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7月12日。
今日は朝から日差しが刺すように暑い日だ。
そんな今年初の猛暑に見舞われる中、俺たちは大会に向けて猛練習中であった。
「ゲームセット!ウォンバイ福士!」
よし、とりあえず部長の面目はキープした。
その安心感からドッと疲れが体に圧し掛かり、ついついその場に座り込んでしまう。
……しかしあそこでのスマッシュを返せていなかったら、勝敗はわからなかった。
田代も堂本も……他の野郎も確実にレベルアップしているのがわかる。
これも「あのお方」のおかげなんだろう。
あのお方に敗れてから、全員が心を入れ替えたように練習に励んできた結果だ。
この生まれ変わった俺たちなら、関東大会でも十分に通用するだろう。……いや、多分。
「おい福士、大丈夫か?」
「ん、ああ……しっかし今日はアチイな……いつもの倍は疲れたぜ」
尻越しにも、地面の熱気が伝わってくる。
しまった、こりゃ腕も焼けてんな。
額の汗を拭いながら、容赦なく照り付けてくる日差しを睨んだ。
と、そんな俺を覆う影。
「お疲れー、はいタオル」
「おお、サンキュ」
差し出されたタオルを受け取り、顔の汗を拭う。
タオルは温かく、なんだか太陽の匂いがした。
「ドリンクはあっちにあるから。立てる?」
磯野を見上げると、逆光が眩しくてついしかめ面になる。
そんな俺の表情で誤解したのか、「あ、持ってこようか?」なんて気を利かせようとする我がマネージャー。
「いいって。大丈夫だよ」
言ってからうっしと立ち上がると、疲労が両足に圧し掛かってくるのが分かる。
のろのろと端のフェンスまで歩いていくと、磯野が走ってドリンクを手に持ってきた。
差し出されたボトルを受け取ると、心地よい冷たさが掌に伝わった。
誘われるままに一気に喉に流し込んで、プハーっと一息。
「生き返ったぜ……」
「うん。冷やしておいて良かった」
ふとそう言う磯野を見るなり……、俺は違和感を覚える。
息が上がっているのは動き回ってるせいかと思ったけど、顔がやたら赤い。
もしかしてもしかしなくても、コイツ?
「おい!ちょっと」
緊迫感に駆られて、俺は磯野の腕を引き、掌を首の後ろに当ててみる。
この炎天下なら汗でベトベトしているはずが、磯野の肌はサラサラに乾いていた。
「ちょ、ちょっと福士?」
「こンの馬鹿っ!!保健室行くぞ!」
そう判断するなり、俺は磯野に背を向けてしゃがみ込む。
わざわざ言わなくても意図は伝わるだろう。
「え?え、何?そんな急に」
「いいから。お前、日射病になってんぞ」
「…た、確かに、ちょっと調子悪いなって思ってたけど」
「ん?おい、何かあったのか?」
「何だ?磯野ー具合でもわりいのか?」
そうこうしている内に周りの部員も異変に気づいて、俺たちを囲み始めた。
そのせいで磯野はますます俺におぶられることに抵抗を強くしたようで。
「大丈夫、歩いて行けるから!」
なんて強がって歩いて行こうとしたが、だんだん歩き方が覚束なくなってきて。
しまいには眩暈がするのか、フェンスに寄りかかる形で蹲ってしまった。
「ほら言わんこっちゃねえ。大人しくおぶられやがれ!」
「うう……」
「さあ磯野、おぶられて来い!アイーン!…つうか掴まれるか?」
「…………ダメ、気持ち悪い」
肩に伸ばされた手が力なくずり落ちて、振り向けば尻餅をつきながら俯く磯野がいる。
これはまずいと直感する。確実に悪化している。
「おいミチル!担架運んでくるか?」
「んな時間あるかよ」
堂本の提案を一蹴し、俺は容易く覚悟を決める。
尻餅をついて蹲る磯野の膝の裏に手を入れ、背中を支える。
肩膝をつき、足と腕に力を入れ……一気に持ち上げる!……よし、持ち上がったぜ!!
「!?ミチル!力仕事なら俺が……」
「これくらい平気だってんだよ……!おい田代、ここ任せたぜ」
「お、おお。頼んだぞ」
そうして後を任せ、俺は保健室へ急ごうとするが、
「ごめ、あんま揺らさないで……吐きそう」
「んじゃなるべく首横に向けてな、ちっとはマシになる」
「…うん………」
まあそれでも吐かれたら、その時はその時だ。
最大限揺らさないよう、俺は出来るだけ早足で保健室へと向かうのだった。
……
…………
……………
やっと着いた保健室の前には、保健の先公である森本の「不在」を示す札がついていた。
ホンットこういう緊急時に限っていねえんだよなアイツ。授業フケりたい時にだけいるくせに、ざけんな!
