LOVELY DAYS
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教室内の飾り付けと展示品の最終チェックを済ませ、顧問のOKをもらったところでようやく肩の荷が降りた感覚がした。
これで後は明日を待つだけ。
部長としての最後の大仕事を終えた感慨や安心感に浸っていて、完全に気が抜けていたんだろう。
帰り際の廊下で、鞄に何か当たったと思った次の瞬間にはバタン!と大きな音をたてて立て掛けてあった何かが床に倒れていた。
同時に、側に屯していた男子生徒数人の「あ!」という叫び声。
……やってしまった。
その正体は中サイズの看板で、どうやら乾かしていた途中だったらしく、一人がうーわ、とか言いながら押し上げると床にべっとりとインクの色彩、 「テニス部」と「やきそば」の文字が現れる。
どうすんだよ、とかマジかよ、とか騒ぐ彼らの声も硬直したっきりの私の耳には入らない。
「オイちょっと、何してんの?」
明らかにガラの悪い奴が私に問い掛け、そこでやっと我に返る。
「これもうダメじゃね?明日本番なのにどーすんだよ」
「…ごめん、なさい」
「ごめんで済むかよ」
まったくその通りですと思いつつ、気まずそうに目を逸らしつつ私はある提案をしてみる。
「あー…あのじゃあ私、作り直すん‥で」
「は?できんの?」
「これでも部長なんで、美術部の」
そう言うと彼らは目を見合わせ、そりゃいいやと笑う。
次々と鞄を手に、じゃー完成したら一階の多目的教室に置いとけよと言い残し去っていった。
「廊下のそれも拭いとけよ」
と、部室から取ってきたらしい雑巾まで投げて寄越して。
上履きの色でさっき分かったけど、あいつら二年じゃんか。
大体テニス部って教育なってないんだよクソ、とかぶつくさ呟きながらも廊下の汚れを拭き取り、それからすぐに美術室へと必要な材料を取りに戻った。
LOVELY DAYS
おそるおそる入ったテニス部の部室は最低に男臭く散らかっていたが、どうにか我慢しつつ作業を開始した。
自業自得だとここ数日の作業準備に疲れた身体に鞭打ち、新しく持ってきたベニア板にざっと下書きを済ませる。
幸いまだ時刻は午後に入ったばかりだし、じっくりやろう。
パレットに数種絵の具を絞りだし、それから黙々と下書きに沿って塗りたくる。
引き受けた以上は間に合わせ的な、適当なものを作る気なんてさらさらない。
仮にも美術部部長の看板を背負っている身としてそれは絶対だった。
それに今度こそきっと、これが部内のことではないにしろ、美術部員の私にとって中学生活最後の大仕事になるんだろう。
そう思うと筆を動かす指の流れ一つ一つにも力が入る。
疲れや時間、雑念なんかも全てを忘れ、ただ目の前の作品作りに没頭していく。
そして半分ほど進んだところで、ちょっと小休憩をしようと伸びをする。
床に直座りなため足は痺れるし、下を向く体勢のせいで首も痛い。
首を回しながらぼんやりしていたところで、唐突にガラッと扉の開く音が背中でして。
驚いて振り向くと、そこには同じく驚いた幼なじみの顔があった。
「…ッハ!?なんでお前‥!?」
「…ビックリした…も、脅かさないでよ‥」
「え、何よ、何してんのお前うちの部室で?高田たちは?」
心臓押さえて抗議する私の声なんか耳に入ってないんだろう、ミチルはこの光景に当然の疑問を口にする。
「後輩くんら?それなら帰ったけど」
「帰った‥?ってなんでお前が」
「いやあのね、見ての通り看板作り直してんの。ほら、コレ見て」
側に立てかけておいた、後輩くんら手作りの看板を指差して見せる。
背景、文字の部分なんかは色も混じってしまって特に悲惨だ。
「私が不注意で倒しちゃってこんなんになっちゃったから、作り直すって言ったの」
ミチルは驚きつつも眉間を寄せて、そうなのか‥と理解したように呟く。
そーいうこと、と背中を向け、作業を再開しようと再び筆を取ると
「で、お前一人でやってたわけ?」
「そう。まあ本業が片付いた後だったからまだ良かったけど」
「…あいつらマジで帰ったのか?」
「うん、帰ったはず。これ終わったら一階運んどけだってさ。一応先輩だって気付いてんだか知らないけどさ、マジあんたんとこ目上に対する教育なってなさすぎ」
