BIRTHDAY
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2.
「――お前は、明日から来なくていい」
地区大会前の追い込み中。
制服のままコートにやってきたそいつに、俺は努めて冷たい声音で告げた。
谷村は覚悟していたのか、目を閉じて身体を90度に折り曲げて。
「分かりました。すいませんっした」
静かに言うと、顔を上げてポケットから折りたたまれた紙を取り出すなり俺に両手で差し出してきた。
「あとこれ…お世話になりました」
受け取ると、谷村は申し訳なさそうな顔をしながら背を向けてとぼとぼと歩き出した。
その紙がなんなのか、見なくても分かる。
背中を見送りながら、沸き上がる苛立ちから奥歯を噛みしめる。
右手で受け取った“退部届”と書かれているであろう紙をぐしゃっと握りつぶすと、俺の中で張りつめていた糸が一つ切れた気がした。
谷村。
テクニックに長け、試合中の駆け引きにおいては俺に勝るとも劣らない優秀な選手。
今後の予選に於いても外せないと思っていたやつだった。
頼りにしていた。
個人的に練習に付き合ってやったりと、目を掛けていた。
なのに一か月前からコートに来なくなった。
堂本からどうやらその理由が最近できた彼女に現を抜かしているとか聞いた時には、思わず机を殴ってしまった。
俺らより女かよって怒りに震えながら。
「福士」
と、背中から声を掛けられて振り返る。
磯野が悲しそうな顔でじっと俺の手にある紙を見ていた。
「それって…」
「あー。ヤッさんに渡しといてくれ」
それを磯野の手に押し付けるように握らせると、でも、と何かを言い掛ける。
だけどそれを無視して俺はコートの中に歩き出した。
本当にいいのかって?
……良くないに決まってる。
戻ってきてほしいに決まってる。
だけどああいう奴がいると部全体の士気に悪影響が及ぶ。
「堂本ー。それ終わったら試合しようぜ、1ゲーム」
「え?お、おお」
俺の不機嫌な声色と表情から何かを悟ったのか、顔を向けた堂本は田中とラリー練習を続けながらも了承した。
田中とは、例のエアガン事件の田中のことだ。
田中と近藤の二人は部活開けの時に素直に謝って来たから、反省文で許してやった。
部内での反発はもちろんあったが、実力は認めてたから一喝して黙らせた。
俺に嫉妬心を抱いてしまうのは仕方ないと言い聞かせ、どうにか溜飲を下げたのを覚えている。
とにかくこういう時は打つに限る。
堂本のラリーが終わるのを待ってから、俺はむしゃくしゃした気持ちをぶつけるように試合をし、勝利した。
それから俺は谷村の抜けた穴をどう埋めるか頭を悩ませていたが、そんな悩みとは裏腹に俺たちは順調に駒を進めていった。
駒田西中を下し、和田中を下し…そして戸立第一中をも見事に下し、俺たちは都大会ベスト8に躍り出た。
次の北条中に勝てれば、都大会ベスト4という称号が得られることになる。
対北条用の練習メニューを組み、今日も指示を飛ばす。
すると走り込み終わりの田中がげんなりしたようにゲッと零す。
「次ボレー練習?俺嫌いなんだよなぁ」
「ごちゃごちゃ言ってんな!さっさとやれ!」
「チッ。うるせぇな…」
「何か言ったか?」
「…何でもねぇよ」
睨みをきかせると、田中は口を尖らせながらラケットを手にコートに入っていく。
俺が考えた練習メニューやオーダーに対する不平不満を受け流すのにも大分慣れてきた。
気が付けばいつの間にか、前佐藤部長のように振舞えていた。
ま、俺の場合は大分乱暴かもしれないが。
田中は戻ってきた当初こそ大人しかったが、次第に俺に対して反抗的な態度を取るようになっていた。
まぁいつものことだと大して気に留めず、俺もボレー練習をしようとラケットバッグから愛用のラケットを取り出そうとする。
が、ない。
あるはずのラケットが見当たらない。
「おい堂本、俺のラケットは?」
「は?ねぇのか?」
「あぁ…」
「家とかに置いてきちまったんじゃねぇか?大丈夫かミチル?もう呆けちまったのかよ」
笑いながら言う堂本にうっせと返しながら、きょろきょろと周囲を見渡す。
家に…いや、家でラケットを取り出すことなんてないし、確かにバッグに入れてここに置いておいたはずだ。
まさか盗まれたか?なんて考えが過った時だった。
「――福士!」
呼びかけられて振り返ると、磯野が血相を変えてコートまで走ってくるところだった。
慌てたような様子に何事かと思ったのも束の間、磯野が手に抱えたものに目を見張る。
俺のラケットだった。
「ああ、それどこにあったん――」
「これ!」
息を切らしながら目の前までやってきた磯野が、勢いよくラケットを差し出す。
それを見た時に、頭が真っ白になった。
――ガットが千切れていた。
しかも一本二本どころじゃない。
滅茶苦茶に切り裂かれていた。
「あの、ね、福士たちが走り込み、してる間、私、部室に荷物取りに行ってたの。…で、戻ってきたら、昇降口の前に、これが」
