良さそうないい笑顔だ。
こういうところは日本と違うなぁ。フレンドリーな人たちっていうか。
私は軽く手を振りレジへと向かった。いくらか並んでいる最後尾につき、レジ台に置くとさっさと通されていく。
表記された値段の分お金を支払い、私は商品を手に持ってそのままスーパーから出た。
ほら!出来るじゃん、私!
達成感と喜びに満ちる。かなり小さなことだから他の人からすれば笑われるかもしれないけど。
無事買い物していけばエルも安心するだろう。もしかしたら今後はワタリさんの手を煩わせず買い物は一人で出来るかもしれない。
簡単な家事くらいしかやることがないから、ちょっと手持ち無沙汰だし、新しい仕事になるかな!
私はルンルン気分で道を歩いていった。
「ただいま戻りました!」
出掛ける前あれほど大騒ぎしていたエルがどうしているか気になっていたが、意外と彼は冷静にいつものようにソファに座っていた。
こちらを見る。
「おかえりさない光さん」
「エル!ほら、ちゃーんと買い物出来ましたよ!」
笑顔で牛乳を掲げる。エルも優しく微笑んだ。
早速キッチンに立ち、冷蔵庫に入れる。
「楽しかったですよ!少し緊張したけど、スムーズに出来ました!」
「ならよかったです。」
「買い物なら英語さほど分からなくても行けますね!」
テンションの高いままはなしていると、ふと先ほどまであった存在がいなくなっているのに気づく。
「あれ…ワタリさんは?」
「仕事で出ています」
「そうですか…」
きっと優しく褒めてくれただろうにな。いなくて残念。
さっきまでいたのに…
……
…
「光さん」
「へ?」
エルが指を噛みながらじっとこちらを見ていた。
「男性に話しかけられたら、不審者と思ってくださいね」
「…え」
「邪険に扱うのは逆上させる恐れもあるのでそれもいけませんが。優しい顔をしていても油断はなりません。」
「……」
なんか、いやな予感がする。
もしかしてこの人…?
私はすっと目を細めてエルを見つめる。
「…エル…
見てました?」
彼は何も言わず私からゆっくり視線をずらしてパソコンを見出した。
おかしい。
あれほど出かける寸前まで騒いでいたエルは大人しくなってて、
このタイミングでワタリさんはいなくなり、
私がスーパーで男性に話しかけられたのを知ってたかのような口ぶり。
私はエルの元に近づく。
「エル?」
「…あなたが心配だったので」
「まさか、ワタリさんに付けさせたんですか?」
「……」
「エル?」
「遠くから見てました。ワタリには小型のカメラを装着させまして」
全身の力が抜けて私はとうとう床に崩れ落ちた。
全然気づかなかった…!ワタリさんに尾行されて、その様子を撮られていたなんて…!
これじゃ本当に「はじめてのおつかい」だよ!
私はきっとエルを睨む。
「何やらせてるんですかワタリさんに!」
「すみません、あなたに叱られると思いました」
「怒るよ!そりゃ!」
「ワタリにも止められたのですが…」
「止めるよ!そりゃ!!」
「…光さん」
エルがゆっくりとこっちを向く。
「わかってください…あなたに何かあったらと思うだけで私は仕事が手につかなくなるんです。他に何も考えられない…」
「……」
「すみません。しかしいてもたってもいられず。仕事にならない私を見てワタリも仕方なしに動きました」
「……」
エルは心配性だ。
さらに独占欲も強いしそれらは今に始まったことではない。
しかしここまでとは思ってなかった。
スーパーに買い物をいくのですらこんな事態に陥るとは。想像を超える。私、今から一体どうなっちゃうんだろう…
呆然としながら床の木の模様を眺める。
とりあえず、この心配性は今すぐどうこうできるレベルではない。異常だ。
時間をかけてなんとかするしかない。
私が今日学んだ事はこれだ。
『結局ワタリさんの仕事が増えるだけ』
私が気を遣ってやることはワタリさんの負担になる。それだけは確実だ。私を尾行し隠し撮りする手間より、一人で牛乳買ってきたほうがうんと楽だったはずだ。
「…わかりました…一人で買い物は行きません…」
「光さんありがとうございます、安心しました」
「言っておきますがエルのためじゃないです、あまりに不憫なワタリさんのためです」
「理由はどうでもいいです。あなたが私の隣にいてくれれば。これで推理に集中できます」
満足げに言ってパソコンを見つめ直すエルの横で、私は未だ起き上がらず床にうなだれていたのだった。
ワタリさん、ごめんなさい。