ある夏の日
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「ん?赤飯」
私がお弁当箱から取り出した三角おむすびを見遣るなり、カツサンドを口に含みながら岳人は意外そうに言った。
「あ、昨日の残りもん」
「ふーん。ひほーはんか」
「いやわかんない、飲み込んでから言ってよ」
咎めるように言うと、岳人は口の中のものを咀嚼しながらごっくんと飲み込んで。
「……へへ、わりーわりー。で、昨日何かめでてー事でもあったワケ?」
「昨日お父さんが赴任先から帰ってきてさ、お母さん張り切っちゃって」
「へぇー!んだよ、良かったじゃねーか」
まぁ結構長いこと離れてたからわりと気まずいんだけどね、なんて他愛もなく話しながら極めて自然な笑顔を作る。
聞かれるだろうと思ってあらかじめ考えておいた、その場しのぎの嘘。
岳人は特に怪しむ様子もなくふーん、とパックジュースを吸い込んだ。
実は今日はずっとお腹が痛い。
というのも“月のもの”というヤツが昨日とうとう私の元にやってきたからだ。
毎月この鈍い痛みと闘っていかなきゃいけないと思うとウンザリする。
そんな私の様子に気付く素振りもない岳人は、思い出したようにこんなことを言ってきた。
「そうそう、あんさーお前明日空いてる?」
「え、うん全然」
「マジ?じゃあさ、いっちょ泳ぎにいこうぜ!」
…………。
「泳ぎに……」
「知り合いのじいちゃんからアクアランドのタダ券貰ってさー、ホラなんか新しくできたとこ。あそこ5メートルの飛び込み台があるんだってよ!」
途端に目をキラキラ輝かせる岳人とは正反対に、内心冷や汗をかく私。
それでも、
「へ、へぇ!楽しみだね!」
なんて笑うしかなくて。
分かっていた。
女として生を授かった時から、とっくに。これは自然の摂理として当然のこと。
仕方ないんだと一生懸命言い聞かせても、やっぱり自分の成長した身体が恨めしい。
「じゃ、明日10時に駅前な!」
密かな想いを寄せる相手にオッケーって頷き返しながら、二口分に減った赤色のそれをまた恨めしく思った。
まったく、何がおめでたいんだか。
・・・・
・・・・・・・
翌日、アクアランドの最寄り駅で岳人を待つ中、私はひたすらに落ち着かなかった。
学校以外で会うのは初めてだからとかそんな乙女な思考回路を張り巡らせてるわけじゃなくて、理由はもっと別にある。
今日も続く鈍い痛み。
それと同じくらい胃も痛くなってくる。
待ち合わせ場所に指定された時計台の下は案の定待ち人で溢れている。
カラフルな浮き輪やボートを抱えている人も多い。
そんな人の隙間から目を凝らすように改札口を通ってくるはずのピンク髪を私は探していた。
手の中のスマホは「わりーちょい寝坊!あと10分くらいで着く!」のメッセージを表示させたまま。
時計を確認すれば、受信時刻からもう10分は過ぎている。
だけど、もうちょっと遅れて来てくれても構わない。
この後の展開を想像して胃を痛めながら、私はひたすらに人波を眺めていた。
「わり、待たせた!」
「わっ!?」
突然、背後から肩を叩かれて全身が跳ねる。
反射的に振り返ると、岳人はゴメンのポーズを片手でとりながらも、んだよビビリ過ぎじゃねえのーって笑う。
「だっていきなりどついてくるから!」
「どついてねーだろ!普通に叩いたじゃん俺」
「いや軽く痛かっ…」
「はは!わりーわりー」
岳人はTシャツとハーフパンツにサンダル姿で現れて、そのあまり見慣れない私服姿に「デート」という単語が急速に現実味を帯びていく。
嬉しさやら気恥ずかしさやらで、頬が熱くなってしまう。
「あ!もう開いたんじゃねえ!?急ごうぜ!」
「ほんとだ……、わぁ!」
入場口では係員がチケットをもぎり始めている。
それを視認した岳人は、私の腕を引いて我先にと走り出した。
腕を引かれて走りながら、どうしようか考える。
いつもよりもテンションが高い岳人を見ていると、今日はプールに入れない旨を切り出すタイミングがなかなか掴めない。
