敬語問題。
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それはイギリスで暮らし始めてしばらく経ったころ。
私は相変わらずエルにお菓子を焼き、彼は家にこもって難事件を解決する。時折帰ってくるワタリさんと三人食卓を囲んでお茶をしたり、優雅な毎日だ。
ただ、やたら自分の隣に座って欲しがるエルに指示されて暇を持て余しているのはあったけど。掃除とか洗濯に出ると追いかけてくる。(犬かな?)
でも死ぬかもしれないと思っていたエルがそばにいてくれることは、私にとっても何よりの幸せであることは間違いなかった。
そんなある日、唐突に隣に座っているエルが言ったのだ。
「光さんはいつになったら敬語が無くなるんですか?」
暇すぎて子供向けの英語のテキストを解いていた頃。紅茶を啜りながら隣の彼は言った。私は顔を上げる。
「え?」
「未だに私に敬語ですよね」
「あ、はい……」
そういえば、ぐらいの感覚で私は返事した。なぜならエルと出会って一年以上、ずっと彼には敬語を使ってきたのだ。時々忘れることもあるが、それが基本の形。
エルは朝作ったブラウニーを手でつまみ上げながら言う。
「以前もそういう話をしたことはありました。その時は、他にも年上の捜査員ばかりいる中私にだけ敬語を取るのは気が引ける、との返答で納得しましたが。もう二人で暮らし始めてだいぶ経ちます」
「それもそうですけど……」
「恋人なら敬語はなくてよいのでは。月くんやミサさんには使ってませんでしたし」
「まあ、二人は年下だったから……」
そう答えつつ、今回ばかりはエルの要望に納得している自分がいた。一緒に暮らすほどの仲で、もうほとんど二人きりの生活。確かに敬語は少し他人行儀かな、とも思う。
ただ、これだけの長い月日を敬語で過ごしてしまっている自分は、それが板についてしまっている。急にタメ口でと言われても難しそう。
「えっと、エルが敬語じゃない方がいいなら努力しますが」
「あなたの丁寧な言葉遣いはとても愛らしいですよ。特に夜に啼くときに敬語というのはなんだかとてもそそら」
「なぜいつも下世話な話に持っていくんですか?変態ですか?」
「下世話とは。
……ですがまあ、あなたに親しみのある話し方をしてもらいたい、という気持ちがあるのも事実です」
もぐもぐとお菓子を食べながらそう言った。私はなんとなく恥ずかしくなって俯く。そっか、エルにタメ口、かあ。
「す、すぐには変えるのは難しいとは思いますが……徐々に取れるように努力しま、してみる」
私がそう言ったのを、彼は優しく見ていた。私はそれに微笑み返したあと、すぐにあっと思いついて発言した。
「そういうエルだって、ずっと敬語ですよ」
「はあ、まあ私はこれが基本スタイルといいますか」
「でもワタリさんには敬語じゃないことも多々ありますよね?」
そう、彼はワタリさんには敬語をとって話すこともよくあることに初めから気がついていた。そりゃエルが子供の頃から一緒にいるんだから二人の関係には敵わないと思う。
でも、私が敬語をとるなら……エルだってとってもらわないと、何かバランス的に変かな、なんて。
それに敬語を使っていない彼は新鮮だと思う。その楽しみは非常に大きい。
エルは少し考えるように上を向いたあと、再び紅茶をすすって言った。
「私は別にどちらでもいいんですよ。光さんが望む方で」
「じゃ、じゃあ。私だけタメ口でエルに敬語使ってもらうのも気がひけるから、エルも敬語とってみてください! これでおあいこですね?」
そう笑いかけると、エルも小さく微笑んだ。その優しい顔が近づいてきた時、遠くからピーという高い音が鳴り響く。どうやら回していた洗濯機が終わりを告げたらしい。
私はエルのキスを遮るように音の方へ顔を向けた。
「あ、洗濯終わった」
「……今は洗濯より」
「ちょっと干してきますね。今日天気いいから」
やや不服そうな顔をしているエルに気がついていたが、私は笑ってスルーした。私の数少ない仕事なのだ、きちんと働いてこねば。
そう思いソファから立ち上がった時だった。
「光」
彼の口からは聞いたことのない呼び名が聞こえて、思わず勢いよく振り返る。
エルはいつものようにソファの上に座りながら私を見上げていた。見慣れた景色のはずなのに、なんだか別人のように思える。
彼はわずかに口角を上げて続けた。
「今は洗濯はいい。
こっちにおいで」
完全に、
私の想像を超えるほどの刺激だった。
「…………あの、エル……」
私はソファにもたれるように崩れ落ちた。顔を上げる気力もなく、真っ赤になってしまった顔面を隠すようにソファに突っ伏す。
胸が苦しくなって息切れを起こしそうだ。
「す、すみませんが……やっぱりいつも通りでお願いできますか……」
「はあ、何か変でしたか」
「へん、変って訳じゃないけど」
「私はどちらでもいいので。あなたの好きなようにしますよ」
「すみ、すみません……また私の心の準備ができたら、お願いします」
「心の準備?」
なんていうか。ワタリさんには敬語じゃない姿を見てたから深く考えてなかった。
でもまさか、自分に向けられるとあんな威力を発するなんて。
エルが私に向かって優しく微笑みながらおいで、と言った光景が頭から離れない。自分の名前を呼び捨てにした響きが耳から離れない。
ああ、もう……ズルい。喋り方一つでこんなにも人をドキドキさせるなんて。
結局、私の心の準備はなかなか整うことはなく、
それから先もずっとエルは敬語で過ごすこととなる。