ダウト!
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「あ!マコ!!」
「おは…え、何?」
教室の扉を引いた途端に、クラス中から一斉の視線。
いつもと違う雰囲気に、私はキョトンとするしかない。
駆寄ってくる友達の頬は、興奮したように上気していて。
「ごめ、私、英語のノート見せてもらおうと思って勝手に借りようとしたらさ。机の中からこれが落ちてきて…」
申し訳なさそうに、白い封筒を差し出してくる。
不審に思い裏返して、裏に書かれた名前を目にして。
私は、初めて”目を疑う”という意味を知ることになるのだった。
ソツのない、流れるような字体で書かれたその名前は。
『 3-B 仁王雅治』
信じられない気持ちで恐る恐る、中身のルーズリーフの切れ端のような紙を開くと、これまたソツなく。
”磯野 好いとーよ”
手紙を覗き込んでいた友達がわあっと騒ぎだしたが最後だった。
このラブレター事件はあっという間に学校中に知れ渡ってしまい、今日は友達の協力を得て、とにかくファンに見つからないように身を隠し続けた。
おまけに授業に戻るたびに、クラスの女子からも敵意の視線を向けられて。
…放課後には私の精神はすっかり摩耗していた。
「ああ、こんなにところにいらっしゃったのですね」
「あ、ああ、柳生くんか」
避難した空き教室で日誌を書いてると、同じ日直の柳生くんが様子を見に来てくれた。
近くの椅子に座りながら「災難でしたね」と、労いの言葉を掛けてくれる。
私はうな垂れ気味に、奇麗な姿勢で座る柳生を上目遣いで見て。
「…柳生くんさ、仁王くんと仲いいよね」
「まあ、そうですね。テニスを抜きにしても良い付き合いが出来ていると思いますが」
「そう…じゃあ本人が書いたものか確かめてもらえる?これ、例の手紙ね」
封筒を手渡すと、柳生くんは眼鏡を上げる仕草をして、僅かに眉を寄せる。
「…失礼ですが、中身を拝見しても?」
「うん、どーぞ」
中身を見て、またわずかに柳生くんの眉間に皺が寄る。
ずれた眼鏡を上げ直しながら、ジャッジが下される。
「磯野さん」
「はい」
「この字体は間違いなく仁王くんのものです」
「……そう、なんだ」
たちの悪いイタズラという線が消え去り、私はがっくりと日誌に視線を落とした。
…私はこんなものを貰うほど、仁王くんと交流があったわけじゃない。
仁王くんは柳生くんや真田くんへの用事でよくうちのクラスに来る。
そのため同じ委員会の柳生くんを通して何度か会話を交わしたことはあるけど、それも両手で数えられる程度。
「仁王くんて人を騙して遊ぶのが趣味なんだっけ?」
「……」
「じゃあこれもからかって遊んでるのかなー」
「…確かに仁王くんには困った一面があります。しかし、さすがに悪ふざけでこんなことをするとは、私には思えません」
こんな、女性の心を弄ぶような真似は決して…。
そんな感じの言葉を続けたいのが、口にださなくても分かった。
柳生くんがそう言うなら、そうなのかもしれない。
でもやっぱり申し訳ないことに…私の中の仁王くんのイメージはあまりいいものじゃないから、そういったことを”しない”とも思えないのだ。
授業を平気でサボる、堂々と遅刻もしてくる、注意してもどこ吹く風。
おまけに”詐欺師”の異名。
風紀委員に属してる人間から見れば、あまり好ましい生徒じゃない。
それに、腹の底が読めない飄々とした雰囲気が…「苦手」といったほうがしっくりくる。
だから今回のことも、本人によるものだと分かったところで大して驚かない。
仁王くんの考えることは、私のような石頭にはきっと理解できないから。
「ちょっとからかってみただけじゃ」って意地悪に笑って言われたとしても、私は驚かないだろう。
正直想像がつく。…そうしたら、まず平手の一発は食らわせてやるんだから。
…
………
「日誌は私が届けてきますよ」という柳生君の言葉に甘えて、この教室で別れることにした。
「帰り道をエスコートして差し上げられなくて申し訳ない」
「あはは、大丈夫だって。また明日ね」
「ええ、また明日。どうか気を付けて」
夕日に反射してレンズの奥は窺えないけれど、きっと優しく細められているんだろうか。
