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日本の夏は過酷だ。

これでも夏のピークは超えているというのだから驚き。まだまだ秋の顔をお目にかかれそうにない。

ただしその暑さも殆どは洗濯を干すために外に出た時くらいしか味わう事がないのだから、私の体温調整機は随分衰えていると思う。

あとはたまに出かける買い物や食事くらいかな。それだって全て車の移動なんだ。甘やかされているにもほどがある。

広いバルコニーに数少ない洗濯を干し終えて室内に戻ると、額からは汗が滲んでいた。

ああ、中は涼しい。24時間エアコンを稼働しっぱなしで環境に悪い気もするけど、室内で仕事をする人のためだから仕方ない。

汗を拭ってため息をついたところで、声が響いた。

「あ、もう終わっちゃった?」

その声の方に目を向ければ、ジェシーが廊下に出て立っていた。

長い足は黒いスラックスを履いてなお長く見える。

白いラフなシャツにグレーのジャケット。いつものシンプルな服装だけれど、彼女の美しさは際立つ。

「うん。少ししかなかったから」

「手伝おうと思ったけど一足遅かったわ」

「いらないよー私の数少ない仕事なんだから。」

「だってあなたの姿が見えないと…」

ジェシーが言いかけたところに、彼女の背後からぬっと黒い隈が顔を覗かせた。

それなりに身長の高いジェシーよりも更に背のあるエルは、相変わらずボサボサに伸びた髪からこちらを見た。

「##NAME1##さん。終わりましたか」

「あ、はい」

「ではこちらへ。」

のそのそとリビングへ戻っていくエルをみて、ほらね、と言うようにジェシーが肩をすくめた。

慣れたことだよ、と私は苦笑いをした。

籠を洗面所に置くと、エルのまつリビングへと足を踏み入れる。なお涼しいその部屋には、パソコンで操作するジェシーとワタリさんもいた。

「すずしーい」

つい声を漏らすと、優しい紳士は笑う。

「外は随分暑いでしょう」

「まだまだ暑いですねー。真夏よりはいいけど…」

冷蔵庫に行き冷たいお茶を取り出して飲む。ついでだ、と新しいグラスに注ぎ入れて、ジェシーとワタリさんのそばに運んだ。

「ありがとうございます」

「ありがとう!丁度いれようかと思ってたの。##NAME1##ってタイミングの神様よね」

「あはは!何それ」

少し前、私が同級生と再会し本名がバレてしまったこともあり、ジェシーは気軽に##NAME1##、と呼ぶようになっていた。

それなりに知りあって時間も経ち信頼関係が築けてきているため、私の偽名はもう必要なくなった。

エルも特に何も言わない。

「エルは紅茶でいい?アイスティーにでもする?」

ソファで座りパソコンを眺めているエルに尋ねると、彼は丁度ティーカップを口に付けたまま大きく天井を向いていた。

「アイスティーをお願いします、タイミングの神様」

「エルまで!」

私は笑いながらアイスティーを取り出し、氷と共にガムシロップを注いだ。

簡単にかき混ぜれば、氷のカラカラとした涼しげな音が響く。

それを持ちエルの隣に座り差し出す。

「ありがとうございます」

お茶を出し終えて周りを見渡せば、仕事をしてる3人に囲まれて暇を持て余す私だ。

いつもと同じ光景。

「ワタリさん、ジェシー、何か手伝えることないですか?」

ワタリさんはいつものように大丈夫ですよ、と笑った。ジェシーはああと声を上げて立ち上がり、私に近寄る。

「これ、時系列にファイリングしてくれる?」

「喜んで!」

笑顔で受け取り、私は分厚い紙たちを抱える。そんな様子を、エルは横目で眺めた。




ある不思議な依頼のため日本にきて1ヶ月。

その依頼はあっという間にかたがついたものの、私たちは穏やかに日本で滞在していた。

私のためにイギリスから来ているジェシーも同様。

彼女がいてくれることで、時々買い物に行ったりと多少自由に動けるのは本当にありがたいし、

何より感謝してるのは実はこうして簡単な仕事を用意してくれることだったりする。

普段エルは私に仕事を与えることはしないし、(あなたの仕事は私の隣にいることです、だそうだ)