今日は朝から猛暑が続いていて、まさにプール日和。
ましてやまだ目新しい遊泳施設ならばこの人の多さも当然だろう。
わらわらと入場口に向かう大群に混ざりながら、岳人はわざわざ押入れにあった浮き輪を持ってきてくれたことを教えてくれた。
俺はそんなんいらねーけどお前ってカナヅチそうじゃん?と有り難くない言葉を添えて。
ああ、ますます切り出しづらい。
タイミングを見失ったら最後。
着替えた後にまた合流することになったのだが、女子更衣室のロッカーの前で私は頭を抱えた。
当然、多少濡れてもいいように着替えは用意してきた。
Tシャツと短パン。周りのお姉さんたちと比べてなんの色気もない。
いや出るとこ出てない私に色気なんてなくてもいいんだろうけど。色気なんて、私はまだ中学生だし。
だけど、確実に身体は大人になろうとしてるんだ。
多少の嬉しさは何だかんだとありつつも、どうしてこのタイミングなんだろうと憎くもあって困惑する。
昨日買ったこのストライプ柄の化粧ポーチは、一見身だしなみの道具入れとしか認識されないはず。
だけど中身を思うとやっぱりどうにも慣れない気恥ずかしさがあって、ぎゅうぎゅうとバッグの奥底にしまいこんだ。
あの出口から外へ出るのは怖いけど。
もう致し方ないことだと腹を括りつつ、それでも岳人が水着でない私の姿に気付いてアレ?な不審顔をされた時はやっぱり消えてしまいたいと思った。
「ごめんあの、実は私今日調子悪くって」
「え」
「い、いや、……ごめんホント!」
「……、」
「夏風邪っぽくてなんかダルイんだよ、ね……」
「ッハア?マジで!?」
岳人は私のために持参して下さったという例の浮き輪の空気をめいっぱい入れていたところで、顔を上げたその表情は怒り半分困惑半分。
浮き輪は依然ぺしゃんこのまましゃがんだ岳人の膝にだらりと垂れている。
私は必死に両手を合わせて謝るしかなかった。
「ごめん、本当ごめん」
「つーかそんなん……帰ったほうが良くねえ?」
「え、やだよ!私だって来たかったから来たんだし」
「でも風邪なんだろ」
「いや、もう大分平気っていうか!でも大事を取って一応……」
「……」
「だから私はプール入れないけど、岳人は楽しんできてよ!」
必死になって喋るけど、岳人は目に見えて不機嫌になっていく。
充分予測できる反応だったけど、やっぱりどうしたらいいか分からなくなる。
「いきなり一人で楽しめってのかよ……」
「申し訳ない…です……あ、ダイブ!ばっちり見てるから……」
「あークソクソ!――おい、俺はな!」
「はいです……」
「……~~っあーもういい!だったら!俺のダイブしっかり目に焼き付けとけよな!!」
不機嫌そうに、ズビシ!という効果音が聞こえそうな勢いで指を突き付けられる。
と、私の腕とぺしゃんこの浮き輪を掴んで、どすどすと歩きだした。
……岳人の優しさに、少し視界が滲んだ。
小さいけどたくましい背中に着いていきながら、好きだなぁとしみじみ思う。
本当は私も新調しただろう水着で、一緒にはしゃぎたかったな。
浸っていると、ぴたりと岳人が立ち止まった。
どうしたんだろう。
振り返りざまに顔を近づけてくるものだから、心臓が大きく音を立てる。
岳人は眉を寄せて、不審そうにじっと私の顔を見ている。
何だろう、私の顔に何かついてるんだろうか。
顔が一気に熱くなって、視線を逸らした。
「……確認だけど、本当に体調不良か?デブったからじゃねぇよな?」
「!!しっつれい!」
せっかくしみじみ想いを満たしていたさっきまでの時間を返して欲しい。
軽く振り上げたビニールバッグで岳人の尻を叩くと、ッテ、やめろよ!あんたが失礼なこと言うから!っていつものやり取りが始まる。
わりーわりーってあのファンキーな笑顔に戻る岳人にやっと私も笑って、ほっとすると同時に、やっぱりこいつが好きだと再認識した。
・・・
・・・・・・
5メートルの飛び込み台から、プロも顔負けの空中回転。
水面に吸い込まれてザブンと水しぶきが上がると同時に湧き上がる観衆の拍手、あちこちからピュウという口笛。
