エルの我慢
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私には一つ、不満がある。
私の愛する女性に対してだ。
彼女は優しく、美しく、強く、気遣いも出来て誰からも愛される素晴らしい人間なので不満と呼ぶにはどこか聞こえが悪いのだが。
私はどうしても思わずにはいられない。
彼女から、キスをしてくれない。
キスだけでなく、抱きしめることすらほとんどしない。
まあ全くないとは言わないが、ハグも数える程度、キスに至っては私の命の危機があった時だ。私は彼女にキスをしてもらうには命をかけねばならないのか。
彼女が恥ずかしがり屋なのはよくわかっている。そのいじらしさが愛しいし彼女の長所であることは十二分に理解はしている。
だがイギリスへ来てほとんど二人の生活だ。ワタリも仕事で外にいることが多いのだから実質そうなる。
時間もタイミングもたっぷりあるというのに彼女は未だにキスをしてくれない。
これはとうとう、我慢の限界だ。
そうしびれをきらし、ゆっくりと紅茶を一口飲んだ。
最後の手段。
私からはキスをしない。
彼女に触れない。
向こうからしてくれるまで私は指一本触れないと心に決めた。
私を愛しているならば、彼女だって私に触れたいと思ってくれるはず。
幼稚で負けず嫌いな自分、この勝負、負けるわけにはいかない。
a.m7:00
その日私は夜の3時に一人起床し事件の考察を進めていた。これはよくあるパターンだ。以前に比べたら睡眠時間は確保してる方だ、褒めてもらいたい。
そして朝7時、彼女は起床し軽く身支度を整えてこちらへ来る。その寝起きの尊さと言ったら表現出来ない。まだラフな部屋着で化粧も施していないその無防備な格好はあまりに可愛らしい。
今日もいつも通り彼女は起きてきた。顔を洗った直後だからか、前髪が少し濡れていた。
「エルおはようございます」
「おはようございます」
そのままキッチンに立ち朝食の準備に差し掛かる。またその姿は神々しさを感じるほど。いつになったら彼女がキッチンに立つ姿に慣れるのだろうか。
ちらりとその姿を見て目に焼き付け、またパソコンに視線を移した。
少し経って朝食が出来たと声が掛かったので私も移動する。量は少なめだが私も共に食事は取るようにしている。今日はホットサンドだった。
「いただきます!」
手を合わせて笑顔で言いパンを齧るのを見届けた後私も食事をとる。
さあ、ここからが勝負だ。
朝食を終えた後私は必ず一度彼女を抱きしめる。朝一の充電だ、今まで欠かしたことはない。だが今日はしない。それは彼女自身疑問に思うはず。
食べ終えた皿たちをシンクに運ぶ後ろ姿に抱きつきたい衝動を必死に堪える。
「今日はシュークリーム焼きますね!」
「…お願いします」
私は強く爪を噛んだ。
耐えろ。
そして彼女が振り返って、「今日はギュってしないんですか?」などと恥ずかしげに言ってくるのを待つのだ。
目を見開き力を入れて私はなんとか己の腕を押さえた。彼女が反応を示してくるのを必死に待つ。
………
……
…
「私洗濯行ってきますね」
後片付けを終えた彼女はにこやかに笑ってそう告げた。なんら普段と変わらない様子でリビングから出ていく。
「………」
まあ、まだ朝だ。私にも余裕がある。待つ。ただひたすら、待つしかないのだ。
彼女からの愛情表現を得るために堪えろ、自分。
p.m 0:45
部屋の掃除や私のお菓子を焼き少しゆっくりしたあと、今度は昼食を作るために彼女は立ち上がりキッチンに入っている。
私の隣に座っている時もなんら変わらない様子で英語のテキストを読んでいた。
私は普段少なくとも午前中に一度は抱き寄せキスを交わすが無論今日はしていない。
まだ半日だというのにイライラしている自分がいる。これでは推理力が40%減だ、仕事に支障が出かねない。
いや、私が耐えられないということは彼女だって同じように感じてくるはず。
そろそろ、あの人からのハグやキスが…
「あの。L」
きた!