…あの手紙がもし柳生くんからのものだったら、私は素直に喜んでいたかもしれない。
優しいし、頭はいいし、かっこいいし、テニスもうまい。
加えて気が利くし、言葉遣いだってドが付くほど丁寧だ。
そんな柳生くんと彼が友人だっていうことが、そもそも不思議だったりするんだけど。
昇降口をでると、橙色の空がグレーの闇に覆われようとしていた。
暗くなると、お母さんの心配コールがうるさいのだ。
だから少しだけ足早に駅前までの通りを歩く。
「あ、すみませーん!」
「はい?」
思わず立ち止まって振りむくと、派手な恰好したお兄さんが「しめた!」とばかりにマシンガントークを繰り出す。
話を聞くとどうやらカットモデルの勧誘らしい。
こんなのは初めてのことで戸惑ってるうちに、勝手に話を進められてしまう。
「ちょうど向かいのビルにお店があるんですけどーどうです?覗いてみません?」
「え、いや、私、急いで…」
「ちょっとだけでも!ね!」
行ったら終わりな気がすることだけは分かった。
この得体の知れない店員をどう振り切るべきか困っていると、急に背後にヌッとした気配。
私のギャア!?なんて色気のない悲鳴が発せられる前に、頭上の後ろから、それは響いた。
低い低い、威嚇するような声。
「コイツへの用事なら、俺が聞いちゃるき」
だから振り仰ぐまで、一瞬誰の声なのか分からなかった。
仁王くん、だ。
…切れ長のツリ目が、不快そうにさらに吊り上っている。
なんて鋭い瞳をするんだろう。ちょっと、怖いほどだった。
その迫力に気圧されたんだろう、萎縮するように店員は去っていく。
この状況を理解しようとする前に背後からため息が聞こえて、私は慌てて向き直る。
「あ!あの、ありがとう」
「いーや…ナンパか?」
「え、いや、違うよ。カットモデルの勧誘」
は?といったように仁王くんはポカンとして、それから頭をわしわしと掻いて。
「あーー、そうじゃったか。つい焦っちまったぜ」
「え?」
焦る?どうして…
そこに至って、ようやく私は災難の元凶が目の前にいるという事実を思い出す。
「…ねえ仁王くん」
「ん?
「助けてもらっておいて悪いんだけど、丁度よかった。聞きたいことがあったの」
私のキッと睨むような視線で、きっと既に察してる。
でも仁王くんは、形のいい唇の端をつり上げて、にやっと笑って。
「言わなくても分かっとーよ。でもな、その答えはまだお預けじゃ」
「え、…」
「これから暇じゃろ?ちょいと付き合ってくれたら教えちゃる」
…何?なんなの?
ぽかんと動けない私を置いて、彼は背を向けて歩き出してしまう。
「んじゃまずはバーガーでも食うか」、なんて飄々と言ってのけて。
何これ、どういうつもりなんだろう。
依然ぽかんとアホ面を続ける私に、彼は振り返る。
「なんじゃ、来ないのか?」
「あ、あのねえ、学校帰りの寄り道は校則で禁止されてるんですけど!」
「ククッ、相変らずクソ真面目じゃのー。でもそのまま突っ立ってて、またしつこい兄ちゃんに捕まっても知らんぜよ」
「!?…う、わ、わかった、行けばいいんでしょ!」
だけどその答えを知るための道は一つしかない。
慌てて駆寄る私を見て、可笑しそうに、満足そうに笑う彼が少し癪だった。
…
………
制服でファーストフード店に入るのは初めての経験で、ソワソワして落着かなかった。
見知った顔や親衛隊がいたらどうしよう…という不安ももちろんあったけど、それ以上に、他校の女の子軍団から注がれる視線が痛かった。
席に座ってからも、羨望だとか敵意の眼差しが私の身体を突き刺してきて、居た堪れないったらない。
正直、視線が痛くて、お茶しながらゆっくりお喋りをする余裕なんてない。
仁王くんはといえば、気にする素振りもなく普通にホットコーヒーを啜ってる。
…ああ、このシチュエーションは致命的だ。
この人は、私や周りの反応を全部知ってて楽しんでるのかもしれない。
誤解されたまま、私は明日ファンの子たちにシメられかねないってのに。
だとすれば、誤解を解くためにも、せめて早々に切り上げたい。
「で、仁王くん。早速なんだけどその、朝のこと。どういうつもり?」
「せっかちやのー。そう焦らんでも教えちゃるって」