「すご……」
さすが岳人だ。
跳ぶことだけじゃなくて跳び込みも得意なんだなぁ。
すぐに水中からぺったんこ髪の岳人が顔をだして、思わず噴き出してしまった。
そんな私を知ってか知らずか、喝采の中心にいることが嬉しいようでVサインつくって満面の笑み。
大好きな笑顔につられて自分も口角があがっていく。
と、片手で髪を掻き上げて、普段は隠れている額が露わになる。
普段と違う雰囲気に、ドキッとしてしまう。
「やー、お見事お見事」
「すげー最高!もういっかい飛びてー」
縁にあがってきた岳人はご満悦顏だ。
普段からかっこ可愛いヤツだけど、髪を上げていると男前度が5割増しに感じる。
ドギマギしながら飛び込み台を指さして笑う。
「いいじゃん、気が済むまでやってきなよ」
「……マジ?じゃ次はもっとすげーの見せてやるよ!」
空中回転よりすごいのってどんなんよ。
そう口を開きかけたけどすぐさま列まで走ってしまっていったから、口を噤んだ。
並び具合を見るとまだ岳人の順番が回ってくるまで時間がある。
さっきからの些か不快な不安感を取り払おうと、貴重品を持って近場のトイレに向かおうとシートを立った時だった。
「色気ねぇガキだな」
振り返ると、数人の男たちがヘラヘラしながら私を見ていた。
外見からいって多分、高校生だろうか。
私に向けられた言葉。だとしても相手にしないのが一番。
色気がないなんて自分が一番分かってる。
イライラしながらそのまま歩き出したけど、耳が拾ってしまう会話。
「なんで服着てんだろ」
「アレじゃん?流血じゃねえの」
「流血?」
「ほら、女子の日」
「あぁ!」
下品な笑い声をあげた後、お、あの子可愛いじゃん声掛けようぜとか言いながら男どもの声は遠ざかっていった。
「……」
――な、何よ何よ。なんなのよ。
怒りと羞恥からか、身体が震えだす。
と、周囲の視線を感じ、水をかけられたかのように我に返ってその場から逃げ出した。
サイテー。サイテー。
最低!
急上昇する体温に、頭は真っ白。
とりあえず人目のつかないところへ、トイレに行かなくちゃ。
焦りながらその思いだけで脚を動かしていた。
瞬間、コンクリートが眼前に迫ってきて思わず両手をつく。
「だ、大丈夫?」
「すっ、すいません!」
どうやら日焼けするため寝そべっていた人の足に躓いて転んでしまったようだ。
慌てて体勢を立て直そうとするも、転んだ拍子にこぼれたバッグの中身がそこかしこに散乱している。
軽く血の気が引いた。
岳人の大きめなリュックを片腕で抱きしめながら、すぐさま中身を拾おうとすると、
「――おい!マコ!」
あ、と思って顔をあげると、数メートル先に息を切らせた岳人の姿。
やばい、私かっこわるい。
顏が見れなくて、つい俯いてしまう。
「ってうわ、何してんだ?しょうがねーなあ」
「ダイブは?」
「……時間かかりそうだったからやめた」
「そうなの?別に並んでて良かったのに」
「いや……何かお前の様子、変だったから」
「え、」
「何かあったか?」
ずいっと顔を覗き込むように尋ねられて、思わず腰が引ける。
黒い瞳は不安気な色を宿していて、その瞳に映る自分は泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫」
「本当かよ?」
「うん。岳人が来てくれたからもう平気」
どうにか笑ってそう言うと、岳人も「そっか」と少しホッとしたように笑ってくれる。
きっと心配になって戻ってきてくれたんだ。
岳人の想いに触れて、冷や水を浴びた心に温かさが戻ってくる。
二人で散らばった荷物を拾いはじめると、ほら、これもだろって差し出されたものは、あの忌々しいストライプのポーチ。
「!あ、……ありがと」
本当はこんなのゴミ箱に捨ててしまいたい。
ぱっとひったくるように受け取ると、すぐさまバッグに押し込む。
恥ずかしくてしょうがなくて、勝手に顔が熱くなっていく。
そんな挙動不審な私の様子を訝しみながらも、岳人は優しく声を掛けてくれる。
