1つの魔法
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何度かの小さな音にふと見遣った窓。
ゲッと思うと同時に、今日は念のために折り畳み傘を、というお天気お姉さんの言葉が脳裏に浮かぶ。
降水確率は55%。
賭けたのにと、軽くため息。
1つの魔法
用務員さんに声をかけられて時計を見れば、もう最終下校時刻。
風邪で登校できない間に溜まった調査結果のまとめ。
仕方ないから明日に回そうと、散らばったプリントを片付けて、生徒会室に鍵をかける。
湿気混じりのひんやりした冷気が流れ込む廊下には、もう誰も居ない。
無機質な蛍光灯がチカチカと照らす廊下はやけに眩しくて、辺りは静寂の世界。
遅くなっただけなのに、なんだかいつもの場所じゃないような錯覚を覚える。
職員室に鍵を返してから昇降口に向かう、その間も微かに聞こえるささやかな雨音。
やがて着いた昇降口の扉のガラスを挟んだ奥に見えたのは、ただ真っ暗な闇と、雨の音と。
下駄箱でローファーに履き替えて、マフラーを口元まで引っ張る。
思いガラスの扉を開けて踏み出せば、そこにはただ真っ暗な闇と、刺すような冷気と。
そして細い滴をひたすら降らし続ける雨と。
白い息を吐き出して雨避けになってる昇降口の外に出ると、ふと隣に気配を感じて。
少しの距離の先に目をやれば、ジャージ姿の男子。その片手には傘。
向こうは私を見てたのか、必然的に目がかち合った。
「‥傘持ってる?」
至極普通に話し掛けてくるこの人に、少し人見知りな私は、少し挙動しそうになりながらも言葉を返す。
「…持ってない」
「だよなあ。どう見てもそうだよな‥」
「あ、でも別に気にしないで帰っ‥」
「こんな状況で俺だけみすみす帰れるかよ‥」
「…だってその傘‥」
「そこの傘立てにいつも残ってたから、俺のじゃないのよ」
「‥ああ‥」
でも一本しかないとなると…ちょっとまずいタイミングで出てきちゃったかも。
微妙な気まずさに傘から彼の足元あたりに視線を漂わせると、目についたものがあった。
ガラス扉に立て掛けてあるそれは、少し濡れてる彼のカバンと、テニスバッグ。
「…あ、そっか。テニス部の部長さんだ」
そうだ、はっきり思い出した。
さっきからなんとなく頭の中で燻っていたものがはっきりして、思わず見上げた彼の顔に呟いた。
彼はそんな私に眉をしかめながら「今気付いたのかよ‥元だけど」って呆れ気味。
「あ、テニスバッグがあったから。もしかしてテニスしてたのかなって」
「…ま、まーたまには身体動かさないとなまっちまうしな」
「ああ、やっぱりテニス好きなんだ」
「…」
きっと雨のせいじゃないちょっと濡れそぼった髪の毛に、テニスバッグの上に乗せてあるスポーツタオル。
側に転がるのは空になったアクエリアスのペットボトル。
砂埃まみれのボールに、スニーカーには泥がはねてる。
きっとそれだけ打ち込んでたって証拠。なんだと、思う。
部長さんは何だかバツが悪そうに、だけどちょっと頬を赤くしてわざとらしくんんっ!と咳払いをした。
「そんな誤魔化さなくても‥」
「いや、いやそれよりもだ」
ホラ、って寄越してきたのは、例のダークグリーンのチェックの傘で。
「え、」
「これ差してとっとと帰んな」
戸惑いながら受け取ったそれ。
だけどそんなことできるはずない。
「じゃ、じゃあ部長さんも一緒に、」
「アホか!俺は走って帰る!」
「いや、させない。風邪ひいちゃうしそんなの‥」
「あのなあ、ここは男として当然だろ!お前は素直にだなあ‥!」
「いや、だったら私も走って帰る」
「はあ!?」
カチッと広げた傘から、月日を物語る少しの砂埃が舞う。
素っ頓狂な声をあげた部長さんの頭上まで、腕を伸ばして。
「だから、一緒に帰ればいいだけの話ですって」
にっこり笑って言うと、「あ、あのなあ‥」って困惑する部長さんに、すかさず「バス通の人?」って質問を投げる。
