アンラッキー・ボーイ
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8月25日。
その日の朝、爆睡中のミチルの元に一通に電話がかかってきた。
枕に顔を押し付けたままの体勢はそのままに、けたたましく鳴り続ける耳障りの元に舌打ちしながらごそごそベッドの棚を探る。
寝ぼけ眼でやっと探り当て通話ボタンを押せば、耳に飛び込んでくる聞き慣れた声。
『―――おはよーミチル!あのさあのさ、今日平気?宿題終わってる?終わってないよね?』
愛しい愛しい彼女からのモーニングコールは、間髪入れずの質問攻め。
只でさえ寝起きの悪いミチルの不快指数は一気に上昇していく。
予定にないモーニングコールもそんなものであるから、二人の間に甘い空気なんてのは皆無である。
『理科のプリントがなかなか進まなくってさ、教えてもらえないかなーって…あれ、もしもーし。聞いてる?』
「…ったくなんなんだよ、んな朝っぱらから!今何時だと思ってんだ!?」
『えーと…8時?普通じゃん』
「そりゃお前の基準だろ!」
『早起きは三文の得ですよミチルくーん』
「…、あのなあ、」
『大体夏休みも終盤だよ?生活リズム直さないとダメっしょ』
ミチルは起き抜けにこれ以上の押し問答は体力の無駄だと悟り、早くも諦めの境地に達した。
何せ彼女とこんな不毛な言い合いを始めたところで、いつも最後に言いくるめられてしまうのは彼の方。
というよりそれが好意を寄せている相手なら尚更、押しに弱くなってしまうのは当然だろう。
ミチルは嘆息しながら、仕切り直すように言った。
「…あー、で?何だっけ?俺の家で宿題済まそうってか?」
『うん、そっちが良ければだけど』
「俺んちか…」
部屋を見渡せば、まず目につくのはベッドの側、ローテーブル脇の乱雑に置かれた雑誌。
放りっぱなしのプレステコントローラー、テーブル上に錯雑に重なるゲームソフト…
だが、そのへんの同世代と比べればそこまで清潔感のない部屋でもないから、少し整頓すれば充分に人を招き入れられる程度の散らかりようだ。
ミチルはこういう部分での自分の几帳面さに少しだけ感謝した。
『だめ?』
「―――‥いや、いいよ。じゃあ9時に駅の広場な」
『ヤッタ!じゃ後でね』
そして一方的に切られた電話。けれどまあ、彼女の唐突な提案はいつものこと。
適当に携帯を布団の上に放り投げ、ミチルはだるそうに欠伸をしつつ支度を始めた。
一方のマコはあまり着ることのないお気に入りの服を手にニンマリと笑っていた。
気合い入れてこっとなんて、独り言を呟きながら。
…これが後に、失敗をもたらすことになることも知らずに。
・・・・・・・・・
「ここ、俺んち」
待ち合わせ場所から10分ほど歩いてきて、ある家の前で立ち止まったミチルがそう告げた。
表札のプレートには「福士」と黒い文字で彫られていて、へえー…とマコは、軽く手をかざして太陽の光を遮断しながらその外観をまじまじと眺めた。
古びた感じも、かといって新しくもない、月日を物語る少しくすんだベージュ色の外装。
それでも思っていたよりも大きい建物。
こちらの表に面した二階部分の出窓には紺色のカーテンが見えて、マコは心が浮き立つのを感じた。
「あそこがミチルの部屋?」
「そ。暑いし早く入れよ」
門を開け、ごそごそと何かをポケットから探るミチルに、マコは一瞬静止する。
一拍して、浮かんだ考えを振り払うように尋ねる。
「あ、あのー差し入れ持ってきたんだけど、今日おばさまは…?」
「…いや、知り合いに会うとかで俺が出る前に出て行っちまって」
「…、え?」
「だー誤解すんな!べっべべつに変なことしねーよ!!」
噛み噛みになって必死に否定されても、イマイチ説得力に欠けるし逆に気恥ずかしい。
