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放課後の交友棟、サロンの窓際の席から遠くテニスコートを眺める。
あの見慣れた栗色の髪は太陽の光でキラキラと反射していた。
ファイルを手に、レギュラー、準レギュラーに練習メニューでも言い渡してるのだろうか。
様になってる、頼もしい後姿。
人一倍その青のジャージが映えるように見えるのは、もう目の錯覚ではないんだろうな。
先頭に立つ日吉が眩しくて、チクリと胸が疼く。
あれから一週間。
学校でもお互いに意図的に距離を取っているからか顔も合わせていない、電話もLINEも着信を知らせることはない。
彼が部長になってから、口喧嘩が日常茶飯事になった原因の一つは私のキャパシティーの狭さ。
応援し見守っていく覚悟も、会える時間も限られる覚悟はしていたはず。
今はテニスに専念すべき大切な時期だし、専念せざるを得ない立場にあるから。
ずっと彼が望んで、ずっと目指してきた200人の頂点、部長という地位。
そこに立ってみて初めて見えてくるもの、感じるものはきっと沢山ある。
あのカリスマ部長の後継という不安も、少なからずあっただろう。
200人分のプレッシャーを背負って戦う彼の立場を、あの時私は理解しているつもり気でいて、まったく分かっていなかったことに今になって気付く。
あの日は爆発したかのように売り言葉に買い言葉で傷付けあって。
後の祭りだなんてよく言ったものだな、と思う。
ストレスからの悪態も笑顔で流せればよかった、笑って見守ってあげればよかった。
弱音を吐くことのないプライドの高い彼を影ながら支えてあげるのが、私の役目だったはずなのに。
自分のことしか考えられない。結局私もまだまだ子供なんだなぁ、そう思いながらスマホを眺める。
あの日の夜、勇気をだして「ごめん」って一言LINEを送ってから日吉宛のメッセージは送信履歴に残っていない。
そして既読がついたまま、返事のない受信記録。
私たちの時間はあの日で止まってる。
このままでいるわけにいかないから、とにかく現状打破を図らなきゃ。
しばらく考えてから、LINEを開いた私の親指は文字をタップしていく。
出来上がった短文を確認して、もう一度コートを眺める。
部員に直接指導するあの背中を射止めてから視線を画面に戻し、だけどまだ送信ボタンは押さない。
また既読無視をされても、諦めるのはよそう。
そんな決意を固めて。
…………
部室に施錠をし、やっと部長の務めが終わり肩の力が抜けた、そんな時。
鞄から伝わるバイブレーションとに気付いて内ポケットからスマホを取り出すと、LINEがメッセージの新着通知を知らせている。
そして表示された名前とメッセージに、息が詰まりそうになる。
『教室で待ってます』
思わず目を見開いた。
そして反射的に校舎に目を向ける。
もう大分日も落ちて薄暗い校舎には蛍光灯の明かりがぼんやりと、いくつかの教室を照らしていた。
柄じゃない、と思いつつも居ても立ってもいられなくて、俺は疲れを忘れて走り出した。
…………
18時55分。
大体、いつもこの時間に部長の務めは終わるはず。
暗い教室の中ディスプレイから広がる光に、ふっと息を吐き出す。
すぐに既読がついたことに安堵しながらも、スマホを握り締めながら私は椅子の上で、来てくれるかも分からない彼の足音に耳を澄ます。
もう知るかってほっとかれるかもしれない。
来てくれたとしても別れ話をされるかもしれない。
だけどどうだろうと、私はずっと待ってやる。
数十分後、手の中のスマホ画面がパッと光ると、LINEからの新着メッセージが届く。
一瞬期待したものの、いつも購読している公式アカウントからの通知だった。
なんだよ……。
思わずガクッと肩を落としたけれど、間を置かないうちに再びLINEが通知を知らせる。
送信者は日吉。
『どこにいるんだ?』
日吉。
……私、期待していいんだ?