「…いつ?」
「さぁな?」
またニヤリと笑う。やっぱり、この腹の底が読めない笑みがどうにも苦手だ。
”だったらもういい”と席を立って帰ろうかと思ったが、そうしたらもっと恐ろしいことになりそうな気がして、どうにか思いとどまる。
代わりに、憎まれ口をひとつ。
「あれのおかげで私、結構な迷惑を被ってるんですけど」
「ああ、その点については詫びるぜよ」
とかいって、本当に詫びてくれてるんだろうか。
だってこの人、そう言いながら楽しそうに笑ってる。
「あー…ごめん。私、仁王くんのこと苦手」
「…おーおー、随分正直に言ってくれるのう」
「だってよく分かんないから。どうして大して話したこともない私にちょっかい掛けてきたのかなって。仁王くんの考えてること、さっぱり分かんない」
「ははは、そりゃお前さんには理解不能じゃろうなあ」
仁王くんは何が面白いのか笑うばかりで、私の毒舌攻撃など暖簾に腕押しだった。
私は仁王くんのことがさっぱり分からないのに、仁王くんは私のことなんてお見通しみたいな態度。
イライラすると同時に、彼の得体の知れなさが空恐ろしくもあった。
「さて、じゃもう一件付き合ってもらうかの」
「…もう一件付き合えば、今度こそ教えてくれるんだよね?」
「そうだな。考えとくぜよ」
店を出るなり仁王くんは、ひらりと銀色のしっぽを揺らせて、また先を歩いていく。
…悪びれもせずに、こいつめ。
散々引っ張りまわした挙げ句からかっただけだ、なんて言われたらどうしてくれようか。
付いて行くしかない私の心の中に、そんな怒りの炎が揺らめいていた。
…
………
「な…、何ここ」
「見ての通り、ビリヤードとダーツの店じゃ」
いやそれだけじゃない、高い椅子とカウンターがあって、奥の棚にはお酒のビンがキレイに並べられてて、 BGMはオシャレなジャズで、照明は薄暗くモダンな雰囲気を引き立てている。
明らかに大人の空間を思わせるここは、いわゆるダーツバー?
いくらなんでも…制姿ではあまりにも場違いな気がする。
しかもまだ開店前だからか、お客さんはまったくいない。
エレベーターを降りた場所から一歩も動けないでいると、軽く背中を叩かれる。
「ははっ、そんな緊張なさんな。ここのオーナーは俺の知り合いだしな」
「え、そうなの!?」
「本来未成年は入れない場所だが、特別に18時まで入店許可貰っちょる。知り合いが来ることもないし、気負うことないぜ」
と、背中を押されて未知の空間に足を踏み出すけど…この空間にはすぐに馴染めそうにない。
やがて奥の扉から出てきたお兄さん(多分オーナーなんだろう)に、慣れ親しんだ様子で挨拶を交わす仁王くんを見て。
改めて彼は、自分とは正反対の世界を持つ人なんだと認識する。
「っあー!外した!」
「でもコツは掴めてきただろ?」
「うん…思ってたより面白いかも」
馴染めないと思っていた空間だったけど、ダーツに夢中になるにつれ、そんな思いも消し去られていった。
ダーツは…大人の遊びだと思っていたけど、ルールはシンプルなためかすぐに入り込むことができた。
仁王くんは初心者の私に、構え方からダーツの持ち方、狙う時のコツなどを色々教えてくれて。
不覚にも、至近距離で見る彼の顔にドギマギしてしまったりした。
「そう思ってくれたんなら何よりじゃの。柳生よりいいセンいってるしな」
「え?柳生くんもダーツやるの!?」
「ああ、たまに部活がオフの時は連れてきて一騎打ちやってるぜよ」
驚いた。柳生くんもこんなお店に来るんだ。
でも…ちょっぴり分からなくもない。
柳生くんは私とは違って、柔軟な面も持ち合わせてる。
仲間と気兼ねなく過ごす時間の大切さを、とっくに知ってたんだろう。
それに、確かにダーツは楽しいし、そんな誘いを無下に断ることもしないはず。
私はといえば、たまの学校帰りの誘いも生真面目に断り続けて、今は友達たちもわざわざ私を誘うことはしなくなった。
再度狙いを定めて、ダーツを構える。
勉強よりも夢中になれる。
息抜きの合間に見るテレビ番組なんかよりも、ずっと楽しい。
この石頭が生まれて初めてちょっと憎くなった。
たまに友達に付き合っていれば、こんな楽しい出会いがもっとあったんじゃないか?
