初恋記念日
名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
「あの…丸井くん」
授業中の教室。
教壇で先生が別冊の世界地図教科書の85ページを開けと指示している。
俺は肩肘ついて欠伸を噛み殺しながら、パラパラとページを捲っていた。そんなところで、隣から遠慮がちな声がかかって。
何?と意味を込めて涙に滲む目を遣ったところで、察しがついた。
「えっと、ゴメン。教科書忘れちゃって…見せてもらってもいい?」
「ああ、いいぜー」
申し訳なさそうな困惑顔がありがとうって笑顔に変わる。
スムーズに机をくっつけながら、また控えめに「ありがとう」って言われる。
「いいって、別に」
「ううん、助かる」
隣の席の磯野とはまだあんまり話したことがないせいか、向こうが妙にぎこちない。
俺は人見知りもあんまりしないし新しい環境に溶け込むのはわりと早いほうだけど、教室内に漂う空気はまだ落ち着いたものじゃなくて。
クラスの奴らの大半が馴染んでないように磯野がぎこちないのもまあ仕方ないか、と思う。
まして彼女は他校からの進学生だから。
あーそんなことよりも腹減ったな…
机と机の境目に置いた教科書をぼんやりと眺めながら、朝にもらったプレゼントの中身に思いを馳せる。
教室に来てからも大量だ。
机のフックに引っ掛けてある紙袋はパンク状態…とまではいかないけど、カラフルなラッピング袋の数々がちらりと覗いてる。
先生の声は右から左へと素通り。授業の内容なんてこれっぽっちも頭に留まらない。
ぺら、と遠慮がちにページを捲る指先。
どうやら次のページを捲れとの指示がでたようだ。
こんなことで遠慮なんかしなくていいのに、と思いながらページを捲ってやる。
あー、眠い。腹減った。
欠伸しながら、早く終わんねえかな…なんて教壇の上の時計に目を遣る。
……あと30分かよ。
「ねえ、」
と、また隣から声がかかる。
俺は空腹と睡魔のダブルパンチでテンション下降中。
「何?」
思ったよりぶっきらぼうな声がでてしまって、ついヤベ、なんて思う。
けどそんな態度を気にする様子もなく、磯野は片手を口に添えてこそこそと喋りだす。
「丸井くんて今日、誕生日なんだよね」
「…ああ、」
一瞬なんで知ってんだろと思ったけど、朝からちらほら祝いの言葉やら何やら貰ってるのに同じクラス、しかも隣の席なんだから知られてるのは当然っちゃ当然か。
「そうだけど」
そう返すと、磯野はニコッと笑って「おめでとう」って祝いの言葉をくれた。
今までこんなふうに用件以外で向こうから話し掛けられることはなかったから、少し意外だった。
そして、俺が言葉を発する前にブレザーのポケットから何かを取り出して見せる。
「はい、プレゼント」
しょぼいけど、と苦笑する磯野の指先に摘まれた、小さな包み紙。
俺はさすがにちょっと驚いて一瞬磯野とその物体を交互に見てから、誘われるままにそれを受け取る。
「おー‥、ありがと」
指先の正体は、緑色の包装紙に包まれたキャンディー。
グリーンアップルとアルファベットで書いてある。
空腹だったこともあって、かなりちょうどいいタイミングでのささやかなプレゼント。
「食っていい?」
「えっ、今?…ってヤバ‥」
言いながら、慌てたように教科書を立ててブラインドを作る。
そういやあバレたらまずいよなー。ま、大丈夫だろうけど。
なんて呑気に思いながら、俺は返事も聞かずに早速包装紙を取り外す。
そして、コロンと姿を現した透き通った緑色の塊。
いっただっきまーす。
そう心の中で言って、口に放り込む。
甘酸っぱい、青リンゴの味が広がる。
「んー、うめえ」
いつもの調子で呟くと、磯野のクスッと笑う気配を感じて。
「喜んでもらえて良かった」
「俺、この味好きなんだよなー」
「うん、知ってる。いっつも青リンゴのガム噛んでるでしょ」
ウワ、んなことまで知られてたのか。
いや、確かにここんとこよく噛んでるから香りで分かるんだろうけど。
でもまだそんなに親しくはないのに、そこまで自分のことを認識してくれてたって事実が意外でまた驚いた。
「何でくれたわけ?」
過ぎった純粋な疑問をそのまま口に出してみた。
すると磯野は目を丸くしてからすぐに笑って、
「だって入学初日の時、親切にしてくれたから」
「……は?」
「クラス割の時さ、覚えてない?私がここに受験して入ってきたこと言うと、分かんないことあったら聞けって。前も職員室の場所とか教えてくれたりして」
「……?んなこと言ったっけ?」
そんなことがあったような、ないような。
けど本人が言うんだから実際言ったんだろう。
長男気質ってやつなのか、俺はこれでも頼られれば面倒見はいい方だし。
記憶はぼんやりと霞んでるけど、そうか、それのお礼か。
「覚えてないかあ」
「…つーか俺も高等部のことはよくわかんねえけど」
「アハハ、うんでも、嬉しかったから」
「コラそこ。なんかうるさいぞー」
飛んできた先生のお咎めに、しまった!って表情で口を塞ぐ磯野に代わって、「すんませーん」と声を投げる。
「入学早々イチャこくのは良くないぞ。昼休みまで我慢しろよー」
オイオイ先生、何言ってんスか。って突っこみたかったけど、何だか面倒くさくて「うーい」と返答しておいた。
それよりも時計は今何時を指してるだろう。
そう思って見れば昼休みまで、あと10分を切っていた。
今日は何を買うかなあ、フルーツ牛乳に合うのはメロンパンだよなあ。
それにクリームパン、いちごデニッシュ…考えてるだけで腹の減る。
と、食いもんに意識を巡らしてる最中、ふいにクラス中の注目を集めてるのに気付く。
「…お前らマジで?いつの間に?」
前の席の山本が興味津々に聞いてきて、すぐに原因を呑みこむ。
「…だから」
マジにとるなよ。なあ?と言い掛けて、隣の磯野を見る。
そして静止。
磯野は口を塞いだまま、顔を真っ赤にして俯いてる。
……マジかよ。
引くに引けなくなって、かといって弁解するのも面倒で、結局そのまま「んなこと聞くのは野暮だぜい?」って誤魔化した。
そう、軽い気持ちでの肯定。
面倒な冗談、のつもりだったんだけど。
その赤くなった横顔が、ちょっと可愛いかも、なんて。
貰ったアメが、今まで食べたもんよりもウマイなあ、なんて。
…笑った顔が、やけに鮮明だな、なんて。
それから、待ちわびた昼休みのチャイムが鳴るまでの数分間。
初めての妙なぎこちなさを知り、少しずつ俺の思考は隣の彼女に奪われていく。
これはまだ、なんて名前をつけたらいいのか分からないほどに小さな感情。
(どーしたもんか…)
近距離の落ち着かなさに彼女側に肩肘ついて、窓の外を眺めるふりして考える。
そんなちょっとかっこ悪い自分を知った、特別な記念日。
2006.4.20
back
1/1ページ