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それから3日後、早くもワタリさんの代役であるジェシカがこちらへ来ることになった。
私は普段より多めにケーキを焼いた。エルやワタリさん以外の為にケーキを焼くのは久しぶりだった。
朝から上機嫌にキッチンに立つ私を見て、なぜかエルは拗ねた。
じっと私の方を見て、親指を噛む。
「私のために焼いてる時より楽しそうです」
言われてきょとん、としてしまったが、すぐに苦笑した。
「そんなことはないけど…ちょっと気合が入ってるだけ」
「私の時は気合入らないんですか」
「そうじゃなくて。初めて会う人に手料理振る舞うのって、緊張するの。」
「緊張しなくともあなたの作るものは何でも美味しいです」
「ありがとうございます…」
褒めて伸ばすタイプのエルは今日も私を褒め称えてくれる。
「ところで、ジェシカの事を疑ってるわけではありませんが、あなたの本名は教えていません」
「え」
「まあ普通本名だけでどうこうできる事は何もないですが。前例がありますので」
それは、名前と顔で殺せる殺人ノートのことだろう。
「不用意にあなたや私の本名をあえて教える必要はありませんから。いいですか、##NAME3##」
その名前で呼ばれるのは2年ぶりの事だった。懐かしい気持ちになる。
「はい、分かりました。私は…?」
「竜崎の名前を使う必要はありません。L、でいいです」
「はい、L。」
「まあ2年前ほど頑固として本名を隠す必要はないとは思いますがね」
「そうですね…あの時はまだ Lの名前も知りませんでしたね」
「なぜずっと敬語なのですか」
Lは首を傾げてこちらを見た。
「その名前でよばれると、なんか…2年前に戻った気がして」
私は笑って答える。Lもふっと笑う。
「懐かしいですね」
この人と出会った日本の事件。そこで出会った人々の顔が浮かんだ。
みんな、元気にしてるかなぁ…
時々メールのやりとりをしたりはしてるが、あの事件以降会えてはいない。
今度日本に帰れたら、少しでも会えたらいいけれど。
そんな事を考えていると、廊下から足音が聞こえる。
あっ、と思ったと同時に、リビングの扉が開く。
ワタリさんが入ってきて、その後ろに…
(う…わぁ…!)
私は心の中で感嘆のため息を漏らした。
そこにいたのは身長170センチほどありそうなスラリとした女性。ブラウンの髪と瞳を持っている。
顔は小さく、手足は長い。そして、胸が大きい。
黒いスラックスにグレーのジャケットを羽織っただけのファッションだが、彼女の美しさを引き立てているようだった。
(め、めちゃくちゃ綺麗…!女優さんみたいだ…!)
鼻は高く、睫毛は本物かと聞きたいくらい長い、
とても顔立ちの整っているその人は、緊張した面持ちで部屋に足を踏み入れた。
私は挨拶をするためキッチンから出ようとした、が。
彼女は奥のソファに座るLの後ろ姿を見た瞬間、そちらへ走り出した。
そして、
「 L!!I wanted to meet all the while…!」
そう叫び、彼女はLの背中に思い切り抱きついた。
Lは油断していたのか、その衝撃で前のめりになる。
私は衝撃で出かかった足が止まる。
「Do you remember me?」
Lの首に手を巻き付けたまま、泣き出しそうな顔で尋ねる。
それはまるで、長く会えなかった恋人同士のワンシーンのようだった。
私は完全に思考停止した。
Lはゆっくり彼女を振り返る。
「ジェシカ」
名前を呼ばれ、ぱああっと顔が分かりやすいほどに笑顔になる。
Lは摘むようにジェシカの手を持ち上げ、ゆっくり腕を払った。
Lは挨拶をすることもなく言った。
「ここでは日本語でお願いします」
「…?え?」
「##NAME3##が、日本人なので」
手を払われたジェシカは、Lの言葉を聞いてようやくこちらを振り返った。
ブラウンの瞳と目が合う。
私はようやく思考が再開し、キッチンから出て頭を下げた。
「初めまして、##NAME3##です…!」
ジェシカは、ぽかん、と私を見ていた。
…?
さすがに、私の存在はワタリさんが話してるはずだけど…
「…あ、ああ、そうでした。ワタリから聞いてました」
流暢な日本語が聞こえる。それだけで私はほっとした。
ジェシカは私に少し近づくと、右手を差し出す。
「ジェシカ・エドワードです、ジェシーって呼んで」
私は差し出された手を握る。近くで見ると、本当にお人形みたいだった。
「よろしくお願いします!」
が、ジェシーは握手したままじっとわたしを見ている。
上から下、というように。
…品定めするような視線で。
「あ、の…?」
「あなたがLの恋人?」
「あ、はい…」
「英語、話せないの?」
「あ、日常会話ほどなら大丈夫です!」
2年イギリスに滞在して得た能力。日常会話ほど。
なぜなら、一人で外出も心配されなかなか出来ず、出かける時はワタリさんやLと一緒にたまに出かけるくらいだった。
英語と触れ合う機会が、正直少なかったのだ。
自分としては、この状況で日常会話くらいできるようになったのは褒めてもらいたいくらいだ。