私はもしかしたら、すごく勿体無いことをしていたんじゃないか?
―――これらの思いは、胸の奥に大きな波紋を描く。
そして放った矢は、狙いを大きく外れて圏外へ。
「ざぁんねん。タイムリミット」
「…そっかあ、残念」
でも仁王くんが連れて来てくれなかったら、こんな場所は一生縁がなかっただろう。
こんなに楽しい時間も過ごせなかった。
帰り支度をしながら、私はさり気なく笑って。
「今度リベンジしに来たいんだけど。ダメ?」
さすがに予想外だったのか、軽く目を見開かれる。
かと思ったら、すぐに満足気に細められて。
「言われなくてもそのつもりだぜ?」
そんな勝手とも取れる言葉にも、ささやかな嬉しさが込み上げてきてしまう。
「慣れてきたらビリヤードも教えちゃる」って続いた言葉を、笑顔で受ける。
…さっきまでは考えられないような展開。
私の知らない世界をきっとまだまだ、この人は持っている。
私の心境は、まるで新しいおもちゃを与えられて喜ぶ子供みたいなものだった。
だけど、外に出た私は、すっかり忘れていた”あること”を思い出し、すぐに現実に引き戻される。
慌てて腕時計に目を凝らせば、時刻は18時ちょっと過ぎ。
今日は金曜日で…塾の日だ。18時から開始だから、完全にアウトだった。
「……」
腕時計を見たまま固まってる私を見て、仁王くんは察したんだろう。
ばつの悪そうな、申し訳なさそうな声が降ってきた。
「もしかして約束でもあったのか?」
「え、ああ、今日塾の日だったの忘れてて…」
「…悪いことしちまったの」
「ううん、いいの。今日はやめるから」
言うなり私は携帯を取り出して、塾に電話を掛ける。
普段の行いのおかげで、「風邪をひいた」なんて嘘もあっさり信じてくれた。
それに「母は外出中で帰宅は遅い」と付け加えておいたから、家に確認電話が行くこともないだろう。
お母さんはいわゆる教育ママだから、知られたら面倒なことになってしまう。
電話を終えた私は、仁王くんのキョトンとした視線に気付いて。
「今日だけだから」
ちょっとそっけなく言ってやると、仁王くんはふっと、優しく笑んだ。
いつものニヒルな笑みじゃない、自然体な笑顔に、不覚にも心臓が跳ねて。
顔に熱が集まっていく感覚に、たまらず俯いてしまう。
「だったら、もっと満喫しなきゃの。次はゲーセンでも行くか」
今度は楽しそうな声が降ってきて、ああ、何だか癪だ。
彼にうまいこと乗せられて、流されてるような気もする。
「もう一件」の約束も忘れて、勝手なこと言ってるし。
「だって時間潰さなきゃならんだろ?」
私の心を読んだように、続けてそう言われてしまう。
でもあと2時間、仁王くんは付き合ってくれるというのだ。
じっと黒板とノートと格闘していた時間と比べたら、きっとずっと有意義な時間を過ごせるだろう。
煌煌と賑やかな駅前通りを歩き出す仁王くんに、私は並んで。
「じゃあオススメのゲーム教えてよね」
「ああ、何だったら対戦するか?手取り足取り教えちゃる」
”手取り足取り”という単語をわざと強調するから、妖しく思えて警戒してしまう。
そんな私の様子が予想通りだったのか、可笑しそうに笑う。