磯野は息を切らせながら必死に説明してくれるが、正直内容が頭に入ってこない。
ただラケットを手に呆然とするしかできない。
「なっ…!ひでぇなこりゃ…誰の仕業だよ」
「……心当たりがあるの」
堂本に磯野が返した言葉に、一気に意識が引き戻された。
瞬間、俺は磯野の肩を掴んで強い口調で問う。
「――誰だ」
言いづらそうに顔をしかめながら、磯野は静かにその名を告げた。
グラウンドで走り込みをしていたはずの時間、何故かそいつが一人戻ってきたのが部室の窓から見えて不思議に思ったらしい。
俺のバッグからラケットを取り出してコートを走り去っていくところまでは見たと。
何となく頭のどこかでそうじゃないかとは思っていた。
だけどあれから文句を言いながらも練習には欠かさず来るし、文句は言われるがそこまで恨まれていると思いたくなかった。
……ここまでかよ。
また、張りつめていた糸が一つ切れる音がした。
俺たちはすぐさま犯人――田中のいる場所へと視線を走らせる。
見つけると、俺はすぅっと息を吸い込んで大声で叫んだ。
「――田中!今すぐこっちに来い!!」
こっちを見た田中は、苦笑していた。
まるでいたずらがバレた子供のように、舌でも出しそうな勢いだ。
練習相手である近藤は、意味が分からないのかポカンとしている。
ボレー練習を切り上げた田中は、ゆったりとした足取りでコートの入り口に立つ俺たちの前までやってきた。
「で?部長様なんのお話ですか?」
厭味ったらしい声音に眉を寄せる。
こいつ、隠す気もないのか。
「分かってんだろ。コイツだよ」
「うわー…どうしたんだよ。ひどいな、これ」
ラケットを掲げて見せると、わざとらしく目を細めて憐れむように言う。
沸々と怒りが湧きあがるのに比例して口調も強くなる。
「ざけんな。お前の仕業だそうじゃないか」
「えぇ?証拠あるのかよ?」
「私見たよ。さっき田中が一人でコート戻ってきて、福士のラケット持ってくの」
「……見られてたのか」
磯野の言葉に観念したのか、ふぅとため息を吐きながら片手を上げて。
「そうだよ、俺がやった」
へらへらと笑いながら白状した。
最初から隠す気なんかなかったくせに。
その悪びれない様子に一瞬頭に血が昇りかけたが、努めて冷静に言葉を紡ぐ。
「……何でこんなことした」
「嫌がらせ」
「……っ!」
「てめぇ…」
あっけらかんと吐き出された言葉に、俺よりも先に堂本が田中の胸倉を掴んだ。
「むしゃくしゃしてたんだよ!この前のオーダーだって俺が控えってどういうことだよ!?いつも偉そうに指図しやがって!大した実力もねぇくせによ!!」
胸倉を掴まれながらも俺を睨み、投げやりに叫ぶ。
ーー何も知らねぇくせに。
その科白を聞いた瞬間、頭の中がマグマのように沸騰し、気付けば拳を振り上げていた。
――パシン。
俺が振りかざした拳をキメるより先に、誰かが田中の頬を叩いた。
磯野だった。
驚いて見れば、涙を溜めて顔を真っ赤に染めている。
「…最低。ただの逆恨みでこんなこと…アンタなんかより福士のほうがテニスもうまいし、ずっとずっと頑張って――…」
言葉を切るように俯いた磯野から数滴の雫がコートに落ちる。
それを見て、沸騰しかけた怒りが静まっていくように振りかざした腕も迷子のように降りていく。
同じように呆気に取られたのか、堂本が掴んでいた田中の胸倉を乱暴に離す。
頬を張られた田中は「んじゃ退部届もらってくるわ」とつまらなそうに呟いてコートの外に向かって歩き出した。
「……おい」
気を取り直した俺は、その背中に厳しい声音で言い放つ。
「舐めた真似してくれやがって。ガットの張替え代はきっちり請求させてもらうからな」
田中は俺の言葉に足を止めることなく、そのままコートを出て行った。
……と、ふと周囲を見回すと全員がこの異様な雰囲気から何かを察したのか、練習を中断して俺たちを注視していることに気付く。
「っ!おいこらテメェら!勝手に練習中断してんじゃねぇぞ!」
「お、おい…田中は…?」
「あー…あいつは今日で辞めだ」
おずおずと問う近藤にそう返すと、がっくりと肩を落とした。
こいつらは仲が良かったから、近藤のモチベーションが今後どうなるか見ておかないといけない。
「練習再開だ、再開!」
仕切り直すように勢いよく言えば、それぞれの部員はボールを弾ませてラケットで打ち始めた。
「ったく…」
「お、おいミチル…泣き止まねぇんだけど…」
堂本に言われて視線を遣れば、磯野は嗚咽を漏らしながらしきりにジャージの裾で顔を拭っていた。
嫌がらせされたのは俺だってのに、どうしてこんなに泣いてるんだ。
どうしてこんなに怒ってるんだ。
……嬉しいじゃないか。
あの時冷静になれたのは、怒りの感情が薄らいだのは、間違いなく磯野のおかげだ。
だけど泣いている女になんて言葉を掛けたらいいのか分からない。
ましてや泣いている原因は自分ときた。
とりあえず落ち着くまで待てばいいのか?