そう筆を動かしながら笑ってみるけど、振り向き見上げた先の表情は笑ってなかった。
笑ってないどころかむしろ、ますます眉間に皺寄せちゃって不機嫌顔だ。
私の笑い声はすぐに消え、ついでに筆も止まってしまう。
「だからなんでお前はそーなんだよ!っあ~、バッカジャナイノ!?」
「は?ミチルに言われたくないよ‥(外人なまりだし)だからこうやって責任取ってるじゃん」
「そういうことじゃなくてだな…おま、年下にナメられてんじゃねーよ‥」
「人のこと言えるわけ?アンタだって前どっかの一年に試合ぜんぱ‥」
「だー!それを言うな!」
じゃ自分のこと棚上げしないでよって言い返そうと息を吸い込んだところで、貸せ!と筆をひったくられる。
「!?あ!ちょっと、」
「お前一人に任せておけるかあ!」
と、隣に腰を落とすミチル。
その言動に、はたと取り返そうと動いた手が行き場をなくして止まってしまう。
「大体は形になってるけど、何?ここ塗っていいの?」
だるそうな声と裏腹に、看板へと落とす視線は真面目なもので。
「…手伝ってくれんの?」
「…まあ、一応ここの元部長だし、幼なじみっていうよしみもあるわけだし‥だな…」
「可愛い幼なじみが困っててほっとけないって?」
「バッ‥!調子のんな!可愛くねえし‥」
「あ、言ったね?ブサイク」
「んだとコラァ!」
「あはは」
なんだかんだで優しいんだよなあ。
さっきの不機嫌の原因も、思い上がりじゃなければきっとそういうことなんだろう。
ミチルの幼なじみで良かったと、こういう時は都合良くも神様に感謝したくなる。
黒髪から覗く赤い耳先に、嬉しくなってしまう。
*
「ちょっそこは違う、オレンジ!」
「は?オレンジじゃねーか」
「もっと柔かいオレンジを想像してんの。そのまんまじゃ派手すぎるからこれちょっと混ぜてから塗って」
「…へーへー」
「でも完成近いよ!あとちょっと」
大分鮮やかな色に染まってきた看板に、満足気な笑みを浮かべる。
頭のなかで構想していたイメージに沿ういい出来栄えになりそうだ。
チラッと見た腕時計の針は、午後4時30分を指そうとしていた。
ミチルのおかげで予想していたよりも早く終わりそうだ。
「そういえば、部室になんか用でもあったの?」
今更ながらふと思った疑問を、黙々といつになく真剣な横顔に投げてみる。
と、筆の動きを止めてから一瞬私を見て
「別に、たまたま帰り際近く通ったからちょっかいだしに来たんだよ」
「…フーン。やっぱ後輩くんたちのこと気になるんだ」
「……、」
ニヤつく私をまた一瞥して、何言ってんだあ?って気持ち悪そうに言う。
ちょっかいだしに、って言い方がミチルらしいと思った。
ほら、しかめっ面しながらも筆の動きはぎこちなく、また耳の赤さ隠し切れてない。
べっつにーって笑いだしたくなる衝動を抑えて、にんまり笑顔で切り返す。
なんだよ‥と言いたげな視線を感じながらも、筆を流しながら私は口角が上がるのを押さえられなかった。
*
「うん、こんなモンかな」
「よし、終わった‥んだな…!」
窓から入るオレンジの明かりが、看板に映る影を濃くしはじめた頃。
立ち上がって眺めた私のオッケーサインに、ミチルの疲労を含んだ声が上がった。
「お疲れ。ある程度乾くまでゆっくりしよ」
「‥ってあイッテー!あ、足が…足が痺れ‥」
「近くでジュースでも買ってくる?」
「い、いや‥ちょっと待て、ああ足が‥!」
「バーカ。治まるまでゆっくりしてなよ、お礼に奢るから待ってて」
と、私が鞄の中からサイフを取り出そうとしたところで、ガラッ!と扉が勢い良く開いたと同時。
「おい、まだ終わってねーのか‥---っておお、福士さん!」
現われたのは私にご丁寧に雑巾を投げて寄越した二年だった。
「!高田…」
「何してんすか?俺忘れモンしちゃって…あれ、CD知りません?」
「‥あ、もしかしてコレ?」
床に落ちていて踏んでしまいそうになったために、棚に乗せたCDを持って見せる。
「あーそれそれ!よかったー姉貴のパクってきたんで無くすと大変で~」
…なんだ、まあそんなとこだろうと思ってはいたけど。
内心ちょっとガックリきつつも、まあ仕方ないかと思い直す。