…やっぱり癪だけど、不思議とさっきまでの不快感はなかった。
だけども不良にはなるまい、そう己に言い聞かせるように、私は軽く唇を噛むのだった。
…
………
ゲームセンターでは、UFOキャッチャーやら格闘ゲームやら、体感ゲームやら、色んな種類のゲームを遊んで回った。
こういった場所は小さい頃、お父さんに数回連れてきてもらって以来だったから、やたらとはしゃいでしまった気がする。
19時を回ると追い出されてしまったが、収穫があったから私は大満足だった。
小さな、ゴールデンレトリバーのぬいぐるみ。
仁王くんが一発で取ってくれたこのぬいぐるみには、彼の後ろ髪と重なるような、サラサラと揺れる尻尾がついている。
それが気恥ずかしくも面白くて、そっと尻尾を撫でる。
今日の記念にとっておこう。女子の憧れ、仁王くんを一人占めした記念に。
最初は不本意で不愉快な誘いから始まったはずなのに、こう思えるなんて不思議だ。
いつの間に私は彼のミステリアスな魅力に、捕らわれてしまっているらしい。
…
………
残りの一時間、小腹も減ったし何か食べようかという話になったが、
お互いそんなに手持ちがなく、仕方なくコンビニで肉まんと温かい飲み物を買った。
そして、近くの誰もいない児童公園のベンチに、自然と私達は腰を下ろした。
ガサガサと袋から出した湯気のたつ肉まんを仁王くんから受け取る。
「ありがとう」
「冷めちまう前に、はよう食べんしゃい」
「言われなくても食べますー」
巻いていたマフラーをずり下げて、一口ほおばる。
あったかくて、気持ちが解けていくような気がした。
他愛のない話をしながらあっという間に私達は肉まんを平らげて、
かじかむ指先を温めるように、それぞれ缶コーヒーとペットボトルを両手に持って話を続けていた。
学校での、本当に他愛のない話を続けている時に、ふと彼が言ったのだ。
「そういやお前さん、委員会の時もたまに眠そうにしてたよな」
…??
委員会の時の私の態度なんて、仁王くんは知らないはず。
だって彼は風紀委員じゃない。
柳生くんから聞いた?でも今の言い方だと、まるで目にしたことがあるような口振り。
仁王くんは私が戸惑ってるのを見透かしているように、ニッと笑ってる。
ああやっぱり、この人のこういう相手を手玉にとるようなところ、苦手だ。
「磯野にとって俺は、大した交友もない人間だと思っとるんじゃろ」
「?え、うん‥?」
「俺は磯野とはもう何十回も話したことがあるんだけどな」
「はあ??」
思わず彼の瞳を覗き込んでしまう。
一体何を言ってるんだろう、この人は。
瞳の奥底は、やっぱり私ごときじゃうかがい知れない。
からかってるんじゃないとしたら、変装でもして?
いや変装?変装なんて、変装なんて……
「―――ッまさか…!」
「ククッ…ハハハハ!」
いや、まさか、まさか!そんなまさか!!
たいそう可笑しそうに笑う仁王くんを、私はあんぐりと口を開けて見つめるしかない。
でも待って、二人ともそんなにそっくりだってこと?
そもそもいつから私を騙してた?柳生くんまで一緒になってどうして?
