NEVER ENDING STORY
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『ゲームセット! ウォンバイ神尾 7-6!』
二学年のプレイヤーを相手に二度の敗退。
その事実はきっと彼の中で消えることはなく、そしてその悔しさは彼を奮起させるバネとなり糧となった。
あの日、観客のざわめきと歓声の中、強くフェンスを握る掌が汗ばんだ感覚をよく覚えている。
あの日から、彼の物語は始まったのだ。
:::NEVER ENDING STORY
千石は確かにああ見えて努力家だ。
皆の前ではヘラヘラしててもその裏、誰も知らないところで努力を重ねている。
前に一度だけ委員会で遅くなった時に、誰もいないはずの体育館裏から聞こえる不審な音を不思議に思って音を頼りに歩いていくと、その先にあった光景に驚いたものだ。
どれくらい続けていたのか分からない。
ボールを追う強い眼差し、汗を散らせて、ひたすら必死に壁打ちを行うオレンジ髪の彼。
その頃、私はクラスメイトとなったばかりの千石にいい印象を抱いてなかった。
女の子好きで他校でナンパしまくりという噂を以前から耳にしていたし、所謂「タラシ」な奴だって。
だけどそれは千石清純という人間を語るただほんの一つの情報に過ぎなかったんだということを、この時初めて知ったんだ。
「マコちゃーん!どう、乗ってかない?」
校門を出てすぐの通学路を歩いていると、後ろからチリンチリーン。ベルの音。
私の横について顔を覗き込む仕草。揺れるオレンジの髪。
「ね!アイスおごるし」
…相変わらず悩みなんてありません、って顔しちゃって。
足を止めたのは、もちろん肯定の意で。
「じゃ駅前のサーティワンね!」
「え!あそこ高いんだけどなあ…」
「冗談。コンビニでいいよ」
「いや、でも食べてみたいフレーバーあったの思い出した。行こっか」
オッケーと鞄をカゴに放って千石の肩に置いた手で身体を支えて、走り出す風景。
生温い風が汗ばんだ額や身体に気持ちいい。
9月の残暑にはかない命で精一杯存在を主張する、ところどころから聞こえる過ぎたはずの風物詩。
始業式のため、これでもかと照り付ける太陽の日差しが厳しい真昼間での下校時間。
「なにこの猛暑…今日何度だって?」
「天気予報じゃ日中37、8はいくって言ってたよ」
「ゲーッ!じゃまさに今かー、どうりで陽炎も見えるわけだ」
「あ、ホント。見えるね」
続く道の向こう、ゆらゆらと立ち上り揺らめく陽炎にうんざりしながら、私たちは他愛も無い話を続ける。
「陽炎が起こる原因ってさ、空気の揺らぎなんだっけ」
「あ、なんか理科のじーさんがこの前言ってたね。温度差がなんたらかんたら」
「そうそう」
「全然聞いてなかったし俺」
「うん‥私も。あの人ムダに話長いよね‥」
「あはは、そーそー」
ケラケラ笑う千石につられて私も笑う。
そういえばとこの感覚を久しく忘れていた気がして、なんだか懐かしく思う。
視線を少し下げれば風でなびくオレンジ色の髪の毛。
見た目以上にけっこうがっしりした肩に、大きな背中。
ペダルを漕ぐ長い脚、この使い込んでる自転車のチェーンが時々擦れる耳障りな音も。
ただ数ヶ月前とは違う、思いを裏に隠してヘラヘラいつも通り振る舞う千石の弱さも
やっぱり全部いとおしくて仕方ないもの。
この身体はあれからどれだけの汗を流し、どれだけボールを追ってはラケットを振り抜き、塩を舐め戦い抜いてきたんだろう。
私は千石のもろいところを知っているから、こうして笑ってあげる。
それが彼の救いになるということを知ってるから。
「いやあ丁度よかったー今日のラッキーフードはパインなんだよね」
「ふーーーん」
「うわ、なにその呆れたような言い方」