「あ、ああ」
「私も。私は降りてすぐにコンビニあるしそこで傘買えばいいから、これは部長さんが」
「い・いやダメだ!俺もコンビニ近いからこれはお前がお持ち帰りなさい!」
「…」
ちょっとすごい迫力で言われて思わず頷くと、部長さんはようし、とどこか満足げに笑う。
「えっと、じゃあ帰りましょっか?」
「…、ま、まあよくよく考えればこんな時間だしな‥」
「ほら、早く」
「ちょっ、待て待て!俺が持つ」
「あ、ありがとう」
「いや‥(こんなとこあいつらに見られたら何て言われるか…)」
なんだか落ち着かなそうに視線を逸らして、また頬、というか主に耳が赤くなっていた。
可愛いというか、面白いというか。
そんな印象を受けた。
………
とはいえ、こうして初対面の人と一つ傘の下なんて、我ながら大胆なことしたと思う。
気恥ずかしさはもちろんあるけど、やっぱりこれが最善の方法だったんだから仕方ない。
でも仕方ないとは言え、嫌じゃないんだ。
何だろう、もっと話してみたいと思う、もっと知りたいと思う。
隣で傘を持つこの人のこと。
「部長さん、家近いの?」
「…あのなあ、部長さん部長さんて、俺はもう」
「でも、もう私の中ではうちのテニス部の部長さんとしてインプットされちゃってるから」
「じゃ覚えとけ、今テニス部を束ねてんのは高田だ」
「…部長さんのことだけ知れればいいの、私は」
「はっ?」
「今さらだけど、名前は?」
「…はあ~、やっぱ知らねーのかよ‥」
頭一つ分上にある顔を見上げて問えば、やっぱりされたしかめ面。
それでもこの人、整った顔してるなってどこかぼんやり思う。
「…福士」
「え?」
「福士ミチル」
「ミチルちゃんかあ」
「ミチルちゃん言うな!」
「え、だめ?可愛いのに‥」
「ざけんな!初対面の奴にちゃん付けで呼ばれる筋合いねえよ!普通福士くん、とかだろ?」
「あ、でも私くん付けって何か照れちゃって‥」
「だーもうだったら福士でいいよ!」
まくしたてられた後、ったく…ってちょっと呆れ顔されて、くるくる変わる表情。面白い。
「で?お前は?」
「磯野マコ」
「フーン」
「覚えてくれた?」
「どうだかな」
「え、ひどい」
「なあによ?大体こんな時間まで何してたの?」
「ん?私ずっと仕事片付けてたの、生徒会で書記やってんだ」
そう言うと、どこか明後日の方を見て「へー‥書記ねー」と呟く。
どうでも良さそう?でも名前は聞いてくれた。
興味を持ってるのは私だけじゃないなんて思うのは、やっぱ自惚れかな。
厳冬の季節、真っ只中。
吐き出す二酸化炭素は白く空気を舞ってはすぐ消えて。
フクシ…を横目で見上げてると、瞬間顔が強張って、ぶえーっくしっ!と、なんとも豪快なくしゃみが信号待ちの街角に響いた。
「だ、大丈夫?」
「う~‥さむ!さむ!さすがに冷えてきたぜ‥!」
「え、もしかしてジャージの下、シャツしか着てない!?」
「いや、だって動いてたらあったかくなったし‥」
「バカ!寒そうだとは思ってたけど、死ぬよ!?」
「バ!バカとは何だよ!だから初対面の奴に…っっぶあーくしょい!!」
また一つ豪快なくしゃみを発しながら、腕をさすって寒さを紛らわすフクシ。
パッと青信号に変わるランプ。
動き出すカラフルな傘の群れ。停留所まではまだ数十メートル。
多分もう少しでバスが来てしまう時間。だけど、
「ねえ、ちょっと屈んで」
「はあ?ってかオイ、信号‥」
「いいから」
この場所が行き交う人たちの邪魔にならない、信号柱の側で良かった。
不審顔したフクシに、巻いていた紺のチェックのマフラーを、その寒そうな首に巻きつける。
「お、オイ‥」
困惑した声に、にこっと笑って「私はコートも着てるし、全然大丈夫だから」
これくらいさせてよ。
ジャージに染みを作りながら私を守ってくれたその右肩にも、申し訳なく思いながら。
そんな気持ちが通じたのか、フクシは「‥わりいな」ってちょっと目を逸らした。
この仕草は、きっと照れてるな?