ほら赤くなってるし、と思いつつ「当然でしょ!」と頭にチョップを入れてやる。
まさか確信犯ということも考えたが、電話でのトーンは確か至って自然だったからそれはないだろう。
あの迷子事件、つまり付き合い始めてからの月日が経つのは早いもので、確かにそういうことがあってもいいような感じにはなってきた。
けど、自分にはまだ心の準備というものがない。
――――失敗した、と思った。
てっきり以前から会いたいと言ってくださっていたらしいミチルのおばさまに今日は会えるものと思って、
勇んでたまにはと女の子らしくスカートなんか穿いてきてしまった自分。
…けど大丈夫、今日は宿題を仕上げるのが目的だし。家の人もそんなに遅くはならないはず。
あまり意識しすぎないよう邪念を封じながら、マコは鍵によって開かれた玄関へと足を踏み入れた。
「おじゃましまーす‥」
「飲むもん取ってくるから先上がってて」
「え、」
「場所分かんだろ、右の一番奥」
そう言うなりさっさとダイニングへ消えてしまうミチルに少しの戸惑いを感じつつ、じゃあ‥とマコは先に階段を上がっていった。
キョロキョロ落ち着きなく視線を漂わせつつも、部屋までの一段一段を踏み締めるように。
一方のミチルは階段を上がっていく一定のリズムを聞きながら、ひとつ深いため息を吐いた。
食器棚からグラスを出しながら、ミチルは理性をフル稼働させ己の欲望の抑制に努める。
なんであいつ今日に限ってスカートなんだよとか、ブチブチ口を出てしまう文句は仕方ない。
それに…と、ミチルは壁のカレンダーを見遣る。
8月のページには、母親がつけたんだろうベタな赤丸印が25を囲っている。
「俺の家でって…まさか私がプレゼント…なんてベタなこと言わねえよな…」
赤くなりつつも青ざめながら、つーかまずあいつ覚えてんのか?と思考をあれこれ巡らせ、振り切れぬ思いを抱えたまま開け放たれた自室へのドアを潜った。
「あ、ありがと」
「‥何してんの」
「いや、どこ座ったらいいかなーって」
「…そのクッション敷いたら?」
テーブルにペットボトルの麦茶とグラスを置きながら、落ち着かなそうに4畳部屋の真ん中で立ち尽くす彼女の側に置いてあるクッションを目で示してやる。
「あ、コレ?じゃあ借りるねー。思いのほか片付いてる部屋だったからさあ、ビックリした」
「まあそりゃ部室とは違うしな」
こんな彼女を見るのは初めてだった。
普段のテンションでいけばきっと自分の部屋だとばかりにベッドにでも座って寛いでしまうような人間であるのに、さすがに今日は緊張…警戒しているのか。
警戒されなさすぎるのも困るけど、これはこれでキツイぜ‥とじんわり心の中で涙を浮かべながら、ミチルは極力自然体に振舞おうと心がける。
「暑くてわるいな」
「いや。私も部屋クーラーないし」
むわっとした室温に耐えか兼ねるように扇風機のスイッチを入れ、回りだしたプロペラが二人の髪を揺らす。
と、早速とばかりに二人は妙な雰囲気を存在させないよう、それぞれに課題材料を広げ始めた。
「宿題さあ数学のでもちょっと分かんないとこあったんだけど」
「どこよ。って俺、数学もあんま手ーつけてないんだよなあ」
「あーあ、まあ私も英語と国語しかちゃんと終わってないけど」
「あ、終わってんなら写させて」
「一科目につき500円徴収させていただきます」
「せこいぞ!」
「はは、ウソだって。教えてミチルくん」
そう笑ってテーブルから身を乗り出す彼女に、ミチルは思わずうっ、と身を引いてしまう。
意識するな意識するなと再び呪文を唱えるかの如く自身を抑制し、分かったよ、と呆れたふうを装って再び嘆息した。
・・・・・・・・・
お互い最初は真面目にやっていたが、時間が経つにつれ携帯をいじったり、雑誌を読んだりと思い思いに過ごしかけてしまう。