勢いよく振り返ると、きょとん、とした彼女が背後に立っていた。
「お昼ご飯、出来ましたよ」
「………はい」
「どうしました?今日、エル元気ないですね?」
「……いえ、頂きます」
首を傾げて心配する人に若干苛立ちを覚える始末。自分勝手と分かっている、一人でキスを我慢し一人で苛立つなど。
ダイニングテーブルに座ると出来上がったばかりのパスタが並んでいた。
「体調でも悪いんですか?食べれますか?」
「いえ、思うように事が運ばなくて少し戸惑ってるだけです」
「難しい事件なんですね」
ええ、世界一の難事件です。
p.m 21:00
禁断症状か。
糖分を普段以上に求め、いつもならゆうに足りるあの人のお菓子もまるで足りない。
そんな私をみて慌ててお菓子を作り足してくれたがそうではない。
私が本当に足りないのは糖分ではないあなただ。
本来なら暇があれば抱き寄せて体温を感じキスを交わすのに今日は一度もしていない、それがこれほど自分を苦しめるとは思わなかった。
…そして何より、
彼女は私と違ってなんら気にしてなさそうなのが一番堪えた。
私だけだったのか。ハグやキスを必要としているのは。
…私だけなのか。
「エル今日は久々によく食べましたね…!」
感心したように彼女は言った。
「キラ事件以来ですね、よほど難しい事件なんですか?」
「ええもう最高に」
「そうでしたか、お疲れ様です」
微笑む人をみてもう抱きしめたい衝動が止まらない。イライラも止まらない、手が震えてる気がする。麻薬か。あの人の体温は麻薬だったのか。恐ろしい。
座ってるのもままならず、キッチンで後片付けをしてる彼女の側に近寄る。
「…エル、どうしました」
「………」
負けない。私は負けない。
彼女から触れてくるまで、私からは指一本、
触れ
「エル、大丈夫ですか?やはり体調でも崩してるんじゃ?」
そう言うと、私が発熱していないか見るために白い腕をこちらの額に伸ばした。
温かな手が触れる。
はっと硬直した。何度も触った事があるはずの小さな手がこの上ない破壊力だった。
今日一日、
我慢したというのに
「熱は無いみた…」
言いかけたその体を両腕に閉じ込めた。華奢で柔らかな体を感じた途端、一日感じていたイライラがすっと治ったのを自覚する。
安堵感と愛しさに溢れ、同時に自分に呆れた。
1日も。
我慢ならないとは。
「エル?」
「…負けです」
「どうしたんですか、今日ちょっと変ですね」
戸惑ったように言う人を体から離した。心配そうにこちらを覗き込んでくる。
この人との勝負はいつも負け続きだ。
私はどんな手を使っても勝負は勝ちにいく。負けず嫌いの自覚があるのに。
私は結局、愛する人には勝てないのだ。
「光さん。私は体調不良でも抱えてる仕事が厄介なわけでもありません」
「へ?」
「…光さんからハグやキスをしてくれないから、こちらからはしないと今日一日固く誓ってました」
「…えっ」
「あなたも私と同じように触れたいと思ってくれるはずだと。でも失敗です、私の我慢がなりませんでした」
「え、エル、それで元気なかったんですか?」
目を丸くしてこちらを見る。
「そうですよ。私はあなたにさわれない事で禁断症状までで始めてるのに、光さんはまるで平気そうなのが特に堪えました。私ばかりあなたに触れたいんですね」
「禁断症状て…」
困ったように呟いた後、彼女は慌てて言った。
「確かに今日エルが全然こっちに来ないのは気付いてましたけど、仕事が忙しいのかと思って」
「最高の難事件であるキラの時もあなたに欠かさず触れていたはずですよ。むしろ触れないと推理力が落ちるんですから」
「はあ…」
「おかげで今日の仕事は思うように進みませんでした。」
「ええっ」
「…でもそこまでなってるのは私だけのようです。」
情けない声だ、と自分で思った。
たった1日も我慢ならない自分にも、こんな弱々しいことを言う自分にも呆れて物が言えない。
これが、最後の切り札か。
小さくため息をついた時、目の前にいる彼女が気まずそうに口を開いた。
「……あの、エル」
「はい」
「その、まず一つに恥ずかしい、って言うのがあります。タイミングとかよくわからなくて…でもそれだけじゃなくて」
「それだけじゃない?」
「…前、ミサから借りた雑誌でですね。読んだ記事なんですが」
突然なんの話だ?私は少しだけ首を傾げる。
彼女は視線を俯かせてボソボソと話し続けた。
「…カップルは、こう…ボディタッチしすぎると、すぐに飽きるって…特に、男性が」
「……は」
「同棲とかしてると尚更って、読んだことがあるんです。」
「…はあ」
「あの、エル」
下向きだった視線をこちらにあげた。ようやく目が合う。どこか困ったように揺れ動くその瞳はなぜか私の気持ちを高ぶらせた。
ぐっと言葉を飲む。
「だからその…エルもそうなられるのが怖かったんです。」
「…………」
思考が停止する。
つまりは、なんだ。
私に飽きられるのが怖くて、あえて彼女からはキスもハグもしなかったというのか?