「もう拾いきったか?」
「うんだいじょぶ、だと思う。ありがと。私ちょっと……あ、これ岳人のリュック。返す」
「ああ、トイレ?」
「うんちょっと……行っ」
「――お前、足!」
遮られた言葉のままに見ると、さっき転んだ時に擦りむいてしまったんだろう。右膝が赤黒く滲んでいた。
踏んだり蹴ったりとはまさしくこのことか。
終始かっこ悪い自分が情けなくて、また泣きそうになる。
けど、そんな顔をしたらまた岳人に心配をかけてしまう。
頑張って口角を上げて、何でもない風を装うしかない。
「ヘーキヘーキ!別に痛くないし」
「良くねえって!おい、ちょっとこっち来てみそ」
ちょいちょいと段差の縁に手招きする岳人に、大丈夫だと主張しながらも腰かけると、岳人はしゃがんだままリュックの中にあるポーチから絆創膏を取り出した。
「応急処置が必要な時のために常備してんだ」
「へえ~……ちょっと意外」
「マメが潰れた時って超イテェからさ」
「なるほど」
マメが潰れるほどラケットを握ってきてるんだ。
あの華やかなプレイスタイルの裏に絶え間ない努力があることを想像して、感心してしまう。
岳人の、テニスプレイヤーとしての一面を見た気がした。
そんな彼は慣れた様子でコットンに消毒液を含ませて、私の膝にあてがう。
「消毒するから我慢しろよ」
「……イタッ、イタタッ」
「ヘッ、沁みるだろ」
目を閉じて痛みに耐える。
ピリピリして痛い。
だけど、消毒液よりも岳人の優しさが沁みる。
岳人が来てくれて良かった。
もしかしたら今頃一人でトイレの個室に閉じこもって泣いていたかもしれない。
岳人がいてくれなかったら――
想いが溢れてとまらない。
我慢してたのに鼻の奥がツンとしてきて、つう、と目の端から涙が伝っていく。
一度零れてしまったら、堪えるのは難しかった。
「は!?え?ンなに痛いか!?」
「うぅ……」
目を開けると、岳人はコットンを手に狼狽していた。
とめどなく流れ落ちてくる涙を両手で拭うけど、ほとんど意味をなさない。
「しみる……」
「な、泣くなよ……ガキじゃねぇんだから我慢しろって。もう終わるから!な!」
鼻を啜りながら、こくんと頷く。
岳人は当然、私が言った“しみる”の意味を分かってないだろう。
まるで子供をあやすような扱いに、少し恥ずかしくなった。
やがて絆創膏をぺたりと貼って処置を終えてもらったところで、隣に腰かけた岳人がなぁ、と覗き込んできて。
「向こうにすげー面白そうなアイス屋があったんだけどよ、あとで行ってみねぇ?」
「……アイス?」
「なんか全国にある珍しいソフトクリームが色々食べ比べできるっぽい」
「……へぇ、楽しそうだね。行きたい」
「だろ?」
ニッと笑って、やや乱暴に手の甲で涙を拭ってくれる。
突然の行動に一気に心臓が跳ねて、涙が一瞬で引っ込んだ。
「っつーわけでこの後は食い倒れしようぜ!泣いてる暇なんかねーんだよ今日は」
「……!うんっ」
ファンキーな笑顔を眼前にして、すでに心拍数は限界値ギリギリだ。
少し落ち着いてきたのが伝わったのか、岳人は安心したようにすくっと立ちあがって。
「大分の唐揚げの店もあった!食おうぜ!つーかぜってぇ食う!」
「ラジャ。じゃあちょっくらトイレ行ってくる。すぐ戻るから!」
「おー。ってオイ!転ぶなよ!?」
はーい、って笑って返しながら、今日3度目くらいにしみじみと思う。
岳人が好きだと。
すっかり涙は引いて、気分はあっという間に急上昇。
帰り際、勇気をだして告白してみようかな。
そんな決意を固めながら、私は鮮やかな群れの間をすり抜けていった。
一方、小走りで去っていく彼女の背中を眺めつつ、足元を見遣った岳人は何かに気付く。
「あっ……!あのアホ……」
足元の先には、置き忘れられたビニールバッグ。
中からはちらりと、あのストライプのポーチが覗いていた。
2023.3.13
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