そのたびに何とかお互いがお互いを咎め合い、とうとう夏休みの悪魔退治もラストスパートへ。
マコが差し入れにと持ってきたクッキーがミチルの手によって半分ほど減った頃に、問題集を埋めながらふとマコが「あ」、と言葉を洩らした。
何かと思って顔を上げれば、マコはペンを止め、ページの一点を見つめたまま動かない。
視線の先を辿れば、…日付欄、8月25日の文字。
「…ねえ、念のため確認するけど今日って25日で合ってる…?」
おずおずと窺うように尋ねるマコに、ミチルは脱力しそうになる。
ああ、と答えを返せば、やっぱり!?と青ざめる。
忘れてたのかよ!怒りも露にそう突っこんでやろうと口を開きかけたところで
「ドラマ予約しとくの忘れた…!」
「……」
「今日最終回なんだよあーーもう!まじ私ってアホ‥」
まったくの見当違いな言葉にミチルは怒りの沸騰点を忘れ、更に脱力した。
「自分がプレゼント」の可能性はもうないと気付いてたけど、さすがにドラマより忘れられてはショックだ…
彼の心はサラサラ砂となって崩れ、もはや哀れとしかいいようがない。
マコはしばらくあー、だのクソー、だの一通り嘆き悔しがったあと、どこか明後日の方向を見つめたままのミチルにようやく気が付いた。
「…どしたの、頭使いすぎて壊れた?」
「……。」
「…?ちょっと?もしもーーし」
彼女の呼びかけも、今のミチルには届くはずもない。
目の前で手をひらひらさせてもなんの反応も示さない彼を益々変に思い、マコは更に顔を近づける。
「ミチルってば」
と、ミチルの目の焦点が、ゆっくりとその目に定まる。
身を乗り出しながらマコは目と鼻の先にあるそれにふと、あ、キスしたいな、と胸を高鳴らせた。
時が止まったような時間が流れる。
眼前で見つめ合い、お互い生温かい呼吸を感じつつ、そのまま動かない。
「…‥なんか忘れてねえか?」
ふと、ぽつりミチルが言葉を洩らした。
それにマコはすぐさま反応し、え?と改めてその目をまじまじと見つめる。
さっぱり何を言っているのか分からない、だけど彼の目尻は吊り上がり、やけに真剣だ。
「ドラマの最終回の他に」
「…他に、?」
その言葉にマコは今思い出せる事項を頭の中に羅列して、その抜け落ちた部分を補おうと努めてみる。
わざわざ自分で言って気付かせようとするのも男としてかっこ悪いと、ミチルは重々思っていた。
けれど、二人で迎える初めての特別行事。
プレゼントはまだしも、密かにおめでとうの言葉くらいは期待していたのだ。
疑問符を浮かべながら必死に考えるマコの様子を、心中穏やかなどとは程遠い思いで見つめる。
「……ごめん」
「…」
ややあって、申し訳なさそうにマコが呟く。分かりませんでした、そんな顔で。
はあーと、ミチルはこれ以上ないくらい肺の底から諦めと名のつくため息を吐き出しかけた。
「おめでとう」
予想外の言葉だった。
眉をしかめ、唇をわずかに噛み、そしてすぐまたごめんと申し訳無さそうに謝る。
そしてそっと唇を、驚きで静止したままのミチルのそれにくっつけた。
突然の出来事に、心の準備が出来ていない彼は思わず勢いよく身体を引いた。
が、勢いがつきすぎたせいですぐ後ろのベッドに背中を打ってしまう。
けれども今はその痛みに気付く余裕すらなく。ドッドッドッと心臓が情けないくらいに脈打っているのが分かる。
マコからのキス。これは初めてのことだから尚更だった。
「…あーごめん。やっぱやだった?」
「―――ちっ、ちげえよバカ!」
そんなわけがない。むしろ…
全力で否定するミチルに、マコは目を見開いてからすぐにならいいけど、と苦笑した。
「…であの、当然プレゼント、ないんだけど…」
「…いや、別」
「余計何かあげないと私が嫌だから。お望みは?今日中に即行で買ってくるからさ」
一応彼女からのキッスは貰えた。だから別にいいと言いかけたのを察して、彼女は尚も身を乗り出して必死に迫ってくる。