しばしその文字を、どこか実感を得られないままぼうっと眺めてた。
返信しようと操作しかけたところで、間もなく着信を知らせるバイブレーション。
待ち望んだ人からの電話に、私は少し躊躇しながらも応答ボタンを押した。
…………
『……日吉?』
ツーコール目の応答、一週間ぶりの彼女の声。
久しく聞いてなかった声のトーンを聞いて、身体からふっと力が抜ける心地がした。
「……、どこにいるんだよ」
『……さぁ』
そういえば最後に聞いた彼女の声は涙声だったか。
たかが一週間。だけどされど一週間。
彼女が隣にいない日々を想像以上に長く、辛く感じていた。
そんなこと、口に出せやしないけれど。
お互いの時間は凍結したままで、融解を図るチャンスを作ってくれた彼女に俺は、今こそ手を伸ばさなきゃならない。
「さぁじゃなくて、言え」
『……三階のどこか』
「新校舎か?」
『……』
「…今まで、さんざん探してるんだぞ」
『……音楽室の隣の空き教室』
「最初っからそう言え」
スマホを耳に押し当てたまま、一階から三階までの階段を一気に駆け上がる。
その間も、途切れ途切れの会話を続けながら。
『ねぇ、私のことイヤになったんじゃないの』
「……、」
『いつもウザイって』
聞こえてくるマコの声は淡々としたもので、天邪鬼なこいつの性格上、逆に分かってしまう。
辛かったと。
「“売り言葉に、買い言葉”って、言葉あるだろ」
『……』
「お前こそ、俺なんかどうでもいいんじゃなかったのか?」
『……売り言葉に、買い言葉だよ』
控えめに呟いたその言葉に、普段の柄になく気持ちがはやる。
だけど三階のフロアに近付くにつれペースを落として。
上がった息を整えて。
一歩一歩、彼女の気配のする教室へと歩みを進めていく。
…………
一週間ぶりの日吉の声に、嬉しくも素直になれず「イヤになったんじゃないの」って、ここにきてけしかけるような事を言ってしまってごめん。
でももう日吉もこんな私の性格はよく分かってくれてるから。
『お前こそ、俺なんかどうでもいいんじゃなかったのか?』
そう意地悪く聞いてくる日吉に、私も素直になれる兆し。
売り言葉に買い言葉だよ、ごめんねを、その言葉の裏に隠して。
「日吉」
『何だよ』
ガラッと扉の開く音が聞こえてくると同時に告げる。
「音楽室の隣の空き教室ってのウソ」
『――チッ、そうみたいだな』
「でも近くだから。探してみせて」
『おい……お前いいかげんに、』
「待ってる」
言うなり終了ボタンを押して、一方的に会話を断つ。
わがままでごめん、でも、いつも私が追いかける側だったから。
こんな時くらいはいいでしょ?
融解までもうすぐ。
君の足音に耳を澄まして。
備え付けの壁掛け時計はカチコチと瞬間を刻み、長針が丁度4を指した時。
空き教室から二つ隣の教室、スマホのディスプレイからだけだった光とは別の光が、ガラリとドアから溢れる。
廊下からの白い蛍光灯の光が私をぼんやりと照らして、わずかに目を細める。
「……バカだな、ほんと」
待ち焦がれた人が、明るい光を背に手間掛けさせやがってってため息を吐く。
その整えきれてない少し上がった息に私は、自惚れていいのかな。
黙っていると、日吉はスッと一番前の席――私が座る席までやってきて。
そうしてやっと、今までしまい込んでいた言葉を口にする。
「この前はごめん」
「……いや、俺も悪かった」
「……ひよ、」
詰まってうまく喋れなくて、おかしいなと思ったらスカートの上に置いた手の甲に何かが落ちて。
その正体を認識した途端、すぐに頬を何度も拭いながらかっこわるって思う。
頭上からため息。
泣き虫って、また言われる。
「……帰るぞ。泣き虫」
「……(やっぱり)」
「ほら、早くしろ」
しきりに頬を拭っていたその腕を捕まれて、半ば急かすようにぐいっと引っ張られる。
だけどその強引さが何だか嬉しくて、私はまた泣けてしまった。
その手が優しくて力強いことを、私だけが知っている。
なんでもないように見せてその首筋が赤く染まっていることも、私だけが知っているのだ。
強く絡めた指先は温かくて、心底安心する。
君と私の受信記録は、凍結することなくこれからも日々を重ねていくことだろう。
2023.3.14
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