私はオレンジヨーグルト、千石はパインのなんたらのフレーバーをそれぞれの手に持って。
他愛もない話をしながら盛況するお店を出て、近くにあるまだ真新しい小さなビルに目をつけた。
打ちっぱなしのコンクリートでデザインされた、この季節にはまだ涼しげな外観のその建物は、他の建造物に挟まれるようにひっそりと立っていた。
人気の無い小さな会社、はたまた何かは知らない。
奥へと続いて行く階段の先にきっと答えがあるんだろうけど、わざわざ確かめる気もない。
なにより早くしないとアイスが溶けてしまう。
少し奥の段差に先に腰掛けて、僅かに溶けかかるアイスを舐め取りながら声を投げる。
「ここの人に見つかったら怒られるかもね」
「まあ、そしたらそれはそれだね」
既にアイスを舐め取りながらそう言って笑う千石も、隣に腰を下ろした。
少し窮屈で、お互いの片腕とがぶつかってしまうけど、それでもどちらとも何も言わなかった。
しばしぼうっとアイスを味わいながら、目の前を流れる町の喧騒を眺めるだけ。
「マコちゃんの食べ方ってエロいねー」
「は?」
「いや女の子がアイス食べてるとさーこう、そそるんだよね」
また突拍子もないことをこの男は…
鼻の下伸ばしながら見てくるもんだから、速攻思いっきり脇腹を肘でキメてやると、ぐへってうめいて苦悶する。
変わらない、相変わらずのやりとり。
「変態」
「…、ちょ、本気だったっしょ今の」
「自業自得‥ってあ、溶けそうだよ」
目で示せばフレーバーの溶けた滴がコーンを伝い、今にもその手にまで伝い落ちそうだった。
千石がその前に舌でキャッチしたけど、そのさまの方がエロいじゃないかと密かに思ってしまった。
私も変態なんだろうか。
ちょっと自嘲しそうになりながらも、そんな思いをごまかすように、同じようにすぐ溶けかかってしまうアイスを舐め取る。
くっついたままの腕と腕も少し暑くてべとつくけど、不思議と心地よくもあって正直このままがいい。
「手つないでいい?」
「いやですー」
「えー」
「女の子だったら誰でもいいわけ?」
「うーん。マコちゃんはトクベツ」
「へえ、そう」
「うーん、信じてもらえないかあ」
この微妙な関係を打破する言葉を、彼はいつも軽口の振りしてごまかす。
また苦笑いを浮かべる千石からはやっぱり本気を読み取れなくて、だから今日は気まぐれにちょっとつっこんでみることにした。
「じゃ聞くけど、どこがどうトクベツなの?」
「…全国さ。君にお疲れって笑って肩叩いてもらえて嬉しかったんだ」
「…答えになってないって」
「あの時一番俺、マコちゃんの声が聞きたかったの」
「……‥へえ」
「そしたら、来てくれた」
そう言ってあの時のように優しい目をして笑う千石に、私は次の言葉を見出せなくなってしまう。
もしかしたら流されると思ってたけど、今日は様子が違ったみたい。
――今日のように暑い、あの夏の日がフラッシュバックする。
『ウォンバイ 名古屋星徳!――!』
審判の声が場内を制した時、あの日と同じように時間が止まったような感覚に陥った。
客席から乗り出して見た、緑のコートの上で整列した時のみんなの、千石の表情は清々しく、どこか満足そうで僅かに、でも確かに笑っていた。
山吹の夏は終わった。
どこか信じがたかったけれど、それは紛れも無い事実として深く私の心に浸透していった。
練習、大会、それが終わったら時期部長決め、毎年こうしたサイクルを繰り返しているのだから確かに山吹の夏はこれからも続いていくのだけれど、 「今年の」夏は終わってしまった。
あのメンバーで一丸となって、千石がいるテニス部は、夏は終わってしまったのだ。
バスが出て行く時間を見計らって会場の外に出ると、予定通り彼らに会えた。
まだ現実を受け止めきれずにいる私の目に映ったものは、やっぱりみんなの笑顔で。