聞きたいことがありすぎて何も言えずにいると、ようやく笑いが治まった仁王くんが、やたら晴れやかな声で告げた。
「ビンゴ。ようやく気付いたか」
「…私はダウトって叫びたい気分なんですけど」
せめてもの小さな憎まれ口も、また軽く笑われてしまう。
だって、私が今まで柳生くんだと思って接してた相手が、本当は仁王くんだったかもしれないなんて。
信じられない…というより信じたくない。
「最初に柳生に成りすまして磯野と話したのは県大会のすぐ後じゃったな」
「そんなに前から!?」
「関東大会での話は知ってるだろ?完璧に相手を騙すには、準備は手抜かりなくが鉄則じゃ」
「うー…確かに、今まで会話が噛み合わなくて違和感抱いたこもとなかったし。 青学よりも先に私らはまんまと騙されてたわけね」
「権謀術数の第一歩。敵を欺くにはまず味方からって言うだろ?」
そう言って缶コーヒーを呷る仁王くんを見て、私ははた、とあることに気付く。
「じゃ、じゃあもしかして、…今日の放課後、私と話したのも…」
「ん?いーや、それは本物の柳生だな。さすがにんな短時間で変装解除は出来ねえよ」
……もう何を信じていいやら。
今まで密かに憧れていた柳生くんは、実は今まで良く思ってなかった仁王くんだったかもしれないのだ。
お互いのクセ、何気ない仕種なども、二人は完璧にマスターしているという。
私…今まで柳生くんの何を見ていたんだろう。
「申し訳ございませんでした、磯野さん」
柳生くんの声に、ハッと目を見開く。
その声は間違いなく、目の前の仁王くんから発せられた声。
よく聞くとちょっと違う感じはするけど、やっぱり柳生くんの声。
「な。似てるじゃろ?」
「…朝の手紙も、やっぱりそうやってからかっただけ?」
「…さあな、どう思う?」
「約束でしょ、答えてよ」
声色を真剣にして問うと、仁王くんからも笑みが消える。
”そうだ”って言われたら殴ってやろうと思ってたけど、今はもうそんな気もなかった。
どうあれ有意義だと思える時間が過ごせたのは、確かだったから。
「…磯野の第一印象、『クソ真面目な女子』ってとこだったな」
話を逸らされたと思って口を挟みかけたけど、懐かしむようにちょっと目を細めながら話し続ける仁王くんの、街灯に照らされる横顔がキレイで。
うっかり見入ってタイミングを逃した私は、そのまま話を聞くことにする。
「で、二回目の印象は『勉強しか楽しみを見出せない可哀相な女子』」
「…悪かったですねー」
「でも本当は、『自分を抑えて勉強っつう殻に閉じこもってる女子』…そうだろ?」
その言葉と、私を見遣る視線にドキッとする。
なんでそう思うんだろう?私は自分を抑えているなんて自覚はまったくない。
…だけど、この人の瞳にはそう映っているんだ。この瞳が、怖い。
心の奥底がざわめきたって、そっと俯いて、呟く。
「…私、やっぱ仁王くんのこと苦手」
「はは、そりゃ残念。でも今日一日、有意義だったと思ってるんだろ?」
「な…」
「磯野はバカみたいに真面目だから、融通がきかないだけなんじゃ」
…だから私は、勉強以外の楽しみを選び取る方法も分からずに、ここまできてしまった。
仁王くんはそれに気付いてから、どうにも私のことが気になるようになってしまったと。
だから全国大会が終わってからも、度々入れ替わって私に会いに来ていたそうだ。
そして今日ラブレターを私の机に仕込んだのは、今日こうして遊びに連れ出すための、遠回しなアプローチだったと。
「それに、そうしときゃあ悪い虫がつく心配もねえしな」
悪い虫なんてつくはずないじゃんか。
そう思ったけど、胸の奥のざわめきを落ち着けるようにしながら私はその話を聞いていた。
…ただ勉強だけをしてきた日々が脳裏に去来する。
思い出づくりなんて頭になく、友達の誘いを何の罪悪感もなく断り続けてた。
仁王くんにこんなふうに無理矢理連れ回されでもしなきゃ、きっと知らなかった
寄り道がこんなに楽しいものだったなんて。
ルールや社会常識に囚われて動けなかった私には、仁王くんの突き抜けた自由奔放さが、きっと羨ましくて、妬ましかったんだ。
ガコン。
仁王くんが、缶をゴミバコに投げ入れた音にハッとする。
「…俺の好みのタイプとは大分かけ離れとるのにな」
そう言ってわしわしと頭を掻く仁王くんを、私はやや呆然と見つめる。
あの手紙は冗談なんかじゃなかったのだ。
途端、胸の奥がざわめきたって、熱くなってくる。
私はこの人に、必要とされているのだと。
……じゃあ私は?
