心象花
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リビングのこたつで丸くなっていた私の背中で、コンコン!とガラスを叩く音。
ぼんやり食べていたおせんべいを落としそうになるくらいビックリして咄嗟に振り返った先には、見知った幼なじみの笑顔があった。
薄く白いレースのカーテンと、ガラスを挟んだ向こう側で爛々と目を輝かせているジローに、私は彼が来た目的を瞬間的に悟る。
テレビで流れる大雪警報にうんざりして、今日は外に出るまいと心に決めてたのに。
けど、私の死んだ魚のようにうつろな目に映るのは、きらきら雪のついた手袋をガラスにぺったりくっつけて、「なあなあ!雪だよ雪!遊ぼうよー」なんて言ってる上機嫌なジロー。
私はこたつから出ることはせずに、身体を反転し脚だけは入れた形で上半身を伸ばし、カーテンと窓の鍵をどうにか開ける。
すると、瞬く間に室内の暖気を奪うような寒波が流れ込んできて、私はすぐさまこたつに這い戻る。
「またこたつで過ごすつもりなの?ねー遊ぼうよー、こんな大雪めずらしーじゃん」
「なんでそんな元気なの…」
「マコこそなんでそんな年寄りみたいなこと言ってんの~。ほら雪合戦でもしようよー」
こたつの布団を頭からかぶった私に、雪が降るといつもよりもテンションがハイになるジロー。
そんなジローの誘いを、こうして渋りながらも私はいつも断れない。
結局最終的には、その太陽みたいに眩しい笑顔と強引さに完敗してしまうんだ。
ジローもそれを解ってる上で誘いに来るから、どうにも悔しいんだけど。
だけど彼に甘くなってしまうのは私だけじゃない。
同じクラスの宍戸くんに聞いた話、何だか信じられないけどあの跡部くんもジローにはどうにも甘いらしいし。
この憎めないキャラクターは罪だよなあ…なんて頭の隅で思う私に、「ほら、早くコート着て!」なんて急かす。
「…はい、はいです分かったから、今から着‥」
「おう!じゃそこで待ってる!」
確信犯はとびっきりの笑顔を残して、ガラスを閉めた途端元気よく走って行ってしまった。
ザクザク、とテンポの早い雪を踏む音を聞きつつ、「…ずるいよなあ」なんてぽつり、一人ごちて苦笑して。
私は名残惜しくも後ろ髪引かれる思いでこたつから這い出て、コートを手に取った。
………………………
「ちょ、ギャー!」
「へっへー、油断してるのが悪いんだよ?」
「ちょ待って、冷たい、ブーツに入った!」
「あははは」
「あははじゃないって!ちょっと肩貸して」
しっかりと凝固した白雪が降る外にいざ出ると、渋ってたのを忘れるほどにはしゃいでしまう。
面倒くさいって思いもいつの間にかどっかに飛んでいってしまった。
小さい子供みたいにはしゃぎ回るこんな時間が愛しくて楽しくてしかたなくて、こういうとき結局、私もまだまだ子供なんだなって実感する。
ジローの肩を借りて脱いだ片足のブーツを逆さにすると、ポトッと小さい雪の塊が踏みつけられた固い雪の絨毯に落ちた。
「あはは、マジごめんな~」
「…ま、これくらい別にいーけどさ」
近くにあるジローの笑顔は、どうしてかさっきまで一緒にはしゃぎ回っていた笑顔と違って大人びて見えて、ブーツを履きなおしながら私はふと尋ねてみた。
「今日は彼女と遊ばなくて良かったの?」
「んー、家族旅行だって」
そっかと返事をしながら、私はブーツのチャックを引き上げる。
もう半年ほど前だろうか、登校したらクラスの女子が「芥川くんに彼女ができたらしい」と騒いでいて驚いた。
ジローに関しては今までそんな色気づいた噂を聞かなかったから、どうしても信じられなかったのだけど。
その後日、下校途中に仲良く手を繋いだ二人を見かけてやっと現実だと知ることができた。
戸惑いを隠して声を掛けると、紹介された女の子のパッと明るい笑顔が返ってきて。
可愛くとても感じのいい子で、笑うとまだ幼い顔立ちが際立って印象的だ。
これがジローの選んだ子なんだと、彼女に優しい眼差しを向けるジローが初めて「男の子」に見えてきて、その時、何だか妙に感慨深かった。
二人並ぶと似た者同士に見えて、すごくお似合いだと強く思った。
何だか太陽と向日葵みたいで。
「ありがと」
貸してくれていた肩にお礼を言って、「かまくらとか作ってみたくない?」って聞けば、「いーなそれ!うん、作ろう!」ってノッてくる。
この路地では作る場所もないから、私たちは昔よく遊び場に使っていた近くの「秘密基地」へと移動した。
秘密基地があるのは駐車場で、タイヤの跡と点々とあるいくつかの深い足跡が少しの人気を匂わせていた。
ここに来るのは本当に久しぶりだ。向かうのは、昔からずっと使われていない奥のいくつかのスペース。
秘密基地と名づけた場所だけあって、その場所一帯は雪のクッションが一面に広がっていた。
雪かき用のスコップを投げ出して、一目散に飛び込んだジローに私も続く。
服が濡れることも忘れるままにふかふかのクッションに受け止められて、幼い子供みたいに声をあげて笑う。
「すげー!ここで寝れそー!」
「あはは!凍死するって!」
寒さに慣れてしまったのか、縮こまってしまうほどの冷たさは感じなかった。
またブーツの中に雪が入り込んでしまった気がするけど、もうこの際気にしてられない。
ジローに軽く雪をかけられて、こっちもやり返すとまた楽しそうに笑う。