途端にゆるゆる緩む口元を隠しもせず。
「ううん、‥」
そう言いながら目をやれば、ウインクしてる青のランプに気付いて。
「やっべ、急ぐぞ!」
「あ、待ってって!」
いきなり走り出すもんだから、雨にちょこっと濡れながらも追いつく。
なんとかギリギリで横断歩道を渡りきったその時、なんとも言えないタイミングでバスのライトが停留所へと向かってるのが見えたものだから、
おーい来ちまったぞ!ってさらに加速するフクシの脚。
一応、テニス部の元主将。
それに比べ、運動とは無縁に等しい生徒会所属の万年読書少女の私の脚が、彼の速さに追いつけるわけもなく。
「まっ‥待ってって」
待っていてくれるフクシにやっと追いついた頃、バスは停留所付近でストップしようとしていた。
「早くしろって!」
フクシがとうとう私の手を掴んで、全力疾走。
空気に溶けては消える、はずむ二人の息。
フクシのテニスバッグや私のカバンの中身やらが、ガチャガチャとうるさく音を立てる。
ほとんど傘の役目を生かしきれずに、雨の滴を受ける君と私。
フクシの背中で踊る私のマフラーを眺めながら、バス停まであと30メートル。
20メートル
15メートル
バスにたった3人しかいない乗客希望人を受け入れていく入り口。
杖を持ったおじいさん、もっとゆっくり上ってくれていいよ!なんて自分勝手な思いを余裕のない心の中で思う。
あと10メートル!
おじいさんの横姿が見えなくなって閉まってしまうドア。
もう無理か、と思った瞬間、フクシがおお~い!と情けない声を張り上げた。
セーフか、アウトか。
入り口に着いた私達を、なんとかドアは早く入れと言わんばかりに受け入れてくれた。
もう酸素を取り込むのに必死で、膝に手をついてぜえはあしてたら、フクシはさっきあんなにも情けない声を張り上げていたというのに、 少ししたら意外にもすぐ息を整えだして。
傘を折りたたみながら、「だ、大丈夫か、よ?」ってはずむ息で聞いてくるけど、私は答えられない。
運動量の差を思い知った。
フクシは、今でもたまにテニスしてるみたいだし。
私はこんなに走ったのなんて授業での短距離走以来だし。
…まあこの人も、余裕ではなさそうだけど。
胸に手をおいて息を整えようとするけど、そんなゆっくりできる時間はもちろんなくて、
さっきから運転手さんの早く乗れよと言わんばかりのイラついた視線を感じる。
だけどもうフラフラで、キツイもんはキツイのだ。カッコ悪いけど。
「おい、磯野」
真っ赤な顔で呼吸を繰り返す私の名を。
入り口の階段に一足早く上がったフクシが呼んだ先、見上げると仕方なさそうに、だけどちょっと照れくさそうに離されていた手を改めて差し伸べてくる。
ぼけっとしてると、早くしろと急かす。
一瞬。
それは、ちょっとバカで面白キャラなこの人のイメージが変わった、一瞬だけの魔法。
その一瞬の内に、魔法をかけられてしまった私。
例えるならば、まるでディズニーのファンタジー映画。なんて、ちょっと出来すぎな気がするけれど。
幾分大きなそれに重ねた手の平はお互い熱を帯びていて、それが走ったせいだけじゃないことを、私は心の隅で理解していた。
……
「じゃあな、俺ここだから」
「あ、うん……あれ?」
窓の外を見ていて、ふと気付いた。
街灯の灯りしかない、民家が一面にあるだけの町。
「コンビニは?」
「いっ‥あ~ホラ、あの、角曲がったとこにあるんだよ!」
顔が引きつってる。
分かり易い人だから、動揺したのを見逃すはずなんて無くて。
「ウソでしょ?じゃあこの傘使っ‥」
「じゃあな!」
「あ、ちょっと!」
と、カードを通して慌てたように降りて行ってしまった。
ポカンと傘を片手に立ち尽くす私をよそに、動き出すバス。
動き出したはずみでよろけるけど、慌てて向かいの席に向かって、人が座ってるにも関わらずシートについた手で身体を支えながら窓の外、彼の姿を探す。
…どこまでバカなんだろう。
私がコンビニ近いのは本当なのに。
フクシはさっきコンビニがあるって指し示した角とは逆方向に曲がっちゃって。
見えなくなってしまった、雨に濡れながらダッシュする緑のジャージ。
あの人バカだけど、もし風邪ひいたらどうするの?なんて失礼な思考を連ねていると
「お譲ちゃん、危ないわよ」
気付かない内に身を乗り出していたせいで、側に座っていたおばあさんに注意されて、初めて周りの不思議がる視線に気が付いた。
途端自分の顔に、ボッと火がつく。
すいません!って謝ってそそくさと元の席に戻るも、居心地悪い。
だけど、そんな心地悪さを感じながらも。
恋の魔法使いも、またとんでもなくアホな人を好きにさせちゃってくれたもんだなあと一人緩む口元を抑えるのに精いっぱいだった。
グリーンチェックの傘を握り締めながら、どうしようもないな。
…ちょっと、かっこいいじゃないか。
見つめるのは、柄の部分の薄く消えかかったイニシャル。
“M.F”
魔法の種は、まだ根を張ったばかり。
いつか繋がり合えるといい、こんな1つの魔法で。
2005.1.13
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