待て…飽きる?
飽きるとは:
① 同じ物事が何度も続いて、いやになる。いやになって、続ける気がなくなる。
② 満ち足りて、これ以上はいらなくなる。
「…光さん」
話し始めた私の言葉を切るように、彼女は私を見上げて意を決したように言った。
「ほんとは私も、エルと沢山くっつきたいですよ」
その瞬間世界がひっくり返った。
いや、世界ではなく私が後ろに倒れ込んだのだと気づくのに9秒要した。
完全に体の力が抜けた。勢いよく尻餅をついてしまいやや痛む。だがそんな痛みすら感じないアドレナリンが私の体内で分泌されていることは確かだ。
「エル!だ、大丈夫ですか?」
慌てて私の側にきてしゃがみ込むその顔を見て、ただ呆然とした。
まさか彼女があんな事を言ってくれるだなんて計算外だった。これは凄い、ハグやキスよりも貴重かもしれない。
「痛みませんか?派手に転びましたね…」
「光さん」
「え?」
「私があなたに飽きるなんてこと一生ありえませんよ」
「で、でも、他のカップルだってみんなそう思ってるんですよ。自分たちは違うって…でも結局…」
「私をそこいらの男たちと一緒にするおつもりですか」
彼女はぐっと言葉に詰まった。そうだ、私はいろんな意味で他の男たちとはまるで違う。
生きてきた過程も、人との関わり方も、独占欲の強さも、何もかも違う。
そう私はいい意味でも悪い意味でも異常だ。自覚している。
「光さん安心してください。あなた自身にもあなたのキスにも飽きることは絶対ありません」
「……は、はい」
「ですからたまにはあなたからくっついてきてください。私一人こんな気持ちなのかと落ち込んでしまいましたから」
「…確かに結局それでエルを落ち込ませてしまってはダメですね」
「そうですよ。恥ずかしがり屋なのはあなたのいいところでもありますから強くはいいませんが、たまにくらい私に愛を伝えてください」
私が言えば、ようやく彼女は優しく微笑んだ。その顔を見て自分の口角も上がる。
ああ、今日一日我慢した甲斐があった。ちゃんと彼女の気持ちを聞けたのだから。
二人で床に蹲み込んでることに気づき、彼女の手をとってゆっくり立ち上がる。
「すみませんでした、エルに心配かけて。」
「いえ、私も下手に意地を張らず初めから話せばよかったです」
「私こそです。話すって、大事ですね」
「今まであまり二人でゆっくり出来ませんでしたから。これからはたくさん時間があります。小さなことでもなんでも話しましょう」
私が言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
そう、周りに常に人がいたり、私が手錠で誰かと繋がれたりしていない。
今はほとんど二人の生活。この上ない喜びと幸せ。
下手な意地は張るだけ時間の無駄だ。
さて一件落着したところで、本日まるで進まなかった仕事をなんとかせねばと思い出す。今ならきっと普段以上の早さでこなせるに違いない。
「光さん、私はもう少し仕事をしますので、あなたは先にお風呂を」
言いかけた瞬間、背伸びをした彼女の顔が突如近づいてきた。
はっと目を丸くした時、ほんの一瞬だが柔らかな唇を確かに感じた。
ただ何をするでもなく、本当に呆然とし固まっている私に、彼女は恥ずかしそうに笑って言った。
「お仕事頑張ってください、エル」
世界は再びひっくり返った。
慌てた愛しい人の声が聞こえる。
ああ、私はいつのまにこんなに愚かで情けない男と化したのだ。