「なあ、かまくらってまずでっかい山作って掘ればいーんでしょ?」
「うん、多分そう。やろうよ」
「おっし、やるぞー!」
ジローは声高らかに気合いを入れて、私もスコップを手にせっせと山を作り始める。
それからようやく120センチほどの高さになったとき、私はすっかりへとへとになってしまってへたり込むと、「疲れた?」とまだピンピンしている様子のジローに気遣われて、体力の差を思い知らされた。
「ごめ、ちょっと休憩…」
「うん、いーよー」
どさっと私の隣に腰を下ろしたジローに、ふと思い出話をしたくなって私は問い掛ける。
「昔さ、この辺にスイカの種埋めたの覚えてる?」
「あ~、そういえばあったねー。結局どっちも育たなくてダメだったけど」
「あと、あそこの家の柿を勝手に取って食べたりとか」
「あーあー、あれバレなくてマジ良かったね~」
「楽しかったなー」
「でも今も俺、充分楽しいCー」
しみじみと思い出を噛み締めるように言うとやっぱりそんな答えが返ってきて、私も両頬を吊り上げる。
「うん、私も」
その頃は、いつもジローにくっついてる女の子は私で、いつも一緒にいて、それが当たり前だったけど。
いつの間にか手は離れて、それぞれに歩き出していた。
ジローの隣は、あの子のポジション。
ジローの大切で、特別な子のための場所。
嫉妬なんかしないけど、何だか淋しくはあった。
あーあ、なんて振り切るように呟いて。
ばふっと寝転ぶと、薄く溶かしたような水色とグレイを混ぜたような空がすっと広がっていて、勢いも衰えた無数の粉雪がはらはら落ちてくる。
それを見ていたジローも、私に倣ってばふっと寝転んだ。
「うわ、ちっとつめてーけど気持ちい~」
「うん、たまには雪もいいかも」
「だよねー!」
それでもこうして成長していくんだ、色んな感情を覚えて、重ねて、一人で立って歩いていくんだ。
当たり前のこと。
そう胸のうちで納得して、鼻先に落ちた雪を手の甲で拭う。
「そーいえばさ、雪でかき氷作ろうとしたこともあったよね」
「あー!そうそう。うちのお母さんに見つかってよしなさい!って捨てられたんだっけね」
思い出したように半身を起こして私を見下ろして言うジローに、笑って言葉を返す。
他にも面白いエピソードがたくさんあったなあ、なんて思い出していると、
「あ。ねー、顔に雪が溶けてるよ」
「え、あ、」
指摘されてはじめて気付いて、慌てて指先で払いのける。
寒さに慣れて感覚は麻痺しているし、会話に集中していると案外気付かないものなのだ。
「そこじゃないよ、ここ」
と、ジローの冷えた指先が頬を拭う。
予想していた以上にゴツゴツとした手は、私が知っている柔らかく温かいものじゃなくて驚いた。
目の前にあるジローの笑顔は、またさっきと同じように少しだけ大人びて見えて。
「ジロー、大人っぽくなったね」
つい口をでた言葉に、ジローは少し目を丸くして、また柔らかく笑った。
「マコもキレーになった」
――あれ、見た覚えがある顔。
彼女を見つめていた、あの優しい眼差し。
重なる、『男の子』の顔。
笑うジローに、内側から顔が熱くなっていくのが分かる。
瞬間、唇にくっつく冷たい感触。
すぐにそれは離れて、私はただただジローを見つめたまま、今何が起こったのか把握しようとするけど、だめだ。
頭が真っ白になるってこういうことを言うのかと思うくらい、一瞬頭が白に埋め尽くされて、呆然と目を見開いたまま。
ジローからは笑みが消えていて、しばしの沈黙のあと私はそっと口を開く。
「……」
「………何で?」
私の疑問に、ジローは眉毛をハの字にさせて、「ん~…わかんない、何でだろ」って困ったように言う。
驚きすぎて、これ以上何を言う気もおきないでいる私に、続けてぽつりと呟いた。
「……ただマコがキレーで‥」
「……え?」
「あ~…‥何言ってんだ俺‥、っごめん」
バツが悪くなったのかそう言って起き上がって、ジローは行ってしまう。
その際に見えた、金色の髪の毛とキャップから覗く耳が赤かったのは、きっと寒さのせい?
早いリズムでザクザクと踏みしめる足音が耳から遠退いていく。
私は全身に打ち響く心臓の音を、ただ空からの粉雪を受け止めながら聞いていた。
混乱した頭の中でただ一つ、ハッキリと鮮明なこと。
ジローが男の子に見えた。
私の知らない、幼い頃の面影を切り離したような一人の男の子がそこにいたんだ。
私は仰向けのまま、そこから動くことができずに。
ただぼんやりと唇をなぞり、しんしんと降り積もるこの静かな世界に身を任せながら、いつも隣にあった幼い太陽みたいな笑顔を思い浮かべる。
あの特別な表情を追いやるように、私は自分がよく知る彼の面影を繋ぎ止める。
そうして必死に見て見ないふりをしていたいのに、男の子だと知ってしまった。今、まざまざと知らされてしまった。
どうしてそんな目で私を見るの。知りたくなかったのに。
耳鳴りがしそうなほどに静かな白銀世界に埋もれながら、胸に吹き荒れる木枯らしに気を静めるかのように、私は目を閉じる。
やたらうるさい心臓の音と、顔に火照る熱と、ギュウッと全身を締め付けるこの気持ちを、白い地中の奥深くに還してしまいたくて。
2006.3.26
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