メソメソやってたらしい室町くんをからかってる千石の周りをみんな囲うようにして笑ってる。
悲壮感だとかそういうものとは無縁の空間に私も知らず笑顔になって、『お疲れさま』って肩を叩けた。
うん、って優しく笑う千石の表情が悔いはないよって言ってるみたいで。
そう、だから私が静かに現実を受け入れながらも笑っていられたのは、みんなの、千石のおかげだと言える。
ジー…と蝉の鳴き声に現実に返る。
アイスを舌で掬う千石の横顔に、私は開けずにいた口を開いた。
「…私さ、」
ぽつり零した途端、ん?っとアーモンド型の目が私をじっと見る。
「千石はきっと高校で全国制覇するって信じる」
「…」
「しなかったら…そう!一生忘れられないような恥ずかしい芸でもさせてやるんだから」
こんな言葉しかかけられない、相変わらず不器用な自分に我ながら笑える。
途端やっぱりぶっと噴出したもんだから、それでも笑いごっちゃないってまた肘で脇腹を小突いてやったのだけど。
「イタッ、あは、ははは…な、なんだよそれ!」
「あからさまな女装で街を徘徊…駅前で一人どじょうすくい…そしてそのさまを南くんたちと観察…」
「ウゲッ!コ、コエー‥それはさすがに勘弁、…」
だったら尚更負けらんないなーって、恐ろしくも恥ずかしい自分を想像したのか冷や汗浮かべながら苦笑する彼を横目で見て。
余計気合い入ったっしょって、私はしたり笑い。
「うん。バッチリ入った」
そう相槌するやいなや、スカートの上に投げ出している私の手の甲に熱いものが重なる。
視線を遣る間もなくぎゅっと、思っていたよりも大きくゴツゴツした男の子の手に包まれて、思わず千石を見るとやつは嬉しそうに笑っていて。
「ちょ、せんごく、」
「暑いのにメンゴな」
「…いいよ、別に」
つい気恥ずかしくなって、ちょっと目を逸らしながら言ってやる。
けど「俺さ」、と続けたその声色がやけに真剣で、また視線を重ねた。
「次は絶対優勝してみせるよ。応援してくれるマコちゃんのためにもね」
「…」
「だから、また側で見ててくれよ」
もう負けないから。
そんなふうに、真剣な色を滲ませてまた優しい目をして笑う。
重ねられた手がじんわりと熱い。
この時私は情けないことに、心底ドキドキして、思わずアイスを落としそうになった。
あの鮮やかな緑色のユニフォームで、歓声の中汗を流しボールを追う彼はもう見れないけれど。
また年が巡れば、新しいユニフォームに身を包み、ますます己に磨きをかける彼が見れるだろう。
自分の弱さ、負ける悔しさ辛さを知っているから、その上でおくびにも見せようとしないちゃんと努力し続ける前向きな強さを持っているから。
君はまだまだ強くなる。
そして、必ず次の全国の舞台で―――
まったく仕方ないなーって笑うと、サンキュウなって千石もまた一層嬉しそうに笑って。
そんな彼に私はどうも照れくさくて。
そっと離れようとする大きな掌を捕らえ、返事の代わりに指を絡めて少しの力を込めて握ってみた。
驚いたのかおっと動揺する千石に、じゃあ罰ゲームは期待ナシかなっておちゃらけてみる。
素直になりきれない私のエールに、彼は今日二度目の苦笑いを浮かべた。
アブラゼミの鳴き声、生温い風、地を照り付ける太陽、コーンに溶けるアイス、汗ばむ掌。
汗を散らす髪、振り抜き続けたラケット、ライバル、仲間、勝敗、全国大会、テニス
スタートラインに立ったあの日から駆け抜けた今日までの日々は、終わったようでいて、終わることのない夏へと。
「あ、アイス垂れそう!」
「あ!」
「‥あーあ、俺が舐めとってあげようと思ったのになー」
「ばーか」
これからもずっと側で見ているよ、君が栄冠の輝きを手にするその日まで。
2005.9.3
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