彼女のキス一つで、最後の切り札の脳内は活動休止する。
その日、朝からエルはどこかピリピリしているのに気がついていた。
彼がそんなオーラを出すことも珍しかった、特に私には。
恐らく凄い事件を手掛けているんだなぁ、と思い、なるべく邪魔にならないよう静かに過ごそうと心がける。
甘味はいつも通り作り、物音を立てないよう掃除をする。
チラリと丸くなった白い背中を見て、物足りなさを感じていた。
エルは欠かさず私に挨拶のキスやハグをしてくれる。さすが日本人じゃないなぁ、と感心する。
初めは恥ずかしかったけどそれはいつしか私にとっても大事なコミュニケーションになっていた。ああ今日もエルは元気でそばに居るなぁ、って再確認できるから。
だから、初めて…エルからキスのない朝を迎えて、寂しく思う自分がいた。
そこでふと思い出す。
以前何かの雑誌で、「近すぎる恋人たちはマンネリしやすい」と読んだことがある。それは特に男性が多いのだとか。
もしかして、と嫌な考えが浮かぶ。
それは前々から感じていた不安で、まさかそれが現実となってしまったのだろうか。
エルはさすがに飽きてきちゃったのかな、ってこと。
と、一日モヤモヤと考えていた時、まさかのエルが「あなたからのキスを待っていた」と暴露した時にはたまげた。
まさか、それであんなにピリピリしてたの?
唖然としながら反省する自分もいた。確かにいつだってエルからの行動を待つばかりで、あまりに消極的すぎたから。
勇気を出してその場でキスをしてみた。そしたらなんと、エルがひっくり返った。
目をまん丸にして床に尻餅をつくエルはどこか可愛くて、私はつい笑ってしまった。
…そして今…
エルは人差し指の爪を噛みながら私を見ている。
隣で英語のテキストを読んでいた私はイライラして顔を上げた。
「あの、エル!見過ぎです!!」
私が非難すると、エルはキョトンとしながら言う。
「ああすみません、まだあなたから今日キスを貰ってないので」
「たまにでもいいって言いませんでした?」
「そう言ってもうあれ以降キスしてくれません」
「まだ2日しか経ってませんから!!」
私が言うとエルは拗ねたように口を尖らせた。しかも、キスしてひっくり返られるんじゃ気軽に出来ないよ。怪我したらどうするの。
「いつしてくれるんですか、予約しておいていいですか」
「私はテレビ番組ですか」
「いついつすると予告しておいてくれませんか、そしたら私も驚きで転ばなくて済みますし」
「嫌ですよ、そんな決まった予定でキスするなんて!」
「何故ですかいいではないですか、私はその時が来るのを楽しみに仕事を頑張れるんですよ」
し、つ、こ、い!
私は呆れてため息をつく。
そしてきっとエルを睨んだ。
「いいですかエル」
「はい」
「キスとは義務的にするものではないと思っています。したいからする。義務的に行うキスに価値なんてありません、心を込めたキスが大事なんです!」
…って何を力説してるんだろう私は。
しかしエルははっとし感激したように私の手を握った。
「それもそうです、愛あるキスが1番です」
「わ、分かって貰えたなら…」
「つまりはあなたが私にキスをする時とは私を愛していると再確認している時なのですね。愛あふれるキスなのですね。いてもたってもいられないほど私にキスをしたい時なのですね」
「………」
「分かりました、キスの予約はやめておきます。あなたの気分が盛り上がってる時まで待ちます」
「………」
キスしづらいわ。