「あ…、いないんだね。先生…」
心の内でそんな毒を吐いてると、両腕が塞がってる俺の代わりに磯野がドアを開けてくれた。
すると、ムワッとした熱気を孕んだ空気がまとわりついてきて、俺はますます森本を恨んだ。
不在だから当然クーラーは止まっている。涼しい場所へとわざわざここまで運んできた意味がなくなったも同然だ。
とりあえず磯野をベッドに座らせ、すぐにクーラーをONにして風量最大、設定温度を下げまくった。
間もなく、心地よい冷気が流れ込んでくる。
「あー、ちょっときもちいーかも…」
心ここにあらずのような声を聞きながら、俺は冷凍庫から氷、そして冷蔵庫にストックしてあるスポーツドリンクを取り出す。
「とりあえず上着脱いで待ってろ」
「あ…、うん」
こいつがこうなったのは恐らく、帽子を忘れた上に上着を着たまま動き回ってたせいもあるだろう。
さすがの俺も今日は脱がずにいられなかったのに、今の今まで脱がなかったのだ。
「大体、んなもん着てりゃ暑いに決まってるだろ……それとお前、今日ちゃんと水分取ったの?」
「…………ええと、……」
やっぱりかよ。
ビニールに氷を入れながら、俺はついため息をついてしまった。
すると背後から、「ごめん」とか細い声が返ってくる。
「マネージャーなのにね。自分のこと疎かにしてしまいました……部長、ごめんなさい」
随分素直な謝罪が返ってきたもんで、少し驚いた。
でもそれだけに磯野の真摯な思いが伝わってくる気がして、とりあえず俺は溜飲を下げることにした。
「ったく……とりあえず飲みな」
差し出したドリンクをおずおずと受け取ってから、一口ずつ喉に流し込んでいく様子を見て、とりあえず一安心した。
あまりに症状がひどいと自力で飲むこともできないはずだからだ。
長年運動部に所属してると、どうしても詳しくなってしまう熱中症への対処法。
この知識が今年も役立って良かったぜ…。
「あー…冷たくておいしい」
「飲めるだけ飲んどけよ」
「うん……」
「……………」
喧騒から離れた、二人きりの空間を静寂が支配する。
……安心したせいだろうか。
己が今、所謂「おいしい」状況にあることを意識してしまう。
そして意識すればするほど己の体温が上がっていくのが分かって、そんな邪念を振り払うように氷が入ったビニールの口をきつく縛る。
「…ん、大丈夫?なんか福士も顔赤くない?」
「っ、病人が他人の心配すんなってんだよ!それよりさっさと横になっとけ!」
「はーい…」
もぞもぞと靴を脱いで、ベッドに横になる磯野にさっき作った氷袋を渡してやる。
「とりあえず手首に当てときゃマシにはなるだろ。あと氷枕もいるよな」
「お手数おかけします…」
「これから気を付けてくれりゃいいよ、もう」
「ん、…気を付ける」
そんな会話をしながら氷枕にタオルを巻いている時だった。
「…ねえ福士」
「何よ?」
「福士ってさ……彼女いるの?」
――ドサッ!
「イデッ!!」
予想だにしない質問に、手元が滑って氷枕を落としてしまった。
しかもあろうことか枕の角が足の甲に刺さって……NOOOOO!!
「うわっ、大丈夫!?」
「あ、ああっ…何とか…!」
「嘘こけ!ちょっと見せ…」
「だー大丈夫だっての!お前は大人しく横になってろ!」
「う……」
しゃがみこんだままの体勢で勢いよく言い放つと、起き上がった磯野の動きが止まる。
大体、何だ今の突拍子もない質問は!?
痛みで顔をしかめながら、気持ちを落ち着けようと一つ息を吐き出す。
「いや……ごめん、変なこと聞いて」
一体、どういう意図があるんだよ。
……駄目だ、また体温が上がっていくのが分かる。
自分でも笑える程に心臓が大きく鳴っている。
「な、…何だってんだよ……」
「あ、いや…福士ってさ、今日みたいに結構見かけによらず頼りになるし、ちょっとはモテそうだから…いるのかなって。ごめん、変な質問しちゃったね。忘れて?」
「んだよ………別にいねぇよ」
「!そう、なんだ」
ぶっきらぼうに言えば、少し明るい声と笑顔が返ってくる。
…これはもしやホッとしている?