そして高田くんとやらはミチルと私を交互に見比べ、引きつったような笑顔でこともあろうにこう言った。
「あ、あれ、二人ってもしかして付き合って‥」
「だー!ただの幼なじみってヤツだよ誤解すんな!」
そう一気にまくしたてるミチルに次いで、そうそうと誤解のないよう念を押しておく。
だけど、そんな全力否定のミチルに対して胃のあたりがムカムカするのはどうしてだろう。
間違ったこと言ってないのに、よくわからない。
そんな自分自身が不可解だけどその答えはまだ知らなくてもいいと、深くは考えないことにした。
「まあいいや。じゃ俺、帰りますんで。あ、看板すげー出来栄えっすね、さすが。じゃお疲れっす」
「…」
「…」
そうそそくさと部室を後にして扉が閉まるさまを、茫然と眺める。
そして我に返ったように、「‥あ、ジュース買ってくるから」とサイフを片手に今度こそ扉の取っ手に手を掛けた。
けど、またしてもそれは阻まれた。
今度はミチルによって。
「マコ、い‥いーからお前休んでなって」
「え、」
「サイフ貸して。俺が行ってくる」
と、またしても呆気に取られる私の手からサイフを奪うようにして、開いた扉が閉まる。
足痺れてフラフラしてたくせに…何考えてんだろう。
立ち尽くしたまま、半分ほど扉を開けオレンジ色に染まる廊下の先を覗く。
本番を前日に控え、随分慌ただしさも落ち着いた校舎は生徒の気配もなく大分静まり返っている。
と、既に姿は見えないものの聞こえてくる話し声。
方向からいって、きっと二階へ降りる階段からだろう。
ゆっくり静かに歩を進めると聞こえてきたものは、やっぱりミチルとさっきの高田くんの会話だった。
とりあえず、バレないよう壁に背中を張りつけ耳を澄ませる。
盗み聞きはタチが悪いけど、どうしても気になる。
「あーイテッ、おまえ、全員帰したんだってなあ」
「え、あー、だってあの人がやってくれるって言ったんで…マズかったっすかね?」
「…-ったりめーだコラァ!」
一際大きな声に、かっこ悪いながらもちょっとビビってしまう。
「ったくあいつもバカだけど、一番のバカはお前らだぜ…」
「(…福士さんには言われたくないセリフだな)」
「一人でやらせて一人で帰す気だったんだろ?」
「え、でも元はといえばあの人が‥」
「そういうとこがバカだっつんだよ、こンの痴れ者があ!」
痴れ者って…
そう内心つっこむ余裕はあるけど、正直ミチルのそんな気持ちが嬉しくて、ただ固まるしかできない。
「っていうかそんな怒るって、やっぱ福士さんてあの人のこと‥」
「!?ぐっ、違うっつってんだろ!話逸らすな!」
「いや福士さんて嘘ヘタっすよねー、超バレバレ」
「!!?ってめ‥」
「いや誰にも言いませんて」
後輩にまでからかわれ、先輩としての威厳ってものは二人とも持ち合わせてないようだ。
私は何だかこれ以上は聞いてはいけないような気がして、静かに部室に戻った。
聞いてはいけないような気がして、というよりも、どうにも居たたまれなくてそれ以上聞けなかった。
困惑する。さっきミチルが言ったようにただの幼なじみ…なはずなんだ、私たちは。
けれど、この動悸。熱い顔。
ミチルの不器用な優しさに、戸惑う。
できるだけ何も考えないように道具を片付け終わったところで、缶ジュース両手にミチルが戻ってきた。
気持ちぎこちない態度に、こっちまで意識してはダメだからと何も聞いてないかのように自然と振る舞う。
「あ、片付けたの?」
「うん」
「お、終わったんなら暗くなるからさっさと帰れってさっき用務員に言われたぜ」
「あ、そう。じゃ大分看板も乾いたし持ってこう」
「そうだな。はいコレ」
と、投げて寄越してきた私のサイフを両手が慌ててキャッチする。
「あとコレも持ってて」
と、次いで缶ジュースを二つ差し出される。
サイフを閉まってから渡されるがまま受け取ると、ミチルは仰向けの看板を持ち上げはじめた。
「持ってくれるの?」
「…おま、決まり切ったこと聞くんじゃねえよ‥」
少し目を逸らすのは、照れてる時の癖。
「ありがとー…でも不安」
「は?」
「今度はミチルが不注意で壊さないか」
「ハハ、お前じゃねーんだからんなことするかよ」