ふいに真剣な眼差しと、私の視線がかち合う。
と、急に引き寄せられたかと思うと、仁王くんの匂いでいっぱいになった。
ぎゅっと背中に回った腕に、何が起こってるのかを理解して、かあっと熱くなる。
未だ両手に収まったままのレモンティーを、ぎゅっと握り締める。
自分の心臓の音が初めて聞くくらいに大きく鳴っている。
でも仁王くんの心臓も、大きく鳴っているのが伝わってきてちょっと嬉しくなる。
…この音は、きっと何よりの証拠だ。
心の中に芽生えた輪郭の見えない想いはおぼろげで、まだ名前は付けられない。
……でも。
「仁王くん」
「ん…なんじゃ」
「私、不良にはなりたくないから、塾通いもやめないし、良い成績も頑張って取り続けるけど」
…私もこの人が必要だって、そんな気がしてならない。
だから休日や、たまの放課後なんかは。
「もっと色んな場所に連れてってよ。面白いスポットとか遊びとか、教えて欲しいから」
私は今、勉強も遊びも、手を抜かないことに決めた。
お母さんに怒られても、構うもんか。文句なんて言わせないくらい、両立させてやる。
その決意は、きっと仁王くんに伝わったんだろう。
「おう、任せんしゃい」
言いながら優しく笑んで、大きな手がポンポンと私の頭を軽く叩く。
至近距離だからドキドキしたけど何だか心地よくて。
ついつい、俯いてされるがままになってしまう。
「…実は今日、誕生日なんじゃ」
突然そっと呟かれた言葉は、予想だにしないもので。
エッ!?と仁王くんを見上げるけど、すぐ間近にある顔がやっぱり恥ずかしくて、つい視線を泳がせてしまう。
「えっと、知らなかった。プレゼントとか‥」
「いらんよ、そんなもん。欲しくてしょうがなかったモンは手に入ったからな」
「…あの、まだあなたのものになった覚えは」
「いいや、必ず手に入れる。勉強よりもずっと夢中にさせちゃるけん」
「…ずいぶん自信満々なことで」
それはそう遠くない未来を予言されてるようで、私はまた懲りずに憎まれ口をぽつり。
だって悔しい。確かに仁王くんには気を抜けない。隙を見せたらたちまち捕らわれて、溺れてしまそうな、危険な香りがする。
と、耳元が湿ったいような、くすぐったいような感覚に、肩がはねる。
「ヒッ!?」
「ッハハ、んな驚きなさんな」
「ちょ、あの、今何して、っていうか本当に誕生日なの!?」
「…どう思う?」
また人を試すように不敵に笑うもんだから、キッと睨んで私は言ってやった。
「ダウト!」
「ざぁんねん」
囁くなり、また不意打ち。
仁王くんの顔が、キレイな瞳が更に近付いてきて、しまった!と後悔しても遅い。
とっさに目を瞑って、何らかの感触に備える。
「……」
「……」
「……」
「……あー、」
吐息のような呟きに、え?っと目を開ける。
眼前に映ったのは、ちょっと困ったような、初めて見る表情の仁王くん。
「頬にするつもりだったんだが…やっぱやめ」
と、瞼に優しく指先が触れて、されるがままに再び目を閉じる。
その言葉や行動が意味するところを察しても、もう逃げられないと思った。
間もなく、唇に冷たい感触が降りてくる。
啄ばむみたいなキスを何回もされながらも、どこか実感がわかない。
あれだけ苦手意識を抱いてたはずの相手に、私はファーストキスを易々と差し出しているのだ。
でも鼻腔をくすぐってくる、コーヒーのほのかな香りだとか、冷たいようで生温かい、柔らかな感触が、嫌じゃないから。
だんだん頭の芯がじんわりと痺れてきて、目眩を感じた頃やっと唇が離れた。
恥ずかしさから、やっぱり私は胸に顔を埋めるしかない。
「…キスの仕方も、これから教えちゃるぜよ」
「え、遠慮します…」
「拒否権はナシじゃ。楽しみにしときんしゃい」
私よりもずっと大人で、余裕綽々な態度に悔しさが込み上げる。
…でも、仁王くんの心臓の音がさっきよりも早くなってることに気付いて、なあんだ、って密かに笑んだ。
簡単に溺れてなんかやるもんか。
そう言い聞かせるけど、この人のこんな隠れた余裕のなさを見つけるのも、きっと楽しいかもしれない。
…その思いがすでに、彼の策に溺れかけている証拠なのだと頭の片隅で理解しつつも。
私はそのまま、彼の暖かな鼓動に耳を傾け続けるのだった。
2009.1.1
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