だったら…と、思案するまでもなかった。
欲しいのは物なんかじゃない。
「だってごめんじゃ済まないでしょ」
「…そうだな。…だったら…―――」
これを言ったらコイツは戸惑うだろう。けど、あんなことしといて脈なしってことはないだろう。
ここまで言って断る可能性だって低い。
そう思ってミチルは自分の顔の熱を感じながら、キッと意を決し言葉の続きを紡ぐ。
「――――お」
『ミチルー!あんた何、マコちゃん来てるの!?』
お前をくれ。
そんな一昔前に使い古されたような言葉をまさに口に出しかけてすぐ。
男の決意は虚しくもあっさりと、ジャストなタイミングで下の階から響く母親の呼び声によって崩されてしまった。
一瞬にして瓦礫のように、ガラガラと。
「あれ、ミチルのおばさん帰ってきたんだ」
そういえばと、もう外も茜色に染まる時間なことに気付いて。
盛大にガクリと項垂れる彼をよそに、彼女は挨拶しに行っていい?などと言いながらドアの外を気にし始める。
…彼はこれほど自分の運の無さを恨んだことはなかった。
『ミチルー?ちょっと挨拶したいから降りてきなさいよ』
「―――だー!分かったようるせーな!」
大きくやけくそな返事をして、勢いよく立ち上がる。
と、マコも次いで立ち上がろうとしたところで思い出したかのように「そういえば何がいいんだっけ?」などと聞き返してくる。
こうなってはあんなセリフも言えるはずもなく、咄嗟に「お金‥」と脱力気味に答えるしかなかった。
「バカめ!もうちょっと夢のあること言ってよね」
「いいじゃねーかよ。くれ、一万」
さっき男にとっての夢ある希望を言おうとしたのだが。
そんなこと知りもしないマコは、却下に決まってんでしょと差し出した手を当然とばかりに払いのける。
「じゃなんか作って。今日はいいから」
「…そんなんでいいの?」
「いーんだよ」
「…うん、ならまあ‥頑張って作るけど」
マコは意外そうに了承すると、じゃすき焼きでいい?と尋ねるが、それは今晩の夕食らしい。
うーんと考えて、ふとマコはあることを閃いた。
「あ、じゃあこのあと夜にまた会えない?」
「え?なんでよ」
「ケーキ作ってくるからさ」
まだ必死に、けどどこか目を輝かせそう言う彼女に、ミチルはわずかに目を見張る。
そして「だからなあ今日じゃなくても」と言いかけるが、またも彼女の声が重なって。
「今日中じゃないと意味ないでしょ、私の気も済まないし」
「…」
「あ、でも別にダメなら明日でもいいんだけど」
「‥いや、ダメじゃねえよ」
ダメなわけあるか。
迷うでもなく言うとマコは、じゃ決定ね!とホッとしたように笑う。
「じゃあどんなんがいい?イチゴ乗ったやつ?」
「あー、普通のな。いいぜそれで」
「ヨッシャ!ちょっと本気で頑張っちゃうよ」
そう腕を捲るそぶりをするマコからは言葉通りの気合いが見て取れて、嬉しそうな笑顔と反比例するかのように彼のやるせなさは募るばかり。
それでもどうにか口角を吊り上げて見せた。
「‥んじゃ、行く?」
「うん。あーもう大分片付いて良かったよ、あと問題集ちょっとだけだし」
「忘れモンすんなよ」
今日じゃなくてもまたチャンスはあると言い聞かせ、涙を呑みながらミチルは彼女と連れ立って部屋を後にするしかなかった。
けどまあ、手作りケーキも悪くないか…
どうにかそんなふうに思いながら、マコと母親のなぜか盛り上がる初対面をどこか遠い目で見守るのだった。
そしてその夜、マコのケーキを食したミチルが苦悶することになる悲惨なエピローグが待ち受けていようとは、まだ知る由もない。
(不憫な彼に幸運を!)
2005.8.25
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