都合の良い解釈をしそうになる俺に、磯野はおどけるようにこう続けた。
「じゃあ私立候補しちゃおうかなー」
目を見開いた。
なんてね!ってふにゃっと笑う磯野に、俺は瞬間、足の痛みを忘れて立ち上がる。
こんな理想通りの展開。
生かさないわけにはいかない。
「――いいぜ。採用」
俺の真剣な声音に、磯野が驚いたように目を丸くする。
「え?うん…?あ、え??」
「お前は今日から俺の彼女な」
そう告げれば途端に慌てふためきだして。
え、いやあの、とか言いながら視線を右往左往にさ迷わせている。
大方コイツは冗談のつもりで言ったんだろう。
マジに取られると思ってなくて狼狽しているのが悔しいながらも面白い。
…このチャンス、逃がすわけにはいかないんだよ。
「えーっっと…福士さん??」
「な、なんだよ。せっかく立候補してくれたんだからいいだろ。お互いフリーなんだし」
「え、と…、じょ、…その、本気?」
「大マジだよ」
逃がさない。
どんな手を使っても捕まえてやる。
肝心な言葉を言外に忍ばせて真面目な声音で言えば、磯野はついに顔を赤くして目を逸らした。
この状況で熱を上がらせるのはあんま良くないけど、ここは仕方ない。
その様子に少し気を良くしてしまって、さらに畳みかける。
「そうだな…今日の看病代だと思ってくれりゃいい」
「えっ…わ、私が?私と付き合うのが?」
自分を指さしながら困惑気味に問いかけてくる。
それを横目で見ながら、俺は落ちた氷枕とタオルを拾いながら頷く。
「ああ」
「……」
落ちたタオルはその辺に置いて棚から新しいタオルを取り出す。
磯野はついに黙りこくってしまった。
まるで脅しのような、懇願ともとれる科白に何かを思案しているのだろうか。
俺もそれ以上何を言うでもなく平常心を装いながら、氷枕に清潔なタオルを巻いていく。
それを持ってベッド横のパイプ椅子に腰かけると、赤い顔と視線がかち合う。
その赤い顔が熱中症のせいなのか俺のせいなのかは今はあえて考えないでおく。
「ほら。首の下に敷くから頭あげな」
「あっ、ああ、うん」
ありがとう、と小声で呟く磯野の首の後ろに氷枕を挟んでやる。
ふう、と息を吐いて目を閉じるその姿は…なんというか、心臓に悪い。
そして、目を開けた磯野は俺を見るなり少し目を見開いてふふっと笑った。
「…福士、顏真っ赤」
「っ!?うっ、お前もだろ…!」
「ふふ、私のは違うもん」
そう楽しそうに言う磯野からつい視線を逸らしてしまう。
やっと効いてきた気がするクーラーの下で、早くこの顔の熱が引いてくれることを願った。
「うーん、冷たくてきもちいー…」
そうぼんやりした声に目をやれば、また目を閉じている。
…少しだけ熱が引いてきただろうか。
心臓を落ち着けながら掌をそっと額に乗せて、体温を確かめる。
…まだ熱いは熱いが、さっきよりマシになっている。
安堵の息を吐き出すと、ゆっくりと瞼が開いて何度目かの視線がかち合う。
すると、額に乗せたままの掌の上に、磯野の手が重ねられて。
何事だ!?と動揺する間もなく、ニコッと極上の笑顔で告げられる。
「じゃあ、これからよろしく。”彼氏”の福士ミチルくん」
「っ!?」
……はっきりした返事は貰えずにいたから、気になってはいた。
まさかこんなタイミングで言われるとは。
思わず感動に打ち震えて銀華魂を叫びだしたくなったが、どうにか咳払いでその衝動を堰き止める。
「…よろしく。俺の、彼女として」
務めて平静に告げると、笑顔でコクンと頷かれる。
――手に、入れた。入れられた。
いつからか、欲しくて欲しくて仕方なかったもんを。
こうなると顔の熱はしばらく引かないだろうことを悟って俺は諦めることにした。
あまりの嬉しさにしばし夢見心地な気分に浸っていると、ふと窓の方から何か物音がした。
まるでガラス窓に何かがぶつかったような。
そして耳を澄ませると聞こえくる、聞き覚えのある小声。
「……?福士?」
とっさに手を離した俺を、磯野は不思議そうに見上げてくる。
が、ある予感に俺は顔をしかめるしかない。
立ち上がってグラウンドに面した窓を勢いよく開けると、そこには……いた。
しゃがんで中の様子を伺っていたらしいデバガメ3人組が。
「テッ、テメェら…!!」
「うっはは~!アイーン!ミチル~良かったな!」
「やっと…やっとだな!」
「いや~一時はどうなるかと思ったよ」
「いっ、いつからだ…!?」
「んなのほぼ最初っからに決まってんだろ~」
「なっ…!!?」
一部始終をすべて見られていたという事実に、愕然となる。
やがて怒りと羞恥に震えながら、俺は久々に部長らしく叫んだ。
「――テメェらッ、グラウンド30週だ!!」
横暴だー、とか何でだよとかいう声が上がったけど、そんなことは俺には関係ない。
「問答無用ッ!今すぐ走ってこい!!」
その日、ひいこら夕方の校庭を走る銀華中テニス部レギュラーメンバー3人と、まるでどこかの学校の鬼部長のように腕を組んで監視する部長の珍しい姿が見られたという。
2021.2.28
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