困惑気味な堂本と視線を交わすが、どうやら向こうもお手上げらしい。
正解なんて分からないが、とりあえず自分のラケットバッグからまだ未使用のタオルを取り出して渡すことにする。
「…ほらよ」
「…う、ありがと」
白いタオルを差し出すと、ぐすぐすいいながらそれを両手で受け取る磯野。
顔を見られたくないのか俯きながらタオルを顔に押し付けている。
「その…ありがとな」
ちょっと照れるが、正直に礼を言った。
マグマのような感情が薄らいだのは間違いなく磯野のおかげだ。
とは言え、精神は間違いなく疲弊していた。
悔しい、虚しい。
そんな感情に心がじわじわと侵食される。
佐藤部長も与り知らぬところでこんな目に合っていたのか?
それとも俺のやり方が良くないってのか?
……ここで弱気になるな。こんな気持ちのままじゃいけない。
頼りない糸を、どうにか繋ぎ止めていなければいけない。
首を振りながらもそのまま泣き続ける磯野を見下ろしながら、そんな葛藤を抱く俺だった。
・・・
そしてやってきた北条中との試合本番。
「ウォンバイ堂本!7-6!」
北条中も粘ってはいたが、結局大将の俺まで出番が回ってくることはなく、最後はS2の堂本が決めてくれた。
タイブレークまで縺れ込んで手に汗を握ったが、良くやってくれた。
「いよしっ!!」
これで俺たち銀華中は都大会ベスト4だ。
ガッツポーズを作りながら思う。
なんだ俺たち、やっぱり強いじゃないか。
あいつらがいなくても問題なかったじゃないか。
あれだけ頭を悩ませた時間を返してほしいくらいだ。
――ここにきて、最後の糸が静かに切れた気がした。
仲間と喜びに沸きながらも、頭のどこかでだんだん冷めていく自分がいる。
どうだよ。やっぱり俺が部長に相応しかったんじゃないか。
散々悪態をついてきた田中の嫌味な笑顔を思い浮かべ、ざまぁみろと頭の中で蹴り飛ばした。
オーダーが気に入らねぇだの、この練習はしたくねぇだの、アイツとは組みたくねぇだの…
色んな不平不満を受け流してきた。
時にはトラブル解消に尽力もした。
色んな理不尽に散々耐えながら、過去最高の戦績を残せた。
他のやつらにできたか?
「やったね!福士」
「あぁ…」
――無理に決まってる。
ここまで順当に勝ち進んでいってるわけだし、もういいだろう。
関東大会に出場できる実績も残せた。
これ以上何かを背負うのはごめんだ。
「…?はいっ!」
反応の薄い俺を不審に思ったのか、強引に磯野が俺の手に何かを握らせてきた。
見てみればそれは、俺が好きないちごミルク味の飴だった。
「なんだよこれ」
「おめでと。一歩優勝に近づいたね!」
心底嬉しそうに磯野が笑う。
――不意に、エアガン事件の時にも磯野がさり気なくコイツをくれたことを思い出す。
よりによって何でこの飴なのか、どういう意図があるのか思いを巡らせようとするがこれ以上考えるなと脳内信号が強制的にシャットダウンする。
結果、俺はどう反応すればいいか分からず、コートに視線を投げた。
勝利に沸く部員の中で、試合後の握手を交わす2人を凪ぐような思いで見つめながらその思いをポケットに突っ込むことしかできなかった。
帰り道、暑さで溶けかかった飴を包装紙からどうにか剥がし、口に放った瞬間に気が付いた。
今日、俺は15歳になっていた。