ワタリさんも外に出てる事も多いしエルに言われているのかあまり私に仕事をくれない。

しかし私としては働いてる人々の前で読書ばかりも気が滅入るのは確かだった。

そんな私にいつも簡単な仕事を考えて与えてくれるジェシーはやはり同性ならではの気遣いだと思う。

多少人はやることがないと億劫になるのだ。

仕事をあえて与えるという心遣い。

手を動かしながらちらりとエルを眺めれば、鋭い目つきで何かを考えてパソコンを操作した。

「ワタリ、No.925 特定した」

「はい」

エルは少し目を離してアイスティーを飲む。ふと、私の視線に気付いたようだった。

「どうしました」

「あ、ううん!…仕事の時のエルってやっぱり鋭くて、Lの顔だなぁって…」

「そうですか?無自覚です」

「ふふ、集中してるからかな。眼光が鋭いよ。獲物を捕らえる!って感じ」

普段は悪ふざけばかりしてるからつい忘れがちなんだけど、隣にいる人は間違いなく警察が匙を投げたような難事件を一人で解決してしまう名探偵だ。

最後の切り札。きっと想像以上の悪事を暴いて解決してきたんだろう。私には把握しきれないほどの。

エルはアイスティーを置くと、ずいっと私に顔を寄せる。それは少し口角をあげた、何か悪いことを思いついたようなエルの顔。

「どっちがいいですか。エルとL」

「へ」

「あなたが愛するのはどちらですか」

またこういう事を言う。背後には人がいるっていうのに。

私は手元に目線を下す。

「どっちもエルに変わりないでしょう」

「あなたが愛する方は」

「だ、だから」

人がいるの!

多分ジェシーは聞こえないフリしてくれている。ごめん。

「教えてください##NAME1##さん。あなたはどちらの私がいいですか」

「もう!仕事してください!」

「今一段落終えたところです」

「そうだったね…」

「あなたの可愛い照れ顔を見てリフレッシュです」

「変なリフレッシュしないでください!」

「##NAME1##さんキスしましょう」

「馬鹿!」

持っていた紙類をエルの顔面に押し付ける。

毎日毎日、飽きずによくやるもんだ。ここでキスなんかされないのもう分かってるでしょうに!

エルはゆっくり顔に押し付けられた物を指先でずらすと、拗ねたようにソファに座り直した。

「キスなど挨拶ですよ」

「日本じゃ違うから」

「そうでしたここは日本でした」

「イギリスに帰ってもしないけどね」

人前でキスだなんて。そんなバカップル嫌だ。

背後から小さな笑い声が聞こえる。

ワタリさんが優しく笑っていた。

「仲がよろしいことで」

彼はエルにまた何か資料を手渡す。解決しても次から次へと依頼が絶えない。

「す、すみません騒がしかったですね」

「とんでもない。昔Lと二人きりでいた頃が嘘のように楽しいですよ。もうあんな日々には戻れませんね」

「そっか、ずっとワタリさんとエル二人で仕事してたんですもんね」

「ええ。エルは1日声を発さないことすらありましたよ」

「ええ…」

「ですから私はこんな賑やかな日々がとても嬉しいです。」

目をなくして微笑むワタリさんは本当にいつも優しくて気遣いのできる最高のお人だ。

つい釣られて微笑んだ。

そういえば、まだエルと出会って間もない頃は会話もなくて気まずかったんだっけ。

遠い昔みたいだな。
 
私は微笑んで思いを馳せた。







「ど、どしたのエル」

私は震える声で尋ねる。

「以前話したではないですか。ワタリに準備させました」

夜、ジェシーもワタリさんもいなくなった所でエルはお風呂に入り、戻ってきたその姿を見て私はポカンとした。

相変わらず髪の毛はあまり拭けてなくてびしょびしょなのだが、それは置いておく。

彼は下はいつものジーンズだった。しかし上はあの白い服ではない。

いや、白は白なんだけど。

襟のあるYシャツを着て登場したのだ。

私はエルと出会ってこの方、彼があの服以外を着てるのを見たことがない。一度仕方なしに救命士の格好を短時間したくらい。

とんでもなくこだわりの強いエルは季節問わず、それどころか寝る時ですらあの白い服にジーンズなのだ。

呆れるほどの徹底ぶり。彼曰く、あの服でないと「推理力が落ちる」とのこと。

そこまでこだわる理由はよく分からない。

だから今目の前に立っているエルの姿は新鮮どころの騒ぎでなくて、私はワナワナと震えてしまった。

「以前私が着るなら白いシャツと##NAME1##さんが言ったので」

「……」

「たまには、と思いワタリに準備させました」

「……」

「なんか変な感じです。やはり落ち着きません」

本人はやや不服そうに表情を歪めたけれど、私としてはとんでもなく心が震えている。


エルが違う服着てる…!


その感激たるや。色はいつもと同じ白のくせに、イメージがガラッと変わるんだから!

あの日考えて容易に白いシャツかなーなんて言ったけど、自分を褒め倒したい。


めちゃくちゃ似合ってる。


正直なところ少し胸が苦しくなるくらい、彼は意外と白いシャツを着こなしているのだ。

こんなのは反則だと思う。ときめかない方が無理なんじゃないだろうか。
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