「そういうこと言っておきながらするのがミチルなんですー」
「…」
ありがたいという気持ちはありつつも、多目的教室への道程はまさにヒヤヒヤものだった。
階段を降りれば足を踏み外すんじゃないか、ちょっとした段差にも躓くんじゃないかと、まさに気が抜けない状態で私は先頭を切り、注意を促した。
そして無事に看板を目的の場所へ置いた時、ようやく安堵の息を吐きだした。
「今度こそやっと終わった…」
「ホラ見ろ!無事に何事もなく完遂したじゃねーか!」
「いや、私が注意力を最大限に研ぎ澄ましたからこそだよ。私がいなかったら90%くらいヤバかったね」
「ってオイ、そんなに俺は信用ならねえのかよ…」
「はは、ごめん否定はできない」
ガックリと肩を落とすミチルに笑いながら、はい、と目の前に缶ジュースを差し出す。
「でもミチルがいてくれてホント助かったよ、ありがと」
そんな私の感謝に、パチッと目を見開いたかと思えば、ちょっと下にさ迷わせて「ま、まあな…」なんて缶ジュースをぎこちなく手に取る。
蛍光灯の明るい光のせいで、また耳がみるみる赤くなっていくのがよく分かって、照れてるーなんてからかいながら私はまた笑った。
*
レモンティーの温かさを味わいながら校舎をでると、空の色はいつのまにか薄いグレーに覆われていた。
この夜がくる一歩手前の風景を、入部したての頃に描いたことがあったっけなあと思い出したりしながら、ぼんやりと眺める。
校門を出たところで隣のミチルがなあ、と切り出したから、私はなに?と続きを促す。
と、ここで予想外の出来事。
差し出してきたその手には、何やら派手な二枚のチケット。
よく見てみると「テニス部 焼きそば無料券」と派手なフォントで書いてある。
「さっき、高田にもらったんだよ」
「あ、これってタダ券じゃん!」
「そう。で、その‥だなあ」
「うん」
「……、」
「……」
ミチルはどこか落ち着かなそうにしながらもじっと私を見て、黙っている。
言葉の続きを言おうとしながらも堪えているようにみえて、その様子に私はある期待をしてしまう。
「…に、二枚あるから誰か誘いたいやつと一緒に行けば?」
まあ、そこはミチルだ。
乾いた笑いを洩らしそうになりながら、じゃあ有り難くって受け取った。
「あ、ああ‥何、お前誰か誘う予定の奴とかいるの?」
「うん、いる。男の子」
「!!」
立ち止まったかと思えば大口あけちゃって、明らかにショック受けてる面白顔に私は吹き出してしまう。
ミチルが煮え切らない態度取るからちょっとからかってみたのに、本当オーバーリアクションが得意な奴だなあ。
「そ、そうなの…か」
「かっこよくないしアホだどね、いい奴だよ」
「……へー…」
途端に遠い目をして、ふらりふらりと覚束ない足取りで歩きだすミチルに、私は咄嗟に声を投げる。
「あ、ちょっと!」
「うるせえ!惚気話は他でやってくれ‥」
「…ちょっとでも自分のことかも、とかって思わないんだねーミチルって」
ピタ、と歩みを止める背中に私は近づいて行って。
は‥?と振り向いたいまいち意味が呑み込めてなさそうな顔に、今度は私から一枚チケットを差し出す。
「はい」
「…はいって、おま」
「明日は一緒に回ろ、寂しい者同士さ」
ポカンとする顔が、街灯の下ということもあってかみるみる赤くなっていくのが分かって。
押し付けるようにチケットを掌に握らせて、またからかってみる。
「楽しみだね、デート」
「!?デッ!デートっておまっ」
「ブフッ」
案の定思いっきり動揺して缶ジュース落としそうになるミチルにまた吹き出せば、ちょっとムッとしながらも、なんだよ‥なんて困惑顔。
そんなヤツを笑っていたかったのに、…不・覚。
反応を見ようとからかったはずなのに、私も顔が熱いことに気付いてしまって。
「バーカ!さ、帰るよ」
「!?お、おいっ、待てって」
バレるのが嫌で早歩きで背を向ける私の後を、慌てた声が追い掛けてくる。
そっと頬を緩ませながら、明日は何か特別な日になる気がする。
薄暗い空に光る一番星を見上げて、そんな予感が胸を過った。
2005.10.16
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